梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

駅伝無用論再び

2015-03-31 14:05:34 | 日記
 私は以前から駅伝有害無用論を唱えて来ましたが、今日ネット上でそれと関連した記事を見つけました。 以下はその骨子となる部分を私が抜粋したものです。

  オリンピックをはじめ、国際大会で日本のマラソンが低迷して久しい。その中で好記録が生まれた背景には、日本陸上競技連盟が始めた再建策がある。昨年4月に始まった「ナショナルチーム」である。

   前田は昨夏の海外合宿で野口みずきらと一緒に練習した。野口の練習量を見て「自分は到底及ばない」とショックを受けたと言う。

   一方の今井は学生時代に箱根駅伝で脚光を浴びたが、その後足踏みが続いていた。 そして久しぶりの好記録は、他の選手たちにも刺激となる。栄光を取り戻すまでの道のりはまだ遠いが、それでも日本マラソン界はたしかな一歩を踏み出した。

   
   また、「駅伝の練習とマラソンの練習は違う。」ともあったのですが、私に言わせれば、専門家と称する人間が雁首揃えて何をいまさら、という気がします。一介の高校教師でさえとうの昔に主張していたことを、陸連のお偉方が今になって言い出すのは、自らの無策ぶりを露呈しているとしか言えません。もっとも、陸上の専門家はそうは考えていないでしょう。ある時専門家が転勤してきたので私が席を譲った途端、その高校の陸上部では駅伝が始まり、夏の合宿では午前中1,500メートルを10本、午後30キロ走などという馬鹿げた練習になってしまいました。これは私が考える練習量の3倍に相当します。

   私は新卒で高等学校陸上部を任せられて以来最後まで、自分の選手たちを駅伝には一度も出場させませんでした。駅伝を走るためにはシーズンオフであるはずの時期に、猛烈な負荷をかけなければなりません。しかも全国高校駅伝は正月に行われるのですから、休養もなにもあったものではないのです。中学・高校・大学・実業団と駅伝を走る続けてしまったら、精神的にも肉体的にも負荷がかかりすぎるのです。

   アメリカでは高校生はシーズンに応じて複数の競技を行うことが慣例となっているそうです。陸上をやるのは春先から夏にかけての3か月くらい。他の時期にはフットボールなりバスケットボールなり、その季節が旬であるスポーツを行います。この方式だと有望な選手を他の競技に持っていかれる可能性はありますが、選手が肉体的にも精神的にも焼き切れてしまうことはないでしょう。

   陸連のナショナルチーム方式は、発想としては悪くはないのですが、「駅伝は陸上競技にとってマイナスである」という意識を徹底しない限り、自分のチームに戻れば元の木阿弥になるのですから、一時的な成果にぬか喜びする羽目になるかもしれません。選手にとっては猛練習をさせられる日数が増えるだけに終わってしまうかもしれないからです。

   更に今度からは、所定の記録を出した選手には高額の賞金が与えられることになったそうです。最高一億円。しかし根本的に発想と練習システムを入れ替えない限り、あまり期待はできません。肝心なところには気が回らず、金で選手をつろうというのは、責任ある指導者がとるべき道ではありません。

   何度でも言いますが、駅伝を廃止しなければ、この先も、有望選手が見えないところで潰されていくという歴史が繰り返されるだけです。 
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ある友達申請について

2015-03-29 17:51:34 | 日記
  彼はこのブログの存在を知らないので、恐らく自分のことが書かれているとは夢にも思っていないでしょう。そもそも私がブログをやっていることなど、特に誰にも知らせていないのですから。

   しばらく前のある日、Facebookに、Y崎という男性から友達申請がありました。どこかで聞き覚えのある名前です。そこでプロフィールを探ってみると、何一つ明確にされていません。何だ、怪しいやつだな、と思ったのですが、なんとなく教え子の一人であるような気がしたので、一応申請を許可しました。

   すると、来るわ来るわ、彼の書き込みが。その数がやたらに多いので、(ということは中身が薄いということでもあります。)他の人の分がどんどん押しやられてしまいす。これはまずいことになったと思いましたが、友達から外すのも気が引けてそのままにしていました。

   書き込みの中身が他の男性たちとは全く異なります。私としては、それでいいの?と言いたいくらい、子供のことと児童書のことしか書いてありません。あまり頻繁に自分の子供のことを載せるので、今やお母さんになっている他の教え子たちの書き込みがかすんでしまうくらいなのです。誰なんだこれは?と、謎は深まるばかりです。

