「初期のモトクロス戦略」-1
青野ヶ原でのモトクロスの優勝と上位独占、これがカワサキのレースの歴史のスタートと言っていい。
残念ながら、私には1963年のことというだけで正確な日時は解らない。
当日は雨の水溜りの中を走るレースになり、他メーカーのマシンはみんな止まってしまった中、B8改造のカワサキだけが走り続けて、運よく好成績に繋がったというのである。
このレースにヤマハで出場した山本隆君に先日確かめたので間違いないだろう。
カワサキのライダーとして出場したのは、加藤,飯原君などの社内のテストライダーたちであったことは、先日カワサキワールドの展示写真を見てはじめて知った。
このレースの結果、事業部の士気は上がり、単車再建への決断の大きな要素になるのである。
そしてモトクロスは重要施策と位置づけられた。
神戸木の実から、山本、歳森。 カワサキコンバットから三橋、梅津、岡部、加藤などのライダーを集めてレース活動を開始した。
当時のカワサキは、他のメーカーに勝てるものは何にもなかったので、例えどんなレースでも「勝つこと」が求められたし、勝つことによって地方の代理店も工場サイドも士気が大いに上がったのである。
この目標達成のために、地方のどんな草レースにも、ライダーを分けて派遣した。
殆ど毎週のように、日本各地の勝てそうなレースに出場した。
結果は、連戦連勝で会社の掲示板にも、代理店へのニュースにも派手に宣伝された。
レースに対する知識も少なかったし、みんなが本当に強いのだと信じて疑わなかったと思う。
翌年の春、相馬が原で行われたMFJ第1回全日本モトクロスを前に、当時のレース担当の川合さんが「今度は、城北も来るし困ったな」と言っていたのを思い出す。
何のことか解らなかったが、全日本の結果は入賞はおろか、5位までにも入れなかったのである。
未だ、本当の実力はなかったのである。
ここまでが、レース初期の第1期と言えるだろう。
この相馬が原の結果を踏まえて、マシン開発もライダー育成も、本格的なレース活動へ取り組むことになっていくのである。
然し、今思っても「モトクロス初期、第1期」の広報戦略は、間違っていなかったと思う。
少なくとも代理店を含め身内の人たちの、モトクロスに対する関心は盛り上がったものになった。
連戦連勝のイメージばかりが残って、相馬が原のことなど知らない人が殆どであった。
そして、「モトクロス初期、第2期」へと入っていくのである。
青野ヶ原でのモトクロスの優勝と上位独占、これがカワサキのレースの歴史のスタートと言っていい。
残念ながら、私には1963年のことというだけで正確な日時は解らない。
当日は雨の水溜りの中を走るレースになり、他メーカーのマシンはみんな止まってしまった中、B8改造のカワサキだけが走り続けて、運よく好成績に繋がったというのである。
このレースにヤマハで出場した山本隆君に先日確かめたので間違いないだろう。
カワサキのライダーとして出場したのは、加藤,飯原君などの社内のテストライダーたちであったことは、先日カワサキワールドの展示写真を見てはじめて知った。
このレースの結果、事業部の士気は上がり、単車再建への決断の大きな要素になるのである。
そしてモトクロスは重要施策と位置づけられた。
神戸木の実から、山本、歳森。 カワサキコンバットから三橋、梅津、岡部、加藤などのライダーを集めてレース活動を開始した。
当時のカワサキは、他のメーカーに勝てるものは何にもなかったので、例えどんなレースでも「勝つこと」が求められたし、勝つことによって地方の代理店も工場サイドも士気が大いに上がったのである。
この目標達成のために、地方のどんな草レースにも、ライダーを分けて派遣した。
殆ど毎週のように、日本各地の勝てそうなレースに出場した。
結果は、連戦連勝で会社の掲示板にも、代理店へのニュースにも派手に宣伝された。
レースに対する知識も少なかったし、みんなが本当に強いのだと信じて疑わなかったと思う。
翌年の春、相馬が原で行われたMFJ第1回全日本モトクロスを前に、当時のレース担当の川合さんが「今度は、城北も来るし困ったな」と言っていたのを思い出す。
何のことか解らなかったが、全日本の結果は入賞はおろか、5位までにも入れなかったのである。
未だ、本当の実力はなかったのである。
ここまでが、レース初期の第1期と言えるだろう。
この相馬が原の結果を踏まえて、マシン開発もライダー育成も、本格的なレース活動へ取り組むことになっていくのである。
然し、今思っても「モトクロス初期、第1期」の広報戦略は、間違っていなかったと思う。
少なくとも代理店を含め身内の人たちの、モトクロスに対する関心は盛り上がったものになった。
連戦連勝のイメージばかりが残って、相馬が原のことなど知らない人が殆どであった。
そして、「モトクロス初期、第2期」へと入っていくのである。