梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

暴力教師梅様

2020-11-22 12:17:42 | 日記
なんだかもう書いたことのような気がするのが、ブログでは書いていないはずなので、ま、いいでしょう。

  かつての教え子も見ているかも知れないという前提で書いているのですが、言葉遣いだけは丁寧に変えています。Facebookだとどうしても短く書かなければ読む気になれないので、毎回書き終えた後で、大幅に短く書き換えています。ブログではあまり短縮はしません。
  足立高校で新入生の学年担任を決めるという時期の事。当時は人事委員というものを互選で選出し、その人たちが生徒部とか教務部とか学年担任候補を決め、これと狙いをつけた先生に交渉に行くというのが習わしでした。
  私自身についていえば、足立で最後の学年担任になる頃のことです。当時は既に先生方の間で、あいつは暴力教師で、暴れだしたら誰にも止められないかのようなイメージが出来上がっていました。実際には私が暴力を振るっているところっを目撃した人など一人もいないのですから、実にバカげた話です。
  要するに、私に暴力教師というレッテルを貼って、足立高校で私が生徒を殴りまくるのを食い止めようという考え方の人が多数を占めていたということなのでしょう。触らぬ神にたたりなし・・・・。勝手に作り上げた幻を恐れる、世にも不思議な世界が出来上がっていました。
  さて、新入生のための新しい学年を作るに当たっては、まず学年担任を決めなければなりません。皆さんの頭には、自然と「梅沢」という二文字が浮かびます。おいおい、私は手の付けられない暴力教師だったのではないのか?と思うのですが、なぜか私を学年担任にしたがるのです。しかし、私が本当に暴力教師なら、受け持たれた生徒たちは暴力の犠牲者になってしまいます。私を担任に入れた人事委員は、A級戦犯です。
  更に馬鹿げていたのは、私が怖くて、新入生の担任に加わって欲しいと依頼に来る勇気ある人事委員が一人もいなかったことでした。自分たちがどれだけ矛盾した行動を取っているか、冷静に判断できる人が一人もいなかったのですね。しかも、彼らの考え方は、梅沢先生は担任になる気などゼロだから、どうしたらいいのだろう、というものでした。
  そんな時に必ず駆り出されるのが、温厚を持って鳴る岩崎先生。その時も人事委員会の依頼を受けて、岩崎先生が私との交渉に当たりました。生物室に来てもらえないだろうかというお話に、私が生物準備室まで出向くと、岩崎先生の口から出たのが、新学年の担任はなるんだよね、という確認。岩崎先生は私を良く知っている方なので、私が担任に入る気があると確信していたのです。
  私からあっさりOKという確約を受けて人事委員会に報告に向かった岩崎先生に対して、人事委員がおそるおそる言ったという言葉。
  「断られたんじゃありませんか?」
「いやあ、梅沢さんが断るはずがないじゃありませんか!」

かくして私は小島やこたつやヨネの学年の担任となったのでした。小島たち、これ読んでるのかなあ。
写真は、雲一つない夕暮れ。快晴だとこんな感じになります。

昨日の続き

2020-11-20 14:47:41 | 日記


写真は、「世界の未来のために、大和民族が立ち上がらなければならない!」という投稿。本文とは関係ないのですが、時々本気でこういう投稿をする日本人がいるので、載せてみました。


今日は少し行間をつめて書いてみました。

  職場内の「いじめ」には二通りあるような気がします。一つは「ストレス解消」ですが、これが一番悪質で人格を疑うタイプですね。もう一つは、嫉妬によるもの。誰かが実績を挙げて言いるのを見て、自分の努力不足を認める代わりに、その誰かを攻撃の対象としてしまうのもの。前回書いた例は、後者に当たると思います。
  ただ、昨日の方は、いじめに対する免疫がほぼゼロなのでしょうね。30過ぎてあの程度の事でうろたえているようでは、小・中・高と、いじめの対象になったことが無かったのだろうと想像します。成長期にいじめられる体験をくぐり抜けて来ていれば、あの程度は大したことではありません。

  嫉妬といえば、こんなことがありました。私が23歳、相手は27歳。私は初めての担任、彼は恐らく二度目の担任。彼は妙に偉ぶりたがる人だったので、私は当たり障りのないように過ごしていたのですが、ある日先輩のベテラン教師から、言われました。
  「〇〇さんが梅沢さんの事を批判していたから、梅沢さんは良くやっているのに何を言うのか、と、きつく言ってやった。」
これは恐らく嫉妬のケースだと思います。私は母方の祖父が木工職人、叔父が大工、母は和裁の仕立屋に奉公していたという、根っからの職人気質です。教員をしていても、自分が満足するまで、こつこつと努力します。努力すれば、結果もある程度はついて来るものです。 

