梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

寄付

2015-11-29 19:43:55 | 日記
   先日一宮プロレスという団体の方から友達申請があり、私もこの団体の存在は知っていたので、快くこれを受けました。。収益のために営業するプロレス団体というわけではなく、孤児院のために活動するような福祉的な団体のようだったので、これを受けたのです。
   
   間もなく時を経ずして、孤児院のためにプロレスをやり、子供たちにお菓子を配るので寄付を募るという公布がありました。孤児たちのために活動するのはとても良いことですから、私も貧者の一灯となり、それに一口乗ろうと思ったが、考えた末、やめてしまいました。

   なぜなら、寄付路募る文章の中に、一口一万円とあったからです。私はしがない年金生活者ですが、意義あることのために、乏しい年金の中から一万円を供出するのにやぶさかではありません。しかし、一万円あったらどれだけ菓子が買えるでしょうか。こういった場合、高級な菓子ではなく、うまい棒とか、庶民的な菓子を何種類か袋詰めして配るはずです。

   しかし、庶民の浄財を集めるのに一口一万円?いくらでもいいからできる範囲で寄付をお願いしますと言うのでなければ、いかにも美しくないではありませんか。それが寄付を募る人の心根というものでしょう。

   この文をダイジェストしたものをFacebook上にも載せました。一応友達申請を受けたので、一宮プロレスの方もこれを読むことになるだろうと思います。読んだら、少し考え方を改めてもらえればと思います。はっきり言いますが、一口一万円と書いてなかったら、私は最低でも一万円以上の金額を寄付していただろうと思います。しかし、少々頭が高いんじゃないか?そんな気がして寄付は取りやめてしまいました。

   恐らく、他にもそんな人がいるのではないでしょうか?また、後で寄付を募る対象として友達申請して来たのなら、それでは心根が少々寂しいと感じてしまいますね。

愛KARA,反韓

2015-11-28 17:37:37 | 日記
[元朝日新聞記者で従軍慰安婦報道に関わった植村隆氏(57)が北星学園大(札幌市)の非常勤講師を辞任し、来年3月から韓国の私立「韓国カトリック大学校」に招聘教授として就任することが26日発表された。]

   ということで、とある方が、怒りを込めた長文を投稿されていました。植村氏といえば、いわゆる従軍慰安婦の存在について大々的に虚偽の記事を朝日新聞に書き、その後の日本の立場を危うくするとともに、永遠に韓国からゆすりたかりを続けられる大元を作った人物として悪名高い人です。

   以前にも書いたかと思いますが、現在日本には少女時代のファンが書き込みをするサイトと、KARAのファンが書き込みをするサイトの2大サイトがあります。少女時代ファンのサイトには、一切反韓的な書き込みはありません。一方、KARAファンのサイトには、熱狂的な書き込みと同時に、反韓的な書き込みが、時として集中的に行われることがあります。なおかつ、それを行っているのが日頃KARAを愛してやまないファンであることが特徴です。韓国のアイドルであるKARAの熱狂的ファンであることと、反韓ということが、見事に成立しているのが実に興味深い現象ではないでしょうか。かくいう私もKARAファンであり、反韓です。

   この方は、いつもヨンジの写真を飾った書き込みで、KARAへの愛を熱く語って来た人です。その人が植村氏についてどう書いているか、以下に全文を掲載してみましたので、よろしければご一読ください。


元朝日新聞記者で従軍慰安婦報道に関わった植村隆氏(57)が北星学園大(札幌市)の非常勤講師を辞任し、来年3月から韓国の私立「韓国カトリック大学校」に招聘教授として就任することが26日発表された。

 昨夏、朝日新聞が慰安婦報道の誤報を認め、関連記事を取り消した。慰安婦問題の発端となったのが1991年の植村氏の記事で、週刊誌等で「捏造」などと批判されてきた。

 植村氏は昨春、朝日新聞を希望退職し、同大の非常勤講師になった。保守系言論人やネット住民を中心に植村氏の責任追及の声が上がり、同大には脅迫電話や抗議文が届いた。会見した植村氏は「卑劣な攻撃に耐え、これまで雇用を守ってくれた大学には感謝している。『捏造記者』というでっち上げに対する戦いは言論と法廷の場で続く」と語った。

