梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

有村架純主演「中学聖日記」に思う

2018-09-25 09:01:55 | 日記
   かなり以前に書いた「甘くはない女教師と男子生徒の恋愛」という記事が、私のブログの中で、未だに圧倒的に読まれています。教師と生徒という組み合わせの恋愛について、皆さんの感心の深さが感じられます。

   教師と教え子の恋物語が毎年最低一つは映画やテレビで放映されている様な気がします。多分ストーリーとして作りやすく、一見夢があるように見えるのが原因の一つだと思います。

   しかし、今週から放送開始された、有村架純主演の、女教師と中学校の男子生徒の恋物語のドラマは、放映すべきではありませんし、製作するべきでもありません。なぜ世の女性達がこれにクレームをつけないのか不思議です。まさかこういう世界に憧れているとか?大人の女性と好奇心の塊のような男子中学生の交際が、プラトニックで終わるはずがないではありませんか。アメリカでもこんな事件がありましたが、女教師は未成年虐待の罪で実刑判決を受けています。

   こんなドラマをどうしても作りたいなら、20代半ばの女優と本物の14才位の中学生俳優で作って見せてもらいたいものです。そうすればそれがいかに不自然で変態じみているか、わかるはずだからです。

   もう少し年齢が近い、高等学校の男性教師と女生徒との交際も、こじれるとなかなか悲惨なことになります。

   ある高校では、男性教師と女生徒の交際が発生し、当事者同士の泥仕合となりました。事件は公然の秘密となり、管理職が乗り出して当該教師から事情聴取を行いましたが、教師側は完全否定、女生徒が職員室へ殴り込みをかけ、「あたしとやったくせに大嘘ついて!」と号泣しながら大声で罵倒したというからすさまじい修羅場となったことでしょう。しかし、それでもとぼけ通した男性教師は未だに教師を続けています。

   今時の話ですから、この男性教師は女生徒と当然スマホでメールのやり取りを重ねていたのですが、二人の話題が表ざたになった際に女生徒から一時スマホを預かり、やり取りを全て消去して、証拠隠滅に成功、校長からの事情聴取にも知らぬ存ぜぬを通して、今もなお、現職の教師として勤務しているそうです。傷ついたのはひとり女生徒のみ。先生にもて遊ばれて捨てられたという汚名を着せられたまま生きるのはどれほど悲しい事でしょうか。

   ちなみに消去されたメールはその直後であれば内容を復元できるそうですが、女性とがそんなこととは知らずにメールを使い続けて、データが上書きされてしまったため、どうしても読み取ることが出来なかったそうです。

   問題のドラマの筋書きがどういうものになっているのかは知りません。恐らくは純愛悲劇に作り上げているのでしょうが、現実はそれほど甘くも無ければ美しくもないのです。このような変態映画は当局が規制に入ってもいいくらいのものだと思います。

  ちなみに高校の男子教員と女生徒の交際も、今は厳しく禁じられています。この事実が発覚したら、教師の方も職を辞する覚悟が必要です。まして女性教師と男子中学生の恋愛など、絶対にあってはならないことですし、万一恋愛感情が生じたとしても、それを押さえきれるだけの理性と忍耐心が要求されるのが教師という職業に就く者の定めだと言えるでしょう。

「小学校の英語教育の問題点」本論⑨

2018-09-23 15:00:08 | 日記
   KARA・少女時代 のち、LOVELYZさん、今回も丁寧なコメントをありがとうございました。Apinkに関しては、初めて見た時に感じた将来の行き詰まりをそのまま見ることが出来て、少々残念ではあります。いっそKARAのように日本人の手になる曲を多用して取りあえずは日本市場に食い込みを図る等の手段を講じないと、このまま消滅してしまうかもしれません。それは本質的なやりかたではないのかもしれませんが、一つの手であろうかと思います。

   さて、私の英語教育論もめでたく9回目を迎えることが出来ました。ここでいきなり頭から冷や水を浴びせることになるかもしれませんが、外国語学習の困難さを物語るお話をまず書いてみます。何度も書いているので、もしかしたら既にこのシリーズでも書いてしまったかもしれませんが、米軍が太平洋戦争中に日本語の出来る語学将校を養成するのにかけた手間についてです。

   この期間が日本語を使いものに出来るようにするためにかけた期間は、わずか一年です。ただし、この一年間で3,000時間という膨大な時間を費やしていたのです。これは授業時間だけの話ですから、自習時間を含めれば更に多くの時間が割かれていたはずです。なおかつ軍隊ですので、完全に合宿形式、缶詰で朝から晩まで24時間日本語浸けになります。

