つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.32

2017年06月25日 12時18分58秒 | 津幡短信。
津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は季節の話題2篇+ワン。

【夏の恒例行事。】

夏恒例行事の告知ポスター掲示が始まった。
7月29日(土)つばた町民八朔祭り at 住吉公園。
 翌39日(日)全国選抜社会人相撲選手権大会 at 津幡町常設相撲場。
どちらもここ暫くデザイン変更はないが、お祭りはマイナーチェンジ。
個人情報保護・プライバシー保護に配慮してか、
全体にちりばめた参加者スナップのピントをボカしている。
昨今の風潮と言えるが、そこまでしなくても…と思うのは僕だけだろうか。

【夏の恒例行事2。】

和菓子店「加賀藩たかくら」前に「氷室万頭」の看板が出た。
石川県民にはお馴染みの風物詩である。
店頭に貼り出された菓子工業組合のポスターから、その謂れを紹介したい。
『花嫁さんに出された家方は、「氷室の日」の前日になると、
 「氷室まんじゅう」を重箱に50個位つめて、
 嫁ぎ先へお持ちするゆかしい慣わしがありました。
 それは、加賀のお殿様が徳川将軍へ、兼六園の裏洞穴に
 冬の間貯えておいた雪を、旧歴の六月一日に取り出して、
 献上した日にあやかり生れた慣わしです。
 ご家族の末永い健勝と幸せを祈って、
 ひとつひとつまごころ込めて作られた「氷室まんじゅう」を
 どうぞご賞味下さいませ。』(※原文ママ)
 
【夏の恒例行事3。】

愛犬「りくすけ」、夏恒例のサマーカットしました。
実年齢はシニア世代ながら、若々しく可愛くなりました(笑)。

<津幡短信vol.32>
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KAJIさんのMARKET。

2017年06月24日 18時54分12秒 | 日記
「鍛冶(かじ)さん」が経営しているから「カジマート」。
津幡町に本部を置く、地場のスーパーマーケットだ。
創業は、大正初期。
会社設立は、大戦後の昭和26年(1951年)。
従業員数は、160名。
現在の店舗数は、ロードサイド独立、テナント形態を合わせて7つ。
その1つが、津幡町・加賀爪の「カジマートみなみ店」…通称「みなカジ」である。

(次画像左上:木陰が落ちる南出入口。)
(次画像右上:駐車場出入口の看板。ロゴが昔のタイプ。)
(次画像左下:店内の様子。)
(次画像右下:喫茶・レストラン「ラルゴ」の中。)
         奥の壁には昭和の街中を描いたであろう油絵「或る商店街」。)

オープンは、確か、僕が中学生の時。
メインのフード類に加え、衣料、靴、花卉など、多彩な商品が並び、
軽食と喫茶を提供する個店まで収容した、総合型小売店の登場に驚いた記憶がある。
あれから、30数年が経った今、そのスタイルはスタンダードになった。
流通戦国時代の今、「みなカジ」をはじめとした「カジマート」は、
高品質・高級路線を採って同業他社との差別化を図り、頑張っている。
また、店舗展開にも思慮しているのではないかと思う。

先ほど、7つの店を構えていると紹介したが、実は、津幡町内には「みなカジ」のみ。
以前は他にも2つあった。
1つは、過去、拙ブログにも何度か「跡地」が登場した「中央店」。
津幡中央商店街にあったここが、原点であり、創業地だったのではないだろうか。
現在は「まちなか科学館」として機能している。
もう一つは「太田店~おおたの郷」。

開口部が広く自然光が降り注ぐ売り場は、やはり開店当初は斬新な造りだったが、
昨年3月、32年の歴史に幕を下ろした。

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刻みつけたのは、像かそれとも憎か。 ~ カミーユ・クローデル。

2017年06月22日 08時40分41秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第四十七弾は「カミーユ・クローデル」。

冷たい石の塊から、生きていると見紛うような像を彫り出す。
彫刻の素養と経験のない僕からすれば、奇跡にも思える技の持ち主であり、
自らも彫像のような器量よし。
しかし、天から二物を与えられたヒロインの末期は、哀しみに満ちていた。

「カミーユ・クローデル」はフランス人の女性彫刻家。
1864年、3人兄弟の長女として生まれた「カミーユ」は、
子供の頃から彫刻に親しみ、早くからセンスを発揮。
プロを志しパリの美術学校に通っていた19歳の時、
指導に訪れた「オーギュスト・ロダン」と出会う。
既に名を成した四十路の大家と若く美しい俊才は、
師匠と弟子になり、程なく男と女になった。

愛と創作。
何人(なんぴと)も入り込めない世界を共有する2人の毎日は充実していただろう。
一種の「チーム」として15年を過ごすが、次第に破綻へと向かう。
綻びの原因となったのは「ロダン」の内縁の妻。
三角関係のラブ&ヘイトを繰り広げた末、男は家庭を選んだ。

「カミーユ」は独立するが評価は低い。
“ロダンの元愛人” - “ロダンのコピー”と揶揄され、作品が売れず、
失意と貧しさの中で精神を病んでゆく。
精神病院に隔離されて30年を過ごし、孤独に旅立っていった。

この悲劇は、2度、映画化されている。
1度目の日本公開は、平成元年(1989年)。
僕は、映画館に足を運び「カミーユ・クローデル」を観た。
主演女優「イザベル・アジャーニ」のファンだったのである。
銀幕の中の彼女は期待にたがわず美しく、そして、生々しかった。
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機智に富む電脳は、人智を超えるのか?

