怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

義父の嘆き

2019年08月26日 | 庭仕事
まずは先日たくさんいただいたコメント効果を報告。

私が一人で大量にこのレタスを消費するのでこんな姿になってきた。義母は何も言わないので、満足している様子。

私に訪問客があると、義父はときどきこんな話をする。
「友人関係は永遠に続かない、だからないほうがいい」
ひどい話を私にしてくれるものだ。だいたい、ウチまで来てくれる私の知人友人はわずかだ。
かなり田舎に住んでいること、また、義両親たちが一緒に住んでいるということから、ちょいとした躊躇があるようだ。
その二つの悪条件を無視してやってきて、実際に義両親に会うと、義父は愛想がいいのだが義母のかなりつっけんどんで高圧的なものの言い方に恐れをなし、二度目の訪問がないことがほとんどだ。

わたしでさえ、夫と交際をし始めて、始めてここを訪問したときに「怖いお母さんだな」って思ったものだ。
その時は、結婚やドイツ移住などまったく頭になかったので、実家から程遠い夫のお母さんの性格などどうでもよかった。
まさか、その後、同居するなんて・・・・人生、本当にわからない!

義父は若い頃にはたくさんの人たちを交流があったようで、ここにも訪問客が絶えなかったらしい。
外交的な義父のことだ、それを楽しんでいたのだろう。年齢とともに、人々の生活状況、興味などが変化し、交流関係が変わっていくのは当然のことではなかろうか?
すでに20歳代からそれを認識していた私には、義父がそれに気づくのが遅すぎるとも思う。
いちいち嘆いていることをちょいと腹立たしく感じてしまう。

私自身も、ここで知り合った知人友人たちが次々に変化していっている。
とても親しくしていても、引越しがきっかけで次第に疎遠になるなどは、本当に頻繁にある。
いつかは疎遠になるから友だちなどいないほうがいい、という義父の論理は過激すぎだぞ。
いや、彼は淋しいのだろう。
一緒に楽しくやっていた仲間たちとの交流がなくなってしまうことに寂しさを感じるのは当然だ。義父の気持ちはわかるが、それでも私に「友人を作るな」という風な発言は間違っていると思う。

「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」

こうした精神的な態度は西洋には難しいのだろうか。そんなことはないだろう。
だが、義父にそんなことを諭そうと思ってもムダだ。もう、ヨメの意見など、全く聞く態度を持っていない。
男尊女卑か人種差別とも受取れるぞ。絶対彼は否定するだろうが。
高齢になって、心の大らかさを失うのは、身体が衰えていくことより怖いと思う。

義父自身だって、若い頃、高齢者を見てそう思ったかもしれない。
将来の私が義父のようになるかもしれないぞ。

ああ、ガタガタ脳裏で考えていても無駄だっ
今のこの瞬間を大事にしよう。義父よ、来週、またあの二人が来るが、いいかい?

レタスを撮影したついでにトマトも見てほしくなった。
この品種のトマトは非常においしい。義母はいただきものから種を摂り、それを二年ほど前から栽培している。

他に数種のトマトが植わっている。

採取したその場で食べるのが一番おいしい。だが、次々に実ってくるからそういうわけにもいかず、食糧小部屋でこうして食べられる順番を待たせている。


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