   一方日本の学校における英語学習の時間は、年間の授業日数が35週、小学校では週2時間として35×2×6=420時間、中学では週4時間として3年間でやはり420時間、高校では週5時間として3年間で525時間。もし高校で3年時に週2時間の選択を履修しても70時間増えて595時間にしかなりません。

   外国語を身に着けるという事は、私の考えでは、脳の中にその外国語を専門に受け持つ部分が確定的に出来上がることを意味します。しかし脳は雑多な記憶を整理して真に必要な記憶だけを留めようとする働きを持っているようですから、日常的に使用する機会の無い外国語は、きちんと定着するのが不可能に近いのです。

   そんな訳ですから、学校教育で英語を身に着けることはあり得ないと考えるのが間違いのない姿勢であると思います。まして英語に対して苦手意識を持たせてしまったら(現実には苦手意識を持つ生徒の方が多いと思いますが)、脳は英語を脳内に定着させまいと努力することになるはずです。小学生に苦手意識を持たせてしまったら・・・・実際にはかなりの数の小学生が既に苦手意識を抱いている訳ですが・・・・小学校で英語を教えたことが、実は将来英語が身に着かない下地を作っていることになります。

   英語を身に着けるためには、真に英語が自分にとって必要なものであるという経験から、脳にその事実を認識させることが必要となります。中には特に苦労せずに身に着いてしまう、得意な才能の持ち主がいますが、皆さんの身の回りには一人も見かけなかったはずです。

   ではどうすれば良いのか。今日は最後に私の知り合いがFacebookに投稿したコメントを転載させてもらって、その回答に代えさせていただこうと思います。

   「私はアメリカに住んだ後よりも、海外営業やったことの方が英語が本当に身につきました。
要はパニくるような状況に追い詰められると上達するのかなと(兎に角考えてる暇なく電話して交渉して、メールも瞬時に大量に読んで即座に返信せねばならない地獄でした)😅。」

   彼はアメリカに住んでいたことがあるのですが、現地で身に着いた英語はたかが知れていて、会社で死に物狂いで英語を使った営業を続けている内にいつの間にか身に着いていたと語っています。

   必要は発明の母、という言葉がありますが、この「必要」という言葉が全てなのだと思います。

Apinkのファン・ミーティングを見る

2018-09-22 14:08:11 | 日記
   Apinkのファンミーティング・・・。彼女たちの公演を見に行くのはこれで何回目でしょうか。たぶん5回目くらいになるかと思います。そして最初の公演を見に行った際にはこのブログに、彼女たちを見に行くならあと1,2年のうちに行った方がいい、また、歌やダンスが現状の方向だと、アリーナ・ツアーは無理だろうと書き込んだ記憶があります。

   そんなことを書いてから4年くらいたったでしょうか。BlackPinkという新しい4人組のグループは激しいダンスで若い女性からの圧倒的支持を受け、デビュー前から武道館に二万人を集め、次にはいきなり幕張メッセという大会場を満員にしてしまいました。TWICEもまた同様に、最初から大会場で公演をこなしています。しかしApinkは相変わらず最大で東京国際フォーラム止まり。私の予感は的中してしまいました。

   今回のファン・ミーティングは日本初上陸時と同じ豊洲ピット。初登場時には全席スタンディングで観客を詰め込んだものですが、今回は全部椅子席です。額面通り、1300人台の客数だと思います。また、公演の週に至ってもまだチケットが完売していないという状況でした。KARAがドーム公演のチケットを8分で完売した時代とは違うとしても、少々寂しい限りです。

   Apinkの支持層の最大の特徴は、全体に地味目ということでしょうか。着ぐるみを着込んだ人もいなければ、メンバーに似せた衣装でコスプレをしている人もいません。そして、特に目に付くのは、観客の年齢層が幅広いということです。女子高生はおらず、最低でもメンバーと同年代から上、という感じです。柄の悪いオッサンは一人もおらず、男性陣が声を合わせて前奏に乗せてメンバーの名前を連呼したりはしますが、どこまでも整然としています。ちなみに私の前の列には60代後半とおぼしき老人が3人連れて来ていました。内一人は白い杖持参。

   舞台に上がった彼女たちを見ていると、どう見てもボミとウンジのグループという印象が拭えません。チョロンはリーダーとしての責任感からか、ところどころ話に絡んできますが、他のメンバーはよく言えばおとなしく、悪く言えば、積極性に欠けます。ファン・ミーティングですから、全編歌で通す訳ではなく、定石通りクイズやゲーム等を挟む展開になりますが、メンバー中4人の存在感がないのです。