 著書「ヤクザと妓生が作った大韓民国」のインタビュー・構成を担当した但馬オサム氏はこう語る。

「落ち着くところに落ち着いたというのが正直な感想です。韓国では彼らの歴史観に迎合し歴史問題等で日本を叩く、日本の学者やジャーナリストを『良心的日本人』と呼びます。この言葉には、日本人の知識人の中にあって数少ない良心の持ち主というニュアンスがあります。慰安婦問題のたき付け役の一人である植村氏はまさしく理想的な『良心的日本人』なのでしょう」

 植村氏は韓国留学経験者で韓国語が堪能。夫人も韓国人で、大学では韓国人留学生相手に韓国語で講義をしたという。その意味で韓国行きに関しては何の問題はないはずだ。

 但馬氏は「彼のケースをきっかけとして、日本で食いっぱぐれた『良心的日本人』学者、ジャーナリスト、元議員の韓国の大学への天下りに拍車がかかるでしょう。高齢の村山富市元首相(91)、お金持ちの鳩山由紀夫元首相(68)の教授就任は考えられませんが、それ級の『良心的日本人』の一本釣りも狙ってくる可能性も大いにありえます」と指摘。植村氏は新たな韓国への転身ルートを開拓したともいえそうだ。



日本人のイメージを地に堕としといて被害者ぶるこの厚かましいじじぃ

二度と日本の地を踏むな怒パンチ!

鳩山もついでに連れてってくれないかな

終わってます、これじゃ。

2015-11-26 15:00:28 | 日記
  平安女学院大学こども教育学部(大学名も頼りないが、特に何ですか、この幼稚な学部名は。こんな学部に根性のある学生が入って来るとは思えないのですが?)で、教員志望の学生向けに「教師塾」が開かれたそうです。ここでのテーマは、「教育公務員の服務規律」。要するに先生になったらこういうことをすると処罰の対象になるという事項を、採用試験にまだ受かってもいない学生たちに教え込むという内容です。教師に必要なのは、そんな些末な知識ではありますまい。そんなことは後からいくらでも教えることができます。

 参考までに付け加えておくと、かつて私が勤務したある高校は、5科目で400点を超えないと入学できないというそこそこの学校でしたが、学級崩壊しているクラスもありました。授業が成立せず、英語の時間なのに生徒が書道の宿題をやっていたりする場合もありました。これは、まさに私がいうところの、生徒に対する「愛情の持ち方」と生徒の「締め方」を身に着けていない教師が何人かいたからです。

   大事なのは教師としての生徒に対する「愛情の持ち方」と生徒の「締め方」。前者が無ければ生徒はついて来ないし、後者が無ければ結局は頼りにされなくなり、信頼されなくなります。そして、最も難しいのがこの二つなのです。これは、持って生まれた性格とも関連性があるからです。教科については、採用試験で実力を測れるわけで、教え方などはやっている内に生徒からの反応をきちんと受け止められる人なら(それも難しいと言えば難しいですが)自ずと身に着くものです。

   ただでさえ教員志望者が減り、質の低下が懸念されているというのに、真っ先に教える内容がこれでは日本の教育はお先真っ暗ですね。


教員採用試験倍率最低

2015-11-25 14:13:30 | 日記
   今朝の新聞報道に教員採用試験の倍率が15年前の3分の1に減少したということです。企業就職を希望する大学生はリクルート・スーツに身を固め、何十社も会社亜訪問を繰り返してようやく第二志望第三志望の企業に就職できるという時代、倍率がたったの3倍程度の教員採用試験、実に希望が持てる、と言いたいところなのですが・・・。

   実は教員志望者も、事前にかなりの準備が必要な時代となっており、どこかで教員の補助的なボランティアを経験するなど、エントリー・シートに自分が教員になるためにいかに熱心に誠意を持って準備を重ねて来たかを記入する欄があったりして、豪放磊落な生活を送った学生が4年生になってから教職試験の準備を始めたのではなかなか難しい時代になっているのです。一言で言うなら、「大物」ではなく、悪く言えば、ちまちまと準備しておいた人間が有利な時代なのではないかと思います。従って、ごく当たり前の学生生活を送って来たり、途中まで民間企業を志望していた学生が方向転換して教員を志望しても、不利になっているのではないでしょうか。

