つれづれなるままに  1432  今年もあと1日

2011-12-30 16:05:01 | 季節感

YOSAKOIチームが解散して10年経ちました。嘗てはこの仲間とYOSAKOIに青春?をついやした同志、毎年暮れの押し迫った29日、飲んで、飲んで、食べて、しゃべって3時間お互いの健康を確認しています。皆さん来年もまたよろしくね。ボケは携帯メールからなので・・

 


つれづれなるままに  1431  合唱曲 「あすという日が」

2011-12-28 13:43:54 | 季節感

今年は年賀も終わりました。大掃除・・どのテレビをみても簡単掃除方法など・・なるほどそうかと思いながらそのうちにと、ゴミで死ぬことはないとタカを括っています。

2月22日のニュージランド、クライストチャーチの地震から始まって3月11日の東日本大震災続きました。クライストチャーチの地震でも28名の日本人留学生が亡くなりました。日本は春休みに、その時期を利用して語学留学、他の国でも働きながら語学をマスターできるワーキングフォリデー、これを利用して多くの日本人が留学、滞在しているようでした。私たちは1週間ほどの滞在でしたが、治安も良く、温暖な気候本当に美しい街でした。、亡くなられた方々、さぞ無念であったかと、皆様のご冥福を祈りながら戻ってきました。まだ最後の不明者もみつからない3月11日、今後はこの日本での大災害、100年、いや1000年に1回起こりうるかどうかの大地震、復興には多くの時間とお金がかかります。今回は奇しくも2ケ所被災地の訪問となってしまいました。

テレビからこんな歌が流れてきました。

 あすという日が

 作詞 山本 瓔子  作曲 八木澤 教司


大空を 見上げて ごらん           
ふまれた あとから 芽ぶいてる
いま 生きて いること
いっしょうけんめい 生きること
なんて なんて すばらしい
あすと いう日が くるかぎり
自分を 信じて
あすと いう日が くるかぎり
自分を 信じて

   あの道を 見つめて ごらん
あの草を 見つめて ごらん
ふまれても なおのびる 道の草
ふまれた あとから 芽ぶいてる
いま 生きて いること
いっしょうけんめい 生きること
なんて なんて すばらしい
あすと いう日が くるかぎり
自分を 信じて
あすと いう日が くるかぎり
自分を 信じて

あの 枝を 見上げて ごらん
青空に 手をのばす 細い枝
大きな 木の実を ささえてる
いま 生きて いること
いっしょうけんめい 生きること
なんて なんて すばらしい
あすと いう日が あるかぎり
しあわせを 信じて
あすと いう日が あるかぎり
しあわせを 信じて
 

 

 

今年の中学校の合唱コンクールで歌われた曲、仙台八軒中学校の合唱部が被災地で歌っていました。秋川雅史氏も歌っていますが、合唱はいいですね。私も歌ってみたくなりました。今年の演奏会参加は2月の東京国技館を始め、清水、岩沼、キタラの「999人の第九」と4か所になりました。来年はまだまだ頑張れるかなと思いながら・・。まだいろいろな所で歌声を披露したいものです。


つれづれなるままに 1430 着物の色は  

2011-12-27 17:54:43 | 季節感

変なブログになった。新年会、皆さん着物を着るとのこと、タンスに眠っている着物を出してみた、帯はと東京の姉に・・着物の色や柄がわからなければと、手っ取り早くブログで写真を入れてと、しかしブログの写真の色と着物の色はあまり一致せず、たまに着物でも着ようかと思うと大変なことになります。特に雪国は足元からと・・。

江戸小紋 

  

                                                                           紬 しぼり

    

  小紋                                 

     

サメ小紋


つれづれなるままに   1428  年賀は被災地の現状を

2011-12-26 12:14:59 | 季節感

毎年年賀状は版画、版画一式テーブルの上に置いたままパソコンを、パソコンの手を休め外は吹雪です。今年はもう雪は、玄関前に積み上げられて山となっています。狭い路地は人と車がすれ違うのがやっと、3月4月とこれからは雪との戦いが始まります。

小鳥に冬のみ餌をあげます。今の所スズメのみ、食欲旺盛、餌台に積もった雪もこの通り・・。

 

夜中思いつきました。私は夜中にアイデアが浮かびます。そう今年の年賀は先日訪れた仙台の被災地にしようと、まだまだ復興には時間とお金がかかります。この目でみた現状を、写真を交えて年賀状にしてみようと。