   ハヨンはいつも通り愛嬌に欠け、一番可愛いといわれるナウンは一貫して不機嫌な表情を貫き、笑顔がありません。ナムジュは今一つ存在感が無く、ウンジ一人が全力投球、ボミがそれに続く、といった印象でした。事前にシナリオはあったはずなのに、これでは演者としての責任感が足りないという気がしてなりませんでした。ハヨンの場合はおそらく根っから不愛想な性格なのでしょうが、ナウンについては可愛さが売りで、歌もダンスも大したことはないのですから、もう少し自分の立場をわきまえる必要があるでしょう。

   前回舞浜で見たLOVELYZのファン・ミーティングとどうしても比較してしまうのですが、LOVELYZと比べると、Apinkはちょっと流してるかなあ・・という印象でした。細かい話になりますが、LOVELYZは8.500円で丸々3時間。Apnkは9.700円で一時間半。ウンジとボミの熱さでカバーしているとはいえ、メンバーたちの熱意を加味すると、LOVELYZ対Apinkは4対1でLOVELYZの圧勝と判定しました。

   強いて新しい発見を書くとするなら、素っ頓狂な振る舞いが印象に残りがちなボミの意外な一面が見られたことでしょうか。椅子に座って話をしたりする際に、他のメンバーたちが足を組み直したり姿勢を入れ替えたり、なんとなく落ち着きが感じられない中で、ボミだけは背筋をピンと伸ばし、実に品のある姿勢で座り続けていたのです。他のメンバーたちとの歴然とした違いに、育ちの違いのようなものを感じてしまいました。

   少しだけ希望的観測をするなら、彼女たちの日本語がそれなりに上達して来ていること。KARAのように日本語が自由自在というグループは後にも先にも類を見ないので、Apinkも日本語に熟達することが日本市場での寿命を延ばす一助となると思います。

   ただ、最近のApinkは曲調もダンスも当たり前の韓流化して来ているので、それを日本のファンがどこまで受け入れてくれるかが課題となるのではないでしょうか。日本のファンクラブも契約が切れて解散してしまいましたし、年齢的なことを考えても、あと数年の寿命と考えられるApinkです。グループとして今一度底上げをすることを期待します。運営側は、勢いのある新しいグループに押されまくって忘れられかねないという危機感を感じているはずです。その証拠に、Apinkは初めて出口でのお見送りを敢行していましたから。

「小学校の英語教育の問題点」本論⑧

2018-09-13 08:52:09 | 日記
  書き始めた時にはちょっとした論文にまとめるつもりだったのですが、筆があっちに滑りこっちに滑りで、まとまりのないものになってしまいました。しかしそれぞれに私にとっては大事な問題を書いたつもりですので、このまま進めさせていただきます。今回はいつもよりさらにまじめな、硬いお話になりますので、面倒な方はパスすることをお勧めします。

   私が所有している中国語の参考書の中に、なかなか意味深い前書きがあります。これは中国語に限らずすべての外国語を学ぶ際に共通する重要な問題を指摘していると思いますので、ここに引用させていただきます。

   著者は趙玲華とおっしゃる香港在住の、現地で中国語学校を経営しておられる女性です。彼女が開口一番書いているのは、「事半効倍」という言葉です。ここでは一流の教師に習えば半分の労力で倍の効果を上げることができる、という意味で引用しています。その中の、「中国語」という部分だけ、「英語」に置き換え、一部書き換えておきます。

①その教師が英語教師という仕事を熱愛し、情熱を持っている。
②高い英語のレベルを持っている。(通訳ができるほどの高い英語レベルの持ち主である。)
③英語の理論知識を熟知している。(英語の理論知識を日本語で分かりやすく上手に教えられる。)
④授業のスキルが高い。

   著者は初心者や入門者だからといって、①から⓸の条件が軽んじられるべきではないとしています。私も同感です。初心者でも、担当教師が情熱家であるかどうか、教え方が上手かどうか、実力があるかどうか位は、すぐに見破ることができます。残念ながら小学校の先生方には①から④の条件が一つもあてはまりません。そもそも彼らは英語を教えるということが特に好きなわけではありませんし、そんなつもりでは無かったのに、さあ英語を教えろと頭ごなしに命令された上、そのための長期にわたる訓練も受けていないのです。

