梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

生活の知恵「お涙商法」

2018-10-27 13:30:28 | 日記
「育てたリンゴが売れないと大変なことに」と泣く少女、当局「お涙頂戴の詐欺商法」

  という記事がネット上にありました。これを批判する日本人のコメントも当然のごとく掲載されています。曰く、その知恵をまっとうな事に使え、等・・・。元の投稿が掲載されて間が無いので、少しすると、中国人の民族性であるとしてこき下ろす投稿が相次ぐことでしょう。

  貧しさ故のしたたかさか。余裕で学校に通える程度の経済力のある家の子なら、そんなことはしません。

  まだ日本ではアルバイト先もほとんど無く、リクルートの前身「学徒援護会」は学生にゴム紐などを持たせて訪問販売させていましたが、やって来た自称学生はやはり泣き落としに長けていましたね。
その代わり貧乏な我が家で母が断ると、乱暴に戸を閉めて出て行きましたっけ。

  中国は雲南地方に行った時の事。山の上の小学校の授業が終わった頃到着した私たちの前に、数人の小学生がやって来ました。自分の口と耳を指さして、自分はろうあ者だとアピール、何とかして持参した物(何だったか忘れましたが、アクセサリーのような物だったような気がします。)を売りつけようとします。

  しかしそこは子供の事、誰も買ってくれなくて芝居にも飽きたのか、しばらくすると、「どこから来たの?」とか聞き始めました。私も当時既にその程度の受け答えは出来たので、「日本だよ。」等適当に話し相手をしてもらいました。

  秦の始皇帝陵では、やはり小学生の男の子が兵馬俑の小さな模型を「千円!」「千円!」と、いかにも安いよと言わんばかりに売りつけて来ました。私たちが買わないと見るや、近くにいた白人に向かって、「ワン・ダラー!」「ワン・ダラー」と・・・・。(笑)

  インドネシアのボルブドール寺院では、やはり小学生と思しき女の子が、大量のアクセサリーを持参し、まとめて売りつけようとします。お土産に買って帰れば、知り合い全員に配れるという寸法で売りつけようとします。恐らく月に一回売れれば、ひと月分の食い扶持になったのではないでしょうか。

  怒るほどの事ではありません。もしかしたらこうした子供たちの上には悪い大人の元締めがいて、ノルマを課されているかもしれません。承知の上で気持ちよく騙されてやるか、フン、馬鹿め!と相手にしないかの、二者択一です。現地の言葉が達者な方は、上手に交渉したら、それなりに楽しめると思います。要は相手方の演技力を楽しむだけの余裕がこちらにあれば良いのです。

保育園、行くか行かないか

2018-10-25 09:39:57 | 日記
私の家は五階にあるのですが、毎日地上からよく大声で泣く一人の女の子の大きな声が聞こえて来ます。

明らかに保育園にも幼稚園にも通っていません。定員漏れしたのか親の意思なのかはわかりませんが、このマンションに沢山いる子供たちの中で唯一家にいる子だと思います。
私は、基本は親元で育てるのが理想だと思っています。我が家の四兄弟は、全員自分の意思で保育園に行くことを拒否しました。とにかく、自分で自由に創意工夫して一日楽しく遊べるのに、何が悲しくて一部屋に閉じ込められて、全員同じ、画一的で創造性のないことをやらされなければならないのか理解出来なかったからです。私たちは自分の判断で、保育園は自分たちにとって必要のないものだと考えていました。

私たちの考え方は少数派だとは思います。現に大人になった私は人づきあいが苦手ですし、人から強制的に何かをやらされることを何より嫌う大人に育ってしまいました。
しかしそれでも、毎日母親の下で好きなだけ泣いて自己主張して暮らせるあの子が、トトロバスの送迎で保育園に通っている子供たちより不幸だとは、どうしても思えないのです。

昔所沢で畑のど真ん中に住んでいた時、やはり保育園には行かず、毎日両親の手の届く範囲で、一日中畑の土と戯れて育っている女の子がいました。大人たちに「可愛いね!」などと言われようものなら、親の後ろに隠れて嬉しそうにはにかんでいる姿がとても印象的でした。

保育園に通わず親元で育つことにより、得られないものもあるかもしれませんが、二度と訪れることのない、この上ない幸せな時期を過ごせるであることも確かなのだとおもいます。少なくとも私は好きでもないお遊戯やお歌に時間を浪費するとこなく好きなだけ読書に励めた日々が、私を培ってくれたのだと信じています。