「がんばろう!日本」と赤で添え書きして。


つれづれなるままに  1427  さてさて年賀状は

2011-12-24 17:27:12 | 季節感

年賀状を書く時期になりました。毎年この時期になると あせり 義務とこんなことして年賀の挨拶もあったもんだと思いながら、昨年の年賀状を見ながら、新しいパソコンの筆まめに住所を書き込み、今年の年賀を改めて読み返していました。

奈良時代は新年の年始回り、これが平安時代には文書で年始の挨拶になったといいます。今はデジカメで撮った写真、パソコンとプリンター作成印刷、どれをとっても同じようにしか見えません。子ども達も同じ年賀なのでしょうか。いも版画、ゴムは版画、歯ブラシでこすって絵を浮きただせる・・こんなことはもうないのかしら。パソコン年賀ソフトの中から自分好みの年賀をと、手書きは少なくなりました。味気ない・・これこそ義務で・・近況のお知らせのようなもの・・でもこれも必要なのかもしれませんが・・

今年は「おめでとう」「お喜び申し上げます」などとは書けませんね。私は仙台の友が多く、年賀も仙台の被災地の友等に・・元気でいるかしら・・・少しは落ち着きましたか・・そんなお悔やみの言葉になってしまいそうです。かつて関東大震災のときは年賀中止となったと聞きます。大分昔の話ですが。

 


つれづれなるままに  1426 復興を遂げた関西、被災地仙台のTV中継

2011-12-23 17:05:13 | 雑記

大阪と仙台を結んでの「サントリー1万人の第九」 阪神大震災から復興した関西、東日本大震災の被災者が歌う仙台会場の中継映像、12月4日のコンサートがTV放映されました。

我が合唱団からも毎年50名ほど参加、私も3年前に参加しました。今回は東日本震災の犠牲者の鎮魂と復興の願いを込めての中継、福島在住の詩人、和合亮一さんが自作の詩「高台へ」を朗読、バックには南三陸の津波で骨組だけになった町並み、先日目の当たりにした閖上の風景が映し出されました。「高台へ・・高台へ・・逃げてください・・高台へ・・」と最後まで住民を誘導しながら波に消えていったと・・「生きていてくれ」の願いも叶わず海の向こうにたくさんの人が旅立ちました。

被災地を訪問した指揮者の佐渡祐氏は海に向かい「G線上のアリア」を涙ながらに演奏、今回「第九」を歌う団員も多くの犠牲者が出たそうです。亡くなった妻の為、夫の為、友の為に参加を決めたと、このままではいけないこれからは前向きに歩き出したい・・と結んでいました。


つれづれなるままに   1425 2学期終業式 スクールパトロール

2011-12-22 10:21:59 | 季節感

今年は雪も多く、寒さも厳しいようです。今日は小、中学校の終業式、朝のスクールパトロールも今日から冬休み、子どもたちと一緒です。100世帯の小さな町内会、角々に7人も立って子どもたちの登校を見守ります。10人いたパトロール隊員も3人、高齢、病気などの理由で辞退・・今いる方たちも、80歳を超えた高齢者です。自分の身体を重視、無理せずにお手伝いしてくださいねと。これはボランティアです。私とて朝出ることは大変です。7時45分から8時20分もう10年になりました。でも子どもたちの成長も楽しみ、子どもらと毎朝かわす会話も楽しみな一つです。もう今年はこれで終わりですねと、来年もよろしくと別れました。皆さんご苦労様でした。


つれづれなるままに  1424  祈・東日本大震災被災地復興

2011-12-21 09:02:19 | Weblog

コンサート後、皆さんをSENDAI光のページェントにお誘いしました。私も仙台を離れ50年も経ってしまいました。昨年も仙台を訪れましたが、夏・・冬は初めてそしてこの光のページェントも見るのは初めてです。定禅寺通りのケヤキの木800メートルにわたってLEDの電球が光り輝いていました。このLEDの電球の保管倉庫が津波で被害に遭い全損して開催もあやぶまれたそうですが、被災地として、復興への希望の灯をとの思いから開催されたそうです。素晴らしいイルミネーシュン、復興への意欲を感じました。

 

