梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

出産

2015-05-31 16:46:06 | 日記
   韓国語教室の同級生、元看護師のHさんとの雑談はなかなか有意義です。私とは得意分野が重ならないので、Hさんの方もそれなりに私の話を楽しんでいる様子。一方、職業柄ちょっと気取った女性たちとしか(生徒を除)接したことのない私にとっても、Hさんの裏話は大変勉強になります。

   私も卒業生に看護師がいない訳ではありませんし、叔母さんが3人看護師という環境でしたので、全くの無知という訳でもないのですが、それでも出産に関わるHさんの話は、まさしく目から鱗というところでした。

   この場でこんなことを書いて良いのだろうかという気もしますが、先日の雑談で登場した出産の話には興味深いものがありました。人口が増えている埼玉県三郷市の産院がどんどん大規模化しているなどという社会現象的な話から、分娩室の実況中継的な話まで、Hさん自身の体験も含めて、あからさまに話されました。それもこれも私がきっと男性を感じさせない境地に達したからなのです、きっと。

   出産はある意味命がけで、私が中学生の時の音楽の先生は、初産で命を落としました。Hさんの言葉によれば、出血多量だったに違いないということです。出産時どうしても出血が止まらず、輸血を継続しているにも関わらず、そのまま亡くなる場合があるのだそうです。

   しかしその先の話がHさんの面目躍如。内容が大変臨場感に飛んだものとなります。通常分娩でも、産道を広げてお産を楽にするために行われるのが会陰切開と言う施術。私もその術語くらいは承知していましたが、Hさんによると、なんとハサミでチョキンチョキンと切ってしまうのだそうです。昔のように自宅まで産婆さんが来て自然分娩するのとは違い、現代の出産はなかなかドライなものなのですね。ご自身の経験によると、切られる瞬間はもちろんわかるのですが、陣痛自体が絶叫し続けるほどの痛みを伴うものなので、ハサミで切られても、あ、今切られたな、という程度の感触しかないのだとか。

   そして帝王切開の話。私たちが思っているよりメカニックなものなのです。もちろんお腹を切るわけですが、現在は縦に切らずに下の方で横に切るので、傷跡はまずわからなくなるのだそうです。恐らくは未だに縦に切っている産院もあると思われるので、後はどこに住んでいるかが運命の分かれ目になるのでしょう。

   男の私が軽く仰天したのは、帝王切開といっても、お腹を裂いて赤ちゃんを取り出せばそれで万々歳ということにはならないのだということでした。車のエンジン・オイルの交換に、上抜きと下抜きの二種類があるのですが、エンジン下部のドレイン・コックを外して交換する方法だと、汚れたエンジン・オイルはほぼ完璧に抜くことが出来ます。しかし、上抜きといって、オイルを入れる口からチューブを入れてポンプで抜く方法だと、下の方に汚れたオイルが残ったままになってしまいます。

   帝王切開も同じことで、一応子宮の内部等はきれいにするのだそうですが、これはあくまでオイル交換でいうところの上抜きにしかなりません。そこで、完璧に清潔に戻すために、下抜きに相当する作業をしなければならないそうです。その方法というのが、太さがS・M・Lと三通りあるステンレスの棒を下から突っ込んで、徐々に子宮下部の、本来なら赤ちゃんが通って開くはずの部分を広げていくのだそうです。こんな話はよほどの機会に恵まれないと聞ける話ではないので、私はとても真剣に耳を傾けたのでした。

   また、高級な産婦人科に入院すると、食事はナイフとフォークのついた上等なものが毎食出るとか、出産後の処置、特に帝王切開後の傷口などは、産婦人科医ではなく整形外科医に交代して処置してくれるので、後に残る傷跡が全く違ってくるなどの話も、なかなか耳新しいものでした。

   私が通う韓国語教室、授業は70分ということになっているのですが、最近Hさんの実力が上がって来たので、その日のレッスンがかなり短時間で終了してしまうことがあります。そんな時には時として脱線転覆事故?のような奇想天外な方向に話が進んでしまうことがよくあります。

