林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

青い地球は誰のもの

2016-05-10 | 歌の翼に

電子音楽で世界的に知られていた富田勲さんが84歳で亡くなった。

若い頃、冨田さんに夢中になっていた時期があった。
だから「月の光」も「惑星」も「ダフニスとクロエ」も「バミューダトライアングル」も、その他も持っている。
もちろんCDではなくLPレコードで。

      「月 の 光」 ドビュッシーによるメルヘンの世界から。  木 星」 ホルスト作曲「組曲・惑星」から。

訃報を聞き、いくつかをまた聴いてみた。
夫々はクラシックの名曲をシンセサイザー演奏用に編曲し、ピコピコ・シャリシャリ・グイン~~ンと展開する。
壮大な疾走感があり、宇宙船に乗ったような気分にしてくれ
、決して悪くはないが、じじぃになった今は、どうも感がある。
シンセサイザー曲は喜多郎の「シルクロード」や姫神の「海道を行く」のような、オリジナル曲の方がいい。

冨田さんの作品は、その後CDの世の中になってから出た「新日本紀行・富田勲の音楽」が素晴らしい。
このCDにはメロディメーカーの面目躍如たる名曲が揃っている。

中でも、第三楽章まであった「新日本紀行・祭の笛」と、少年合唱団による「青い地球は誰のもの」が特にいい。

祭の笛では、森生の故郷は農山村ではないけれど、こころの故郷の風景がありありと思い浮かび、胸が熱くなる。
そして、もうこれ以上は美しい日本列島や地球の破壊を許すまい。
青い地球では、成長はもぅ要らない、これ以上地球を汚染しないように、と祈るような気分になるのです。合掌。

新 日 本 紀 行・祭 の 笛」     青 い 地 球 は 誰 の も の

 

160510


東御苑西側一部分

2016-05-09 | 風に吹かれて

安田靫彦展を観たあと、新緑に誘われ皇居東御苑へ行った。
北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑し、先ず天守台に登った。
じじぃと煙は高いところに登りたいのでね。


江戸城大奥跡に広がる芝生は、ここも連休なのに空いていた。
皇宮警察の管理が厳しいので空いているのなら、引き続きそうしてしていただきたい。

東京に一カ所くらい濠と巨木に囲まれた、清浄な大空間があってもいい。


松の廊下跡を目指し御苑西側を、石室・富士見多門・薔薇園・茶園を経て、果樹古品種園へ。
あと8年もすれば柿は食える、いや頂けるかもしれない。
松の廊下跡らしいものは、何にも残っていなかった。


御苑は余りにも広く、書陵部・桃華楽堂・楽部は次の機会にした。
諏訪の茶屋・菖蒲田・二の丸庭園・都道府県の木はその先の機会に先送り。
これらは御苑東側の広大な森の中にある。

この日は、大番所・百人番所・同心番所を通り、三の丸尚蔵館を拝見。
大手門から城外へ出た。


この後、上野の「黒田清輝展」へ行くつもりだったが、既にへとへと。
足取り重く、高低差が続く大手町地下街をよろよろ歩き、ようやく地下鉄大手町駅に。

地下鉄に乗った時は、予定はどうでもよくなっていた。
明るい内に高麗の里の無人団地へ帰ってきた。


                 

三の丸尚蔵館隣の売店で入手した地図がよくできている。
この地図のおかげで、森生が歩いた場所は、東御苑の西側のごく一部であることが分かった。
諏訪の茶屋・二の丸庭園・平川門など、主な施設は東側に集中しているようだ。



いずれまた、東御苑拝見だけを目的に、再訪するつもりです。

160509


安田靫彦展

2016-05-06 | 色めがね

    飛鳥の春の額田王

国立近代美術館で開催されている「安田靫彦展」は、大いに満足した。

新聞社が協賛。大型連休中なのに、会場は空いていて、思う存分に作品を楽しめた。
特に「いいなぁ!」と思ったのは、

   飛鳥の春の額田王

   良寛和尚(平塚市美術館寄託)

   山本五十六元帥像

の3点である。
絵ではなく、書を屏風に仕立てた

   万葉秀歌

は絶妙の色彩とレイアウトで、絵画作品に引けを取らなかった。

会場に入るとのっけから10代の頃の作品が6点並び、その高い完成度に圧倒された。
現代の日本に、これだけの才能を持った子供がいるのだろうか。
もしいたら、義務教育を免除したほうがいい。

     山本五十六元帥像

安田靫彦は日本画の特徴を、

   美しい描線・澄んだ色彩・無駄のない構図

としたそうだが、会場に集められた作品群が、見事にそれを体現している。

   森生が行った前日に、皇后陛下がこの展覧会を鑑賞されたそうである。
   巨匠の代表作に見入り「線が非常に美しい」と感心したご様子だった。
   
との朝日新聞の記事があった(5月1日朝刊)
   畏れ乍ら、じじぃも同じでありました。

   期待していた「王昭君(足立美術館蔵)は展示期間終了で再会が叶わなかった。

    王昭君

     お断わり。額田王と山本五十六の作品は、大幅に作品の上部を独断で切り落としました。
     描線・色彩・構図について、安田靫彦の考えに賛同しますが、実際の作品では、上部の空間をとり過ぎて、無駄ですね。

    160506


我慢

2016-05-02 | 林住期

物事を我慢できなくなった。空腹、眠気、行列、そしてお叱呼。
思い出し、出くわし、催すと、もう我慢できない。還暦以後、また歳を重ねていたはずなのに、だんだん幼児に戻っているようだ。

羞恥心が殆ど無くなり、不正や怠慢、そして誤りなどを赦せるようになった。
これも幼児化現象なのだろう。

大型連休のさ中。ご町内は異様に静かである。画眉鳥だけがけたたましく囀り、まるでゴーストタウンである。
........あ、これって前回の記事に書いた文章だね

同じことを何度でも繰り返す。これも幼児化現象だろう。

ただ、幼児は学習し、大きく成長するが、じじぃはどんどん忘れ、だんだん萎んでゆく。
悲しいね。

写真は深山苧環(みやまおだまき)です。

160502