SENDAI 光のページェント2007.jpg

3日目フライトが17時、朝、仙台に住んでいる妹の車で実家の墓参り、その足で、松島まで送ってもらいました。国道、松島に近づくにつれて、屋根にシートを被せた家々が、仙台は瓦の屋根が多く、その瓦が崩れ落ち被害を大きくしたようです。今は瓦が品不足、職人も不足、寒さをしのぐにも大変、復興までには時間がかかる様です。

穏やかな松島湾、松島は260もの島が点在しています。そのお蔭で津波は弱まり被害が少なかったとはいえ、この船着場も170㎝まで水に浸かり1階は全滅だったそうです。

   

海水はここまで来ましたとの印の所に立ってみました。すっぽりと水の中、どうもがいても溺れてしまったことでしょう。

  

仙台はカキの名産、これから美味しい生ガキが食べられます。これは震災当時の商店街すべてのお店の商品は水に浸かってしまったそうで、かつて焼きかまぼこ屋さんも3件、アツアツ焼きたてを食べられる店がありましたが、どの店も修復不可能とのこと、まだシャッターを下したお店も多く・辛うじて、かきや福来・・この真ん中の店に入り「生ガキ」3個で900円を食しました。ふりふりして海のミルクと言われるだけにとてもおいしい、これも多くの観光客に食べほしいと思いながら、しかし店の中は私たちのみ、もっと多くの観光客が来ない限り町の復興も大変だなーと、シャッターを閉めたままの商店街、かつての賑やかな松島の街に早く戻ってほしいと思いながら戻ってきました。幸いなことに湾の中はかき養殖、のりと少しずつ復興が始まっていました。

  

松島町を救った島々も相当痛手をこうむりあらわな姿に、島の景色もだいぶ変わったそうです。

   

  

住民が住んでいた海岸沿いの漁村、もう住むことができず、全員仮説住宅に移り住み空きやだそうです。

 

家が軒を連ね、田んぼがあり、畑がありと、のどかな田園風景が一瞬にして、ほうきで掃き清めたようにすべてが海の中に消えて行ったそうです。海水が引いた後には200も300人もの遺体が浮いていたと言いながらが地元の合唱団員は涙ながらに話してくれました。

今回、私たちはボランティアコンサートのみの参加、同じコンサートの仲間でもすでに災害ボランティアとして6月、7月参加、その中で今回の岩沼のコンサートを知って参加を決めたと言う方たちも大勢いました。日増しにボランティアの人数が減少しているようですが、私たちにもまだ何かができるはずです。今後また何らかのボランティアがあった時は進んで参加をと思いながら戻ってきました。


つれづれなるままに 1423  被災地より戻って

2011-12-20 13:38:30 | 旅行

モーツアルト作曲「ラクリモーザン」涙の日の曲で演奏会は始まりました。鎮魂と連帯そして希望と、被災者の方々を招待、この日の収益金はすべて東日本大震災に遭われた子どもたち、「子どもみらい募金」に義援金として送られました。

 

飛行機から眼下を、遠くからは穏やかな仙台平野が広がっていました。降りるにしたがって、まだ海水が引かず海水をかぶったままの田んぼや畑、道路だけが残され、何もかもすべてが津波に持っていかれてしまいました。

  

仙台空港から仙台市内へと高速道路を通りました。向こうはもうすぐ海、防風林も流され何にもない湿地帯に、塩害で水田や田畑は当分無理のようです。

  

辛うじて残った家も住むことができず空家のまま、田んぼに転がる船、、高速道路ぎりぎりで止まった船も目の前に、余りの近さに驚きました。

  

  

会場は岩沼市民会館 7月まで被災者のための避難所だったそうで、会館の目の前には仮設住宅が立ち並んでいました。夏に建てた仮設住宅、これから寒さ対策が行われるようですが、仙台もマイナス気温に、狭い寒いとまだまだ苦難は続くようです。

  

今回は札幌から参加は21名、群馬の桐生市からも36名、ロサンゼルスから3名と、岩沼合唱団加えて180名の大合唱になりました。前列の席は被災者の招待席、大ホールとは言へ舞台から観客席が、皆さんの顔が、表情が、手に取るように見ることができました。あとがとう・・がんばります・・と書かれたプラーカードを掲げての被災者の皆さん・・私たちの小さな贈り物、心に届いたでしょうか。

震災から9か月、この風景だけをを見ると、もはや瓦礫が取り除か、道路が開通、ここに人が住んでいた街があったなどとは思えない、数十年前、いや数百年前の開拓地に一歩踏み込んだようなそんな風景でした。

