つれづれなるままに  228 孫の到来

2007-03-31 18:22:21 | 雑記
春休み、旅行から戻ったその日にはもう大きな荷物を抱えてやってきた。
春・夏・冬の短期水泳教室は我が家から通う事になっている。もうすぐ4年生、口も達者だが行動力もすごい。プールは独りで大丈夫行けると頑張るが、一日目はバスの乗り方、停留所を教えた。朝7時55分のバスに乗らなければならない、6時にけたたましく孫の携帯の目覚まし時計が鳴り響いた、ほっといたら「おはようおばあちゃん」と飛び起き、水着の上から、服を着、食事をして、飛び出していきました。プール学習1時間30分、10時半には、元気で戻ってきました。「バス発車したけど、手をあげたら乗せてくれたさ」とすまして。お腹すいたとおにぎりぱくつき、いつもの友へ電話、自転車を出し、友との家、公園を駆けずり回り、6時戻ってくる。ピアンを練習(幼稚園の先生になる事にしたそうです)漢字の書き取り、算数、二桁、三桁の掛け算、私は電卓で答え「おばあちゃんずるい」といわれながら、間違うたびに「ばかじゃないの」とテレビなぞ見ることなく、風呂に入りバタンキュウと幸せな事だ、プールも、平泳ぎ合格14級とか、認定書をふりながら帰ってきました。
こんな日が後4~5日続くのでしょうか。孫との受け答えも楽しみなものです。
ちなみに今日は友が我が家にお泊り、食事は回転寿司となっています。

つれづれなるままに  227  悠久エジプト  7 おみやげ

2007-03-29 09:17:18 | 雑記
旅行先、その国らしいおみやげと、安くて軽くて、記念になるものがと思う。
今回は、エジプトらしいものと買ってきたと言おうか、拾ってきたと言うか、エジプトパンなどは頂いてきました。朝の食事に出るジャム類も、石ころも。パピルス見学の時のパピルスの茎、ただの物は何でも頂いてきました。
砂漠の砂を抱いている猫、猫キチ、ついドバイの空港で、買って良く見たら、Made in China 私の買い物って、いつもこんな物です。
          
砂漠の砂とり放題。これを5$買ったビンに入れました。   孫には3$ラクダ、町の子供から     

                        
タペストリー5枚1,000円余りしつこく寄って来たので 

これぞ貴重なピラミットで拾った化石、何億年前は砂漠も海だった証拠。
ガイドさん拾っていきなさいと。いいのかなと思いながら。
白いのは、水晶のカケラ、飴と交換。


後は日本語版ガイドブック、カイロ博物館では15$、街の中客引き1,000円同じものかな?と。エジプトはポンド、1ポンド21円 両替は1,000円もあれば十分と言われ、ポンドは殆ど、トイレ、枕銭のチップ、後はドルと円でした。

つれづれなるままに 226  悠久のエジプト  6 雑記

2007-03-28 13:32:48 | 雑記
ソウルを発ち、エベレストの上空を横切ります、エベレストの山並み、楽しみにしていましたが、行きも帰りも真夜中、お星様だけが光り輝いていました。朝、ドバイ、上空から見るドバイの街並み、砂漠の中に忽然と現れました。ドバイの空港は異国情緒溢れる人々でごった返し、アラブの国に来た事を実感しました。

始めてエジプトを訪れた日本は福沢諭吉も名を連ねる遺欧使節団、それから2年後1864年池田筑後守率いる遺仏使節団が始めて、スフィンクスと体面「大首あり」と驚いた事が記されています。

ピラミット、そして王家の谷、カイロ博物館、ツターカーメン、ミイラ、壁画、装飾品からは当時の様子が良く分かります。壁に描かれた絵の下絵がそのままの状態であったり、柱の装飾がまだ未完成のままだつたり、下絵をコピーそれを次々と写す人、彫る人、色をつける人と流れ作業の様子がうかがえます。
王の威厳を現す塔、オデリスク
(これはラムセス2世のもので花崗岩から出来ています)
  
この塔は25m、ビル6階の高さになります。これを切り出している石切り場、そこには、途中で亀裂が入りそなままに、その石を切っていたのが、私が持っている硬い石、石の切り口は丸い石の痕が、何年かかかったのでしょうか。
これを立ち上げるのには砂漠の砂を片方に入れ、立てていったそうです。
遺跡は、殆ど砂に埋もれていました。砂の上に僅かに残る石垣、遺跡を余り重要視してなかった時代にはその上に家が建てられ住居とされていました。この日干し煉瓦の上は、今も教会として使われ、見上げるほどの高い所にあります。