トランスジェンダー私感

2018-10-19 16:01:29 | 日記
  最近トランス・ジェンダーなるものが脚光を浴びているらしいですね。体は男だが心は女というタイプは古来伝統がある「おかま」という存在があるので、世間も受け入れやすいようです。

  しかし、体は女なのに心は男というタイプはほとんど無視されたままのような気がします。マツコ・デラックス並に太った「体は女だが心は男」というタレントが登場する隙間はあるのでしょうか。恐らく今後も難しいに違いありません。しかしこの手ひどい差別については、誰も何も言いません。尾木ママ、何とか言え。

  それはそうと、昔はフェミニズムという思想が流行って、男と女の違いは生まれつきではなく、成長過程で周囲から刷り込まれるものだという考えが一定の勢力を占めた時代がありまた。単純化して言うなら、女だからと言ってスカートを穿いたり化粧したりしなければならないのはおかしい!というわけです。

  しかし、今はどうでしょう。体は男だが心は女だと主張するトランス・ジェンダーたちはこぞって女装(失礼)し、化粧に憂き身を費やしているではありませんか。フェミニズムの時代を通り抜けて来た私としては、自分の都合に合わせて何勝手な事を言いやがる、と、どうしても思ってしまうのです。




「青い海の伝説」を見て

2018-10-18 15:13:44 | 日記
  毎回この但し書きをつけなければ、韓国が好きなのかと叩かれてしまうので、改めて書きます。私は政治的には間違いなく反韓です。

しかし、私が、日本は韓国にどうしてもかなわないな、と感じるのは、芸能界です。歌やダンスの世界もそうなのですが、ドラマ作りに掛けるエネルギーと本気度は日本の比ではないようです。

  先日、「青い海の伝説」というドラマを見ました。本国でも好評だったようなのですが、チョン・ジヒョンという女優が人間に恋をする人魚の役で、ヒロインを演じています。

  恋する人魚、という役には微妙に老けたかな、と思ったら、既にこの人、子持ちになっていたのでした。その子持ちの、世間的に言えばおばさんが、帯びれのついた人魚になり切って、水中を泳いだり水族館の大水槽の中を泳いで見せたりします。

 海の中でもそれなりに深いところを泳いで見せるので、韓国は特撮もなかなか進んでいるなあと感心したのですが、後になって、それが特撮ではなかったことを知りました。チョン・ジヒョンはこのドラマに出演するに当たって、事前に潜水の講習を受け、免許まで取得して撮影に臨んでいたということです。

 (ちなみに韓国の学校にはプールというものがありません。体育の時間数も日本と比べればはるかに少なく、座学のみが重視されています。あのセマウル号の沈没事件の際にも、高校生たちに泳ぎの心得があったなら、指示に逆らってでも脱出を試みたのではないかと思います。)
 
  脚が自由に使えない人魚のスタイルで潜水する訳ですから、ちょっと目とは違い、危険もあったでしょうし、この間まで素人だった人間がやるのですから、かなりの苦労があったはずです。それでも彼女は悲しい過去を背負った人魚と人間のロマンチック・コメディを、特撮もスタントもなしで乗り切って見せています。

  日本の女優では、ここまでは無理だな、とつくづく思った次第。

朝の赤坂駅にて

2018-10-16 15:44:29 | 日記
  早朝の赤坂駅で単語帳を開いていたら、目の前をオジサン年代の男性が通り過ぎて行きました。少なくとも私よりははるかに若そうです。

  しかし、クモ膜下出血の後遺症なのでしょう、腕には補助器具付きの杖、脚にも補助器具付きの専用のシューズを穿いて、傾きながら、ビっこを引きながら、何とかゆっくりゆっくり歩いて行きます。

  次の瞬間、私は往年の短距離選手時代を思わせるダッシュでその人に駆け寄っていました。考えるより先に体が動いてしまったのです。


「待った待った!」

「おしりが出ちゃってるから!」


  駅のトイレにでも入った後なのでしょう、不自由な手ではジャージもきちんと上まで上げられないのです。内側に穿いた白い紙おむつも途中までしか穿けていません。

「はい、OK!」


オジサンは蚊の鳴くような声で、

「有難うございます。」

と言いました。


  なあに、明日は我が身だもの・・・と心の中でつぶやいて、私は静かに元のベンチに戻ったのでした。