梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

梅様、映画を見る④

2015-04-30 18:24:01 | 日記

   今朝も未だ気力復活せず・・・。4時半に起床すべきところを6時まで惰眠を貪っておりました。単語帳を繰るも、今一根気が出ません。そこで寝たきり明けではありますが、本日も映画鑑賞ということにしました。

   一昨日は駅まで20分、下車した駅から45分、帰途60分という行程でしたが、往路に65分もかけるくらいなら最初から歩くべし!というわけで、家から映画館まで完全に徒歩で行くということにしました。体調最悪と思ったのに結構歩けるのは、もしかしたら根を詰めて勉強に励んでいた反動が来ているだけなのかもしれません。

   往路は細かい道を避け、大通りを選んで歩きました。するとかかった時間は80分。昨日60分で帰宅したと思ったのは、時計を見間違えたでしょうか。やは日陰のない道のりですが、気温は一昨日ほどではないので楽です。
 
   映画の感想は・・・・・感想を述べるほどの映画ではありません。さすがにシンデレラを見るほどの気持ちにはなれないので、見た映画は「ワイルド・スピード」。見ての感想は、「日本人にはこういう映画を作るのは無理!」の一言。
 
   ムキムキのマッチョマンが殴る蹴る機関銃をぶっ放す、ヘリコプターに向かって自動車でジャンプして手榴弾を引っかけて来て爆発させる・・・いずれも日本人の役者が演じても、絶対に作り物めいてしまって鑑賞に堪えないことでしょう。やはり外人の肉体あってこそ成立する映画だと思いました。輸送機から車ごと飛び降りるアクションなど、やはり外人がやってこそ迫力と信憑性があろうというもの。このシーン、実際に車で飛び降り、カメラマンも一緒に落ちながら撮影したのだそうです。最近なんでもCGでごまかしてしまう中、この姿勢は立派です。

   そもそもCGを使ってしまうと、実写なら描写できる質感や重量感が表現できず、かえって現実感がなくなります。たとえばゴジラひとつとっても、CGを使った物よりも着ぐるみの方が人間に想像の余地を残してくれて、かえってリアリティを感じます。(私だけの感想でしょうか?)この映画は人間技とは思えないカー・チェイスが売り物ですが、あれをCGでやられてしまったら、本当に興ざめだと思いますね。

   しかし帰り際に見かけた白人、50歳位に見えましたが、脚の短いこと・・・・。脚の長さが身長の三分の一しかありません。並の日本人よりも短いと思いました。やはり映画に出てくる人たちは特別な人たちなのか・・・。

   ネット上の動画にこんなものがありました。高速道路上を逃走したラクダが2頭走っています。その後ろをラクダの持ち主と思われる遊牧民が裸足で追いかけていくのですが、その遊牧民の走法が、腿の上がり具合といい、ストライドの広さといい、ちょうど程よい腕の振りといい、日本人のトップクラスの陸上選手が及びもつかない見事な走法なのです。

   日本人には日本人にしかできないことがあるはず。最近は指導者たちがそれを忘れて外人に指導を求めすぎます。引退した柔道選手がなぜかロンドンに留学したり、マラソンの指導者がアメリカに見学に行ったり・・・。私は言いたいのです。自分の頭で考えて、私たちをうならせる指導法を作り上げてくださいと。

梅様、映画を見る③

2015-04-29 05:26:43 | 日記
   イオン・ショッピング・モール、9:00開店。警備員がいてがっちりガードしています。駅からの通路は通行可能なのですが、ショップが並んでいるところは制服ガードマンが立っています。やがてガードマンが立ち入り禁止の帯を片づけたのでお客の一人が入ろうとすると、警備員がダッシュで駆け寄り、抱きかかえて侵入を阻止します。これが8:59分くらいの事。そこまでするなら9:00まで帯を張っておけと言いたくなります。

   入店が許可されると、二人のおばさんが「9時5分だから!と言いながら走って行きます。9時5分がキーワードになるのは「暗殺教室」の上映時間だけです。あのおばさんたちにここまで熱が入った理由は何なのでしょうか?しかし映画の本編の前には、必ず長々と見せられるものがありますね。予告編と、最近では、カメラ撮影するな、音声録音するな、といった諸注意や、鑑賞時のマナーまで、なかなか細かくしつこいものです。結局上映開始は9:25分。おばさんたち、走る必要は全くなかったのです。