砂のみならず、半分、水の中に沈んでいた神殿も多くあり、むしろ保存状態が良く、天井の壁画は色そのものがきれいに残っている物もありました。
またナイル川の氾濫を無くすため、大規模なダム建設が、世界一大きいアスワンダム、ナーセル湖です。このアスワン・ハイ・ダムの工事で多くの遺跡が沈みました。
 
このラムセス2世と王妃ネフェルタリのアブ・シンベル神殿と小神殿、一度は砂にうずもれ19世紀に発見、しかし今度はダムの中に沈む運命、ユネスコの援助で、20年かかり60m、ダムの上に同じよう移し、今は観光客で賑わっていました。夕方、音と光のショウー日本語の解説が付きました。
次の朝早く起きて、ナセ-ル湖から上がる日の出を見にいきました。向かいはもう、スーダンの国です。

旅行はいつもあれも見たい、これも見たいと欲張ります。ラクダにも乗りました。ロバタクシーにも、最後はベリーダンスも躍りました。写真とてバッチリ。今回は400枚近い写真を撮って来ました。まだまだお見せしたい写真が一杯、今回は目で見、触れ、食した物の一部を書きました。これからアルバムを作り、エジプトで買い求めてきたCD、またフォット・ストーリを作りましょう。

つれづれなるままに 225  悠久のエジプト  5 ラムセス2世

2007-03-27 17:09:33 | 雑記
本で見る、テレビで見るとはまた違った遺跡の見方もありました。         
ラムセス2世                     

ラムセス2世        王妃ネフェルタリ
 
何処に行ってもラムセス2世の名が出てきます。ラムセスは22歳で即位、94歳で亡くなるまで、100人の妻と200人の子供を儲けたと言われています。最後は自分の子供、王妃ネフェルタリと結婚、アブシンベル神殿にラムセス2世とネフェルタリ王妃の岩窟神殿があり、カイロ考古学博物館には、ラムセス2世のミイラがあり、王妃ネフェルタリの墓は王家の谷の中にある、王妃の谷にありますが、盗掘され中には何も残されていません。しかしどうして、それらの名前が分かるのでしょか。      
このエジプト文字(ヒエログリフ)ラムセス2世と記されています
    
これらの解読はロゼッタの町で黒玄武岩に書かれた石が発見「ロゼッタ石」によって解明されました。(この石はイギリス大英博物館にあります)この石の発見で、神殿の壁に書かれは文字、パピルスの巻物に記したもの、王の名、その当時の様子が壁画と共にわかる様になりました。

つれづれなるままに  224 悠久のエジプト 4 人々の暮らしぶり

2007-03-27 13:19:40 | 雑記
「アラーは偉大なり」の祈りの声に目覚め、一日の仕事が始まります。
道端のパン屋さん              漬物屋さん
 
魚のピクルス            果物や             肉やさん
  
ロバに積んで売りに来ます。

バザールが開かれていました。列車の線路の上に物が散乱、列車通過、すかさず
物を片つける。テレビから下着まで、周りは車でごった返し、おまわりさんは暢気に、私達に手を振って。
おまわりさんとて、写真を撮るとチップ要求します。
 
町の観光タクシー15$取られました。

レクソールからリビヤ砂漠を越えて、南のアスワンのアブシン・ベルまで800㌔を途中一泊の行程です。朝6時町の広場にルクソールからアスワンへ行く、全ての乗り物が集結、
警察の取調べ、                           車のナンバーチック
 
砂漠の中、事故を防ぐための団体行動、前後に警察の車2台先導、一台が事故、故障の時は全て止まって待つとのことでした。果てしなく続く不毛の地砂漠、砂嵐で飛ばされ岩肌がむき出しになった岩石、鉄鉱石とか、遥か彼方には、蜃気楼があたかも、湖があるかのごとくゆらゆらと揺らめき、人をも寄せ付けない砂嵐が舞っていました。後1週間もすると、強烈な砂嵐、道路はすべて封鎖されるそうです。また、この道も1ヶ月に一回、砂を取り除く掃除、ほっとくと道は砂で埋もれてしまうそうです。
 