   しかし、そのうちに徐々に彼の正体に近づき始めました。まずは、「昔の先生がやっている本屋さんへ行きました。」という書き込み。それならO山先生という女性の先生であることにほぼ間違いありません。となれば謎の男Y崎は、A足高校の卒業生であるということになります。

   更に数日、彼の記事に対してほかならぬO山先生からの書き込みがありました。これでA足高校の卒業生であることが確定。次は彼の子供たちの年齢から彼自身の年齢を想像しなければなりません。A足高校では3回卒業生を出しているのですが、O山先生の自由選択科目「文学」を受講していることといい、最初の学年であることに間違いは無さそうです。

   卒業アルバムを取り出して、自分のクラス以外の全てのクラスを検索してみました。当時はまだ男女別あいうえお順だったのですねえ・・・。しかし、Y崎君などという名前はどのクラスにも見当たりません。いっそO山先生に問い合わせる?いや、O山先生は教師になって初めてなった担任が私と同じ学年、みんなでソウルまで行ったのに、今や年賀状すら来ない疎遠な中です。いきなりそんなことはしたくない・・・と思いつつ、ふと自分のクラスのページを広げてみると・・・・・・。

   ありました、そこに、温和な笑みをかすかに浮かべて写っているY崎君の卒業写真が。Y崎君は私のクラスでA足高校を卒業していった生徒だったのですねえ・・・・・・。

   児童書の話が多いのは、どうやら彼が現在小学校の教師をしているからのようでした。私は思いました。同業者じゃないか。だったらその旨、消息を別途伝えてから友達申請をすべきだろうと。

   「A足でお世話になったY崎です。現在〇×小学校で先生と同じ仕事をしております。よろしかったら友達申請を受けてください。」

   私が期待しているような手順を踏まなかった彼がまずったのか、彼のことをしっかり覚えていなかった私が悪いのか、責任は微妙なところですが、私としては、はるか昔の教え子が当然のごとくぶっきらぼうに名前だけよこして友達申請するのは礼儀に反するのではないかと思います。皆さんのご意見やいかに。
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「人魚姫」を途中まで見た

2015-03-28 16:20:05 | 日記
四国旅行記を書き上げたら脱力感に襲われてしまい、力のこもった記事が書けないでいます。しかたがないのでこういう時は韓国ドラマ評。

   「人魚姫」という長い長いドラマがあります。かなり前の作品なので、街の景色などは現在のソウルを反映していませんが、中国の店でもこのDVDをよく見かけたので、中国では結構受けていたのではないかと思います。私が持っているDVDも中国語バージョンです。もう吹き替えの声が本来の声以上になじんでしまいました。

   ヒロインの女優はこの作品以外これといった名のある作品はないようです。これが彼女にとってのはまり役であると同時に、はまり役過ぎてイメージが固まってしまったのでしょうか。ストーリーはまず、幼くして父に捨てられた母子が、金銭を与えられてアメリカに追放された後、韓国に戻って来て、その娘が自分たちを捨てた父親に復讐するというお話です。

   母親は学生時代に父親に見初められ、学業を捨てて結婚し、ヒロインが誕生しますが、父親は新進女優との不倫の果て、女優を妊娠させてその責任を取るかのように、母親を捨て、女優と結婚してしまいます。ヒロインは父親に復讐するために、その娘から婚約者を奪うことを企て、これに成功するも、腹違いとはいえ妹が婚約破棄をされて精神に異常をきたしたのを見て、深く後悔し、フランスへと身を隠します。

   しかし盲目の母親が火事で逃げることが出来ず焼死してしまい、一人ぼっち残されたヒロインは自殺を企てるも失敗、結局一度は離れた妹の婚約者の元にすがりつき、結婚してしまいます。

   この作品、ここまでが前半です。そして、「息をもつかせぬ展開」とあるのですが、無意味にゴキブリが登場したり、他の登場人物が急に口がひん曲がってしまったり、幼馴染の男が急に下痢に襲われたり、ボヤ騒ぎがあったり、明らかに契約回数をこなすためにどうでも良い話で水増ししていることがわかります。そのくだらなさは時に液晶に向かって灰皿でも投げつけたくなるほどです。(残念ながら我が家には灰皿がないのです!)