  彼は若さの割には威張りたがり屋でした。教育実習生が授業を見学したいと申し出て来た時など、自分の授業を見たければ、死ぬほど予習して来いと、胸をそらして言い放っていました。私はその隣で、駄目だこりゃ!と心の中で呟いていました。

  彼は後に、授業中自分のクラスの生徒に胸倉をつかまれて黒板に押し付けられるという経験をしました。私も時に厳しいことを言いますが、こんな経験はしたことがありません。必要以上に威張っただけでなく、生徒の自尊心を痛めつけるようなことを言ったのだろうと思います。
  生徒に胸倉をつかまれた教師は、彼のほかは毎度おなじみ髭の大先生しか知りません。髭の大先生は生徒の自宅まで謝罪に行ったようですが、27歳の彼の顛末は、覚えていません。いや、髭の先生はその時反射的に生徒の股間に膝蹴りを入れて、ノックアウトしてしまったからなのですが。


教員同士のいじめ

2020-11-19 17:23:02 | 日記
  「30代の男性。私立高校で教員をしています。先輩教員が頻繁に、学歴の事で私を侮辱します。」

という書き出しから始まる人生相談。

  「他の先生方は私を公正に評価し、重要な仕事も任せてくれます。その先輩教員だけが、これだから○○大卒は、などというのです。」

  この程度の事を全国紙の人生相談に投稿する先生も実に情けないが、回答が更に情けない。

「つまらぬやつだ、と蔑むのです。胸のうちでそう軽蔑し、適当に返事をしておけばよいのです。相手はそのうち気が抜けてしまい、いつか自然にやめるはずです。」

  何の励みにもならない回答です。それで済むなら誰も悩みはしません。人が人をいじめる時、それには理由があります。まずは、弱いものをいじめる快感。反撃をしてこない相手に対しては、永遠にいじめは続きます。そのうちに飽きたりはしないのです。

  投稿者の先生は、おそらくいじめて来る先輩教師よりも誠実に仕事をこなし、成果を挙げています。それが気に食わない先輩教師が、学歴差別をすると微妙に反応する投稿者に対して侮辱的な言葉を投げつけることによって、うさばらしをしているのです。

  この質問にこの回答では、今後も何の変化も起きないでしょう。

  私も似たような経験をしています。腹立ちまぎれに実名を挙げますと、谷内というそろばんの教師が、やたらに学芸大と早稲田の悪口を大声で言うのです。ずばり、早稲田と学芸の卒業生は駄目だ!と、私の側で、私の方を見ながら言うのです。

  新卒最初の一年は、耐えがたきを耐え、バカは相手にしないの精神で無視していましたが、谷内先生の嫌がらせは、一向に止む気配がありません。しかし、一般論だと言われればそれまでですから、ひたすら耐えていました。しかし、我慢していれば、ますます付け上がります。

  一年を経て春休みに結婚したのですが、相変わらず嫌味はやめる気配がありません。そしてある日、ついに私の堪忍袋の緒が切れる日がやってきました。何を思ったか奴は、新婚ほやほやの私に因縁をつけ始め、早く別れろと言い出したのです。常識外れの、唐突な暴言です。

  それでも皆さんの見ている前で、職員室で、暴れたいという衝動だけは押さえ、夜になるのを待って、自宅から奴に電話をかけました。当然、昼間の発言に対する抗議です。

  「谷内先生、今日職員室で皆さんの前でおっしゃった、別れろというのは、一体どういう意味ですか?

  まさか私からこんな電話があるとは予想もしなかった谷内先生は、電話口で明らかに動揺していました。

  「いや、お互い教頭を目指す身ですから、おだやかにいきましょう、仲良く。」

  教員二年目の私が、何が教頭を目指す身だよ!

  しかし、これで奴はおとなしくなると感じた私は、それで引き下がりました。案の定、以後は露骨な嫌がらせはしなくなりました。いじめに対しては、やはり反撃するのが一番の対策なのです。

  それにしても、教員の教員に対するいじめや嫌がらせは、おそらく姿かたちを変えて、どこの学校にも存在します。いや、学校に限らず、人間の集まるところであれば、つきものだとさえ言えるでしょう。

じっと我慢してばかりいないで、たまには反撃しましょう。さもないと自分の心がやられてしまいます。


なぜ中国語を勉強するか

2020-11-18 15:58:04 | 日記
   私は目下中国語の勉強に精を出している。中学生の時にスペイン語をラジオ講座で、大学では英語を専攻する傍ら、独・仏語を二年ずつ受講。NHKでハングル講座の放送開始とともに、韓国語の勉強を開始。(ハングルと言うのは文字の名前なので、これは正しい言い方とは思えない。お陰で平気で「ハングル語」と書く人がいる始末。)

  一時は韓国にはまったので、30回以上通った。近いし安い、気を付けてさえいれば、皆さんがおっしゃるほど危険でもない。何度かは小学生の子供を連れても行った。そもそもは日本の古代史に興味があったので、その関係で半島へ。中国の東北地方にある高句麗の遺跡にまで足を延ばした人間は、そう多くないだろう。

