日常的に愛読され、昨日も360名を超える方が読んでくださった記事は、「定年後にやってはいけないこと」でした。この傾向から察するに、私のブログを読んでくださる方は、かなりの年齢の方ばかり?なのでしょうか。
ここまでかなり遠回りして来ましたが、今日は、より具体的な問題点に入りかけます。
以前勤めていた高校で一人の若手教員が実に愚かな提案をして来ました。いきなり英語科の先生方を呼び集めて、途方もない提案をしたのです。そもそもろくな経験も無い若造が大先輩を招集して分かったような口をきくこと自体許せなかったのですが、そこはぐっとこらえて聞くだけは聞いてやりました。
曰く、本校の進学率を上げるためにはもっと英語の授業時間を増やす必要があるので、それを提案する、というものでした。なぜかあまりに善良で、あまり深く物を考えようとしない皆さんだったので、彼の提案を生かす方向で会議が進みそうになったのですが、私は一刀両断、切り捨てました。
「それでは私たちの受け持ち時間数が増えてしまう。忙し過ぎて授業の中身が薄くなってしまうだけだから、駄目だ。」
中学校の英語の教科書は内容が厳選されており、どの教科書を選択しても、ほとんど変わりません。また、英語そのものが簡易なもので書かれているので、何年か教えれば後はいかにして授業中生徒の緊張感を維持し、集中力を絶やさせないかにエネルギーが注がれます。教材研究そのものにかける時間数は高校と比べて圧倒的に少なくて済むのです。
高校では先生もたまに意味が取れずに行き詰ってしまう事さえあります。私が高2の時の英語の先生は外語大出身の方でしたが、授業中突如思考停止状態に陥り、説明不能となってしまいました。ある部分の意味が理解できなくなってしまったのです。おそらく予習の段階では何気なく通り過ぎた部分なのに、いざ授業で教えようという段になって、うまく説明ができず、パニック状態に陥ってしまったものと思われます。(その時は生意気にも不肖私が教壇に駆け寄り、自分が考えた意味を提示したところ、先生も納得して下さり、難を逃れることが出来たというオチがついています・・・。)私も授業中それに近い状態になった経験があります。
彼が一番理解していなかったこと、英語の授業を増やせばその分だけ他の教科の授業時間数を削減しなければならないということでした。そんな足し算引き算もできないような人間の提案にのる訳にはいきません。更には生徒の負担が重すぎて、授業について来られなくなる生徒が続出するという問題も、彼の頭では思いが至らないようでした。やらせればやらせるだけ成果が挙がるというものではなく、やらせた分だけ英語嫌いになり、負担に耐えかねて落第する者さえ出るのです。当時落第は中退と直結していました。
当時私は担任をしていた学年の生徒の中から希望者だけを集め、進学向けの補習をしていました。自らやりたいという気持ちがあること、それが語学の上達には必須の条件です。私の中には全生徒に対して強制的にやらせるという選択肢はありませんでした。なおかつたったこれだけの努力で、私が受け持った学年は毎回前年の進学実績に対して倍以上の結果を残していたのです。私は独力でこうした実績を挙げていたので、いまだ自分では何の成果も挙げていない若者が全員に呼びかけるという傲慢さに許しがたい怒りを覚えました。
英語に限らず外国語の学習に当たっては、何よりもまず当人がそれを学習する側の動機づけが最重要です。自分自身の中に英語を学習する動機というものが元々存在しない段階で強制的に英語を教え込もうとしても無駄です。子供たちは右から左へと忘れていきます。そして、これまでは中二位で英語嫌いになっていった生徒たちは、小二位から英語嫌いになり始めることでしょう。
私は中学校を卒業後、高校の入学式までの間のある日、中学校の英語教科書の復習をしてみたことがあります。一年生の教科書の第1ページ目から声を出して順に読んでいきます。結果、テキストの本文を全て音読し終わるのに1時間半しかかかりませんでした。中学校の3年間で学ぶ英語の量など、たかが知れているのです。しかしそれでも沢山の落ちこぼれが出ます。商業高校を受験する生徒たちなど、入試で50点も取れないのが当たり前、60点台なら学年一位になっている可能性があります。
中学校のテキストでこの程度の量なら、小学校6年間での量はどれくらいになるのでしょうか。学習指導要領というものがありますから、小学校の英語の授業では中学校の英語の授業を超えるレベルの内容は教えることが出来ないことになります。それを6年かけて教えた質と量はいかほどのものになるのか。
これには実証データがあり、小学校で英語を学んだ経験を持つ子供たちと、中学校で初めて英語に触れた子供たちとの間の実力差は、あっという間に埋まってしまい、早期に英語の学習を開始した子供たちの優位性は特にないということがわかっています。日本語能力も未発達な小学生が学べる英語の水準は、実はたいしたことがないのです。日本語もおぼつかない子供たちが身に着けられる英語の質と量は、実にたかが知れているからです。