   

 


つれづれなるままに 1422  明日は仙台に

2011-12-16 21:34:19 | 旅行

今年もあと僅かとなりました。今日は今年最後の例会、もう来年の新年会の打ち合わせ、一週間早めのクリスマスケーキを皆さんで食べて・・来年もよろしく・・良いお年をなどと別れました。明日は仙台ボランティアコンサート、モーツアルト作曲レクイエム、ラクリモーザ、アンプもできないうちに出発となってしまいました。明日の今頃は合唱団全員集合して練習中のことでしょか。

1年ぶりの仙台です。震災後の仙台は・・・と。歌う楽しさ、友との再会も楽しみに、2泊3日の旅です。


つれづれなるままに   1421  一つ一つの行事も楽しみを取り込んで

2011-12-14 16:32:28 | 季節感

師走、走り回っています。一つ一つ行事を確実にこなしながら、楽しみも忘れずに・・・。

皆さんと共に参加した「おもちゃを選ぶ ともに楽しむ」、「初心者向け デジタルカメラ撮影術」「新!写真活用法」と3回の「孫育て講座」も無事終わりました。3回にわたって専門家の方の講座、おもちゃを選ぶにしても創造性を掻き立てるようなシンプルなおもちゃ選び、デジタルカメラでは幼児特に動きの激しい元気な子どもを撮る難しさ、最後は楽しくアルバムを作って楽しもうと、壁掛け、卓上にもなる思い思いの写真を制作しました。ホッキョクグマ アイラちゃんを私は…しばらくは机の上に・・。

 

昨年雪は12月ゼロの日が続きました。25日頃やっとホワイトクリスマスだねと、雪の多い岩見沢でも昨年の今頃はゼロ・・ところが今年はもう積雪が1メートルにもなっているとか、、毎朝雪かきに追われています。昼間融け、夜になるとシバレル、繰り返し、ツルツルの雪道をペンギンのような格好で歩いています。


つれづれなるままに  1420 12月観劇会 「海霧」

2011-12-11 10:23:54 | 雑記

今年最後の観劇会、劇団民藝、宇野重吉さん等によって旗揚げされた劇団で、現在は大滝秀治や奈良岡朋子をリーダーとして活躍しています。

今回は原田康子原作「海霧」釧路出身の、北海道を代表する女性作家、北海道を舞台とする作品が数多く発表されています。2003年自身の血族をモデルに書いた「海霧」、明治、大正、昭和の時代を生きた女性三代の物語「さよ」を樫山文枝さんが演じました。新天地を求めて佐賀から釧路へと渡り店を開いた樫山文枝さんが演じる「さよ」、過酷な風土の中で一族を見守り続けた彼女の胸にはあの釧路の深い霧があったと・・。樫山文枝さんはこの作品の演技で紀伊国屋演劇賞個人賞をいただいただけあって、女の一生を見事に演じ、みな惜しみない拍手を送りました。土曜日の午後とあって教育文化会館は超満員、年5~6回の演劇鑑賞、楽しみにしています。


つれづれなるままに  1419  ボランティアコンサート 岩沼

2011-12-09 11:47:27 | 雑記

                                                宮城版ニュースより

鎮魂と歓喜、願い込め 岩沼市民が12月に「第9」演奏会

指揮者川瀬さん(左)の指導を受け練習に励む第九の会メンバーら=岩沼市民会館

 宮城県岩沼市の市民合唱団「みんなで歌う第九の会」は12月18日、岩沼市民会館で演奏会「響け復興の第九」を開く。東日本大震災の犠牲者を鎮魂歌で追悼し、復興への願いを込めて「第9」を力強く歌う。国内外から応援合唱団が駆け付ける予定で、総勢170人が歌声の輪を広げる。

