梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

脱糞の話

2017-06-30 10:18:52 | 日記
  昨日書いた「うんこ」の話で思い出したことがあります。

   アメリカの総合格闘技の試合で、女子選手同士戦っている内に絞め技ががっちり決まり、絞められていた選手がリング上でお漏らし(大の方)をしてしまったという記事がありました。記事では脱糞にしか触れていませんでしたが、間違いなく同時に膀胱が空になるまで失禁もしていたはずです。公衆の面前でお漏らしした選手の気持ちはいかばかりだったでしょうか。

   翌日その選手はSNS上で心境を綴り、だから何?私はまた試合に出るわ!と開き直って見せたそうです。その意気や良しとせねばならないでしょう。審判としては絞められている選手がタップしない限り試合を止めにくいとはいえ、そこを見切るのがプロの腕の見せ所だと思うのですが、どんなものなのでしょうか。

   その記事を読んで私は、若くてイケメンだった?高校時代、自習監督に来た先生の話を思い出しました。武道合わせて18段、いかなる生徒もたてつくことが出来ないという風格の持ち主だったのですが、若い頃やはり絞め技を食らって失神し、柔道場で「大・小垂れ流しよお・・・・」という経験をされたそうです。怖い怖いとばかり思っていた先生が実に情けない経験を率直に話されたので、一気に親近感がわいたことを覚えています。

   当然のことですが、絞首刑や首つり自殺でも同じことが起こります。魂というものが存在するのなら、体を離れて空中から情けない姿になった自分を見て、どう感じるのでしょうか。こればかりは経験者から話を聞くことも出来ず、自ら試してみる訳にもいきませんので、何とも言いようがありません。

   いや、死ぬまでも無く、酒の上の失敗でも同じことが起こります。しばらく前に、新宿歌舞伎町の歩道で酔っ払って眠り込んでしまったミニスカ姿の女子大生が、たっぷりと脱糞していたという事件がありました。この姿はネットで全国に知らされてしまったようでした。こんな姿を撮影してネットに載せる人間も趣味が悪いとしか言いようがありませんが、そもそも若い娘が歌舞伎町なんかで深酒をするということも、古い人間の私には信じられません。

   あれこれ考えてみますと、まあそういう訳なので、死刑判決を食らうような殺人はしないように、またどんなにつらい時も、首つり自殺などしないように、調子に乗って飲み過ぎたりしないように、是非心掛けたいものです。

くたばれ「うんこ漢字ドリル」

2017-06-28 14:28:31 | 日記
   中国語個人レッスンLilian。2月から開始して、既に3冊目のテキストに入りました。自分でテキストを指定したのですが、実際に開始してみると、東亜学院のテキストでは扱わない実用的な語句のオン・パレード。もはや片手間では済まなくなってしまいました。

   中国語を学んでいると、当然ながら数字以外は全面的に漢字で書かれています。何しろ漢字というのはもともとが「絵」なものですから、アルファベットを主体とする現代社会では、極めてまれな文字です。馬とか亀とか山いう文字を見ると、こればもともとは絵から出発した文字であることがなんとなくわかりますね。凸とか凹になると、もはや絵そのものではありませんか。

   そんな背景を持つ漢字ですが、最近「うんこ漢字ドリル」というものがついに完成し、当用漢字をほぼ網羅しているとのことです。教育評論家でさえ中にはこのドリルを絶賛している人がいるとか。とにかく小学校一年生から六年生の間に習得すべき3,000ほどの漢字のすべてを「うんこ」と関連付けて学習させようというのですから、このドリルを作成した人の努力には頭が下がります。

   頭が下がりますが、しかし、これは明らかに間違ったやり方です。これは要するに「漢字を覚えさえすりゃいいんだろう!」という大変乱暴なやり方であり、極端な言い方をすれば文化に対する破壊行為だとも言えます。掲載されている例題を見てみると、

   あやまりながらうんこをするから(せい)意が伝わらないんだ。
   
   一人前のうんこができるように(せい)心誠意努力します。

などというものがありました。これがいかにくだらない出題であるかは、解説を要しないと思いますが、問題は、「うんこ」と「誠意」の間には何の関係もないこと、「一人前のうんこ」というものが意味不明であること、「うんこ」をするのに「誠心誠意努力する」のか、という、根本的な文脈の問題があるのです。

