梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

2016-05-28 07:14:53 | 日記
   従来からの主張を繰り返している部分もあるので、既にご承知の内容も多く含まれていますが、あえて重複を承知で書きました。また少しお休みしますので、とても長文ですが、よろしければお読みください。

さて、ここからが本題です。戦前の中学校は、高等学校から帝国大学へ進むというエリート・コースのスタート・ラインに当たりました。もちろんその後誰でも帝国大学にまで進むことができたわけではありませんが、帝国大学はエリート中のエリートの集まりであり、今時の東大生などと決定的に異なるのは、自分たちは日本という国を将来背負っていくのだという気概と自負心を持っていたということです。その点が最近女の子を部屋に連れ込んでは5人がかりでいたずらをしていたという東大生などとの決定的な違いです。
  
   話が少しずれてしまいました。旧制中学はスーパー・エリートへ育成のための国家的プロジェクトですから、その教育内容は相当に高度なものでした。問題は、新制度に切り替わり、スーパー・エリートとは無縁の人たちが新制高校に進む時代が来たにも関わらず、その教育内容にはあまり手が加えられなかったということです。つまり、現在の高等学校においては今もなお、スーパー・エリート育成時代の、極めて高い内容の学習水準を、強制的に一般の子弟に押し付けているとも言える訳です。

   現在の高等学校における授業内容、教科書で扱っている知識のレベルが高すぎるということは、とりも直さず、授業について行けない生徒が当たり前のように量産されてしまうということです。商業高校や工業高校向けの教科書では、専門科目以外の教科書は易しめになっているとはいえ、こうした学校で教えて来た経験からすると、それでもまだ要求水準が高すぎると言えます。

   私がとある商業校に異動し、新しく二年生の授業を受け持った際には、あるクラスで生徒から次のような要求を受けました。「前の先生は訳文を全部黒板に書いてくれたから、先生もそうやって欲しい。」というのです。そこまで生徒を甘やかした前任者もどうかとは思いますが、生徒たちがついて行けない教科書を扱わなければならない身として、最も安易な解決策を取ったのだと思われます。しかしそれではもはや英語の授業とは言えません。

   私は思わず、「君たちは前の先生からそこまでバカにされていたのだということに気がつかないのか?私はそんな真似は絶対にしない。」と宣言、教科書の全文訳を板書するという授業は私の代で廃止しました。しかし、こうしたレベルの生徒たちを相手になされていたこと、それは点数が取れなければ落第させる、という(私に言わせれば)非情な手法でした。一応年度末にまとめて補習・追試はするのですが、一年分の遅れを取り戻せるはずもなく、担当した先生はクールに落第を宣告していました。なおかつ、一科目で失ったらその生徒には皆さんで圧力をかけて学校から追い出すという不文律があったことに驚きました。

   退学させるという根拠は、法的には存在しません。法的には「留年」、つまりもう一年同じ学年で学習すべし、というだけのことです。学校側が持ち出す根拠はただ一つ、入学時に落第したら退学させると宣言したではないか、という一言のみなのです。私も自分のクラスの生徒が同じ目に合わされた時には徹底的に抗戦したのですが、それでは落第したら退学させると宣言した自分たちのメンツが潰れるという、実に理不尽な本音の下、多勢に無勢でその生徒は追い出されてしまったのでした。

   思うに、たとえば微積分や統計学などを普通高校で全ての生徒に強制的に受講させることにどんな意味があるのか、誰も考えようとはしません。そこに微積分と統計学があるから生徒は受講しなければならない、難解だろうがなんだろうが一律に受講させ、理解できなければ落第させるだけ、という実に乱暴な話です。アメリカの高校ではこんな高度な数学はやりませんが、アメリカの科学の水準が世界でもトップレベルであることは確かです。そもそもアメリカの高校は、生徒を振り分けるとか振り落とすという発想には立っていないように思います。

   アメリカ留学から帰国した女子によれば、一日の授業が、「音楽」「ダンス」「国語=英語」「陶芸」等を選択して受講し、連日同じ時間割でやるのだという話でした。いずれも落第などしにくい科目ばかりです。これを見ても、アメリカでは高度なことは大学に進学してからやるものだという考え方で、高校以下の学校の授業が考えられていることがわかります。

