梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

続・「さよならパヨク」

2016-04-26 16:56:16 | 日記
   「パヨクと右派の両方を経験した私から見ると、人間の器が全く違います。パヨクは器が小さく、底が浅い連中ばかりです。右派は思慮が深く、心も広い人が多いです。」という部分からまた始めてみます。

   以前書いて来たことと重なるのですが、この部分は何度繰り返しても足りない重要な部分なのです。左翼、ここで私は日本共産党のことを指して言いますが、その姿は中国共産党のあり方と基本的に変わりません。下部組織はトップの決めたことを忠実に守り、考え方も行動もすべてが画一的なものとなります。指導部の言うことをどれだけ正確にオウム返しできるかにすべてがかかっているのです。従って、共産党員を一人知れば、全員を知ったのとほとんど同じだと言っても過言ではありません。

   上からの指示一筋ですから、これに反するような著作はおそらく手にすることさえ反党行為として処分の対象になる者と思われます。ネット上で右派の人たちが集うサイトに果敢に切り込んでくる左派の人がいますが、全員言うことは同じです。昔風に言えば金太郎飴です。彼らと反対の立場から書かれた書物は掃いて捨てるほど出版されているのですが、彼らは恐らく読むことを禁じられているはずです。それが、千葉麗子から「器が小さく、底が浅い」と切り捨てられた所以です。左派には、異なる見解を一応検証してから反論するという謙虚さがありません。

   若い頃、私も職場代表として組合の打ち合わせや大会に出席していたことがあります。面白いのは、いわゆる左翼と極左はまた違っていて、毎度極左の人たちから、「自分の頭で考えなさい!」というヤジが飛ばされていました。極左は極左で共産主義者であることには変わりないので、大いに問題なのですが、アナーキストに近い共産主義者であったと思います。一人一人、少しずつ違った考えを持っていて、一色に塗りつぶされてはいませんでした。自ら考えることを捨てた共産党員は、昔から「細胞」と呼ばれていた如く、主体的意思を持って生きる人間とは言えません。

   これに対し、右派の人たちは自由です。右派の人間がマルクスを読もうと、同じ右派の人から非難されたり足を引っ張られたりすることはありません。また、本部の指示などというものとは無縁ですから、あらゆる方面から書かれた本を読み漁っているはずです。時には歴史書、時には反韓本、反中国本、いろいろと読んで知識を深めていると感じられるのは明らかに右派の人たちです。

   また、右派の人たちの方がやることがきれいです。右派の人たちは左派の人たちの中から目立つ人物を選んで社会的抹殺を図ったり、集団で攻撃を掛けたりするようなことはありません。しかし左派の人たちは、自分たちにとって脅威となる存在とみなした人物に対しては、えげつない攻撃をかけて来ます。千葉麗子も、アイドル時代出演していたレンジャー戦隊物がアメリカで人気を得て、テキサス州で行われた関連イベントにオファーが来た際には、ぱよぱよちーん(注)が、アメリカ側のエージェントに彼女を中傷するメッセージを送り、ツイッター上でののしり、現地の入管に、右翼の危険人物として入国拒否しろという通報までしていたという話です。冷静に考えてみれば、元アイドルがアメリカで子供向けテレビ番組のイベントに出演したくらいで左派に対する打撃など皆無なはずですから、心が狭いと言われても返す言葉はないでしょう。

   注:「ぱよぱよちーん」とは、右派の間では知らぬ人はいない、左派の活動家の一人です。東大大学院卒、英語ペラペラ、外資系IT企業の管理職だったそうですが、左派の反政府活動に目の余るところが出て来たので、会社は解雇されたということです。一時は千葉麗子と愛人関係にあったことが、千葉麗子本人から包み隠すことなく報告されています。

