梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

外国語習得について考えたこと

2017-12-31 08:23:46 | 日記
私の中国語の勉強もいよいよ佳境に入って来ました。しかしここへ来て、大半な事に気がついたのです。個人レッスンで講師の先生があきもせず粘り強く私との自由会話に付き合ってくださっている内に身に染みたことがあります。普通に会話する時には、学校で習うテキストには出て来ない単語があまりにも多いのです。

今手こずっているのは、「手羽先」とか「ささみ」のような身近な言葉です。これがなかなか頭に定着しません。かと思うと、個人レッスンでの自由会話中に、「密入国」なんて言葉がスラスラと私の口をついて出て来たりするのです。

しかたなく、現在連日、難しいテキストに割く時間を限りなく減らして、日本語でなら誰でも知っているような言葉の暗記に時間をかけているところです。

1日単語の暗記だけで3時間。あまりにも単純な暗記物をこれだけやると、かなり脳みそが消耗してしまうのですが、背に腹は代えられません。安いとは言えない個人レッスンをできるだけ有効に生かすためにも、先の見えないこの消耗戦は、限りなく続いて行くことになります。構文や文法を一通りマスターした後に待ち構えていた、単語という壁。とてつもなく高い壁です。

そんなことを考えて行くと、スピード・ラーニングなどという教材が如何に詐欺に近い物であるかが分かります。聞き流しているだけで外国語が身に着くなどということは絶対に無いのです。覚える・使ってみる・覚える・使ってみる・覚える・使ってみる・覚える・使ってみる・覚える・使ってみる・覚える・使ってみる・覚える・使ってみる・覚える・使ってみる・・・・・

無限に繰り返しです。

私がこれまで英・仏・独・韓・中と外国語を学習した経験から特に感じるのは、「中級の壁」を突破することの難しさですね。韓国語などは日本人にとってはかなりとっつきやすい言語なのですが、やはり外国語であることに変わりはなく、韓国語教室でも中級以上に進む人は、がくんと少なくなります。

結局外国語を習得したかどうかは、その言語で物を考えられるレベルまで到達したか否かで測るべきものなのですが、そのためには膨大な数の単語と文章が脳の中に蓄えられていることが必要となります。ほとんどの人は脳の中に当該外国語の領域を作ることが出来ずに撤退してしまうので、結局身に着いたという実感がないまま終わってしまうのです。

海外旅行に行くために、ちょっとした英語を覚えて行こうとする人は多いと思いますが、少しだけかじって行ったのでは、相手の言っていることが理解できないという悲劇が待っています。外国語習得とは、永遠に頂上にたどり着くことの無い山登りのようなものだと思います。途中で一度下りてきてしまうと、また最初から登り直さなければなりません。職業と直結しない外国語学習は、やはり長続きしないものなのかもしれません。私のように特殊な性格の人間を除いては、ですが。

来たるべき未来・・・移民問題を考える

2017-12-30 18:02:35 | 日記
  政府は真面目に1,000万人規模の移民を考えているようですが、後にいかなる禍根を残すか、真剣に考えてみるべきでしょう。

 移民の多くは「労働者」として期待をされており、恐らくはいわゆる3Kの職業、あるいは介護職のようになり手が足りない職業に就くことになると思われます。要するに、現在経済的に恵まれているとは言い難い階層を、外国、といってももっぱらアジアからの移民で埋めようという腹なのでしょうが、そこには大きな落とし穴があります。

「貧乏人の子沢山」。

  こうした移民の家庭では日本人の家庭の倍以上の出生率で、子孫が増えて行くことでしょう。その先に待ち構えているのは、生活保護費や健康保険の際限のない増加です。更に倍々のペースで増えて行く移民の子弟が日本人を圧倒し、日本は単一民族でございますなどと寝言をいっていられなくなります。

  そこへもってきて教育の無償化だというではありませんか。そして更にその先に待っているのは、増えるだけ増えてしまった移民の皆さんの高齢化問題です。年金問題、高額医療費問題が、私たちの上に重くのしかかって来るのです。長い目で見れば、移民は日本の繁栄に貢献するとは言えません。移民を導入した結果、日本は貧乏国家になってしまう可能性が高いのです。まさかせっかく求めに応じてはるばる来て下さった移民の皆さんを定年と共に追い返すような非道な真似は出来ないでしょう。