   まあ、それはそれでなかなか面白く聞けるので、あえてこだわらず、私も進んで脱線する列車に乗るのが通例となっています。

とある歌手のファン・ミーティング

2015-05-30 19:00:49 | 日記
   「大したことない」と思っていたのですが、50センチほどの至近距離で見た彼女は輝かんばかりに美しく見えました。そもそも会場の作りから見て難しく、演歌歌手でもないので客席に下りて来ることなど誰も予想もしていなかったのですが、人がすれ違うのがやっとという程度の通路を縫って彼女は会場内を一周し、その間観客たちと惜しみなくハイタッチ・握手を繰り返しながら舞台に戻って行きました。本来予定になかったものを、リハーサルの段階で彼女が主張して急遽行うことになったのだそうです。

   更に異例だったのは、(多分本邦初)、最後にカメラ・タイムが設けられ、観客たちが席から立たないという条件で、舞台に立つ彼女を自由に撮影する時間が設けられていたことでした。私は、そういえばそんな事が書いてあったなあ…と思いつつ、私以外の皆さんが手に手にカメラ・iPad・スマホをかざして彼女の撮影に励んでいる姿を眺めていました。

   この撮影については「条件とお願い」がついており、「条件」は可愛く撮ることという、半ば冗談なのですが、「お願い」というのが、撮影した写真はできるだけネットで流して拡散してほしいというものでした。撮影したら即退場と言うのがこうした会場での決まりなので、異例中の異例だと言えます。

   恐らく、固定ファンはいるものの、未だブレイクはしていないという読みから、こうした異例の作戦をとったものと見えます。先日行われたApinkのファン・ミーティングでは、まだ日本で本格デビューもしていないグループであるにも拘らず、大勢の人が集まり、全員立ち見で、ぎっしり満員となっていました。しかし本日は椅子席、となると収容人数もたかが知れていますが、会場の3分の2程度が埋まっているに過ぎませんでした。

   開場までまだだいぶ時間が残されていた入口前は、後ろから午後の太陽が豪快に照り付け、歩いているならまだしもじっと立っているのは、私にも厳しいものがありました。が?なぜか、しきりにドリンク代500円を用意しろと言う呼びかけが繰り返されます。おいおい、ドリンク購入は強制だったのか?と多少気を悪くした私、中に入った途端すぐに気を取り戻しました。多少お高くつきますが、生ビールも選べるのです。

   今飲むと途中でトイレに行きたくなるかなあ・・・。立ち見だったら戻っても場所はないのに・・・と思いましたが、炎天下で立ち尽くしていた身は生ビールの誘惑には勝てません。結局その場で一気飲み。ついでに終了後にもう一回一気飲み・・・・。今度はさすがに少し効きました。

   本来は彼女にそれほど興味があったわけではないのですが、グループの一員だった時代と比べると、日本語も上達し、ボイストレーニングもきちんとして来たらしく、発声が以前と比べて格段に進歩していたので、この私、その心意気を買って、豊洲ピットにまでやって来たという訳です。

   KARAのように陰の同時通訳はついていません。あくまで彼女が自分で聞き、話すという方式を最後まで貫いていました。途中お遊びコーナーで、観客から事前に集めた「悩みごと」に対し、白衣を来た彼女が回答するという趣向があったのですが、なんとか切り抜けていました。いよいよ困っているな、という時にだけ、日本語に堪能な韓国人司会者(おそらくは在日韓国人)が助け舟を出すこともある、という程度でした。

   感想は、この子、さばさばした性格だとは感じていましたが、結構思い切ったことをやるんだな・・・というところでしょうか。ジヨンのように強力なプロダクションがバックについている訳でもなく、あくまで彼女は自力で日本市場に食い込んでいかなければなりません。彼女のそんな心意気を感じた2時間でした。