   最後に二つのことを付け加えておきます。まず、反韓運動の旗手である「在日韓国人の特権を許さない会」の合法的デモ行進に対しては、必ず「しばき隊」なるものがやってきて、これを妨害します。「しばき隊」は、その容貌、言動から見て、明らかにヤクザです。ヤクザなら右翼になりそうなものですが、日本のヤクザの3割は在日韓国人なので、ヤクザなのに反韓デモを潰しにかかるという奇妙な姿になるわけです。かつ、「しばき隊」は、共産党が用意した別動隊ともいうべきものです。恐らくはそれなりの日当が党から支払われているものと想像できます。

   また、SEALDsを始めとする、若者を主体とする共産党系のデモは、単なる短いシュプレヒコールの繰り返しであったり、(例:「安倍さん辞めろ!安倍さん辞めろ!」等。)サンバや沖縄民謡が歌われたりします。SEALDsのトップである奥田君が偏差値28の高校出身であることは有名ですが、恐らくは人に聞かせるだけの能力(実は知識や思想も)を持たない若者たちが、うかつなことを言ってすべてを台無しにしないための処置ではないかと思います。ちなみに私が最後に勤務したK商業高校は、商業高校でありながら6割の生徒が1,000円の2割引きを1、200円と答えたという学校ですが、偏差値は38あります。



さよならパヨク

2016-04-24 14:09:26 | 日記


  アマゾンで一昨日の夕方注文して昨日の午後に届いた本。200ページを超える分量ですが、私は基本的に読むのが速いので、1時間とかからず読み終えてしまいました。見るからに軽いタイトル「さよならパヨク」・ちょっぴり軽薄でさえある「チバレイが見た左翼の実態」という謳い文句。読ませたい対象不明の表紙の絵。いずれにしても、途方もない軽さを予見させる表紙です。

   著者がアイドルを引退してから20年以上になるので、現在の20代の人たちにはなじみの無い名前かも知れません。チバレイこと「千葉麗子」は、平成3年に16歳でアイドルデビュー、20歳で何の未練も無く引退、IT企業を立ち上げ、関係方面の著書もあり、アイドルの枠に収まらない才女だったのだと思います。インドに留学、現在はヨガ・スクールを主宰しているそうです。

   この本には、彼女が福島原発事故をきっかけに故郷福島を思う気持ちから反原発運動に携わり、そうこうしていくうちに、知名度と美貌を買われて運動の最前線に立たされ、マイクを握ってデモの先頭に立つようになったいきさつと、徐々に反政府運動へと舵を切って行った運動の流れの中で生まれて来た疑問、左翼への不信から運動を離れ、逆に反左翼へと転じるまでの履歴が率直に語られています。いわば反政府運動のジャンヌダルクだった彼女が、運動家たちの本質に気づいてそれを暴く側に回った心境を述べているものです。

   彼女の体験から私たちが知るべき最も重要な事、それは、人々が純粋な気持ちから始めた運動の中に後から共産党員が入り込んで来ては、運動そのものを乗っ取っていったという事実です。それは極めて巧妙に行われるので、気づいた時には既に周りは共産党員だらけになっており、逆に共産党の指示で行われる運動へと変質してしまっているのだそうです。驚くべきことに、反原発運動でも、最初は日章旗を掲げた人々も参加していたのだそうです。しかしいつの間にか共産党員が多く入り込んで来て、彼らは運動から排除されてしまったのだという話です。沖縄の反基地運動などもその類になると思いますが、こうした事に関わっているプロ活動家の中には仕事など持たず、運動に対してなされた寄付金の上前をはねて暮らしている者もいるとのことです。

   先日も熊本の震災に対する寄付金を募った共産党は、寄付金は自分たちの活動資金に充てる方針であることがばれて、撤回するという騒ぎがありましたが、この件に限らず、動員された関係者には最低でも交通費は支払われているようです。また、彼らが原発や震災に関して活動を行うのは、反原発や被災民救済が目的なのではなく、それにかかわることによって自分たちの存在をアピールできるという、極めて打算的な動機によるものだということも明らかにされています。