  これまで来日して日本で生活している皆さんと、これから導入される移民の皆さんでは、少々その意味と位置づけがことなります。私は年齢的に自分の予言の正しさをこの目で見届けることは出来ませんが、その日が来てからでは遅いのです。求めに応じて来て下さった移民の皆さんを、問題が生じたからと言って追い返す訳にはいかないではありませんか。
共に貧しさに耐える?それもいいでしょう。選ぶのは皆さんです。

  ついでながら、近い将来日本の高齢化と共に皆さんが入るはずの墓地はもう完全に無くなり、他の方法を考えなければなららくなります。いや、それ以前に火葬場が足りなくなって、あなたの火葬まで10日待ちのような事態に至ります。移民の皆さんの子や孫が高齢化する頃には・・・・。考えたくもありませんね。

クリスマスの思い出

2017-12-23 19:16:36 | 日記
クリスマスが来ると思い出すことがあります。

  ある高校で一年生の時に担任したパン屋の娘。クリスマス・イブに自作のケーキを職員室まで届けてくれました。進級し、二年生になって、彼女は私んクラスではなくなったのですが、それでもなお、、クリスマス・イブには彼女からケーキが届きました。

  更にそれから一年後のクリスマス・イブ。その一年間は、彼女とは接点が無く、言葉すらも交わしてはいませんでした。そして、過去二年間は、日暮れ前には届いた彼女からのケーキが、その年には日が暮れても届きませんでした。

  これまでも、持ってくるとか予告なしの二年間だったのです。元より何の約束もしてはいません。

  私は心を決めて、来るとも来ないとも知れない彼女を、待ちました。ひたすら待ちました。帰っちゃいけないんだ、なぜかそう思ったのです。。

そして日没から2時間近くも過ぎた6時半、もはや私一人しか残っている者もいなくなったうすら寒い職員室に、ついに彼女は現れたのでした。

信頼とは、言葉に表されないこともあるということなのですね。

 教師とは、真面目に勤めたら、つらいことの方が多い仕事です。それでもこんなことがあると、向こう三年間は頑張れるのです。

 もう40年も前の出来事ですが、死ぬまで忘れることはないと思います。

私の中国語学習に幸いあれ

2017-12-13 14:40:34 | 日記
週二回100分の中国語・個人レッスンを受けていることは前にも書いたのではないかと思います。しかしこのレッスン、私の場合、100分の内75分が雑談、残りの25分で一気に4ページくらいテキストを進んでしまいます。これが私にはなかなか快適な進み方なのです。

4ページ分の予習には8時間くらいかかっており、辞書を引く回数は半端ではありません。ただし、辞書さえ引けば意味はほぼ把握できるので、一々日本語訳をしないで済むため、こんなレッスンが可能になるのです。

しかし、一般の受講者の多くは、週一回50分のコースで、予習ゼロ、復習ゼロで済ませているのだという話です。たまに講師の口からそんなことが語られることがあります。仕事なのでそれでもこなしてはいるものの、教えるという仕事をしている側にとっては、砂に水を掛けるようなもので、何の成果も上がらないことが分かっているのにやらなければならないというのは、悲しいものがあります。

私は元々の仕事が仕事ですから、一つの外国語をマスターするのにはどれだけの時間と努力が必要か良く分かっています。そこで受講回数も週一回ではなく、奮発して週二回、時間も一回50分ではなく、100分取っています。教わる側が、自分が何をするべきかをきちんと分かっているというのは、当然ながら講師にとって、非常にやりやすいようです。

ついでながら、私の担当講師は、血液型B型で、女性。私が最も得意とするタイプです。本当にやりやすいし、楽しいレッスンとなっています。昔私に遠慮なく接して来た女生徒は、そのほとんどがB型でした。血液型なんて、とお思いになるかもしれませんが、案外侮れません。私は担当講師がA型の女性だったら、長続きせず、止めてしまうかもしれません。