   国語を学ぶ上では、どの単語をどういう文脈で使うのが正しい用法であり、美しい日本語を覚えることになるのかという点を忘れてはなりません。しかしこの問題集では一つの漢字につき例題が3つずつ用意されているので、3,000の漢字を覚えるために、9,000もの支離滅裂な、「うんこ」がらみの日本語の文章に接することになります。それが国語教育として望ましいことなのか、よく考えていただきたいものです。

   このドリルで漢字を学習した皆さんは、それぞれの漢字が持つ歴史的背景、情緒、語感、組み合わせといったものを離れて、すべてが「うんこ」と結びついてしまうことでしょう。漢字をたくさん覚えたことと引き換えに、漢字という文化が持つ大切なものを捨て去ることになるのです。

   彼らが成人した暁には、こんな光景が見られるかもしれません。若い者が集まっての宴会の席上、期せずしてクイズ大会になります。誰かが、「あやまりながらあ!」と上の句?を言うと、全員一斉に、「あやまりながらうんこをするから(せい)意が伝わらないんだあ!」と叫びます。
誰かが課長の説教の口真似をするとすかさず、「一人前のうんこができるように(せい)心誠意努力します!」という合いの手が・・・。おそらく彼らはたくさんの文章を一生忘れないことでしょう。

   それに、それにですよ。小学校一年生か六年生までに習う漢字のドリルなんだそうです。一年生か二年生ならまだいいでしょう、五年生とか六年生にもなって、「うんこ」と関連付けて漢字を勉強するなんて、もはや教育とはかけ離れた世界ではありませんか。特に五年生・六年生ともなれば、女子は自分たちの体について学習し、実際に月のものが始まっている子がたくさんいるはずです。そんな女の子たちが「うんこ」で漢字を学習するのでしょうか。この「うんこ漢字ドリル」なるものが、世の中に定着しないで終わることを切に願うものです。

これからはグローバル社会になるのだそうですが、いっそ「うんこ英単語ドリル」でも開発された方が少しはましなのではないでしょうか。

「死を呼ぶいじめ」について

2017-06-24 13:43:21 | 日記
   先日放送された番組で、こんなことがあったそうです。まずそのいきさつから。

「番組では、茨城県取手市で発生したいじめ自殺を取り上げた。当時、中学3年生だった女子生徒が2015年11月に自殺した件について、同市教育委員会はいじめの存在を否定。「重大事態」にあたらないという判断を当初は下していた。

ところが、先月30日になって教育委員会はかつての判断を撤回。教育委員長らが女子生徒の両親に直接謝罪している。

一連の自体に対し、藤田は「いじめた側の子たちが一生罪悪感を背負っていかなきゃいけなくなっちゃう」と、いじめ加害者の今後を心配した。そして、高校に進学しているであろう加害者たちについて、「ネットで犯人探しとかあるんじゃないかなと、すごく心配です」と漏らした。」

   これを読んで、私はこんな風に感じました。

   いじめというのは、やっている本人たちにとっては、この上なく楽しいものです。「よーし、今日も張り切って登校して、あいつを思い切りいじめてやるぞー!」

   いじめられる側の子にとっては、この上なくうっとうしいものです。「今日もいじめられに学校へ行くのかあ・・・。死んだ方がましだなあ。」

   公立を選ぶ限り、小学校・中学校と、いじめっ子には、同じいじめられっ子が、もれなく付いて来ます。いじめっ子にとって、こんなおいしい話はありません。先生に言葉で注意されるくらいの代償は、屁でもありません。

   以前、「死を選ぶくらいなら、いっそいじめる相手を殺してから死ね!」と無責任な事を書き込んで、いじめられっ子を激励したつもりになっている人がいました。大人もこんな調子だから、いじめられっ子が救われることはまずありません。多くは、耐えて耐えて耐えて耐えて耐え抜いて、卒業までひたすら耐え抜いて、いじめっ子とおさらば出来る日が来るまで、じっと辛抱するのです。

   不幸にして辛抱しきれないほどのいじめを受けてしまった子は、心の糸がぷつんと切れてしまって、死を選びます。いじめっ子は恐ろしいまでに辛抱強いので、実際に自殺してしまうまで、周囲の人間には置かれていた悲惨な状況を想像することが出来ません。

   そんなわけですから、いじめっ子の方の心配をするのは、とんだお門違いです。「あんなんで死んじゃうのかよ!」と笑っていたというのは、確かこの件の話だったはずです。藤田ニコルも、そこそこに影響力があるタレントなので、厳に口を慎めと言っておきたいと思います。一方元AKB48の初代総監督高橋みなみ・・この子は余りにも期待通りの模範解答を書いてしまう子ですが、藤田ニコルのような不用意な発言はしませんね。さすがというべきでしょうか。