   話は戻りますが、私は微積分と統計が全く分かりませんでした。三年生になるに当たって、進学者などほぼゼロに近い、至ってのどかな高校へ転向しなかったら、恐らく高校を卒業することなど不可能だったと思います。いや、それ以前に、二年生の段階で数学の点数が5点とか8点という、信じられない劣等生だったのですから、三年生になることは出来なかったことでしょう。進級できたのは、転校する場合にはと祝儀として、落第科目の単位を無条件で贈呈という慣例があったからです。

   その後の私については以前にも書いた通りです。東京学芸大学という、超一流とは言えませんが、国立大学のはしくれに現役合格、教員採用試験も一発合格、都立高校の英語教師として38年間、定年まで勤務しました。つまり、ある生徒が将来どう化けるかは誰にも分らないということをこの身をもって示したとも言えると思っています。もっとも、大学でも統計という科目はわり、私以外の人たちが半年でクリアーしたところを4年間受講し続け、最後は少しの進歩も見られないのに、教員採用試験も合格していましたし、お情けで卒業させていただいたのですが。この辺りは以前にも書いた話ですね。

   ただ、数学の教師によって将来を閉ざされる生徒の数はとても多いので、実に困ったものです。彼らは数学というものは誰にでも理解できるものであり、点数が取れないのはその生徒が怠けているからだとしか考えていないように見えます。実際授業中にそういう話をされて、うんざりしたこともあります。まずはその生徒によって向き不向きというものがあり、一律に扱うことはできないということを、教師の全てがわきまえる必要があります。次いで、あまり高度なことは実生活においては無用のものであり、学校においても修得を強制する必要などないという意識改革が望まれます。

   最後に、本題である日本国憲法の条文の一部を引いておきます。第26条です。

「すべて国民は、その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する。」

   しかし、ほぼ全ての国民が、この条文を知らないと考えられます。9条についてはイデオロギーがらみで大騒ぎするのに、国民の根本的権利を保障するこの条文に関心がないのは、もったいないことです。この条文を読めば、私の大好きなおバカ女子たちも、全国のヤンキーたちも、等しく教育を受ける権利があるということがわかります。教師はそう簡単に生徒を落第させたり学園から追放させたりすることは、できないのです。

   等しく教育を受ける権利というのは、日比谷高校も灘校もその辺の底辺校も同じ内容の授業を受けるということではありません。その前に置かれている「その能力に応じて」という言葉の重さを、私たち、特に現役の教師たちは重く受け止める必要があります。

   私はどこへ行っても、生徒たちに対して一番厳しい教師でした。しかし、自分の科目で生徒を落第させたことが無いのは、以前にも書いた通りです。私は憲法を忠実に守って来ました。9条については改正して欲しいと思っていますが。

日本の教育が憲法違反であることについて

2016-05-27 17:26:17 | 日記
   書いている内に長くなってしまいましたので、続編あり、です。

   とある雑誌を読んでいたら、毎号巻頭を飾るコラムの一つに、元大阪大学教授という方が書いていました。職を離れて昼間に体を動かすことが少なくなり、熟睡出来なくなってしまったのかもしれないと前置きしつつ、近年は夢を見ることが多くなり、内容は学校についての過去の夢だと書いています。こういうことは私だけではないのだな、と納得し、安心もしまいました。一方で、退職後間もなく亡くなる同業の先輩方を身近に見て来た身としては、今のところ衰えてはいるものの、未だ命まで失うに至ってはいないわが身を、少しだけ誉めてやろうと思いました

   「今の学校はすべて憲法違反を犯していないか?」と言ったら、暴論になるでしょうか。しかし定年まで教職を勤め上げた私が、現役時代から抱いていた疑問に表題をつけるとしたら、これ以外の表現を思いつきません。

   戦後70年を経て、日本の学校教育もいくつかの紆余曲折を経て来ましたが、根本的には戦前のものをそのまま引き継いでおり、あまり変更が加えられていないのではないかと思います。都立で言えば名門日比谷高校は、東京府立第一中学です。隅田川高校は第七中学、私が在籍していたことのある江戸川高校は、第16中学であったと記憶しています。

   現在に至るまで、そこそこの進学校は、全て旧制中学の流れを引くものです。こうした中学から旧制高校へ進むと、世間からは国を背負うエリートの卵として一目置かれ、「学生さん」と、尊敬の気持ちを込めて呼ばれることになります。