 そんな訳で、現在の契約は1月末で切れるのですが、早くも現時点で継続申し込みをしてしまいました。私の中国語学習に幸いあれ。

日本人は単一民族なんかじゃありませんから

2017-12-03 15:59:09 | 日記
  大相撲の不祥事がらみで、ネット上には様々な意見が投稿されています。そんな中で少々気になるのが、モンゴル勢独特の民族的性格が、日本の神事的性格を持つとされる相撲が要求する思想性とは相いれないとする意見です。私もモンゴル人の方が相撲も強く、また上位に上がるにつれてその民族性を隠さすことなく、相撲の伝統を破壊しかねない勢いが見られるにつれて、同じような見解を持ち始めています。大相撲は一度外国人枠(一部屋に一人)を外して、完全に国際化し、純粋な格闘技としてしまって、行司にも外国人が成れるという風に制度を変えて完全にオープン化してしまうか、さもなければ外国人を一切締め出してしまうか、二つに一つしか方法は無いと思います。

  そんな中で目に止まったのが、日本の伝統的神事であるとする大相撲とからめて、日本人は単一民族であるという主張です。現在でさえ在日韓国人の帰化がどんどん進んでおり、中国人もまた大勢日本国籍を取得している状態ですから、既に日本=単一民族の国というのは事実に反する訳ですが、それ以前に、日本は元から単一民族の国ではないという事を全ての人が認識する必要がありそうな気がします。

  日本の先住民族は縄文人であるという点は、特に異論を唱える人はいないと思いますが、ではその後の弥生時代を築いたのは一体誰なのかということを考えれば、既に日本が単一民族の国ではないという事が明らかになってしまいます。縄文人が竪穴式住居に住み、狩猟・採集系の生活を送っていたのに対して、弥生系は床が宙に浮いている高床式の住居に住み、農耕をしていました。江南系の米を日本にもたらしたのもあきらかに弥生人ですから、日本列島の東北方面を縄文系の人々及びアイヌ人、西南方面を弥生人と、棲み分けが吸づいていたことは疑う余地もありません。まさかこの両者が同一民族だという人はいますまい。

  そして少々時代を下ると、こんなことになります。

呉越同舟・あるいは臥薪嘗胆という四文字熟語で有名な古代中国の時代、江南に位置する「呉」の国から、かなりの戦争難民が渡って来ましたね。なぜ和服の事を呉服と言うかと言えば、元々が呉の国の服から来ているからです。また、秦の時代には徐福が数千人を伴って大軍団で渡って来ました。徐福の墓は日本に複数ありますから、彼らが日本に到達したことは間違いないと思われます。そして彼らはいわゆる中国語を話してはいませんでしたが、
日本に漢字をもたらしたことでも重要です。

一方、更に少し下って高句麗・百済・新羅の時代には半島と自由な往来がありました。日本人が新羅に渡って国王の座についたり、相当に柔軟な時代だったと思われます。百済が日本と切っても切り離せない同盟国であったことは言うまでもありません。その後高句麗が滅亡した際には、高句麗から2,000人を引き連れた王族がやはり戦争難民として渡来し、武蔵野国に住み着きました。これより先に滅びた百済からも大勢が日本に渡って来たはずです。古墳の形を見ても、大陸に起源を持つ形式が見られます。四隅突出方墳は、北京近郊にその大本が見られるそうです。また前方後円墳は、私が現地で見たところでは、高句麗の古墳に由来していると思います。日本海側には半島出身の人物が神として祀られた神社があります。公式に記録のない人たちを含めたら大変な数に上るはずです。つまり、1,500年も遡れば、半島系の人たちが沢山いたという事になります。その子孫が途絶えたという話にはならないでしょうから、現在もその血を引く人々が沢山いるはずです。

また、アイヌの皆さん、オロチョンの皆さんもいます。オロチョンは北海道から樺太、シベリアにかけて居住していた狩猟民族です。こうした事実を考えれば、日本が単一民族で構成されて来たと考える必要はありません。いや、必要がないどころか、間違いだと言い切れます。

前にも書きましたが、私の居住する草加市には68か国からの人たちが居住しています。黒い顔の少年が詰襟を着て中学校に通い、白人の少女がブレザーの制服姿で高校に通っています。アパートのベランダでは明らかにアフリカから来たと思える女性が洗濯物を干しています。すれ違いざま韓国語や中国語が聞こえて来るのは当たり前。川口市などは中国人が2万人も住んでいます。

日本人は単一民族ではない上に、様々な国からの人々が雑居する国へと変化しています。更には、従来ならあり得ないような場所に外国人観光客が出没するようになった今日この頃です。日本人は世界で唯一の単一民族だ!などと寝言を言っている時代ではないのです。