帰りも護衛付にて、警官は至る所に拳銃を構え立っています。あのルクソール事件以来なのでしょうか、全てのところでセキュリテイの検査、ホテルの出入り、遺跡の見学、かばんを開け、上着、靴の中、水も、カメラ内部持ち込み禁止、寝台車は外国専用車と、バスには、警察官が一緒にと安心して観光が出来るようになっていました。



つれづれなるままに 223  3悠久のエジプト エジプト料理

2007-03-26 13:58:23 | 雑記
砂漠に囲まれたアラブの国、牛、羊、鳥、はと、ラクダの肉、それにスパイス、油をたっぷり料理と思っていました。そんな料理を10日間も、さぞ食べられなくて困るだろうと、スーツケース半部は食料、白粥、カップメン、ビスケット類、飴、卵スープ、そしてカステラ、羊羹までそれにペットボトル1本と、しかしエジプトはナイルの水がもたらした豊富な農作物、そして地中海で獲れる新鮮な魚介類と、毎日美味しく、食べる事が出来ました。ただ、水が硬水のため私たちには合わず、カットした野菜、果物は食べないほうがいいと、豊富な野菜を目の前にサラダは食べる事は出来ませんでした。
特にパン、私はパンが大好き、エイジという独特のパン、、ゴマペースト、ひよこ豆を潰したホンモス、かぼちゃ、豆、魚をベースにしたスープ、これらは熱々、スープの後はお米を主に、添え物はポテトフライ、シシケバ(肉)かミートバジン(トマトソースで魚を煮たシチューのようなもの)最後は甘いケーキ、マンゴウジュース、がバジュースと、酒を飲まない民族これらの食事を時間をかけてゆっくりたと家族で食べるそうです。


まだまだ美味しいものがありました。これらを全て食べつくし少しふくよかに、朝から甘いお菓子のようなパンなぞ2~3個ぺろりと幸せな気分に浸ってきました。
行きはエコノミークラス、機内食


帰りはビジネスクラスを使用、機内食


飛行機の乗り降りは優先、空港での待合室は別、荷物の出てくるのも優先、ワイン、ビール、ウイスキー、日本酒まで次から次えと、椅子は大きく足もゆったりと伸ばして休む事が、夜は個人用のテレビ鑑賞。すっかりおのぼりさん気分に浸って帰って来ました。

つれづれなるままに  222 悠久のエジプト  2 ピラミット

2007-03-25 12:31:45 | 雑記
                 
カイロからアスワンまでの距離、飛行機、バスにて8日間、リビア砂漠を越え、アブシンベルへもう隣はスーザンの国です。
カイロを発ちバスで1時間の所に三大ピラミットで有名なギザの町、ギザとは、カイロの大墓地に与えられた名前だそうで、クス王、カフラー王、メンカフラー王のピラミットを見る事ができます。
           
一番大きいクス王のピラミット、クス王が即位すると、全人民が彼のために働く事を強要され、上エジプトの山地の石切り場から石をナイル川に運ぶもの、石をナイル川を使って運ぶもの、一時に10万からの人間が3ヶ月休まず働き、石を運ぶ道を造成するのに10年、ピラミットの地下室部分の工事に10年、ピラミット本体の工事に更に20年の歳月が費やされたそうです。
         クス王のピラミット内部を見学
            
クス王ピラミツトの内部は、湿気、暑さ、急な階段、腰を屈めての狭い通路、中は全て盗掘され、ミイラが入っていたとされている石棺のみ、クス王は大ピラミットを建設したと言われてはいますが、ツタンカーメン、ラムセス2世ほど有名ではなく、不明のてんが多いようです。
       このクス王のピラミットから350mの所に大スフィンクス
頭部は人間、体はライオンの巨像が顔立ちはメンカウラー王を模していると言う説、王の墓守りとされています。
           

ギザからまたバスにて1時間メンフィスにある、世界最古のピラミットがあります。箱型、マスタバ噴を積み上げた階段状にしたも、これがピラミットの原型になったと言われています。
          
屈折ピラミット、階段ピラミットとも言います。これはなぜ屈折したのか謎とされていますが、地盤沈下が起こったため、石の量を減らして重さによる崩壊を防いだとも言われています。
         