   ところで、SEALDsを始めとする、耳に優しい政治団体が活動を続け、ラップでノリノリの街宣を行ったりして一部から注目を集めていますが、こうした連中に巻き込まれることについても厳しい警告を発していますので、これも見逃せない部分です。横文字で団体名を名乗り、プラカードも英語で“War Is Over”、“STOP WAR” などと格好良く決めていますが、一見洗練された雰囲気と、ノリの良さに、何かいいことを言っているのではないかと巻き込まれたりすると、つらい将来が待っているかもしれないのです。

   こうしたデモ隊には、必ず公安警察のカメラマンが張り付いています。すべてのデモ参加者が一人ずつ識別可能な写真を撮影されていると考えてください。彼らのデモに繰り返し参加すれば、公安警察の人別帳に掲載され、最悪の場合、生涯監視の対象となるかもしれません。SEALDsなどは若者が一生を掛ける価値の無い、泡ぶくのようなものに過ぎません。

   これを読んで、思想信条の自由は憲法で保障されていると息巻く人もいるかもしれません。しかし、共産党であることを隠し、裏であざとく狡猾に様々な運動を乗っ取っていく共産党、党綱領として暴力による革命を否定していない共産党、反韓デモにヤクザを動員して圧力をかけ続ける共産党、そんな共産党の息のかかった若者が社会的に受け入れられないとしても仕方のないことです。

   「パヨク」というのは、こうした「左翼」という名称に、「クルクルパー」の「パー」を組み合わせた呼称です。表紙の絵は、「そうだ、難民しよう」という本を書いて左翼の人たちからとことん弾圧された漫画家、はすみちかこさんが書いています。千葉麗子はこんなタイトルの著書を出版したことで、またしばらくの間「パヨク」からの執拗な嫌がらせを受けることになるかもしれませんが、どうやらきっちりと開き直って、絶対に屈しないと覚悟を決めたようです。

   世間の予想とは違い、彼女はこうも書いています。

「パヨクと右派の両方を経験した私から見ると、人間の器が全く違います。パヨクは器が小さく、底が浅い連中ばかりです。右派思慮が深く、心も広い人が多いです。」

   私もそう思います。学校の先生の中には、はっきりと左派の人たちが沢山います。彼らの考え方は上部組織が与えた指示の枠から出ない紋切り型である上に、新しい情報が全くインプットされない、不思議な頭脳の持ち主ばかりです。当然、底の浅さは推して知るべし、です。

   少し長くなってしまいました。「さよならパヨク」、読む限り、千葉麗子は文系の人間ではありません。ひねったり気取ったりした文章は、一つもありません。難しい哲学や思想信条もありません。やってみたけどこうだった、という体験談が、極めて平易な言葉で書かれています。気の利いた小学生なら十分読める本です。それだけに一見中身が薄く見えてしまうのが気の毒ですが、一読の価値ありとしてお勧めしたい本です。

府中の「暗闇祭り」

2016-04-22 15:59:51 | 日記
   最近府中の大國魂神社の「暗闇祭り」のCMがテレビで流れているのを何度か目にしました。去年までは見たことがない気がするCMですが、初詣でもないのに神社がCMを流す、そんな時代になったのですね。いっそ外国人観光客を呼んでみたら結構受けるかもしれません。大勢の、真っ白いふんどし一丁の男衆が、神輿を担いで熱気むんむんです。ところで、大國魂神社というのは至って由緒ある神社で、鎌倉時代に隅田川の中州で拾った観音様が由来という浅草寺など問題にならない歴史を持ち、その辺の神社とは全く格が違うのですが、「暗闇祭り」の「暗闇」とはいったい何でしょう?
 