   さて、「暗殺教室」がどうみても中学生以下を対象とした作品で、出演者も大人が知らないような、到底役者とは言えない若いタレントばかりです。そういえばホログラムでしか登場しないのは、確か「天使過ぎる美少女」として話題になっていた子でした。これに対して「寄生獣」の方は基礎がしっかりした経験豊富な役者たちで固めた、気合の入った作品となっていました。金のかけ方も段違いで、CGも「暗殺教室」とは比べ物にならないハイ・レベルのものでした。

   「暗殺教室」と比べると、「寄生獣」という作品の評価付けは難しいと感じます。結局何が言いたいのか、私にはよくわかりません。人間が増えすぎて地球環境を破壊しているためにその人間を食べて地球を救ってやっているのが自分たちだという寄生獣の言い分は、増えすぎたカンガルーを殺して食用にしているオーストラリア人の言い分に通じるものがあります。何も殺さなくとも捕まえて去勢してしまえば、数を減らすことは可能です。それでなくとも増えすぎた動物はいずれ時期が来れば一気にその反動がくるのが自然界の掟です。寄生獣なんぞにあれこれ言われる筋合いはないのです。

まして「我々は人間がいなければ生きていけない。私たちをいじめるな。」と言って死んでいった寄生獣(厳密には寄生獣が寄生した人間)の言い分は、筋が通りません。回虫やサナダムシが、自分たちは人間に寄生して生きているのだから、駆除剤など飲むなと主張するようなものではありませんか。

   確かこの作品が「寄生獣」の完結編なのだと思います。人類と寄生獣の共存を示唆するような終わり方となっていますが、なかなか曖昧な結末であると同時に、それ以上深いアイデアが浮かばないということもこんな結末に至らざるを得ない理由なのではないでしょうか。私は安っぽい出来の「暗殺教室」が金を掛けたド派手な「寄生獣」と比較して各段に劣るとは感じませんでした。もちろん見応えとしては雲泥の差があることは確かですが、「寄生獣」は娯楽映画ではない作風になっているために、かえってその欠陥が目立ちました。

   しかし、この「寄生獣」、ラストシーンがケチのつけどころ満載でしたねえ・・・。直前に首をナイフで切られた瀕死の警官がおり、また主人公が裏拳でぶっ飛ばしただけの暴漢がそこにいるにも関わらず、危うく助け出した彼女と屋上に寝転がったまま日向ぼっこのように抱き合っている・・・・。一見シリアスな映画であるだけに、あり得ないだろう、この結末!という気がしました。

   いきなり真夏日の太陽に照らされたせいでしょうか、久々に映画のハシゴをしたせいでしょうか、翌朝、つまり今日は朝から偏頭痛がして、何も手に着きませんでした。昼飯後は気がついたら3時間も眠ってしまっていました。本当は今日は、往復とも歩きで映画館に向かい、「ワイルド・スピード」も見ておこうと思ったのですが、そんな訳には行きませんでした。いや、年を取ると良いこともあるわけで、高齢者割引が効くものですから、思い立った時に行っておこうと思ったのです。


梅様、映画を見る2

2015-04-28 08:04:14 | 日記
   「暗殺教室」という映画、サイトによって評価は真っ二つに割れています。あるサイトではこの映画が徹底的に叩かれています。酷評をしているサイトの意見をまとめるなら、、「ジャニーズの若手を売り出すために投入した顔見世映画。できるだけ経費を浮かそうとしている姿勢が見え見え。」といったところでしょうか。「あまりにも退屈で何度も居眠りした。こんなに退屈した映画は生まれて始めて。」という感想もありました。

   一方、好意的な見方もあります。「教育問題を扱っている。努力することの大切さを訴えている。」といった意見が主なところです。恐らく、酷評をする人たちと、好意的な見方をする人たちとでは、この映画を見る観点が根本から違っているのだと思います。酷評する人たちは娯楽大作を見るつもりで映画館に足を運び、好意的な評価を下した人たちは、予断を持たず、白紙に近い状態でこれを見たのではないでしょうか。

   ケチのつけどころは山ほどあります。中学三年生のクラスであるにも関わらず、出演者の年齢は明らかにはるかに上回っています。高校が舞台ならともかく、中学生を演じるのは無理があります。また、ストーリー展開中の心理も、中学三年生が抱ける心理状態ではありません。ただ、観衆は中学であるとか高校であるとかは意識しないで鑑賞しているので、実際にはこの点を気にしていた人は皆無だと思います。