      設計ミスのピラミットもありました
       
ピラミットは古代エジプトの史上最も有名な遺跡ですが、いつどうやって、なんのために作られたか、詳しい事は殆ど分かっていません。
ファラオの墓だったとか、ナイル川が氾濫する季節、仕事がなくなる公共事業だったとか60基のピラミットが発見されてはいますが、クス王のピラミットの石棺は小さく、装飾もなし、ピラミットの謎は今も解明されていません。しかし、クレーンや、ブルドーザーの全くない時代に、大変な事業だったことでしょう。
石の大きさは人間の背丈ほどありました。
                  

つれづれなるままに  221  悠久のエジプト  1

2007-03-24 15:39:57 | 雑記
         
         
世界最長の川大河ナイル川、アフリカ大陸の奥地に源流を持ち、約670kmをゆっくりと流れ、その広大な流域で、この恵みを受けて暮らす人々、そこに繰り広がれている古代エジプト文明、今からおよそ5200年前から始まり3000年間長きに渡って出来た古代文明、各地に残された遺跡や壁画、、ヒエログリフ(エジプト文字)これらを見るために憧れのエジプトへと、。旅立ちました。
ソウルからドバイをへてカイロへと12時間の旅、カイロは年に数日しか雨が降らない国とか、私たちが着いた時はスコールのような雨が降っていました。しかし傘を持たない民族とか雨の中平気で歩いていました。 
         
       
日本からカイロの時差は-7時間、カイロに着いたのは朝の7時と言うことは、日本の時間にすると、夜中の12時でしょうか、寝ないでの観光が始まりました。気温17℃、南の暑いイメージとは違い、肌寒く、北国の服装での観光に入りました。
日本人観光客が多いのか、エジプトポンドより、米$、日本円、1,000円、100円が使われて、私たちを見ると「おしん、おしん」とエジプトでは「おしの」のテレビが大流行、日本人は、着物を着ていて、「おしん」のような人ばかりと思われているようです。バスを降りるとすぐさまいろいろな物売りが走ってきます。「おしん、おしん」「やまもとやま」「みるだけね」「安いよ、安いよ」「チョット待ってください」そして最後は「ワンダラ、ワンダラ」「シェイエン、」「シャクエン」と巧みに近寄ってきます。月、生活費2万とか、売り手も一生懸命、これとて良い稼ぎになりす。
仕事をしているのは男性のみ、女性は結婚と同時に家庭に入るのが殆ど、学校は6,3,3生日本と同じ、学費は大学まで無料、しかし義務教育ではなく、自由にやめる事ができるとか、大学まで出ても殆ど仕事がない、小学校の途中でやめ、家の手伝いをする方が多いそうです。学校は制服、リュックを肩に、頭からはスカーフで髪の毛を覆い、2時には学校が終わります。学費は無料ですが、個人塾のようなものがあり、そこに通って勉強するとか、それが高額だと、帰って、勉強をし、おやつを食べ、手伝い、遊びと、日本と同じ。
結婚はお見合いが常、イスラームの教えに従って、結婚前の体の交わりはなく、家庭に入った女性は子供を4、5人生み育児に専念します。そのせいか、体の線が出ない服装をしていますが、殆どの女性は堂々とした体格の方が見受けられました。
女性を見たのはトイレ、それも女性トイレの前でチップを受け取る方のみでした。
1日5回のイスラームの礼拝、モスクで行う必要はなく、何処でも良いとか、マイクを通して朝、昼、夜となく聞こえて来る「アラーは偉大なり」とアラビヤ語で異国情緒たっぷりの旅が始まりました。
2回目は「食べるケーキ」に付いてお話したいと思います。アラビヤ語でピラミットのことだそうです。


つれづれなるままに  220  学位授与

2007-03-13 17:52:30 | 雑記
大学で学び始めて今年で6年目、本日修士課程を卒業しました。4月からは大学院生となります。この6年間多くの事を学びました、そして多くの友が出来ました。これは、何事にも変えがたい財産だと思います。今日の学長の祝辞に、長寿と長命とは違う、長命はただ生きながらえて命を保つ事だが、長寿は健康で幸福の上に成り立っているとか、健康で日々幸せな生活の中に長寿があるようです。これからも、学ぶ事を忘れずに、健康で過ごしたいものです。
明日から10日間見聞旅行に旅たちます。少しでも何かを得るものが有ることを信じています。

