梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

最近の歌に思うこと

2014-12-22 15:15:40 | 日記
   私の書く話題はあっちこっちへ飛び脈絡がないので、何かをあてにして訪問された方の期待を裏切ることも多いのではないかと思います。中にはKARAの話題専門に書いているブログもあったり、人により何かに特化している場合が多いように思います。私にも一定の方向性はあるのですが、いまだに「雑学王」と呼ばれているほどなので、話題は多岐に渡ります。本日ははやり歌の歌詞について考えてみました。

   以前ロンドンオリンピックの応援歌をけなして、なんとなく相方から不満そうな気配を感じたことがありますが、最近の歌について、私がかなりの不満を抱いていることは確かです。何しろ、ヒット曲であっても、全く耳に残らず右から左へ通り過ぎてしまって、何も残らない曲が多いのです。スピッツしかり、いきものがかりしかり、ゆずしかり・・・・。中島みゆきやサザンオールスターズなどはしっかり頭に残るのですから、必ずしも私が老いたからという理由だけでは説明がつきません。

   中でも私をとりわけがっかりさせるのは、やたらに必要のない英語を交えた歌詞です。それは日本に限った現象ではなく、韓国でも同じではないかと思います。JYJフリークのおばさまから歌詞の意味を問われることがよくあるのですが、ほとんど意味をなしていません。文法的にも成立していない英語が多いですし、その部分にその単語がなぜ来なければならないのか不審に思うものばかりなのです。

   しかたなく私はおばさまにこう説明します。

   「これは(あ、それからどした!)とか(えんやとっとどっこいしょ)といった合いの手と変わりませんね。英語だからなんとなく意味ありげに見えますけど、あってもなくても同じ気がします。」

   数日前の読売新聞に、音大でイタリア語を指導しているイタリア人が書いたコラムを読む機会を得ました。彼もまた私と全く同じ違和感を抱いていたようです。彼はこう書いています。

   「カラオケで他の人がうたっている時、スクリーンに流れる日本語の歌詞をじっと見るのが好きだ。だが近年、それが楽しめないことが多い。不思議な英語などのフレーズが頻繁に出てくるからだ。しかも、そのほとんどに外国語でなければならない必然性はないような気がする。」

   全くその通りです。その代表がこれ。

   Who are you? 恋人たちの六本木
   Who are you? ・・・・・・・・・・・・・・・
   Who are you? ・・・・・・・・・・・・・・・

   荻野目陽子(洋子?)の往年のヒット曲ですが、この Who are you? は合いの手以外の何物にもなっていません。その妹が歌った歌の 「星屑 lonelyness」も意味不明です。このイタリア人はまた、

   「自分が理解できる言語で歌を聞き、ストーリーを追っている時、よくわからない言語のフレーズが次々と出てくると、「うた」の物語がすっぽりと消えてしまう。」

   とも書いています。正論です。最近の歌は感性が先行して、論旨が不明、「詞」とは呼べないものばかりです。「詞」は「詩」に通じるものであって、日記帳に書いた駄文であってはならないのです。

   英語の話はさておくとしても、最近は日本語の趣を破壊するような歌が人気を博しているような気がします。その代表は西野カナ。愚にもつかないベタなフレーズの羅列に終わっており、こんな歌を素晴らしいと感じてアリーナを埋め尽くす観衆がいるのかと思うと、日本人の感性を破壊するつもりなのかと言いたくなります。この点に関しては、既にマツコ・デラックスが厳しく指摘してくれたようなので、深く追及はしませんが、無意味な英語交じりの歌詞より更に救いようがないと感じています。聞くところによると、女子中学生や女子高生が好きそうなフレーズを収集してつなげて歌詞にしているのだそうです。売れりゃいいってものではないのですよ、全く。

   私は歌詞にはやはり「含み」というものが必要だと思っています。たとえば、有名な宝塚の歌

   「すみれの花咲く頃 初めて君を知りぬ」

   は、どうやら単に顔見知りになったという意味ではなさそうです。一方、

   「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた 
    風風吹くな シャボン玉飛ばそ」

   という曲は、生まれて一週間ほどで我が子を亡くした詩人の心情を言いつくした深い歌ですね。

   私は、もっと内容のある歌がヒットする時代が来ることを期待しています。少なくとも、人工的に受けそうな言葉を組み合わせただけの歌や、中途半端な歌詞の後ろを無意味に英語で締める歌を作るのは、ほどほどにしてもらいたいものです。