武甲山・磯村敏之画(88年作)
秩父へ行く度に、武甲山について考える。
秩父の名山である巨大な山塊が、コンクリートの原料として大規模に削り採られているからだ。
西武電車に乗ってで近くを通ると、山腹から白い煙が上がっている。
発破のためである。
頂上付近はザックリと削られて、無くなってしまった。中腹は棚状になっている。
近くの琴平丘陵でハイキングをすると、発破・トラック・その他色々な騒音が迫ってくる。
既に山の腹の中は蜂の巣状になっている、との噂を聞いた。
下図(「秩父石灰工業」より)を見れば頷ける噂だ。
武甲山断面図
札所10番大慈寺で、昔の武甲山の写真を見たことがある。
現実の武甲山の痛ましい姿からは想像できない威風堂々たる山容だった。
頂上は、石灰岩を削り採った北側が断崖絶壁になっているそうだ。
柵を張り巡らせ「檻の中の猿」(私の山歩きより)のような下界見物になるらしい。
山頂風景
「武甲山と破壊文化」という興味深いHPがあり、この山の将来予測画像が載っている。
山塊は採掘されて半分になり、残った山はいずれ大崩落する、と恐ろしい予測だ。
武甲山の未来
武甲山は多くの学校の校歌に歌われており、市歌でも取り上げている。
一応、秩父地域のシンボルになっているようだ。
それにしては余りにも酷い扱いではないか。
余所者がつべこべ言うのは控えたい。
また武甲山の石灰岩が、秩父の住民に恩恵をもたらしたことは間違いない。
だが心優しい秩父の人々は朝晩無残な武甲山を眺めて、何とも思わないのだろうか。
もっと穏やかな活用方法があるのではないだろうか。
やはり、名山よりカネの方が大切なのだろうか。
下は昨年12/19に朝日新聞埼玉版に掲載された写真と記事です。
少し割愛させて頂きました。
武甲山は秩父盆地の南東の隅にそびえる独立峰だ。
「頂上が雲で隠れれば間もなく雨」と、人々は折に触れて見上げて暮らす。
紅葉は山頂からふもとへと下がり、季節の移ろいを知らせる。
ただ、その山容は変り続けている。
この山はセメントの原料の石灰石を採掘することでも知られる。
採掘が始まったのは1917年。05年度の採掘量は766万トン。
バブル期に比べ500万トン以上減っている。
1900年の標高は1336m。石灰岩地域だった山頂は、75年に三角点を粘板岩地域に移した後、削り取られた。
標高は約40m低い1295mに。
三角点より高い地点があると登山客の指摘があり、国土地理院が再測量したのは02年。
その結果、9m高い1304mに変更した。
油彩画は98年秋、埼玉会館で開催された「磯村敏之 武甲山連作油絵展」の栞から転写しました。
副題には「武甲山への鎮魂歌」とあり、写真よりも真実だ、と感銘を受けました。
この記事は2月26日に掲載しました。
この絵がみつかり追加したのを機に、3月19日記事として移転しました。
このままで良いのか。市や神社側、現地の方々にはタブーなのかな…。見ざる聞かざる言わざる…? 秩父神社は、よく見てよく聞いてよく話す。お元気三猿です。何とか元気に、現状を変えてゆけないものか。
現在の武甲山の姿、客観的に見るととても不自然です。誇れない在り方です。よく見てよく聞いてよく話す。今、絶対に必要な事だと思う。