梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

松井珠理奈のとんずら

2018-07-29 16:01:56 | 日記
KARA・少女時代 のち、LOVELYZさん、いつもコメントありがとうございます。そうなんですか、April作曲・音楽プロデュースチームが変わっていたのですね。貴重な情報ありがとうございます。音楽に詳しい方から見てもAprilの実力に向上の跡が見られるという事、心強く思います。海の物とも山の物とも分からなかったAprilを見守り続けて来た甲斐がありました。

さて、本日のテーマは、松井珠理奈のとんずらについて、です。とんずらとは穏やかでない表現ですが、私の目にはどうしてもそのように映るのです。彼女についての報道を読むと、AKB48に対しての責任感の強さのあまり、宮脇咲良のダンスを叱責し、それを報道陣の前で吹聴したことに関して厳しいお叱りを受け、更に指原莉乃からダメ出しを受けて心身症になったかのような書き方がしてありますが、私の見立ては少し違います。

私の目には、松井珠理奈が宮脇咲良を最大のライバル視し、できれば潰しておかないと自分の座が危ういと考えていたように見えるのです。であればこそ、彼女からきついダメ出しを食らって宮脇咲良がショックを受け?集合写真撮影に登場しなかった際に、得意げに自分が言った内容を公に語ったのだとしか思えないからです。どう見ても、やった、と内心ほくそえんでいたとしか思えません。

その後総選挙一位の勢いのまま臨んだ、韓国におけるプロデュース48という厳しい選抜オーディション。このオーディションの中で、そうそうたる審査員たちから、松井珠理奈は宮脇咲良よりダンスが下手という厳しい評価を下されてしまいました。これだけで彼女のメンツは丸つぶれ、プライドの高い彼女が鼻っ柱を折られて拗ねてしまったことは想像に難くありません。

更に彼女にとってきついダメ押しは、総合順位においても宮脇咲良が自分よりもはるか上位にランクされてしまったという現実です。実力本位の韓国人審査員がはっきりとどちらが上であるか宣告したのですから、彼女にとってこれ以上の屈辱はなかったことでしょう。更に総選挙ではランクインすらしていなかった子たちが次々と高評価を受ける中で、自分の順位は12位。恐らくは自分が1位になるつもりで渡韓したであろう彼女の傷心は他人が想像する以上のものであるに違いありません。

このまま韓国でプロデュース48に出場し続ければ、最終的な結果が出てしまい、彼女の真の実力が天下に公示されてしまうことになります。宮脇咲良に逆転を許し、宮脇咲良の方が実はダンスも実力が上だということが最終的に明らかにされてしまえば、これまでの自分の行動が全否定されてしまうと共に、総選挙一位というものが砂上の楼閣に過ぎなかったことが露呈してしまいます。そこでまずはこの活動からリタイアすることによって、まずは自分が宮脇咲良より下であるという事実が確定することを避けようという判断だろうと思います。

このままで行けば、彼女の総選挙一位はただの一夜の幻として終わってしまう事でしょう。私のような人間にとって、彼女がどうなろうとどうでも良いことではあるのですが、長い教師生活の中で似たようなケースを見て来たものとして、私なりの分析を書いてみました。

Aprilの進化

2018-07-24 15:22:49 | 日記
22日(日)、またまたAprilのファン・ミーティングに出掛けて来ました。会場を間違えて手間取った段は昨日詳しく書いた通りです。東京にはいろいろなところに小規模コンサートや演劇を講演できる会場があるのですね。

日本公演、最初の2回はHigh Voltageという会社が製作を請け負い、開場は全て品川インターシティーホールというところでした。前回から制作会社がマナモアというところに変わり、制作会社により得意な会場があるのでしょうか、今回の会場は品川プリンスステラボールというところ。舞台に対して客席が横長で奥行きがないという、不思議な構造でした。もしかしたら本来は歌手の公演を考慮した会場ではないのかもしれません。

今回感じたのは、Aprilの客層がまた一段と広がったことでした。元来がKARAの後継グループという触れ込みで、観客はKARAファンからの横滑りがほとんど、すなわちオッサンばかりだったのですが、見に行くたびに客層が若返っているのが分かります。今回は若い娘たちの他、子連れの姿も目立ちました。セクシー志向が無いという点ではApinkをはるかにしのぐ健全さですので、当然と言えば当然の成り行きだと思います。

セクシー志向が無い最大の理由は、発足当時最年少メンバーは中学二年生、3人は現役女子高生という幼さだったからだと思いますが、この年頃の女の子は時として幼虫がさなぎから皮を破って出て来たかのような変貌を見せることがあります。今回は最年少、現役女子高生であるジンソルにそれを感じました。

