雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

11月のブログ

2006-12-04 09:31:06 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
ブログをはじめて3ヶ月目の11月が終わった。
一応毎日、発信することが出来た。

3ヶ月目に入り幾らかブログの仕組みも解った。

特に興味があったのはアクセス解析である。
所謂マーケッテングにあたるのだが、時間ごとの閲覧数、訪問者数、ページ毎のアクセス数、アクセス元URL,検索ワードなど読者の分析ができる仕組みである。

11月の閲覧数は18495、訪問者数は5774にもなったので、数値の分析もほぼ確かな傾向は、解ると思っている。

どうしてもモーターサイクル関連、特にレースに興味のある方が多いので、若い方も多いと思っている。
旧い仲間たちからも応援コメントなど頂いて励みになっている。

普通一般の方にも興味のある内容をと思っているが、どうしてもM/Cのことが多くなるのは仕方がない。
モーターサイクルの世界の出来事の中から、何か共感して貰えることがあればと思っている。

M/Cの世界や、業界の考え方は、ホンダがリードしたこと、事業展開の舞台が日本よりもむしろ世界であったことなどもあって意外に進んでおり、昔のことでも十分今の世の中に通用することも多いのではないかと思う。

気分転換に、テンプレートを(バックのデザインをそう呼ぶらしいが)200種類も用意された中から、「冬、みかん」という季節に合うものに変えてみた。

12月も私なりの「いろんな想定」をしながら。今年最後の月に望みたい。
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初期のモトクロス戦略ー1 昔話ー9

2006-12-04 06:32:36 | カワサキ単車の昔話
「初期のモトクロス戦略」-1

青野ヶ原でのモトクロスの優勝と上位独占、これがカワサキのレースの歴史のスタートと言っていい。
残念ながら、私には1963年のことというだけで正確な日時は解らない。

当日は雨の水溜りの中を走るレースになり、他メーカーのマシンはみんな止まってしまった中、B8改造のカワサキだけが走り続けて、運よく好成績に繋がったというのである。

このレースにヤマハで出場した山本隆君に先日確かめたので間違いないだろう。

カワサキのライダーとして出場したのは、加藤,飯原君などの社内のテストライダーたちであったことは、先日カワサキワールドの展示写真を見てはじめて知った。


このレースの結果、事業部の士気は上がり、単車再建への決断の大きな要素になるのである。
そしてモトクロスは重要施策と位置づけられた。

神戸木の実から、山本、歳森。 カワサキコンバットから三橋、梅津、岡部、加藤などのライダーを集めてレース活動を開始した。

当時のカワサキは、他のメーカーに勝てるものは何にもなかったので、例えどんなレースでも「勝つこと」が求められたし、勝つことによって地方の代理店も工場サイドも士気が大いに上がったのである。

この目標達成のために、地方のどんな草レースにも、ライダーを分けて派遣した。
殆ど毎週のように、日本各地の勝てそうなレースに出場した。
結果は、連戦連勝で会社の掲示板にも、代理店へのニュースにも派手に宣伝された。

レースに対する知識も少なかったし、みんなが本当に強いのだと信じて疑わなかったと思う。


翌年の春、相馬が原で行われたMFJ第1回全日本モトクロスを前に、当時のレース担当の川合さんが「今度は、城北も来るし困ったな」と言っていたのを思い出す。
何のことか解らなかったが、全日本の結果は入賞はおろか、5位までにも入れなかったのである。

未だ、本当の実力はなかったのである。
ここまでが、レース初期の第1期と言えるだろう。


この相馬が原の結果を踏まえて、マシン開発もライダー育成も、本格的なレース活動へ取り組むことになっていくのである。

然し、今思っても「モトクロス初期、第1期」の広報戦略は、間違っていなかったと思う。
少なくとも代理店を含め身内の人たちの、モトクロスに対する関心は盛り上がったものになった。

連戦連勝のイメージばかりが残って、相馬が原のことなど知らない人が殆どであった。

そして、「モトクロス初期、第2期」へと入っていくのである。

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