実はこれ、今でいう街コンのような役目を兼ねていたのです。当日は関東全域から独身の若者が集結し、昼の内に、これはと思う相手に目星をつけておきます。そして、夜の決まった時間になると、一帯の明かりが全て消され、あたりは闇に包まれて一寸先も見えなくなります。そこから先は当然の如く・・・・。
 
こうして互いに相性を確かめ合ったカップルが沢山誕生、翌朝日が昇ると、娘は若者に手を引かれ、若者の済む村へとついて行く、という仕組みでありました。確か大正時代までこの風習が残っていたと聞いたことがあるのですが。
   
大昔、万葉の時代には、筑波山では歌垣というものが行われていました。独身の若者が横一列、娘たちが横一列に並び、互いに歌で呼びかけ合って、相手の気を引こうとがんばります。幸いにして気が合う相手がいれば、無事成立、晴れて二人は夫婦となるという仕組みです。これは中国南部の少数民族において、現在も行われている風習らしいので、大昔江南地方から船に乗って日本列島に渡って来た人たちが多数いたということになるのだと思います。

日本という国は、朝鮮半島から渡って来た人たちが築いたのだという見方が強いのですが、少なからず見られる南方系の風習を見るにつけ、半島系の人たちは帽子のように上に乗っかっているだけなのではないか、そんな気もします。

続き

2016-04-21 14:38:01 | 日記
   東大出にあまり創造的な人はいないのではないか?という疑問を抱いている人は多いのではないかと思います。確かに私なんぞよりはるかに偏差値が高い皆さんであることは認めざるを得ないのですが、官僚となった東大出身者はこれまでの旧弊の中で流れに身を任せているばかりで、特に文科省などは現場の人間から見て実にろくでもない方針しか打ち出して来ませんでした。あまつさえ日米関係を破壊しそうになったあの鳩ポッポ首相に至っては・・・・。身近に見て来た東大出身者も、創造性という点では微塵も感じさせるものがありませんでした。一説によると、東大生は入学時には洋々たる前途を感じさせる人ばかりなのに、卒業までに例外なく凡人と化していく、というのですが。

   東大野球部の話に戻ります。野球部の夜の食事風景が放映されていましたが、どでかいどんぶりに山盛りのご飯を盛り付け、更にしゃもじで押さえつけるようにして量を稼いでいました。これを見た私は、東大生もこんなものなのか、と、少々悲しくなりました。そもそも5,000キロカロリーという数値目標を定めた時点でもう何かがずれていると考えているのですが、そのほとんどを白米の飯に頼るというのは、あまりにも古典的で栄養学的にも不合理であるという気がします。

   昔一世を風靡したマラソンの瀬古選手は、一日の練習が終わると監督が自ら腕を振るって、ステーキを焼いてくれていたそうです。マラソンこそ持久力の権化のような競技ですが、それでも瀬古選手の監督は、練習後真っ先に良質のたんぱく質を補給することを考えていたのです。運動すれば筋肉の一部が破壊されます。破壊されたところが修復されることが競技力の向上につながるのです。従って、スポーツ選手がまず考えるべきことは、良質のたんぱく質の摂取でなければなりません。油で焼くステーキはカロリー的にも高めになりますから、実に合理的な食事だと考えることが出来ます。

   ところで日本のスポーツ界では伝統的に「走り込み」を良しとする風潮がありますが、走り込みによって獲得できるのは、「遅筋」です。走り込めば走り込むほど、「速筋」は失われていきます。では、野球のようなスポーツにより必要なのはどちらの筋肉かと言えば、素早く打球に追いつくことができる「速筋」、走者として塁間を高速で走り抜ける「速筋」、バットをフルスイングで振り抜く「速筋」、手にしたボールを高速で遠くまで投げることのできる「速筋」です。走り込みはいたずらに選手に疲労感を与え、充実した練習をしたかのように錯覚させる手段でしかありえないのです。

