雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

岩城良三さんの思い出 昔話ー10

2006-12-06 06:33:38 | カワサキ単車の昔話
「岩城良三さんの思い出」

「隣国の兵は大なり、その武器は豊かなり、その武勇は優れたり、然れども指揮の一点譲るべからず。」

当時のカワサキにとってホンダ、スズキ、ヤマハはまさに大国であった。
訓示の最初に必ずこの言葉から入られた、岩城さん。 常にに強烈なリーダーシップを発揮された。


岩城常務が自ら単車本部長に就任された1965年4月、単車事業本部制がスタートし本格的な単車再建がスタートしたと言っていい。

この時点から販売促進部門はカワサキ自販に全員が出向となった。
広告宣伝とレースを担当していた私もその一員として参加した。

岩城さんはこの年の10月には、カワサキ自販の社長も兼務され、社名もカワサキオートバイ販売となった。

レースや広告宣伝にも非常に関心を示され、具体的な指示も直接受ける機会が多かった。
怒られたことも多かったが怒り方がすっきりしていて、気持ち良かった。

レース運営委員会を設置され、本格的なレース運営が可能になった。

当時の委員会のメンバーは、守田、山田、苧野、堀江、中村、高橋、渡部、大槻、安藤と事業部の主力が顔を揃えた強力なものだった。
事務局を担当したが、下部組織の小委員会には、田崎、水町などのイキのいい若手がいた。

カワ販の社長も兼務された岩城さんは、直ぐ各地の現場を回られ、東北では現地の社長連から仙台に事務所の新設を提案され、「即答をされた」とその時お付で出張していた八木君に聞いた。

「それは、えらいことだな。誰が行くことになるのか。」と彼と雑談していたが、まさか私にお鉢が回って来るとは、思いもしなかった。

その後この話が具体化して決まったとき、岩城さんはわざわざ私の席まで来られて「ご苦労だが」と仰って頂いて本当に恐縮したのを想い出す。

「指揮の一点、譲るべからず。」の教えは、ずっと守ってきた積りである。



コメント (6)
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