「いじめ」と呼ぶしかない例をいくつか挙げておきます。。他にも金銭を脅し取られたり万引きを強要されたり、様々な例がありますが、ここでは私が見て来た、責任を持ってあげられる例だけにしておきます。


① 成績優秀な男子を4,5人で手足を持って持ち上げ、せーの!で二階の窓から放り捨てる。(これは雪国の冬のお話ですが。)
② 二階の教室で、男子を女子の見ている前ですっぽんぽんにひんむいて、衣類を全部窓から放り捨て、大急ぎで走ってそれを取りに行くのをみんなで眺めて楽しむ。
③ 「いんきん」がないか確かめてやると言って、成績が一番の男子を教卓の上に立たせ、皆の前でズボンとパンツを脱がせる。
④ 集団でトイレに引きずり込み、無理やり和式トイレの便器に顔を突っ込ませて、便器の中の水を飲ませる。(ほとんど文革時代の中国並み。これをやるのは例外なく、女子。)

これらが一過性のものではなく、継続的に繰り返されたなら、よほど神経の太い子でない限り、とことん精神的に追いつめられると思います。更に、こうした虐待を加えると、いじめている最中のいじめっ子の脳内には快感を感じさせる物質が分泌され、徐々に同じ刺激では物足りなくなるので、どんどんいじめ方がエスカレートしていき、ついには人間として耐えられる限界値を超えてしまった時、悲劇が起こるのだと思います。

いじめっ子には、麻薬患者のような治療が必要だと私は考えています。 






甘くはない「女教師と男子生徒の恋愛」

2017-06-21 14:23:41 | 日記
   これは明るみに出ることなく葬り去られた、ある女性教師と男子生徒のお話です。従って、完全な伝聞です。しかし、本人が発したある一言から、この話が単なる作り話ではないと信ずるに足るものがあります。

   ある年、ある高校で、若い新卒の女性教師が赴任して来ました。一年の見習い期間を経て二年目にクラス担任を受け持つことになり、職員室での座席が私の隣となりました。その女性教師がある日何気なく発した言葉・・・

「私は、教え子と結婚しますから。」

   まだ初々しい、若さあふれるこの女性との雑談に際して、結婚に話が及んだ時の何気ない一言でした。私はその時は冗談だと思い聞き流していました。しかしその後、別の女教師から、こんな話を聞かされたのです。仮にこの若い女教師を、Aさんとしておきます。

   曰く、Aさんは三年生のある男子生徒と交際していたが、ある日自分から一方的に彼に別れを告げた。元々は成績優秀で、将来を嘱望されていた男子生徒が、突然勉強も手につかなくなり、成績も一気に下がってしまった。悲しみに打ちひしがれているのを見かねた保護者が問い詰めたところ、かの女教師Aさんとの交際と、破局について知らされたとのこと。このままでは自殺の恐れさえあると感じた母親は、怒り心頭に達して校長室に乗り込み、ありのままの事実を伝えて怒りをぶちまけたために、上層部ではこの事実を知ることとなった。恐らくは平謝りに謝罪して事を収め、Aさんはベテランの女性教師からこんこんと諭されたという話だった。

   これは現在なら全ての高校の職員室にこの事実が掲示され、本人も最低でも減俸数か月、半年間の研修位はまぬかれないところです。しかし、この間もAさんの態度には何の変化も無く、平然と仕事をし、私とも普通に快活に話をしていたので、人づてに聞かされなければ、そんな事実があったことなど知る由も無かったでしょう。恐らくは全くこの事件を知らないままの人たちが殆どだったのではないかと思います。特に男性教師たちは、まず知ることのないまま終わった事件だったはずです。

   それからどれくらいたったころでしょうか、今度は女教師Aさんの状態に、顕著な変化が生じる日がやって来ました。職員室で自分の席に座っていても、ただ茫然としているばかりで、表情にも生気が感じられません。これで授業をまともにやれているのか、見に行きたくなるくらい、魂が抜けた状態でした。私を始め周りの教師(周囲は男性ばかり)達も、まあこれは失恋したに違いないと考え、ひたすらそっと見守っていました。

   彼女の喪失感はひと月ほどで和らぎ、また元の快活な性格がよみがえって来たのですが、問題は彼女が失恋した相手は一体誰だったのかというところにあります。実は私ともう一人の男性教師は、その相手が誰であるかについて、ほぼ確信を持った心当たりがありました。