   ではそれ以外の、戦後の新設中学はと言えば、人口増や進学志望者の増加に伴って次々と開設されてきたものですが、それでも旧制中学の教育内容をそのまま引き継いでいるという側面があります。教科書の選定等、旧・旧制中学と完全な新制中学の間には特に差がありません。しかし、旧制中学は、現在の大学よりもはるかに数が少なかった旧制高校へ進むための学校であり、その授業内容は、優秀なエリートを対象としたものでした。

   旧制中学に進んだ生徒たちは、それぞれ自我が確立し、エリートとしての矜持をしっかりと持った若者たちでしたから、教師たちが管理せずとも、自覚を持って勉学に励んだものです。新制中学に切り替わっても、その校風は長く維持され、U野高校などは、難しい数学の授業中、将棋を指したり、弁当を食べたりしていても、注意されることはなかったそうです。なぜなら彼らはここぞと思う場面では瞬間的に態度を切り替え、集中して先生の説明を聞き、板書を書き写すという芸当ができたからです。弁当を食おうが将棋を指そうが、実は授業をちゃんと聞いているという優秀な生徒たちばかりだったのです。

   ただし、時代が移り、エリートというには遠い子供たちも高校に進学するようになって、さしたる気概を持たない幼稚な生徒たちであふれるようになると、さしものU野高校も、ただだらしないだけの高校に過ぎないという評価を受けるようになりました。一度評価が下がれば、そのレベルに見合った生徒が集まってきてしまうので、立て直すことは不可能に近いと言って差支えないと思います。

外国語学習の本音と建て前

2016-05-26 09:16:00 | 日記
   どうしても同じようなテーマの使いまわしになってしまうのですが、東亜学院の親睦飲会を終えて、また少し考えました。今回も中上級クラスと上級クラスの合同、といっても集まったのは8人に過ぎませんが、語学を習得することの難しさを感じた集まりでした。今日の内容も、以前書いたことの焼き直しです。政治的な話はいくらでもあるのですが、それも面白くはないでしょうし、今日はこのテーマであっさりと行かせていただきます。

   中級クラスには人が集まらず、開講されていなかった関係上、中上級クラスに下から上がって来る人がおらず、いきなり中上級に入って来た人2,3人を除けば、この5年間、メンバーはある5人に特定されています。上級クラスもこの同じ5人が受講しており、そこに中国での勤務経験がある方が3名ほど、また官庁から派遣されていらっしゃる方が1名いらっしゃるのみです。

   今朝の新聞の折り込みに、読売文化センターの宣伝が入っていました。外国語講座を見てみると、英語・中国語・韓国語・インドネシア語がありますが、なぜかフランス語とドイツ語がありません。かつ、全ての講座が「初歩からの・シニアの・基礎から始める・ゆっくり・楽しい・基礎の・初めての・一からの」という言葉が講座名についています。近所にある松原文化センターというところの講座もほぼ同じです。要するに、外国語を始め票とする人は相変わらず途絶えることが無いのに、それを続けようという人はほとんどいないということです。東亜学院の場合も、入門時には100数十名いた受講者が中級を経て中上級になると30数名、上級になると8名程度に減っています。かつ、入門から継続している方は4名のみです。

   一方で、私のパソコンのインターネットには、繰り返し繰り返し、簡単に英語がペラペラになれる講座という広告が掲示されています。なんと1日15分、3か月で英語がペラペラになるという、ありえない宣伝です。常識的に考えてそんなことはできっこないにもかかわらず、いまだにこの広告が掲載され続けているということは、これが採算のとれる商売となっているからでしょう。ほとんど詐欺であるにも関わらず。どなたか、やってみたけど駄目だったという訴訟を起こしてみたらいかがなのでしょうか。いや、それ以前に公正取引委員会に、詐欺商法として訴えるべきです。

   スピード・ラーニングにしても同じです。あの広告で見逃してはならないのは、「何をやってもだめだった私が、スピード・ラーニングを始めたら、とうとう英語が話せるようになった。」という部分です。こういう人は、何年も英語の勉強を続けて来た蓄積があるために、CDから流れる英語が聞き取れる水準に事前に達しており、テキストを読むのに辞書が必要ないレベルだったはずです。その段階になってからスピード・ラーニングを始めたから、会話が多少なりとも進歩したに過ぎません。あくまで多少なりともですが。