  やがて、日本史を理解するには中国を知らねばならないと思い立ち、中国語の勉強を開始。最初の内は日曜日に4時間勉強するとして、3時間を韓国語、1時間を中国語という配分だったのが、今では真逆になってしまった。理由は簡単。韓国には真実が無い。ある時韓国最大の書店で分厚い歴史書を買ったら、中国の北半分が新羅領、南半分が百済領となっていた。他の書物はそこまでではないものの、信ずるに足りない。やがて日本全体の反感意識も高まり、今では毎日15分程度しか韓国語は勉強していない。

  中国語は奥が深い。やってもやっても終わらない。東亜学院と言う所に通い始めてもうすぐ10年になるが、未だにできるようになったという気がしない。恐らく、死ぬまで努力しても、マスターは出来ないだろう。その代わり、いくらでも時間がかかるから、やる気さえ無くさなければ、永遠に楽しめるというものだ。

  韓国ドラマを見た直後は、中国語がうまく出てこない。中国ドラマを見た直後は韓国語がうまく出てこない。しかし、どちらも現地でどうにか暮らせる程度にはなっている。

  いずれにしても、始めてもすぐ嫌になる人以外は(それが100人中98人は中級の壁を突破できないようだ。)、永遠に楽しめるのが中国語。中国語を知るにつれて、日本語に関しても奥が深くなるから、皆さんもすぐ嫌になるかは別として、一度始めて見られてはいかがでしょうか。

  写真は10年前に購入した中国語辞典。もうボロボロなのだが、書店には置いていない。10年経っているので、出版社が改訂版を準備中なのではないかと思い、新刊を待っている次第。 
 

そう簡単にはいかない教師業

2020-11-17 10:03:54 | 日記
  昨日の続きになりますが、物事はそうそう学者様の研究通りにはいきませんし、そんな研究をしている学者様が、自分が教えている学生の将来の健康に影響を与えるような関係を構築しようと努力しているか、つまり実践しているかとなると、はなはだ怪しいものです。10中8,9、何もしていないと思います。

  とある高校で、自分のクラスに、授業をサボる癖のある女子がいました。こう言ったら怒られるかもしれませんが、典型的なB型、奔放で、型にはまってはくれません。合唱祭でピアノ伴奏をした時など、いつの間にか指揮者のことなど忘れて、ソロ演奏になっていました。しかし、現実に授業をサボっているのですから、担任としては放置しておくわけにもいきません。実は私は彼女がどこに隠れているのか、心当たりがありました。そこで、ある冷え込んだ日のこと、バックレた(授業をサボった)彼女がいるはずの、空き教室に行ってみました。

  そこは演劇部の部室として使われており、なぜか教室の真ん中に、炬燵(こたつ)が置いてあるのです。私が行くと、彼女はその炬燵でぬくぬくと温まっておりました。私が自分の居場所を知っていたことに、彼女は驚きと焦りの表情を受かべましたが、私は別に叱るわけでもなく、彼女と一緒の炬燵に入って、次の授業が始まるまで、無駄話をして過ごしました。彼女は二度と授業をサボることはなくなりました。

  彼女が卒業後も欠かさず年賀状をくれたり、結婚式に招待してくれたことは、言うまでもありません。しかし、教師と生徒との関係は、なかなかこうは行かないものなのです。

  同じ学校で、私のクラスに、私を信用して、よくなついてくれていた女子がいました、曰く、今まで出会った先生の中で、私が一番好きなのだそうです。しかし、彼女の親友はまるで正反対で、私のことが大嫌いでした。私が正門で番をしていると、あれこれかわいくないことを言い続けて、実力で突破して表に出ようとします。明らかに私がぶち切れて、怒鳴り出すのを期待しての挑発なのです。なついてくれていた女子の方はその横で、悲しそうな眼をしながら、うろたえていました。

  また別の学校でも、あの二人は怪しいと言われるほど、私に警戒心を持たなかった女子がいましたが、その親友はやはり、私が気に入らないことをはっきりと態度に出していました。嫌いなら嫌いで、我関せずでいてくれれば良いのですが、ことさらに反感を表に出すのですから、時にはやっていられない気持ちにもなりました。

  人は自分が好きな人の言うことには耳を傾け、嫌いな人の言うことには耳をふさぐものです。言っている事の内容は、あまり関係がないのです。   

  同じ教師が同じことを言っても、生徒次第で、真逆の効果を生んでしまうことがあるのが、教育というものの難しさです。かといって摩擦を恐れて及び腰で接すれば、生徒たちは組みし易しと、なめてかかって来ます。

  という訳で、二日間にわたる持論の展開、その結論は、実態を知らない学者様の中途半端な結論は、現場の教師にとって、迷惑なだけ、ということです。