   ま、微力ながら応援してやるか・・・・というところでしょうか。


ルックス問題

2015-05-29 09:45:17 | 日記
  こんな研究に対して研究費が下りるのか?と疑問に思いますが、アメリカの大学は時として本当に下らないことを調べ上げることがあります。かなり以前のことになりますが、アメリカで、身長が何インチ高いと年収が1,000ドル違うという研究発表がされたことがあります。今回の研究もこれに類似した、情けない研究だと思います。

   アトランタ大学の研究の結果、ルックスが優れている人間は男女とも免疫能力が高いということがわかったのだそうです。私見では、顔つきと免疫には遺伝子的な因果関係はないような気がしますので(美男・美女と言っても多種多様な美男・美女がありますからね。)おそらく、見目麗しい人間の方が周囲からちやほやされて精神的に楽しく過ごせる可能性が高いので、これに伴い免疫力が上がるのではないかと思います。要はアメリカにおいては、背が高くて顔が美しいことが社会的に上位に立つ一つの要因だということなのでしょう。

   大統領選でも、若い方と年寄りが対立候補なら、若い方が有利です。不細工と美男の勝負なら、美男が亜当的に有利です。アメリカ人は韓国人に劣らず見た目を重視するということです。しかし、純粋に学問的に研究をするのであれば、アメリカとは違う基準で美醜を決める他の民族についても研究してもらいたいものです。

   ところで、アメリカ人の本音は、時として救いようのなさを感じさせることがあります。かなり昔の映画ですが、一応名画と言われている映画に、「ピクニック」というものがあります。これがまた世紀の駄作だとしか私には思えない代物なのですが、アメリカ人にとってはそんなことはないようです。

   ある美しい女性と、固い職業についている真面目な青年が間もなく結婚式を挙げるという時に、どこからともなく主人公のハンフリー・ボガードがふらりと街に戻ってきます。ハンフリー・ボガードと真面目な青年はかつての親友という設定です。そして、美しい婚約者は、真面目で誠実な婚約者を捨て、定職もない流れ者のハンフリー・ボガードに一目惚れし、婚約者を捨ててしまいます。

   ハンフリー・ボガードにも美しい婚約者にも、大した葛藤が見られないまま、何の落ち度もない真面目で誠実な青年だけが悲劇を味わいます。美しい婚約者は、ハンフリー・ボガードのかっこ良さに引かれてさっさと婚約者を捨ててしまうのに、映画では婚約者を捨てた女性と親友を裏切ったハンフリー・ボガードの恋が美しく描かれています。

   もう一つは、タイトルは忘れましたが、南海のサンゴ礁に囲まれた美しい島での出来事を描いた映画です。そこを訪れた白人の娘が、酋長の息子に一目惚れされます。酋長の息子は、「自分は酋長の息子だから何をしても許される。」と語り、やはり既にいた婚約者をあっさり捨ててしまいます。捨てられた婚約者はサンゴ礁の外の荒海に身を投げてしまうのですが、彼女の悲劇は深く語られることがなく、白人の娘と酋長の息子の熱愛として映画は展開していくのです。

   この二つは、アメリカ人の精神性の低さを物語る象徴に見えます。そこで話は冒頭に戻るのですが、美男美女の免疫性が高いことがわかったとして、その研究結果が一体何の役に立つというのでしょう。美男でない男と美女でない女は病気にかかりやすいから、早く死ぬかもね・・・と言っているだけで、社会にとって何の有益性もないではありませんか。また、身長が低ければ年収も低いという結果を突きつけられたところで、遺伝的に決まっている身長に対して、私たちには、なす術がありません。