   何より、地球を破壊しに来た異生物を殺すことを中三の落ちこぼれクラスに一任するなど、現実的ではありません。この映画を見る人は、まずその壁をクリヤーして、心をむなしくしてから鑑賞する必要があります。そして、ひとたびその壁をクリヤーすることが出来さえすれば、このどうしようもない映画を十分堪能することが出来ることでしょう。

   このタコ型の異生物、いかなる攻撃も見事に交わしてしまうので、これを暗殺することができないまま、続編があることを予感させつつ映画は終わってしまうのですが、見どころはこの異生物が落ちこぼれクラスの担任として授業を進めていくうちに、生徒たちの間に、この異生物に対する愛情と信頼感が生まれていくところにあります。異生物はいつの間にか生徒たちのやる気を引き出し、優秀なクラスを含めた中で、科目別学年一位の点数を取ってしまった生徒が6人も生まれてしまいます。

   途中で、この異生物の弟が、自分の方が強いと主張して、兄である異生物を殺しにやって来ます。タコ型異生物の弟が普通の人間の姿をしているのはおかしいのですが、そこはあまり気にせず、スルーすることにします。一時的に戦闘力を失った異星物が入ったカプセルを守るために二人の生徒がこの弟から命がけで逃げまくり、無事守り通すことに成功するのですが、このカプセルに入っている間は無力化されている異生物は自衛隊の手によって爆破処理されてしまいます。そして、その映像を見た生徒たちは、地球を破壊するためにやって来た異星物であるにも関わらず、皆涙を流して悲しみます。が、その場に再び復活した異生物が現れ、生徒たちを安心させます。かくしてクラスには再びこれまでと同じ日常が取り戻され、生徒たちは再び、隙あらば異生物に射撃を加えて暗殺しようとしつつも互いの信頼感が失われることはないという、奇妙な毎日を送ることになります。

   実はこの異生物は、落ちこぼれ生徒たちを唯一励ましてくれた前担任が事故で死んだ時、現場に居合わせて、生徒たちのことを頼むという依頼を受けたということが映画の最後の方で明らかにされます。死にかけている若い女性教師が、いきなり現れたタコ型異生物にそんな依頼をするかどうかを考えてしまうと、何もかも面白くなくなってしまうので、そこを深く考えてはいけません。とにかくこの映画は、現実的にあり得ない部分には全て目をつぶり、突然現れた変わり者の教師の手によって、落ちこぼれ生徒が立ち直り、一人一人が自信を深め、プライドを取り戻していく過程を描いた映画だと思って鑑賞すればよいのです。そうすれば、案外鑑賞に堪える映画だということがわかり
  
 もしかしたら、私はこのタコ型異生物に、自分の過去の姿を投影して鑑賞していたのかもしれません。古参の教員たちからは学校を破壊しようとしているとあらぬ濡れ衣を着せられながら、駄目な生徒たちを守ろうとするのが私の基本姿勢でした。

   ただ、タコ型異生物のCGがあまりにもお粗末であること(ただし原作の漫画に対しては忠実な作りなのではないかと想像できるのですが・・・)と、元KARAのカン・ジヨンが演じるビッチ先生の出来が悪いことが惜しまれㇲ作品です。特にジヨンは本邦映画出演なのですが、ストーリー上、何の存在感も与えられていません。この部分を削ってしまっても、実質的には何の変わりもなさそうです。ジヨンは発声から直さないと、役者としての将来はなさそうです。

   この映画、駄作と言えばこれ以上の駄作はないのですが、割と良質のB級映画です。私は見て損をしたとは思っていません。

   で、「暗殺教室」上映終了時間と、「寄生獣」の上映開始時間が重なっていたので、この際「寄生獣」の方も続けて鑑賞してしまいました。「寄生獣」に対する感想は・・・・ちょっと難しいものがあります。

梅様、映画を見る

2015-04-27 16:14:30 | 日記
   帰宅したらパソコンの画面が今朝インターネットにつないだ時のままになっておりました・・・・。

   帰りは越谷レイクタウン駅からなんとなく我が家方面に向けて歩きました。道順など知りませんが、雲一つない快晴なので、大体の方向を見誤ることはありません。こっちの方だよね、という方向に向かって歩くこと一時間、予定よりだいぶ早く到着してしまいました。

   途中はつい最近まで一面の田園地帯であったことをうかがわせる新興住宅地が続きます。建設中の住宅街もたくさんあります。日差しを避ける場所もなく、強い紫外線にさらされて歩きますが、途中自動販売機があまりありません。スーパーもコンビニもありません。本当の意味で開けるのはこれからですね。

