つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町と世界に共通した願い。

2011年10月31日 20時43分22秒 | 日記
10月最終日・・・ハロウィンである。
今朝からラジオを聴いていていると、番組が変わる度に話題が登場。
十年一昔というが、10年前の状況と比べすっかり市民権を得た感がする。

そもそも、ハロウィンのルーツを遡ると、
2000年以上前からアイルランドに住んでいた「ケルト民族」の風習に辿り着く。
古代ケルトの暦では、新年は11月1日。
10月31日が夏の終わり。
季節が入れ替わるこの日は「生と死の境」との位置づけ。
悪霊が人の住む地上界に下りてくると、信じられていた。
当時は、災いが自分の身にふりかからないよう、
家の前に捧げ物として食べ物などを置いたり、
かがり火で悪霊を追い払おうとしたそうだ。
この習慣が、やがてアイリッシュ移民達によってアメリカへ持ち込まれ、
世界中に伝播。
本場・アメリカでは、まさにお祭り騒ぎ。
我が子に可愛いコスチュームを着せて、晴れ姿に目を細める親にとっては、
ある意味、日本の「七五三」のようなものかもしれない。

…という事で、話はようやく「今日の一枚」へ。
「清水八幡神社」の「七五三 告知看板」に行き着く訳だ。

秋は、七五三シーズン。
3歳の男女、5歳の男子、7歳の女子が11月15日にお宮参りをし、
成長を祝う行事である。
乳幼児の死亡率が高かった昔、
7歳未満の子の命は神の領域と考えられていた。
だから7歳の祝いは不安定な時期を乗り越えた、目出度き節目。
魔を祓い、無病息災を願う意味からも、
七五三とハロウィンには共通点があるように思う。
今も昔も、アイルランドでもアメリカでも津幡町でも、
幸せを祈る気持ちは、時空も場所も越えた「願い」なのだ。

かく言う僕は、やはり清水八幡宮で七五三詣でをした。
殆ど記憶はないが、古いアルバムの中に証拠の白黒写真が残っている。
羽織袴姿で、片手には千歳飴。
オッサンになった今見ると、何だか気恥ずかしい。

 

鳥居をくぐった僕は、どんな心境だったのだろう?
きっと窮屈に感じていたのではないだろうか。
『あ~あ、早く終わって欲しいな。』
少年が自らの意思じゃない公式行事への参加を疎んじ、
早期終了を「願う」気持ちも、やはり万国共通なのかもれない。
コメント
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