   かくしてヒロインの復讐劇はだらだらと緊迫感をぶち壊しながら続くのですが、後半は一転して「嫁いびり」のホームドラマと化します。しかも、復讐劇よりも、姑と義理の祖母による嫁いびりの方が実に精彩があるのです。私の長い人生を顧みても、そのひねくれた解釈といい、非常に現実味を帯びているのです。男である私は、女性が誰かを激しく憎んだ時の行動を見て、いちいちうなづいています。

   一例を挙げれば、外へ出て働く義父と夫のために、ヒロインは朝飯をそれまでの粥から普通の米飯に変えようとします。姑・義理の祖母・使用人の女性はチームを組んで嫁いびりをするのですが、米飯に変えれば、「米飯でなければ死ぬとでも言うのか!」といびり、あきらめて粥に戻せば、「私たちに気に入られようと粥に戻して、本当に性格が悪い!」とののしります。こういうシーンを見るたびに私は、女性の持つ悪しき一面を切り抜いて展示されたような気がして、「うん、ある、ある!」と、思わず納得してしまいます。正直、復讐劇よりもホームドラマになってからの方が脚本にも精彩があり、リアルでもあるので、鑑賞に堪えるのです。

   ここまでで第112話。ここまで見るのに4年かかりました。私は中国語字幕付きで鑑賞しているのですが、知らない単語が出てくるたびにDVDを止め、その単語をメモし、理解と暗記をしてから次に進むことにしており、各回を10回ずつ見るのでどうしても日数がかかってしまうのです。全248話を鑑賞し終わるのは一体いつの日になるのでしょうか・・・・。おかげで中国語の授業で時々「どうしてそんな単語を知ってるの?」と先生から感心されることもあるのですが。
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「トンイ」を見る

2015-03-26 14:21:36 | 日記
  「トンイ」は韓国ドラマです。うるさい人なら、このドラマを見てから「イ・サン」をみなければならないと、順序にもこだわるかもしれません。賤民の娘から側室に成りあがった「トンイ」の息子が後の国王となる「イ・サン」だからですね。しかし私は「イ・サン」の方を先に見終えていました。いずれにせよイ・ビョンフンという、「チャングムの誓い」を撮った監督の作品であり、流れているものは共通するからです。また、時を同じくして稀代の悪女「チャン・ヒビン」が存在するので、もしかしたらそっちも見ろとアドバイスされるかもしれません。

   この監督の口癖?は、「自分は歴史を歪曲させたことがない。」ということなのですが、それは主として歴史上の人物の生き死にに関わることを言っているのだと思います。なぜなら、話を面白くするために、至る所であり得ない演出をしているからです。

   まず、漢文を読める者が多過ぎます。主人公トンイが漢文を読みこなせるのは物語を成立させる関係上あきらめるとして、町角に立つお触書が常に漢文であり、それを庶民が読みこなしていることがおかしいのです。庶民は李氏朝鮮時代を通じて食うや食わずの生活を送っているのであり、また、漢文を読み書きできることは貴族階級の特権でもあるので、庶民がみんなでお触書を見て騒いでいるなどということはありえません。

   衣服が絢爛豪華であることもこの監督の作品の常ですが、じっくり見ていると、ヒロインが登場する野外シーンでは、実にさりげなく花が咲いているように仕組まれています。どこか無意識の内に朝鮮時代は華やかで美しい時代であったと刷り込もうとしているかのようです。

   そして、この監督の特徴は、個々の作品に特別な位置づけを設定するので、気をつけないとそれが事実であったかのような錯覚に陥ってしまいます。「トンイ」では、賤民の娘が側室になり、後の国王を生むなどする過程を経るのですが、このドラマは実際には「探偵物」です。卑しい身分の娘が立身出世していく経緯はほんの添え物でしかありません。それでも歴史を歪曲させたことはないと言えるのでしょうか。

   日本の大河ドラマでは、大筋において歴史的事実を忠実に追わないと、受け入れられることはまずありません。現在の大河ドラマ「花燃ゆ」は、大河ドラマとは名ばかりの、まるで韓国ドラマのような胸キュンストーリーになってしまっており、大変不評だと聞いています。しかし、この監督はそうした操作・歪曲を得意とし、それが売り物なのです。

   もっとも、その点を頭に入れておけば、「トンイ」はなかなか楽しめる作品に仕上がっているとは言えます。ヒロインを演じたハン・ヒョジュは、この時22歳。健康美溢れる美人でありながら、稀に見る明るさと愛くるしさを兼ね備えています。そのキャラクターがこのドラマの色彩を決定づけています。ハン・ヒョジュが嫌いでなければ、彼女を見ているだけで十分癒されることでしょう。