   それにしても、書店に行けば英語学習のためのテキストが常に溢れています。しかし身の回りを振り返ってみると、通勤電車の中で外国語の学習に励んでいるのは、いつも私だけです。それどころか、いい年をしたサラリーマンが、プリンセスやらドラゴンが登場するゲームに夢中になっていたりします。スマホを広げている人のほとんどがゲーム、良くてメールをしているに過ぎません。

   これで外国語が身に着くのかと言えば、当然答えはNO!です。政府は小学校から英語を科目に取り入れれば日本人が英語を使えるようになると思っているようですが、これもNO!です。なぜなら、何事にせよ、本人がやりたくてたまらないという気持ちでやり続けない限り、身に着くことはないからです。

   そんなことより・・・と話を続けるとまた冗長になりますので、ここまでにしておきます。要するに、必要ないからやらないんだろう、それを無理やりやらせたところで大した成果は上がらないに違いない、という、いつもの結論です。

昨日考えたこと

2016-05-25 10:41:20 | 日記
今日は中身が抽象的で堅苦しくてつまらない上、以前にも取り上げた話です。パスして下さって構いません。どちらかというと自分の気持ちの整理が目的で書いたようなところがあります。

   昨日は中国語仲間と六本木で中華料理を囲んだ宴会が行われました。和気あいあいとした中で歓談が進みます。しかし話が微妙な世界に入って来ると、和やかな中にも微妙が揺らぎが顔を覗かせてしまいます。

   私の書斎の本棚には、英語教師の前歴を窺わせるものはほとんどなく、ほとんどが中国や韓国、太平洋戦争をからめた米国に関する書籍ばかりが並んでいます。そんなわけで、太平洋戦争(これはアメリカが無理やり押し付けた言い方で、イギリスではこう言いません。)や日中戦争にからんだ話が出てくると、読みまくった様々な本から自分なりに構築した理屈が頭をもたげて来ます。

   こんな時真っ先に感じるのは、ネット上でもいろいろな人と意見を交換し、より矛盾の少ない説明へと落ち着いて来た見方が、一般の人たちには全くと言って良いほど理解されないという悲しさです。誰しもが、自分が持っている知識の中でしか正邪の判定をすることができない以上、しかたのない事ではありますが、さしたる知識も無いまま既存の常識から一歩も出られないばかりか、それが正しいと信じている人たちを見ているのはつらい事でもあります。

   一番困るのは、既に既成観念で頭が完全に固められてしまい、私のような人間が何を言っても、固まった頭の中にまで入って知識の再構築をしてもらうことが不可能に近いということです。このままではいずれ日本が中国の意のままに操られてしまうことは明らかであり、下手をすれば韓国にも同じような目に合わされることが懸念されます。

   たとえば、現行の修学旅行というものがどれだけ日本人の思想を間違った方向に導く要素となっているかということを説明しても、理解は全く得られないのが情けないこと限りなし、です。広島や長崎や沖縄に行くことを否定はしませんが、日本が戦争を仕掛けたのだから、自分たちが被爆者たちに謝罪しなければならないかのような流れで行われるのが普通であり、なぜ開戦に至ったか、アメリカの行為はただの大量虐殺に過ぎず、国際法にも違反するといった話は一切されません。核を使用してはならない最大の理由は、大量の犠牲者が出てしまうことは元より、そもそもこれが国際法違反に当たるものだからです。東京大空襲が、爆弾の数こそ違え、広島長崎と全く同じことであることも、あまり理解してもらえそうにありません。

   そして、もう話しても無駄だと感じて私が口を閉ざすことにした理由、それは、綿人は異なる立場の人たちというのは、事実に基づいた冷静な判断をしているのではなく、思い込み、先入観といったものに縛られていて、彼らに事実をつきつけても意味がないということを知ったからでした。何しろ、韓国へ行く修学旅行では生徒たちが慰安婦問題で地面に正座して頭を下げることを強いるという日程が存在することを伝えても、誰一人として表情を変える人がいません。

   私は38年間の教師生活において、12回の担任をしています。その間に、個々の修学旅行というものがどういう経緯で立案されるのかということもつぶさに見て来ましたし、他県の高校の行き過ぎた平和教育についても知ることとなりました。しかし、そうした事実を教えてあげたところで、結局はそんなことはない「はずだ」で整理してしまおうとするのが多くの人の立場でした。