   次に著者は外国語学習において到達できるレベルを

①感性学習で習得できるレベル
②理性学習で到達できるレベル
③理性学習+専門的訓練で到達できるレベル 

   の3つに分けています。紙面の関係で②と③についての説明は割愛しますが、①の感性学習というのは、文字通り挨拶から始まって、買い物やレストラン・ホテルでの従業員との会話、片言の英語といったレベルを学ぶことを指します。

   現在日本の小学校で児童が学ぶ(学ばされる)英語は、正にこの「感性学習」のレベルです。なおかつこのレベルの英語は、大人になってから、海外旅行の前に少々準備すれば手の届く範囲のものに過ぎません。正直なところ、実に無駄な時間の使い方だと感じます。

   さらに付け加えると、2020年度からはさらに「プログラミング」という教科が追加されることが決まっています。こちらも先生方には未経験の領域です。「英語」と「プログラミング」、この二教科が単純に足し算でプラスされることになるのですが、プログラミングに至っては、気の利いた生徒のほうが先生をはるかに上回る能力を持っている可能性が高いのに、これを担当しなければならない先生方がお気の毒としか言いようがありません。

   正直、教壇に立って人にものを教えるという事は、素人が考えるよりはるかに奥が深く、厳しいものです。こんな風に間口ばかりを広げて専門外の教科をいたずらに増やしていくことは、小学校教育を崩壊させるきっかけになるかもしれません。

   以前は答案を自宅に持ち帰ったり、通知表を持ち帰って自宅でサービス残業をすることによって自転車操業的に業務をこなしているケースが多くみられました。しかし、たまに成績データを入れたメモリーを飲み屋に置き忘れて紛失したり、通知表そのものをタクシーに置き忘れてしまうような教師がいたために、個人データを自宅に持ち帰ることは禁じられるようになりました。これでは教師はにっちもさっちも行きません。

   ところで最近私のスマホに、ある広告が頻繁に登場するようになりました。それぞれの持ち主の個人データに合わせて広告が送り込まれてくるようなので、一般の皆さんのスマホには出てこないかもしれませんが、それは、「すべての教科の基礎である国語力を高める」という学習塾チェーンの広告です。

   学校は英語やプログラミングに力を入れ、学習塾が国語力の向上に力を入れる。何かが間違っていると言わざるを得ないではありませんか。

箸休め・・・韓国の書店と中国の書店

2018-09-11 18:05:59 | 日記
硬い話が続いていますので、小休止。気楽な話題を一回入れてみます。

以前何回となく韓国へ通っていた頃、ソウルの教保文庫(韓国最大の書店。日本で言えば三省堂や丸善に相当。)へも足しげく通い、書籍を購入していました。なぜか韓国で発行されている中国語の構文集などもここで購入しました。中国語の参考書は、韓国の方が出来の良いものが多いような気がします。

そこで見た光景は、日本では考えられない、不思議なものでした。韓国の大型書店では、なぜか手ごろなスペースが空いていて、床にぺたりと座り込み、書架から売り物の本を引っ張り出してはそれを見ながら宿題をやっている子が沢山いるのです。どう考えてもこういう子供たちのためにスペースが開けてあるとしか思えません。店側も、いちいちとがめだてたりしません。これを寛大な習慣と言うべきなのかどうか、私は未だに迷っています。

韓国が何でも中国の真似をしているかというとそんなことはなくて、書店の雰囲気は中国とは全く違います。韓国は日本のやり方をまねている部分が多いのです。代金の支払いも方日本と同じで、普通にレジに行ってお金を払うだけです。

では中国の書店はというと、客が店員から見えにくい死角に入ると、店員がマッハの速さで飛んで来ます。感じの悪い店員の場合は、お前をマーク中!と目で警告して来ますし、感じの良い店員の場合は、何をお探しですか?と密着して来ます。来店した人間には二種類あって、一種類は普通に本を買っていく人間、もう一種類は万引き目的で来ているという扱いです。

支払いはといえば、まずレジへ行って代金を支払うのですが、すると大きな領収証をくれるので、それと本を持ってまた別のカウンターに行きます。今度は別の店員が領収証と本を照らし合わせた上で、店を出る事が許可されます。新品の本にベタッと汚いスタンプを押されてしまう事もあります。

店を出る事が許可された、らいよいよ出口に向かいますが、そこには屈強な警備員がいて、領収書の明細と本の現物を照らし合わせて確認し、その上で行って良いと許可が出るのです。中国の大型書店で本を買うと、自分が犯罪者になった気分を味わう事が出来ます。店を無事に後に出来た時には、無事娑婆に出て来たという気がします。