   相手は、私が一年生の時に担任していた、Bという生徒で間違いないと思われます。この生徒と交際していると気づいた時、私はある事実を彼女に告げるべきかどうか少しだけ迷ったのですが、あまり他人が介入すべきでもないと考え、放置してあったのです。実はこのBという生徒は、とある事務所に所属しており、セブン・イレブンのコマーシャルにピンで出演したこともある、ちょっとイケメンな男子でした。ただし、一年生の二学期に、学年を揺るがすような大事件が発覚した時、彼もその渦中にあり、無期停学処分を受けていたのです。

   事件というのは、成績不良のため留年して下りて来ていた一人の男子が、渋谷の不良団体から上納金を要求されており、この男子が一歳年下の同学年の男子を集め、県境を超えて埼玉県まで出張して、中学生を相手に暴行恐喝を働いていたのでした。中には角材を口の中に突っ込まれた中学生もいたという話で、手口の悪質さに、主たるメンバー4名が退学、11人が無期停学になったという、私がその高校に在職していた期間に起きた事件としては最大規模、最悪の事件でした。

   Aさんはそんなこととは露知らず、恐らくは彼のイケメンぶりにほれ込んでしまったのではないかと思いますが、とにもかくにも彼の方から別れを告げられ、二人は破局を迎えました。それにしても、自分が別れを告げた相手の男子が自殺しかねない状況に至っても実に平然と過ごしていたAさんが、自分が別れを告げられた時には立ち直るのに一か月を要したというのは、人間というものがいかに身勝手なものであるかを思わせて、少なくとも私個人は、悲しくなります。

   後に別の高校で、副校長が生徒との交際を戒めて行った言葉が思い出されます。

   「うまく行っている間はいいんですよ・・・。でもね・・・・。」

   それでも、女教師対男子生徒という組み合わせの場合には、あまり大事にはならないようです。男性教師対女生徒という場合には、このように、霞のように恋が消えて行くということにはならない場合も、あるということです。

甘くはない「教師と女生徒の恋愛」

2017-06-18 12:08:52 | 日記
   昨日の話題からの流れで、教師と女生徒の恋愛について述べてみたいと思います。どこまで書いて良いものやら分かりませんが、判断は読まれた方にお任せするという事で、いくつかの事例を上げてみたいと思います。必ずしもピュアなものばかりではありません。念のため。

   とある高校に、東大での新人教師が赴任して来ました。それほど女生徒一般の人気を集めたようには見えませんでしたが、彼にすっかり熱を上げ、毎日昼休みごとに教科の準備室にやって来るようになった女生徒がいました。単独で通うほどの大胆さを持ち合わせていなかった彼女は、仲良しの同級生を誘って、二人で通い詰めていました。先生の方もどちらが本命でやって来ていたのかは、十分分かっていたと思うのですが、卒業と同時に事態は大転換しました。付き添いで来ていたはずの子が猛烈なアタックをかけ、男性教師をゲットしてしまったのです。

   この子の父親というのが学歴というほどのものがなく、叩き上げで自営業者として成り上がった人でしたので、娘が選んだ彼氏が東大出というだけで反発し、なかなか結婚の許可が下りませんでした。しかし彼がおそらく誠実に応対し続けたのでしょう、最終的には結婚し、幸せな生活を送るはずでした。しかし、世の中、そううまい話ばかりはありません。相手の女性は、親友を裏切ってでも、お目当ての男性をものにしたつわもの、性格も男勝りだったのです。

    大学には進まず結婚生活に入った彼女は、就職して働いていたのですが、とにかく帰宅が遅く、ぐでんぐでんに酔っ払って帰って来ることもしばしば。問わず語りに彼が語ったところでは、帰宅した途端玄関で倒れ込んで熟睡してしまうので、彼がその場で服を脱がせ、寝間着を着せてベッドまで運んで寝かせてやるということが何度もあったとのことでした。釣った魚に餌はやらないというのは、一般的には男性側のセリフですが、この場合は完全に立場が逆転していたのでした。

   結局二人は離婚し、彼の方は趣味か何かの集まりで知り合った女性と再婚したということを風の便りに聞きました。今度は最後まで無事添い遂げられるよう祈るしかありません。彼もぼちぼち定年を迎えるはずですが、今はどうしているのでしょうか。

    親友に裏切られた女性が人間不信に陥っていなければ良いのですが・・・。