本日の結論は、「小学生から英語の学習を初めても、実はほとんど意味が無い」ということです。
ここまでかなり遠回りして来ましたが、今日は、より具体的な問題点に入りかけます。
以前勤めていた高校で一人の若手教員が実に愚かな提案をして来ました。いきなり英語科の先生方を呼び集めて、途方もない提案をしたのです。そもそもろくな経験も無い若造が大先輩を招集して分かったような口をきくこと自体許せなかったのですが、そこはぐっとこらえて聞くだけは聞いてやりました。
曰く、本校の進学率を上げるためにはもっと英語の授業時間を増やす必要があるので、それを提案する、というものでした。なぜかあまりに善良で、あまり深く物を考えようとしない皆さんだったので、彼の提案を生かす方向で会議が進みそうになったのですが、私は一刀両断、切り捨てました。
「それでは私たちの受け持ち時間数が増えてしまう。忙し過ぎて授業の中身が薄くなってしまうだけだから、駄目だ。」
中学校の英語の教科書は内容が厳選されており、どの教科書を選択しても、ほとんど変わりません。また、英語そのものが簡易なもので書かれているので、何年か教えれば後はいかにして授業中生徒の緊張感を維持し、集中力を絶やさせないかにエネルギーが注がれます。教材研究そのものにかける時間数は高校と比べて圧倒的に少なくて済むのです。
高校では先生もたまに意味が取れずに行き詰ってしまう事さえあります。私が高2の時の英語の先生は外語大出身の方でしたが、授業中突如思考停止状態に陥り、説明不能となってしまいました。ある部分の意味が理解できなくなってしまったのです。おそらく予習の段階では何気なく通り過ぎた部分なのに、いざ授業で教えようという段になって、うまく説明ができず、パニック状態に陥ってしまったものと思われます。(その時は生意気にも不肖私が教壇に駆け寄り、自分が考えた意味を提示したところ、先生も納得して下さり、難を逃れることが出来たというオチがついています・・・。)私も授業中それに近い状態になった経験があります。
彼が一番理解していなかったこと、英語の授業を増やせばその分だけ他の教科の授業時間数を削減しなければならないということでした。そんな足し算引き算もできないような人間の提案にのる訳にはいきません。更には生徒の負担が重すぎて、授業について来られなくなる生徒が続出するという問題も、彼の頭では思いが至らないようでした。やらせればやらせるだけ成果が挙がるというものではなく、やらせた分だけ英語嫌いになり、負担に耐えかねて落第する者さえ出るのです。当時落第は中退と直結していました。
当時私は担任をしていた学年の生徒の中から希望者だけを集め、進学向けの補習をしていました。自らやりたいという気持ちがあること、それが語学の上達には必須の条件です。私の中には全生徒に対して強制的にやらせるという選択肢はありませんでした。なおかつたったこれだけの努力で、私が受け持った学年は毎回前年の進学実績に対して倍以上の結果を残していたのです。私は独力でこうした実績を挙げていたので、いまだ自分では何の成果も挙げていない若者が全員に呼びかけるという傲慢さに許しがたい怒りを覚えました。
英語に限らず外国語の学習に当たっては、何よりもまず当人がそれを学習する側の動機づけが最重要です。自分自身の中に英語を学習する動機というものが元々存在しない段階で強制的に英語を教え込もうとしても無駄です。子供たちは右から左へと忘れていきます。そして、これまでは中二位で英語嫌いになっていった生徒たちは、小二位から英語嫌いになり始めることでしょう。
私は中学校を卒業後、高校の入学式までの間のある日、中学校の英語教科書の復習をしてみたことがあります。一年生の教科書の第1ページ目から声を出して順に読んでいきます。結果、テキストの本文を全て音読し終わるのに1時間半しかかかりませんでした。中学校の3年間で学ぶ英語の量など、たかが知れているのです。しかしそれでも沢山の落ちこぼれが出ます。商業高校を受験する生徒たちなど、入試で50点も取れないのが当たり前、60点台なら学年一位になっている可能性があります。
中学校のテキストでこの程度の量なら、小学校6年間での量はどれくらいになるのでしょうか。学習指導要領というものがありますから、小学校の英語の授業では中学校の英語の授業を超えるレベルの内容は教えることが出来ないことになります。それを6年かけて教えた質と量はいかほどのものになるのか。
これには実証データがあり、小学校で英語を学んだ経験を持つ子供たちと、中学校で初めて英語に触れた子供たちとの間の実力差は、あっという間に埋まってしまい、早期に英語の学習を開始した子供たちの優位性は特にないということがわかっています。日本語能力も未発達な小学生が学べる英語の水準は、実はたいしたことがないのです。日本語もおぼつかない子供たちが身に着けられる英語の質と量は、実にたかが知れているからです。
本日の結論は、「小学生から英語の学習を初めても、実はほとんど意味が無い」ということです。