林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

木島櫻谷展

2018-04-09 | 色めがね

鮮やかな新緑に包まれた泉屋博古館(せんおくはくこかん)東京分館。
木島櫻谷(このしまおうこく)展は
素晴らしい展覧会だった。

櫻谷は明治後半から大正期にかけて、名作を量産した日本画家である。
近頃の日本画は絵の具を塗り重ねて、油絵のような作品が多いが、これは正真正銘の日本画だと思った。

徹底的な写生を基に、卓越した技術と感性により描かれた動物画は高い評価を得た。
確かに、展示ケースの中の写生帖に描かれた動物たちは、体の一部分しかないが、今にも動き出しそうだった。

夏目漱石が酷評したという、評判の「残月」(六曲一双)
数人の入館客が椅子席で、じっと見つめていたが、じじぃはこういう暗い絵はあまり好きではない。
かといって漱石のような痛烈な批判はいかがなものか。余程胃の調子が悪かったのだろう。

鹿の群れを季節によって描き分けた「初夏・晩秋」(六曲一双)が愛らしい
また「猿猴」(一幅)の猿や、もふもふした毛並みの狸など、いずれも気品があり優美でさえある。

京都に現存する櫻谷邸内で、ボロボロの状態で発見された「かりくら」(二幅)
馬の荒い鼻息と蹄の音が聞こえてくる。騎乗する老壮3人の射手は華麗で、踏み分けられた草原の描写は繊細である。
2年間を費やし、名作を完璧に甦らせた修復技術に拍手しよう。

                        

「木島櫻谷-近代動物画の冒険」は8日で終了しました。櫻谷に関する詳しい情報は、こちらをどうぞ。
なお「木島櫻谷-四季連作屏風と近代花鳥図屏風尽くし」は4月14日から開催。

泉屋博古館」は住友家が収集した優れた美術品を所蔵しております。
出光美術館・野間記念館と同様に、周囲の環境が魅力的な、小さな美術館です。

180409


古寺巡礼

2018-04-06 | 遠い雲

  

  お馴染み奈良斑鳩の里、中宮寺のご本尊・如意輪観音である。
  高校の修学旅行で初めてお会いした。

仄暗い堂内で黒光りする観音様に、当時は「これが有名な観音さまか」と思っただけだった。
初めての夜行列車。睡眠不足のため、ただただ眠かった。
校長先生が正座し、じっと見上げながら合掌していた。

その後、東京国立博物館の特別室で、群衆の中央に腰かけた観音様に再会した。
仏像の巨大さに圧倒され、堂々とした背中に感嘆し、木造だったことを知り驚嘆した。

最近嵌っている「土曜日は古寺を歩こう」というブログで、最近、この観音様にまた会った。
あの校長先生の年齢を超えた今、じじぃは正座ができなくなったけれど、最敬礼する。

近畿地方の古いお寺は、誠に美しい。

暇はあるが、長旅が億劫になった。
このブログのおかげで、居ながらに古寺巡礼をしております。

感謝、合掌。

  この如意輪観音は「菩薩半跏像」というようです。

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山家蕎麦

2018-04-05 | 風に吹かれて

  

  越生町(おごせまち)は花の里である。

蕎麦屋「麦わらぼうし」は桜・桃・連翹・雪柳・菜の花畑をかき分けて行く、麦原集落にある。
数年前、紫陽花が全滅した「あじさい山公園」が斜向かいにあり、残った山桜の競演が、夢のように美しい。

店は急坂の上の改装した古民家である。車で上れるが危ないので徒歩がお勧め。
店長は匠さんが修行時代にお世話になった人で、本職は大工の棟梁にして木工芸品作家でもある。
蕎麦打ちが趣味で、日・月曜日だけ店を開け、自ら厨房に立ち、手打ち蕎麦・天麩羅・小料理などを提供する。

店内や屋外の食卓や椅子など、棟梁手作りの什器備品はごっつく、凝っていて一見の価値がある。
孟宗竹を加工した湯桶は、なぁるほどの傑作。厠も必ず使用し備品を拝見すること。

3爺は二色蕎麦定食(だったかな?)に野菜天麩羅を注文した。

白黒2色の手打ち蕎麦は腰が頗る強く、つゆは藪風で、鰹出汁が際立ち、ピリッと塩辛い。
二色蕎麦定食には小料理が色々加わり、野菜天麩羅は要らなかった。
蕎麦屋で満腹したのは、この店が始めて。