   今朝起きると、なんとなく気力がありません。東亜学院に行くために起きる時間ぴったりに目を覚ましたのですが、行く気4割、行かない気6割というわけで、今日は学校に行かないことに。といって机に向かう気にもなれず(3時半なのです、まだ)、本日の予定を立てます。だらだらと時間を過ごしながら、最終的に映画を見に行こうと決めたのが7時。それからネットを検索して、見るべき映画を決め、家を出たのが7時40分。

   実は私、一番駅や電車が混む時間帯に電車に乗ったことがありません。いつもとてつもなく早目に出勤していたからです。松原団地駅から3駅下り電車に乗ります。この時間に東京へ向かうのは自殺行為だとわかっているので、武蔵野線のレイクタウン駅で降り、イオン・レイクタウンという広大なショッピングセンター内にある映画館を目指します。

   しかし乗り換え駅たる新越谷を降りた途端目にしたのは、武蔵野線に向かう人、人、人・・・。武蔵野線は大混雑のはず。この時間は乗る人ばかりであろうレイクタウン駅で果たして下ろしてもらえるのだろうか・・・。という訳で、ここから目的地までは歩くことに。このところ毎日吐き気に襲われているくせにその元気は何だと言われてしまいそうですが、満員電車が大嫌いな私です。歩くのです。

   と決めて歩き始めたものの、途中は住宅がまず見られない、流通産業の基地ばかり。殺風景この上ない景色が続きます。しかも武蔵野線沿いにまっすぐな道があるわけでもなく、カンを頼りに適当に曲がったりまっすぐ行ったりします。そして歩くこと45分、目的地に到着したときには上映開始5分前となっておりました。

   この時点で歩行60分、乗車10分。そして本日この私が見に来た映画と言うのは・・・・・。


   「暗殺教室」

   なのでした。

とりとめのない話ですが・・・続

2015-04-26 16:43:34 | 日記
  昨日から今日にかけて、いつになく大量のアクセスがありました。「氷川きよ」しをキーワードに検索された方がたくさんいらっしゃったということなのでしょうか。きよしファンの皆さんはブログを検索するようなタイプの方でも年齢でもないような気がするのですが????? ちなみに越谷シテイ・ホール7月16日公演の夜の部はまだまだ余裕があるようです。昼と夜では客層が相当違うのでしょうか。

   ところで、大量のアクセスがあったのですが、最も多く読まれたページは、「班目先生、それは違います。」という懐かしいページでした。なぜなのでしょう。このページは私のブログの中ではロング・ヒット中のページです。後に続くのが「乳出しチマチョゴリ」。この二つは安定して読み継がれています。また、「班目先生・・・」というキーワードでこのブログを呼び出していらっしゃる方が多いようにも見えます。

   本音を言えば、班目先生ご自身がこのページをお読みくださって、私に対する反論をいただけると有り難いのですが、おそらくそれはかなわぬ願いであろうと思います。なぜならこの勝負、100パーセント私の勝ちが見えているからです。なにしろ、長い運動部指導経験があり、自分自身の経験と、80過ぎの義母を抱えた実生活からの見解なのですから。現在も私は自分自身の体を実験台にして、自分の意見が正しいことを実証実験中です。今のところ班目先生が正しいと思える要素は一つも見つかっていません。

   
   「乳出しチマチョゴリ」の方は、どこまで真面目な気持ちで読まれているのか判然としませんが、半島の歴史の一駒としては、頭の片隅に入れておいても悪くはない事実だと思います。ただ、何かを期待しておられる方がいらっしゃるといけませんので一言追加させていただくと、そもそも朝鮮人一般には入浴の習慣というものがなかったようなので、胸からはみ出しているものも、恐らくは垢だらけだったのではないかと想像できます。半島は湿度が低いので、私たちが想像するほどの不快感を味わうことはなかったのかも知れません。

   ところで、昨日から「大風水」という高麗末期から朝鮮初期にかけての時代劇を鑑賞していますが、これはまた格別ひどいものです。何よりも満州に近い地域に住んでいる人たちが、頭に猛獣の頭骸骨に毛皮をぶら下げた帽子をかぶり、顔にはペイントが施されて描かれています。これが李氏朝鮮の始祖李成桂なのですから、もうこのドラマを作った人の神経が知れません。日本でいえば鎌倉時代が終わった直後くらいに当たります。いくら韓国の時代劇とは言え、あまりにもひどすぎます。