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漫画家・村田順子の
美食と薔薇 華麗なものが
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自分スタイル

2008年05月21日 | 着物
昭和(戦後)の普段着きものは、基本的に色無地や小紋、絣(かすり)くらいしかバラエティがなくて、自由に着こなしを楽しむ…なんて余裕はありませんでした。半襟にも、色をつけたりする人なんかいなかった。
私、正直、絣(かすり)が嫌いでさ~~~~(笑)。だって田舎臭いんだもん。“おしん”なんだもん。子供心に、もっとイケてる普段着ないのかよ!?ってずっと思っていました。(子供の頃一番好きだったのは、母の古い長襦袢
時代劇とか歌舞伎を見ていると、びっくりするくらい斬新な柄やカッコイイ色使いがあるのに、現実には皆無。
黒い半襟をすごく付けたかったけど、黒い半襟=使用人とか貧しい人が着るものというイメージがあって、私が着たい着物の柄は、ほぼ下層階級(女中さんとか遊女)の着物であることに気が付いたときは…愕然。
階級によって着るものや履き物が違った歴史を思うと、好き勝手ができない現実にぶつかったわけです。
この柄はこの季節に着たらダメとか、この柄でこういう場所に行っちゃダメとか、たとえ値段が何千万円したとしても、紬(つむぎ)は正装にはならないとか、こういう襟の出し方をすると下品だとか、もう~~めんどくさい!!知らないと恥をかくし、知れば知るほど冒険ができなくなる。

明治~大正から昭和初期までの着物は、現代では考えられないほどポップで色使いが可愛くて!!一時京都に住んでいたときは北野の天神さん(骨董市)などで、古い着物をせっせと買い集めたけど、当時はまだアンティーク着物なんかをマジで着ているとシャレにならない時代だったっす。
やっぱり着物は“晴れ着”としての用途が無難…、というわけで、パーティとか結婚式などで着ては、下の写真のようにささやかに遊んだりしてました。

でも戦後60年が経って、ようやくルールがぶっ飛びましたね。
まさに洋服感覚でなんでもアリです。矢羽根も黒い半襟も!!紬やアンティークにレース付けても、帯締めの変わりにベルトをしたりしてもOKなんですから!!
こうなったら、センスの見せどころです
半襟、帯揚げ、アクセサリーによってぜんぜんイメージが変わるので、洋服よりもう~~んと多様。半襟と帯揚げをリバティプリントで作ったり、大好きなフランスのロココ柄で帯を作ったり、洋服と同じ感覚で趣味の世界を取り入れて、自分好みのスタイルを考えているだけで楽しくて、もう~夢中。これは楽しい~~!!

でも、あまり自由が行き過ぎると、そのうち自由なものを開拓した人が「これは粋じゃない…」とか言って、またルールを決め出だすかもね(^^ゞ。
一貫した自分のスタイルの確立!それが一番カッコイイ。


20年ほど前、友人の結婚式にこんな付け下げで出席。
頭のおりぼんがポイントです(笑)。京都御所にて
このていどが精一杯だった。(↑帰路なのでしわしわ)