   幸い日本人はアメリカ人ほど美醜・高低問題についてこだわってはいません。日本人に生まれたことを感謝しておきましょうか。

再度言う。「抱っこしろよ!」

2015-05-23 16:20:15 | 日記
   本日も晴天、そこそこの暑さ。私が燃えてくる暑さまでには達していませんが、それでもこの私を屋外にいざなうには十分な気温となりました。そこで、今日もまた朝日を右に見ながら一路北上、越谷レイク・タウンへ。地図もなく太陽の位置を頼りに適当に歩くので、前回とは違った道。時たま不安にもなりますが、無事1時間10分で目的地に到着。少し早目に着いてしまったので、日陰もない公園のベンチで時間を潰します。

   貧乏性な私、左手には中国語のテキストをコピーした紙を入れたクリアー・ファイルを持って来ているので、この間、歩きながらも時間を無駄にせず、80分の間、中国語を無言で唱えながら歩いてきました。帰りも当然同じようにして帰るのです。

   今回見た映画は「メイズ・ランナー」。はっきり言って内容のない映画です。「暗殺教室」の方がずっと内容があります。要は、コンピューター・ゲームの映画化に過ぎません。今回の映画はシリーズ第一作で、ゲームでいえば一面をクリヤーしたというところ。当然、次回作もその次も用意されています。それでも邦画を見るよりは英語力の確認になるので、この映画を選びました。

   鑑賞終了後、しばらく歩いた場所にぽつんとある、取り残されたような天丼の店に入ります。取り残されたというよりは、レイク・タウンの拡大を見越して、まだ住宅が無い場所に先を見込んで開店したというところでしょう。昼時とあって、家族連れや近所の建設現場で働く動労者の姿が目立ち、既に十分繁盛しています。

   この店も完全機械化であっと言う間に天丼が出てくるのかと思ったら、券売機もなく普通に注文、奥で職人が一人でてんぷらを揚げているのが見えます。気のせいか、てんぷらの味に人間味が感じられますが、スピードを取るか人間味を取るか、この二者択一はなかなか難しいものがあります。実際先日入った天丼の店は、すぐに品物が出て来るものの、味は可もなく不可もなく、どことなく人工的な気がしたのです。

   そんなこんなで私がカウンターに肘をついて天丼の到着を待っていると、後から若い夫婦が入店して来ました。赤ちゃん用品を入れた大きなバッグを奥さんの方が方から下げ、夫の方が赤ちゃんを胸から「下げて」います。そうなのです。胸に「抱いて」いるのではなく、胸から「下げて」いるのです。

   若い父親は、赤ちゃんを今流行りの抱っこ紐?で胸にぶら下げ、空いている両手をぶらぶらさせながら歩いて入って来ました。そんな父親の姿は、私の目には、世にもおぞましい手抜きにしか見えませんでした。こいつ、自分が楽をするために抱っこ紐で赤ちゃんを胸にぶら下げているんだ!と思うと、一言説教してやりたくなってきました。

   以前にもこんな夫婦を見たことがありますが、共通して言えるのは、荷物を奥さんの方が持っていること、赤ちゃんを胸から「ぶら下げている」若い父親たちが、全員もやしのような体形であったことです。もやしだから赤ちゃんを自力で抱っこできないのか?自力で抱っこする気力もないのか?自分の腕で赤ちゃんを抱いているあのちょっぴり高揚した幸福感を知らないのか?・・・・・・

   私が思うには、赤ちゃんだって、こんなもやしのような父親の胸から所在無げにぶら下げられ、手足を宙でぶらぶらさせている位なら、ママのおっぱいに張り付いて抱っこされていた方が何ほどか幸せなことでしょう。さっさと交代して、自分がおむつカバンを持て!と言ってやりたくなってきました。きっとこういう父親は、おむつカバンを持つなんてかっこ悪いことはしたくないのでしょうねえ・・・。何しろ赤ちゃんを胸から「ぶら下げている」だけなら、両手はしっかり空いているのですから、おむつカバンをその手で持てば良いのです。あんなもの、大した重さではありません。どうせならいっそ、両方を引き受ければ良いのです。