   日本では、あるピッチャーはシーズン・オフに良く走り込んだから、シーズンを通して好調を維持しているなどと、真顔で解説が入りますが、トレーニング効果というものは日を経るにしたがって薄れていくもので、走り込みの効果は2か月とたたずに失われます。第一、大リーグの選手が走り込みを重点的に行っているなどという話は聞いたことがありません。東大野球部の掲げた方針には、何の個性も創造性も無く、昔から言われて来たことを何の考えも無くなぞっているだけに見えます。

   私の見る限り、日本のスポーツ界全体に、東大野球部と同じ傾向が見られます。伝統も結構ですが、その殻を打ち破ってこそ、新たな猛者が生まれるのではないでしょうか。それは、伝統とか常識から少し外れたところに視点を向けることが出来るかどうかにかかっていると思います。

   昔の話になりますが、かつてオーストラリアとニュージーランドの中長距離選手が、ローマ・東京の二大会に渡って旋風を巻き起こしたことがありました。両方とも、自分では国際的に活躍などしたことのない、選手ともいえないような人物がコーチを務め、独自の理論で選手を指導した結果でした。二人はほとんど逆の理論の持ち主でしたが、しかしどちらも大成功を収めています。伝統にとらわれていたら、この二か国から歴史に残る偉大な選手が輩出することはなかったでしょう。
    それにしても、我が国の最高峰学府の学生である東大生に、革新的な思考を求めるのは無理な相談なのでしょうか。

東大野球部について

2016-04-20 16:44:55 | 日記
先日テレビで、東大野球部の現在を紹介するコーナーを見ました。東大野球部が久々に6大学で勝利を収めたことから話題になっていたのですが、見ながら私はどこか割り切れないものを感じていました。東大が偏差値では日本のトップであることは確かなようですが、偏差値がトップだからといって、野球に限らず、なぜスポーツの世界で傑出した選手を生み出すことが出来ないのか、その点がとても疑問に思えたのです。

頭が良いからといって運動能力に恵まれないとは限りません。学部在籍学生数だけで1万4千人を超える若者が集まっている上、体育会系クラブは53もあるのです。これで何故にトップクラスの選手が輩出しないのか、謎ではありませんか。これだけの若者がいれば、何らかの競技に稀な素質を持っている学生も必ずや混じっているはずなのです。結局のところ、小・中・高と、スポーツに時間を割いているようでは東大には合格できず、東大入学後も運動に夢中になっていては将来のエリートコースからはずれてしまう恐れがあるということなのでしょうか。

しかし、番組を見ている内に、偏差値が高い事と頭が良い事とは、しかしたら関係が薄いのではないかという疑問もわいてきました。東大の体育会系部活の中では恐らく最も熱中して活動していると思われる野球部が、あまりおりこうとは言えない方針を掲げていることがわかったからです。

「多分日本で一番頭のいい野球部です」
というポスターを作った東大野球部の掲げた課題の優先順位がありました。それはこうのようになっています。

① 食事(5,000キロカロリー)
② ランニング
③ 守備
④ 打撃

私は、野球は素人ですが、トレーニングに関しては素人ではありません。天下の東大が編み出した、早稲田や慶応や法政に勝つためのこの優先順位は、なんとなく違うような気がするのですが、どうなのでしょう。一目見て、実に非科学的ではありませんか。

〇打たなきゃ点は取れないから勝てない。
〇守備でエラーをすれば、ただで点を取られてしまうから勝てない。
〇15キロも走ったり、大飯を食えば野球がうまくなるわけではない。

激しい練習をすれば、必然的にそれに見合った栄養管理をしなければならないのは当然ですが、目標がカロリー数値というのは実に馬鹿げた計算です。無理やり5,000キロカロリーを摂取し、それを消化するだけの練習「量」をこなす、というのが彼らの頭脳をから編み出された方向性です。

結果は同じことになるという理屈もあるかもしれませんが、私は、この順序で目標を掲げるようでは、永遠に東大野球部は「たまにまぐれで勝つ」レベルから脱却することはありえないと考えています。