   現在でも多くの人たちが、過去や現在の問題に関して、事実に基づいた提起をしているのですが、それが一向に世間に知られていかないのは、とても不思議な事です。マスコミが在日韓国人に押さえられていることも一因ですが、多くの日本人が事なかれ主義に陥り、無意識の内に大切な問題を「流す」ことに慣れきってしまったこと、言い換えれば、日本人をその方向に持って行こうとする見えない力が、その目的を達成してしまっていることが原因だとは思いますが、そんな安楽さに浸り切ってしまったら近い将来どうなるか、誰も懸念していないところに末恐ろしさを感じます。
   

   

   

乙女の慎みはいずこに「武漢・三峡ダム5日間」㉑

2016-05-23 14:32:15 | 日記
   どうして若い女というのはこうも行儀が悪いのか・・・・。決めつけるなと言われそうですが、こんな光景は女性でしか見かけたことがないものですから。詳しいことは後半で。

   ほぼ1時間後、機体はゆっくりと動き出しました。やれやれ、やっと帰れるぞ、と思ったのもつかの間、今度は滑走路の端で止まったままじっと動きません。待機すること30分、ようやく離陸にこぎつけたのでした。

   武漢は上海より内陸にあり、成田までは4時間かかります。離陸までさんざん待たされた身には4時間は長く感じます。やむなく、ざらざらと荒れた画面のディスプレイで映画でも見ることにしました。ところが、バック・グラウンド・ミュージックは普通に聞こえるものの、セリフの部分が昔のテープレコーダーが狂ったように、チュルチュルという音にしかなりません。しかもCM部分はセリフも音楽もきっちり聞こえるのです。何回試みても全く変わりません。特に見たい映画も無いので、もうこれはあきらめることにしました。今回のツアーは、最後まで情けない出来事が続きます。

   昼食が配られ始めると、今度は幾度となく乱気流に巻き込まれます。配膳もその都度中断、なかなか全員には行きわたりません。例によってCAはしきりに和食の方を勧めます。特にこだわりはないので、往路と同じく和食の方を選択、CAの笑顔を貰いました。

   そして、昼食後、私の身に最後の不幸が訪れます。以前済州島へ行った際に、隣席にいた「分娩台の少女」について書いたことがありますが、あの子はただ前の座席の、冊子などが差し込まれた部分に股を開いて足を乗っけていただけの話でした。今度はそれを超える若い女の子のポーズに遭遇してしまいました。

   帰国便はやや空いており、私の右隣は空席、その更に右側に、若い娘が座っておりました。その娘、やおら左足を持ち上げると、空席となっている左席のひじ掛けにそのまま載せました。右足は普通に床に置いているので、かえって苦しくないのかと心配になるくらいです。彼女にとってはこれがリラックスできる余裕の姿勢なのでしょうか、そのままスマホでゲームに興じている様子でした。着陸が近づくと、やおら膝までのソックスを脱ぎ出し、何というのでしょうか、くるぶしまでのソックスに履き替えていました。私はどうにも下品な物を見せられたような気がして、数パーセントほど不愉快な気持ちが湧いてきました。

   しかし、途中で左側を見ると、不快感は否が応でも3倍増となったのでした。左側、窓側の二人席は、これもまた若い娘が一人座っているのみ。恐らくiPadのようなもので、テレビを見ている様子。体は斜めにディスプレイに向かっているのですが、両足は完全に投げ出して、右側の席の、つまり通路を挟んで私のすぐ左側の席の、右側のひじ掛けに、どんと揃えて載せてありました。私から見えるのは、素足の足の裏と指。CAの本音という話に、「実は臭いから機内で靴を脱がないで欲しい。」という項目があったことを思い出しました。

   昔、久米の仙人という人は、空を飛んでいる最中に若い娘が裾をまくって川で洗濯をしているのを上空から目撃、ふくらはぎの白さに目がくらんで墜落したという伝説がありますが、いくら若い娘とはいえ、臭そうな足の指と足の裏を露骨にこちらに向けられると、不快感が先に立ってしまいます。それとも私の感覚がおかしいのでしょうか。

   かくして、このようにして、がっかり続きの中国旅行は、とにかく無事に終了しました。正味3日のツアーを21回にわたって書き連ねて来ました。通読して下さった方がいらっしゃいましたら、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。