中二でApril最年少メンバーとしてデビューを果たしたジンソルは、音楽学校では授業料免除の特待生だったそうですが、最近まで子供っぽさを残した、ふっくら顔でした。しかし今回はその変貌ぶりに目を見張りました。舞台の上でお姉さんたちに臆することのない堂々とした態度は元より、何よりも見た目の成長ぶりが目を引いたのです。プロの顔になって来たな、というところでしょうか。

Aprilではこれまでナウンが自他共に認めるその抜群のプロポーションを売りにして来たのですが、今回目の当たりにしたジンソルは、ナウンをしのぐプロポーションを身に着け、子供っぽくふっくらしていた顔がすっきりと変貌し、かなりの美形に変身していたのです。衣装もナウンと共に2人だけ真っ白いパンツ・ルックに身を固め、演出サイドもジンソルの成長ぶりを認めていることが見て取れました。

元々歌唱力があり、高音を張り上げるパートを一人任されて来たほどですから、これにルックスが加われば鬼に金棒です。かつて番組の企画で用意された新人グループ定番の課題、バンジージャンプを前に足がすくんでしゃがみ込み、怖い怖いと言いながら本気で泣きじゃくっていたあのお子様の面影は既に影も形も無くなっていました。

April全体を見ると、日本公演もこれで4回目とあって、彼女たちも相当リラックスして臨んでいました。司会者が、韓国語に堪能(昔韓国でアイドルデビューしたことがある日本人)であることもありますが、通常ならいるはずの通訳のおばさんが後ろに控えていることもなく、全員にかなりの余裕が感じられます。かつてはリーダーであるチェオンが一番日本語が出来るかな、という印象でしたが、その差は徐々に詰まりつつあるようです。結構いいタイミングで他のメンバーを日本語でちゃかしたりもできるようになりました。

しかし、Aprilは韓国内での人気はかなり低めです。先日の調査によれば、人気度は国内18番目に当たるとか。恐らく本国国内では知らない人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。その分ヒマ?はあるかもしれませんので、今の内にせっせと来日して、ファン層を開拓しておくことが望まれます。いつまでも1,000人規模の小会場で公演を繰り返している様では、それなりの力量に終わってしまう可能性があります。

取りあえず今年日本でのCDデビューは果たしたApril。元KARAのニコルの様に売れ行き不振で日本のレコード会社から契約解除されないことを期待します。更に、ファン・ミーティングという形ではなく、2時間フルに歌って踊れるだけの持ち歌と体力を一日も早く揃えてくれることを祈ります。どこから見ても優等生で破綻のない娘たちの集まりであることが、かえってその進路を塞いでいる感がありますが、ぜひ一皮むけて大化けする日が来ることを期待しています。

ついては一つちょっとした課題があります。少女時代もKARAも日本語の楽曲を多く抱え、少女時代に至っては東京ドームで2時間半、全て日本語で通して見せました。なおかつ彼女たちが歌う日本語歌詞は、しっかり日本語として聞き取れる確かなものでした。しかしAprilが日本語で歌うと、正直何をいっているのか全くわかりません。この問題が解決するだけでも大きな進歩になると思いますので、一層の精進を望みたいものです。


やはり人間は几帳面な方が実は楽なようで・・・。

2018-07-23 05:13:27 | 日記
  木・金・土と、熱中症の後遺症と勉強し過ぎ症候群?で、寝たきり生活を送って来ました。経験上、あと一週間こうしてだらけた生活を送ることが必要なのですが、さ、、どうすべきか?・・というところで、とある新聞記事が目に留まりました。曰く、「演奏会に頻繁に行くと、寿命が延びる。」 嘘つけ! とは思ったものの、実は昨日22日日曜日、とあるコンサート、というよりファン・ミーティングに申し込んであったことを思い出したのです。

  ええい、ままよ!どうにかなるならなってくれ!とばかり、腹をくくって出掛けてしまいました。出発時の気温は既に34℃。熱中症で倒れた身としては最高気温、35℃の日に外出するのはなかなかの冒険です。しかし、まあ、何かあったら救急車に乗るさ、と、腹をくくる。前にサッカーの試合中に頭を打って乗った時も、なかなか乗り心地は良かったし・・・などと愚にもつかないことを考えていました。

  会場は品川の何とかホール。その「何とか」という部分を私は全く確かめもしませんでした。前回もこのグループを鑑賞しに品川に行ったので、同じ場所だろうと疑うことなく、深く考えもせずに会場に到着。しかし、入り口には冷たくCLOSEDの立て札があるのみ。意を決して強行突破し、中に入ると、当該ファン・ミーティングはここではなく、駅を挟んだ反対側の会場だというではありませんか。