   教員の仕事もめったやたらとマニュアル化されてきており、個人の裁量や力量が反映しにくい仕組みが作られています。また、そうしたマニュアル化された方式になじめるような人材を歓迎する風潮があるように感じます。このため、一例を上げれば、何とか横道から連れ戻して卒業にこぎつけてやれるような生徒が、なまじマニュアル化されたためにそれが出来ないといったケースが出てきます。

   本来なら停学にしなければならない生徒を、私の腹に収めて、一旦は見逃してやる・・・といった芸当はできないのです。いかなる場合も校則に従ってと言えば聞こえは良いのですが、マニュアル通りに停学にせねばならないということです。教員の力量に極端なばらつきがあるために、私なら見逃しておいて後で言うことを聞かせるようなやり方が可能でも、他の教師では恩に着てもらえるどころか、完全になめ切られてしまい、収拾がつかなくなったりもするので、その点を突かれれば返す言葉がありませんからね。まさか「あんたが無能だから生徒一人の一生が台無しになるんだ。」とも言えません。この点に関しては賛否両論あると思います。しかし、救える生徒の数が0になってしまったかもしれないことだけは確かです。徐々に学校がマクドナルド化していると言っても過言ではないでしょう。

   教員志望者にとっては3倍教員になりやすくなったとも言えますが、教職に夢が持てない時代になったということの反映でもあります。新人研修で真っ先に教え込まれることが、生徒に対する愛情の持ち方ではなくて、何をするとどんな懲罰を受けるかという内容なのですから、若い教師が夢を持てるはずがありません。

   一方で、俗にヒラメと言われる上昇志向の教師(基本的に有能な人材はいません。)が自分の実績作りのために次々とひねり出して来る愚にもつかない新しい仕事に追われて、本来の仕事をする時間が奪われている職場。一般企業ならこの業務は廃止しようという提案が必ずあるはずですが、学校というところではそれはほとんどありません。次から次へと仕事が上乗せされていきます。

   ふらりと職員室にやって来て、自分の話を聞いてもらう生徒の姿が見られるのが、あるべき学校の姿だと思われますが、今は教員の側に、時間的にも心の上でも、そんなゆとりがありません。ひたすら雑務に追われて心をすり減らすのが関の山です。そうした状況を踏まえて打ち出されるのが、学校に相談員=カウンセラーを配置するという案。正直なところ、カウンセラーに愚痴ったところで問題は解決なんかしないのです。好きな先生の所へ行けばじっくりと話を聞いてもらえる、そうしたゆとりある環境と比較したら、海の物とも山の物とも知れぬ(失礼!)カウンセラーの配置など、ほとんど値打ちなどないのです。

   少々焦点がぼけ、かつ過去に書いたことの蒸し返しになって来ましたので、ここまでにします。しかし、最後にもう一度だけ繰り返しておきます。学園にもう一度ゆとりを与えてください。ゆとり教育とは、円周率を3,0としてしまうことにあるのではなく、生徒と教師に心のゆとりがある教育を指すべきなのです。受験勉強に追われてようやく成り上がったお役人たちには、言うだけ無駄な説教ではあるのですが。

回転寿司の進化

2015-11-21 15:30:04 | 日記
   整体から帰る途中、散歩がてら遠回りして天丼を食べようと思ったら、店の外まで行列ができていたのであきらめて回転寿司に入りました。最近の回転寿司はコンピュータ化されていて、私などにはかえって面倒です。

   液晶画面で寿司の種類を選ぶわけですが、その前に店員に頼んで席を決めてもらい、席番号を知る必要があるのですね。液晶画面をタッチして注文した寿司は、リニア・モーターカーらしき新幹線に乗って座席のところまで来ると、ぴたりと止まります。前回韓流おばさんたちと入った回転寿司は、トレイに載った寿司が、ざすぇきによって指定された色別になって流れて来るものの、止まってはくれないので、これは便利と言えば便利なのかもしれません。

   寿司を取ったら点滅する赤ボタンをいちいち押して、新幹線をバックさせてやらなければならないのも面倒です。最後はTポイントをつけてもらってお仕舞いになります。これで本当に便利になったんだか、実は面倒くさくなったんだか、正直よくわかりません。ただ確実に言えるのは、店側が人手を減らして合理化した分だけ、確実に客の側の手間が増えているということです。これで本当に時代が進んだと言えるのでしょうか。本当の進化とは、店側ではなく客側の手間が省けることを言うのではないでしょうか。

   それとも、単純に私が時代に遅れてしまったというだけなのでしょうか。