   こういう私から見れば訳のわからん若者たちを後に、再度家路をたどります。1時間ほど歩いて我が家の近くまで来た時・・・・。昼飯時だというのに一人も客が入っていない韓国料理の店から、子供を抱いた父親が出てきました。明らかにその店の主人と見られるその父親は、客が来ない時間の暇つぶしを兼ねて、我が子を胸に抱いています。胸に抱いているというよりは、調理労働で鍛えた太い腕に赤ちゃんを座らせで抱え上げ、対話するかのように抱いています。赤ちゃんも、頼りがいのある父親に抱かれて、いたくご満悦です。

   私は昔子供を連れて外出する時、ベビーカーも持たず、抱っこ紐もなく、私が一手にこの腕に抱いて一日歩き回っていました。それを大変だとかきついとか感じた事は一度もありません。それどころか、数年もたたないうちに腕の中から地面に下りてしまい、二度とこの幸せな気持ちを与えてくれなくなってしまうであろう我が子たちを思うと、もったいなくてもったいなくて、この腕で抱っこして歩く以外のことは考えもしなかったのです。

   もっとも、当時の私はバーベルやジョギングできっちりと体を鍛えていたので、あのひ弱そうな若い父親とはわけが違うのかもしれません。だったら更に追い打ちをかけるように言いたいと思います。男の体に女の体にはない筋肉というものがついているのは何のためだ?楽しようとばかりしないで、我が子のために鍛えなさい!と。

ハンド代表喫煙事件

2015-05-21 14:34:17 | 日記
ナショナルトレーニングセンターで合宿中に、禁煙の場所で喫煙していたとして、男子日本代表の選手8人を厳重注意処分した・・・・とあります。施設内には喫煙場所もあるのに、愚かなことをしたものです。

   私はよく思うのですが、「スポーツはルールを守って行うものなので、スポーツを通じて決まりを守るという精神が養われる。」などというのは、真っ赤な嘘です。五輪金メダルの柔道選手が、自分が指導している選手をレイプした事件はその典型でしょう。「スポーツを通じて人間形成ができる。」というのも真っ赤な嘘です。あくまで、スポーツをしている選手の中には、もともと自己規制が出来る性格の持ち主もいて、その人たちに対してはスポーツ=ルールという方程式がすっぽり当てはまるというだけの話です。
 
   話をハンドボールだけに絞ってみると、日本チームは6大会連続して、五輪参加資格を取れずにいます。この程度の人間の集まりだから五輪に行けないのか、五輪に行けないと思っているから、自覚が深まらないのか、恐らくはその相乗効果で負のスパイラルに落ち込んでしまっているのでしょう。

   私は思い出します。最初に勤務したI袋商業高校では、女子のハンドボール部がそこそこ活動していましたが、外部に依頼した男性コーチは、くわえ煙草にゴム草履という格好で女子を指導していました。代表チームが喫煙禁止場所で喫煙していたという話を読んで、さもありなんと思いました。

   K岩高校にいた時のことです。正門前でバスに乗り込み、意気揚々と夏季合宿に向けて出発したハンドボール部が、あっという間に正門前に戻って来ました。急病人でも出たのでしょうか?いえ、バスが出発した途端、後部の座席にいた部員たちが、酒を飲み始めたのです。

   今回の喫煙問題にからんで、日本ハンドボール協会は該当選手達にどう対処したか・・・・。

   「指定された本を読んで反省文を書く」ことと、「ボランティア活動をすること」

なのだそうです。これでは喫煙した高校生に対する指導と何一つ変わるところがありません。元教師として言わせていただきますが、こんなことで選手たちの意識が変わることはありません。最低でも彼らの選手登録を抹消することから始めるべきです。相手は高校生ではなく大人なのですから、きちんと責任を取らせなければいけないのです。結果的にハンドボールのナショナルチームが一時的に弱体化したところで困る人間はいないはずです。ただしこれは協会に金がらみの既得権がないという前提条件の下ではありますが。