  違うコンサートの会場設営に当たっていると思われる、いかにもスタッフっぽい女性、当該会場がどこだか尋ねると、エプソン水族館の脇に・・・という、私には全く分からない答え。それでも聞いて分かったふりをして、その場を離れました。で、それってどこなんだ?・・・恥ずかしながらエプソン水族館なんて聞いたことすらありません。

  そんな時こそ、スマホの出番。しかし会場のホール名を言うと、「聞き取れませんでした」という回答。この時点で開演まで後20分。終わったかな?と不安に思いつつもしつこく問いかけ続けると、何度目かにようやく回答がありました。地図上には経路と所要時間が示されています。現地まで後20分という表示。

  途中何度か道に迷いながらも頑張って会場入りし、席に着いた瞬間、「Fで始まる」こと藤原という、限られた世界の中では有名人である、とある男性が開演を宣言しました。ぎりぎりセーフ。しかもB列27番という私の席は、実は最前列のど真ん中。苦あれば楽ありとはこういうことなのでしょう。

  終わってみれば、熱中症の再発を考えて省エネで済ませるはずが、結局歩くこと10,798歩、距離にして7.5k...mを気温35℃の中歩いてしまったのでした。やはり人間というものは、手抜きを考えず、ずぼらでない方が、結局は楽が出来るようです。

被災時の常備食

2018-07-20 11:10:10 | 日記


  中国語のダブルヘッダー×2日の後、絶対力尽きて倒れると思いましたが、予想たがわず倒れてしまいました。
何もする気が起きないので、ひたすらベッドの上で日中韓のドラマ鑑賞。怠慢して寝たまま見られるように棚を特注しておいたのはさすが私、先見の明がありました?

  食欲もないので、ポップコーン三昧。「業務用ポップコーン」の豆を購入したのですが、何しろよく膨れるものだから、食べても食べても、一向に減りません。

  そして気がついたのです。これは災害時の非常食として備蓄しておくべきだ、と。乾燥したトウモロコシの粒ですから、長期保存がききます。火にかけた時に、はじけて一気に量が増えるのも大きなメリット。

  少々の油が必要となりますが、水を使わずに作れるのも被災時にはとても有り難いことです。しかも出来上がるまでの時間がとても短い上、箸もスプーンも使わず手づかみで直接食べられるので、小さい子がいても問題なし。

という訳で、

1.カセットボンベと専用のレンジ
2.植物油
3.材料の豆

は常に常備しておくことにしました。

熱中症

2018-07-19 10:49:16 | 日記
  昨日、東京の体感温度は45℃以上だったそうですが、地域によって大分違うという事を体感しました。

  10時30頃、赤坂は、日差しこそ強烈なものの、意外なほど暑さを感じさせませんでした。

  しかしお茶の水に着き、秋葉原まで歩く道のりは、空気自体がムッとする熱気を帯びており、地面からの照り返しが加わって、赤坂とはまるで別世界でした。

  日比谷線で帰宅、獨協大学駅から自宅への道のりは、いつもにも増して遠く感じられました。午後2時半とあって、至って田舎の町であるにも関わらず、に照り返しも空気も、御茶ノ水を問題にしないほど暑く感じられました。

  昨日は8月のインドネシアやベトナムよりずっと暑くて過ごしにくい一日でした。夜になり、頭が芯からしびれているのに寝付かれず、コンビニにビールを買いに行ったりしました。恐らく、軽い熱中症にかかていたのではないかと思います。

  報道によれば、昨日野外活動を行った最、小1の児童が熱中症で命を落としたとあります。こんな日に野外活動をして子供を死なせた先生方は、あまりにも無知で常識がないとしか言いようがありません。

  子供は背が低く、必然的に地面に近いので、照り返しがもろに体に当たります。加えて子供は大人より体積が少ないため、すぐに体の芯まで熱が浸透してしまいます。また、暑さに強いか弱いかと言う体質には、個人差というものが大きいのです。この学校の先生方はそんな最低限の知識もお持ちではなかったようです。

かつてある高校の柔道部の夏合宿で、一人の部員が熱中症で倒れ、帰らぬ人となりました。専門家がおらず、OBが顧問に代わって練習を仕切るという形だったので、根性主義に陥っていたのかもしれません。

  その後も真夏の体育館で完全防備の剣道部員が軽い熱中症にかかるという事件があったりしましたが、取りあえず二人目の犠牲者は生まれませんでした。また、こうした事例に鑑みて、職員室の奥に大型冷凍庫を導入し、緊急時に対応できるようにしたのですが、

  のど元過ぎれば熱さ忘れる・・・・。冷凍庫の管理者がいたはずなのですが、一年後の夏、冷凍庫の中は分厚い霜に覆い尽され、全く管理されていないことは明らかでした。学校という社会は教員の転勤もあり、当事者意識のない教員が多いので、過去の悲しい教訓などすぐに忘れられてしまうようです。