   ただし、彼女の演技力にはどうしてもクエスチョン・マークがつきます。「チャングムの誓い」においてイ・ヨンエは30歳を過ぎた年齢でありながら、あ、ここは10代の小娘が喜び勇んで駈けていくシーンなのだな、と、見ている者を納得させる演技力がありました。身分が上がり、王の診察をするシーンでは、神々しいまでの美しさと貫録を見せつけていました。

   しかしハン・ヒョジュは、宮中の奴婢である小娘の時代から国王の側室になり、後の国王を出産した後まで、演技の調子は全く変わりません。一貫して明るく元気いっぱいの小娘の演技のままです。息子を生んだ後も、生後二か月の幼児を放り出して宮殿を抜け出して、探偵ごっこに励んでしまうのですから、それでも良いのかもしれませんが、通常年齢が上がったり、まして子供が生まれたりしたら、はっきり人相が変わってしまうものです。その部分を演技の中に反映できていないことは、ハン・ヒョジュの女優としての能力があまり高いとはいえないことを示しています。

   このドラマを見る人には、歴史ドラマとしての期待を捨て、あくまでハン・ヒョジュの愛くるしさを鑑賞しつつ、その上で推理劇として楽しむことをお勧めします
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中国について思うこと

2015-03-25 14:44:09 | 日記
  Kさん、コメント有難うございます。韓国に対しては、国民の間で「正しい歴史認識」が徐々に行きわたりつつあるようにも見えますが、中国に関しては、なかなか浸透しにくいようです。私が現在、一番「違うだろう?」と思っているのは、中国は経済的に行き詰まり、国民の間の格差が広がってもいるので、近々崩壊するだろうという見方です。著名な人たちがこぞってそういう見解を書物に著わしています。

   確かに歴史的に見れば、それぞれの王朝末期に世の中が不安定になると、盗賊の大将や資産をため込んだ塩商人などが担ぎ出されて反乱を起こし、前の王朝を滅ぼして新王朝を作るということが繰り返されて来ました。漢王朝の始祖である劉邦などはどちらかというとごろつきに近い人間でした。国民の不満が募れば同じことが起こるというのが大方の見方なのですが、本当にそうでしょうか。

   20世紀初期までは、中国において一般国民と軍隊の間には、火力の差がそれほどありませんでした。大砲や銃が入って来ていたといっても、すべての兵士がそれを使えたわけではありません。清の兵隊などは、青竜刀を振り回すのがせいぜいといったところです。西洋式の軍隊が銃を撃つのに対抗してどんな手を打ったかは有名ですね。

   もっとも世界史の教科書にはそこまで書いてはいないので、もしかしたらご存じない人の方が多いのかも知れませんが、特殊な拳法を習得すれば敵の弾は当たらないといって拳法の修業に励んだり、女性の尿には魔力があると信じて、それを溜め込んだ木の桶をずらりと並べてみたりしていたのですから、清朝までの王朝の武器はたかが知れています。財力のある人間が武器を大量に買い込んで武装すれば、人数が集まりさえすれば、正規軍とも互角以上に戦えたわけです。

   しかし現在はどうでしょう。共産党の軍隊は天安門に終結した民衆を戦車でひき殺して見せました。国民は反乱を起こそうにも、戦車もなければ軍艦もなく、航空機も手には入りません。なおかつ中国には国の軍隊というものはなく、すべて共産党の軍隊なのです。この状況で簡単に支配者と被支配者の立場がひっくり返るとは思えないのです。現在の中国は、一見不安定に見えて、実は大きな構造としては揺らぐことなく、上層部で権力闘争があるというだけの話ではないでしょうか。

   そんな中国に潰されないために行動を起こしたのが現安倍政権です。しかし現状では安倍首相が中腰に立ち上がっただけで、軍国主義復活とか、徴兵制になるとか言って大騒ぎする人たちが足を引っ張っています。ひどい教師になると、安倍首相は君たちを強制的に徴兵するつもりだから支持してはいけないと教え込む教師さえいる始末です。

   少なくとも、これまでのように毎年首相が変わってしまうようでは、一貫した外交姿勢を貫くことはできません。私は小異を捨てて大同につき、安倍首相を盛り立てていくことが今の日本にとっては最善の道なのではないかと思っています。
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