越生にある蕎麦の有名店は「梅乃里」だが、環境で勝るこちらの、山家風素朴蕎麦も悪くないね。
近いうちにまた、近所の友だちと一緒に来ようと思う。

当日夜、越生の原住民で悠々自適中の元建具部長に、電話でいろいろ教えてもらった。
例えば、わが日高市高麗川地区にある天守閣風住宅が、この棟梁の仕事の由▼

蕎麦の写真はイメージで、実際はこれより盛り沢山。こちらからお借りしました。
店内外の様子や「湯桶」も見られますので、どうぞ。

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おひまつぶし処

2018-04-04 | 風に吹かれて

桃源郷のご夫妻にお茶を呼ばれたので、3爺はお叱呼に行きたい。
今度は、自然が3爺を呼んでいる、のである。


誰もいない山道で、里に向かって連れしょんするのは爽快だ。
だけど紳士としての教養が邪魔をする。

我慢しながら下界に降りてきたら、全洞院という無住寺に「おひまつぶし処」があった。
男女別、定員3人の清潔なおひまつぶし処は「年中無休」の由。

  ふぅー、......ほっ。

近くで鶯が美声を自慢していた。

  ほ~、ほけきょ、けきょけきょ、ほ~。

花の里・生越町の黒山は、公衆音入れさえも愉しめる。

   この後、あじさい公園そばの蕎麦屋「麦わらぼうし」に向かいました。

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桃源郷

2018-04-03 | 風に吹かれて

うさじぃたちに誘われ、越生町(おごせまち)黒山にある三つ葉躑躅園を観に行った。
運転手はいつもの匠さんである。

黒山熊野神社下にある町営駐車場(無料!)から見上げる三つ葉躑躅園は、まぁこんなものか程度。
清流越辺川(おっぺがわ)を渡り、民家の庭先を失礼し、山道にさしかかる。
その坂道の傾斜のキツイこと、まさに胸突き八丁だ。

だが急坂を上り切ってぱっと開けた眺望は、180度三つ葉躑躅の花・花・花!!!
桃源郷が現実に、眼前にあるのだ!

山道を一旦下り、また急坂を青息吐息で上る。
上り切れば、やややや! 山上の緩い傾斜の開けた土地に、また三つ葉躑躅の花・花・花!!!!
周囲は圧倒的な薄紫色である。周囲の黒い森を背景に、写真で撮れない感動的な風景だ。

しかも、手入れは完璧。伸びたままの雑草や、冬の名残りの枯れすすきなどは全くない。
転げ落ちそうな急な斜面も、きれいに除草してある。

山上の平地で一休みし、匠夫人手作りのお菓子を美味しく頂いた。
少し戻って見晴台から生越の山並を眺めていたら、真下の一軒家の庭先で叫ぶ女人の声が上がって来た。

  帰りに寄って下さ~い。お茶を用意してま~す。

見晴台から見下ろしたお宅は、失礼ながらリッパとは言えなかった。
しかし仄暗い屋内にはいると、内部は旧家然とした構え。立派な木組みのお屋敷である。

昔の土間がそのまま応接間になっており、品のいいご夫妻に茶菓で接待され、お話を伺った。

この広大な桃源郷は、林業不振のため先祖伝来の杉檜林を伐採し、ご主人自ら苗を植え、草苅をしているそうだ。
特に急峻な場所は、命綱で身体を預けての危険な作業になる由。
山仕事にいささか経験がある3爺だが、ここの作業は辞退ですな。

こんなに見事な桃源郷を、無報酬で造り上げ、無料で公開するなんて偉い人だ。
ご主人を支えてきた夫人は、笑顔が優しいおばぁさまだった。

例年より早く、花は突然満開になったためか、園内に訪問客は2組4人しかいなかった。
桃源郷は坂道がきつく、じじばばや幼児には無理かもしれない。

沢に架けた木橋の袂に募金箱がある。万札1枚くらいを入れてもいい、とさえ思った。
ここだけの話し、3爺は合計300円だったけどね。

  

   写真は4月1日に撮りました。四月馬鹿ではありません。

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川越で再会

2018-04-02 | 林住期

  

  川越で、22年ぶりの友だちに会った。
  場所は東武電車川越駅近くのホテルの和食堂だ。
  川越在住の友だちが予約してくれていた。


  リストラや会社の清算、その後の消息など、話は尽きなかった。

  相手は森生と同じ80じぃさんである。
  週に3回のテニス、合唱団などで、悪いところはない、と自慢する。
  ちっとも老けてはおらず、下り坂の森生は口惜しかった。

夕方、本川越駅で別れたが、まだ陽は高い。
よーし、久し振りに蔵造りの町を歩いてやろう、という気になった。

蓮馨寺(れんけいじ)の桜は早くも満開で、境内では、桜祭りの準備が追い付かない。
学校が春休みのためか、若い男女が、古い街に繰り出していた。

蔵造りの町並みは威風堂々。
古く厚い黒壁の内側は、来るたびに鮮やかに変身し、若返っているようだ。

札の辻、菓子屋横丁、時の鐘と、街には人が多い。
空いている大正浪漫通りを経て、1時間余りで西武電車本川越駅ビルに辿り着いた。

歩数は14000歩余り。不思議に疲れてはいなかった。
まだ元気な友だちとの再会が効いたのか。街の活気に染まったのか。

  

   写真は3月30日撮影です。

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