 曲目はモーツァルトの鎮魂歌「ラクリモーサ(涙の日)」、ベートーベンの交響曲「第9番合唱付き」など。演奏は仙台フィルハーモニー管弦楽団。名古屋フィルハーモニー交響楽団の川瀬賢太郎さん(26)が指揮する。
 第九の会の演奏会は1987年に始まり、ことしで25回目。会場となる市民会館が震災の避難所となったため、一時は開催が危ぶまれ、団員募集は約1カ月遅れた。市内外の男女110人が団員となり、7月末に練習を始めた。
 演奏会には、4月にボランティアとして岩沼市を訪れた群馬県桐生市の合唱団員約30人や札幌市の約20人、米国ロサンゼルスからも数人が応援に加わる予定。
 第九の会代表の会社役員上野知道さん(55)は「かつての団員が亡くなったり、現団員の中にも自宅が被災した人がいる。みんなで悲しみを乗り越え、希望が持てる演奏会になれば」と話す。
 指揮者の川瀬さんが16日に訪れ、初めての音合わせを行った。川瀬さんは「鎮魂と喜びという全く正反対な性格の曲。犠牲になった方々の魂が安らかになるよう、生き残った人々の生活が穏やかであるよう、祈りを込めて演奏したい」と語る。
 午後2時半開場、3時開演。入場料は前売り全席自由3000円。被災者無料招待

 

昨年は12月6日、寒さの中、北海道第九の発祥地、清水町を訪れ団員と「第九」を歌ってきました。清水町第九は五年に一度しかありません。次回も元気で訪れ歌うことができればと仲間と話をしていましたが、今回生まれ故郷、宮城県岩沼でのコンサート、是非参加したいと、仲間20名のメンバーに加えていただきました。

今回は私たちもボランティアとして参加します。初めて歌う「涙の日」ラクリモーサ、日々CDを手元に置きながら練習に励んでいます。当日は地元のお友達を招待しました。「喜んで行きますよ」と、昨晩電話が、いかに被害が大きかったか、テレビや写真で見る、そんなものでないよ・・・来て見て想像を絶するからと言われました。友の親戚のお寺は、波が引いた後は家も寺も墓石もほうきで掃き清めたように、何もなかったと・・。


つれづれなるままに 1418  孫育て講座 2回目デジタルカメラ撮影術

2011-12-08 12:24:25 | 雑記

孫のいない人も、いる人も、「初心者向けカメラの撮影方法、カメラの使い方だよ」と我が仲間を誘いました。皆さん快くOKと仲間は8人も集まり、参加者の大半を占めてしまい賑やかな講習会となりました。

講師は専門の方、国内の写真印刷では第1人者だそうで、写真はカメラヤさんでプリントすると一段と色鮮やかな仕上がりになるとか、それにしてもプリント1枚30円だそうです。

自分のカメラとは言え、いつも手元に置いてシャッターのチャンスをとはほど遠く、素人の私たち、今はカメラ講座を受けていますが、1年に何回カメラと向き合うことでしょうか、それも撮った写真はそのままカメラにいれたままの方が大半、そんな方へのアドバイス、それを取り出してミニアルバム、想い出づくりをしようとの講習会でもありました。

昨晩その様子がテレビで放映されました。手持ちのカメラでも四苦八苦、テレビカメラが回るのを意識している暇はありません手元の自分のカメラに集中、しかしアナウンサーも今日は生徒、カメラマン2時間我々を追い続けていました。放映は10分位もあったのでしょうか、仲間が全員楽しそうに映っているのをみて安堵、「映ってたよ、映ってたよ」と電話をいただき、皆さんよくテレビを見ているのだなと感心しました。

 

 

  

            早速モデルがやってきました。カメラマン、顔はすっかりおじいちゃん、撮るのも忘れて・・。

       

 モデル2組の親子・・カメラマンはスタッフ入れて総勢20名ぐらいでしょうか。モデルはカメラマンなどお構いなし、動いていつの間にかカメラ目線から消え行きます。子どもを撮るのは大変、子どもと追いかけっこでした。

   

                  今回の最高傑作・・豪快だ・・怒られそう・・・。

                


つれずれなるままに 1417  札幌ホワイトイルミネーション

2011-12-07 20:26:55 | 季節感

この日の撮影のために買い求めたストロボ、ネットでの買い物、間違いなく届きましたがタッチの差で間に合わず、撮影会に望みました。

4丁目広場、クリスタルリバー(バイオヂーゼル燃料発電による点灯)

     

    

3丁目クリスマスツリー、ストロボなしでもこのように撮れます。シャッタースピード100で

  

    

    

               サンタクロース、ライラック

        

        クリスマスデコレーション

           

大通公園内ミューヘンクリスマス市も開かれ24日まで、16:30かた22時までとか、撮影に今一度訪れなくてはと思いながらストロボ持参で。