2017年06月18日 15時19分19秒 | 賭けたり競ったり
一方が黒、もう一方が白の石を使って、
碁盤の上で互いの陣地を奪い合い、確保したエリアの広い方が勝ち。
2000年以上前に誕生した「囲碁」は、人類史上最も古いゲームであり、
シンプルなルールの中に無限の奥深さを秘めたゲームと言われる。
僕自身は嗜んだ経験はないが、ファンは多い。
発祥地の中国、日本以外にも、韓国、台湾、欧米など、
世界80ヶ国・5000万人あまりが愛好している。
「チェス」に次ぐ人気のボードゲームだ。

ちなみに、わが津幡町の囲碁のレベルは存外高いらしい。

「津幡囲碁クラブ」の設立は、昭和43年(1968年)。
県内外の各種大会で結果を残す強豪だ。
平成17年(2005年)、同クラブが開設した「子ども教室」が功を奏し、
津幡小学校は、小学校囲碁団体戦全国大会の常連となっている。
確かに、プレハブの梁山泊の壁には、沢山の賞状が並んでいた。

また、昨年、新たな囲碁スポットも加わった。

石川県出身の美人囲碁インストラクターが席亭を務める
「会員制囲碁サロン シトラス」である。
場所は、津幡町庄。「住吉神社」の向かい側で分かりやすい。
そのあらましについて詳しくは、同サロンHPをご覧ください。

さて、囲碁界に衝撃が走ったのは記憶に新しい。
最強棋士「AlphaGo(アルファ碁)」に敗れる。
自ら学習し判断して進化する人工知能「アルファ碁」が、
先月末、世界最強とされる中国人棋士に3連勝した。

SFの世界に留まらず「やがてコンピューターは人類を凌駕する」と囁かれてきたが、
いよいよ現実のものになってきたのかもしれない。
事実、自動運転技術、自動音声認識をはじめとした各種ソフト、ロボットなど、
AIが社会生活に入り込んできている。
「アルファ碁」は、その先鋒と言えるだろう。

果たして、わが愛する艇界でも人工知能ツールが活躍する日がやって来るのだろうか?
もしそうなったら、僕はAIに頼るのだろうか?
…多分、答えは「否」。
自分で考え、身銭を切って、責任を背負って賭けてこその楽しみだと思うからだ。
当たるも競艇、当たらぬも競艇。
泣くか笑うかは自分の読みと張り方次第である。
本日は、常滑G2と桐生一般シリーズが最終日。
不確実な未来を確信をもって予想してくるとしよう。

では。
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津幡スナック紀行。

2017年06月17日 10時45分46秒 | 日記
日本の「スナック」は、アルコール類と一緒に軽食を提供する酒場…
欧米の「SNACK BAR」を端緒とするが、源流とは趣を大きく異にしている。

責任者は「ママ」と呼ばれる女性。
従業員(ホステス)はママよりも年若い女性。
営業時間は、割合に深い。
客は、乾きもの(米菓、ナッツ、珍味)やチョコレート、チーズ等をつまみながら、
酒を飲み、会話、カラオケに興じ、〆に焼うどんを食べる。
…時代、地域、店舗による違いはあるだろうが、
そこでの様子は、概ねこんな感じだろうか。

今から半世紀以上前、昭和39年(1964年)、
バーやキャバレーなどの風俗店が都道府県条例改正により、
24時以降の営業が不可能になった。
その空白を埋めたのが、深夜も商売できる新たな形態。
カウンター越しの接客を主とし、客室に見通しを妨げる仕切りなどがなく、
ダンスをする踊り場のない「スナック」である。

やがて、1980年代には、キャバレーやクラブよりも安価で、
カラオケが楽しめる盛り場の定番スポットとして需要が拡大。
スナックへの賃貸を目的とする雑居ビルが林立し、
バブル景気が頂点を極める流れに乗って、店舗数も増大した。
どことなく華やかで昭和的な印象が香るのは、
こうした歴史的な背景が影響しているのかもしれない。

さて、近年スナックの数は減少傾向。
カラオケボックス・カラオケ専門店や居酒屋などの人気に押された。
以前と比べ、人々の酒量が減り、飲酒の習慣も薄れた。
かつての顧客、店の経営者、どちらも高齢化が進んだ。
様々な要因から、扉を閉める店が多い。
一方で、居抜き物件を活用した新規開店のケースも少なくない。
最近、ご近所に新しい店がオープンした。

「喫茶 スナック 夢」。
住所は津幡町清水、住之江橋の袂に位置している。
ここは、長年スナックが暖簾を構えてきた。

スナックは現金商売で、飲食店の中でも利益率が高く、収益性は悪くない業種と聞く。
継続の鍵を握るのはリピーター。
ぜひ、常連さんを獲得し地域に根付いて欲しいと思う。

続いて、何件か町中心部のスナックを紹介したい。

左上:津幡町横浜「スナック リッチモンド」。ベルスコッチの看板が目印。
右上:津幡町津幡「ラウンジ 多恋人(たれんと)」。JR中津幡駅傍。
左下:津幡町津幡「スナック 貴様」。名前がユニーク。
右下:津幡町加賀爪「スナック 蓮(れん)」。以前は、喫茶・スナック「スペイン」だった。

左上:津幡町庄「スナック・喫茶 白樺」。四ツ角・おやど橋近く、リバーサイドテラス席有。
右上:津幡町清水「千歩里(ちぼり)」。町商工会議所向い。
左下:津幡町北中条「VEGA」。以前は喫茶店。
右下:津幡町庄「スナック&コーヒーみや」。ローソン本津幡傍。

わが津幡町は人口そこそこのベッドタウン。
故に、地元で羽目を外す「夜の街」はない。
物静かな闇に包まれるからこそ、
落陽を合図に明かりを灯す「夜の店」を見かけると、妙に心が落ち着くのである。
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