つれづれなるままに  219  海外での寝台車

2007-03-12 09:50:35 | 雑記
海外の楽しみは列車に乗る事もあります。そのお国柄が良く出ています。
ユーロスターに10年ほど前体験、世界の高速列車の花形、ユーロスター、イギリス、ウオータールー駅からパリ、ブリュッセルまでの3時間、あっというまにパリに着いてしまいました。
ロシアはサンクトペテルブルグからモスクワまで、サンクトペテルブルグは昔はレニンググラード駅、出発ホームなし、バスは列車ギウリギリにつけ、自分の荷物を持参、列車に乗り込みます。1等寝台車、荷物を置く場所もあり、洗面用具、スリッパ等備え付け、快適な旅でした。乗務員は女性が殆ど仕事をしている女性の多さに驚きました。
フィンランドではサンタクロースに会い、ロバニエミ中央駅からタンペレまで、こんどはムーミンに会いに、サンタクロースエキスプレス号に乗り寝台車で12時間、途中眠い目を凝らして、一晩中オーロラを楽しみました。
今回エジプト
アスワンからカイロまで12時間、ナイルエクスプレス号1等寝台車、どんな列車の旅になるか楽しみです。


つれづれなるままに 218  観劇会

2007-03-08 23:02:06 | 雑記
これは、会員みんなで運営する観劇会です。
今回は、浅利香津代さんのひとり芝居、明治19年、秋田を舞台に「秋田の赤い靴」として人々を驚かせた実話をもとに、松山善三氏が脚色"生きる苦しみと喜びが擬縮されたすばらしい舞台でした。
観劇会は月2,800円年7回のお芝居を楽しむ事が出来ます。
2007年
 4月 「恥かしながらグットバイ  出演 佐藤B作・角野卓造・すまけい
 6月 茂山狂言会「二人袴・千鳥・梟」 出演 茂山千五郎他
 7月 「少女とガソリン」 出演 中山祐一郎・安達暁
 9月 小宮孝泰「接見」ひとり芝居
11月 「ミザリー」コマプロダクション 出演 渡辺えり子・小日向文世
 1月 ナイロン100℃
 3月 「エキストラ」三谷幸喜作 出演 佐藤B作・綾田俊樹・あめくみちこ・他
えんかんは会員全員が観客、と同時に「主催者」会員が見たいお芝居を選んで呼び、自分たちで運営しています。サークルに入り一緒に楽しみませんか。
      HP http://homepage/nifty.com/enkan

つれづれなるままに 217 悪質商法

2007-03-08 11:28:05 | 雑記
昨日は、札幌消費者協会、相談員の方の講演でした。
悪質商法に私たちは一度や二度の経験があると思います。私の町内にも催眠商法(SF商法)を見かけた事があります。高齢者に声を掛けていました。”痛いところはありませんか、膝、腕良いサポーターがありますよ、無料で差し上げます。友が頂こうと手を出したら、2時にもう一度来て、その時みんなにあげるからと。また数日後、今度は「黒豆茶」健康にいいよと、決して若者、威勢のいいおばさんには声は掛りません。ひとりで歩いている高齢者のみで、危ないなーと思って見ていて、ダメよ貰っちゃと声掛けることは出来ません。あくまでも本人の意思なのです。本人が良いと思えばどうする事もできないのです。
私の所にも海外宝くじ、架空請求書のハガキ、封書、聞いてはいますが、やはり、ビックリします。電話での勧誘”いいです""結構です”これはOKにとられることがあるそうです。”いりません””お断りします”とはっきり断る事だそうです。
友が電話での勧誘、お断りの応答が悪かったのか、毎晩、嫌がらせの無言電話に悩まされました。電話番号は相手が握っているのですからどうする事もできません。
点検・見本工事商法全部が全部悪質だとは思いたくありませんが、すぐ工事ではなく、いろいろな方に相談してからお願いしたいものですね。
”床のワックスがけ300円”、友がお願いしたようです。たまたま私は、その家を訪問ワックスがけを見ていました。居間の荷物を除け、徐に掃除機をだしてその先にワックス専用のブラシを付け磨きだしました。何を売るのかなと思っていましたらそのブラシのようです。ワクスが乾く時間だとか長い時間が、友が文句をいいました。”止めるかいいいんだよ”どうも商売は出来ないと判断したのか、途中で放棄、私もやっていただきましょう、きれいになるからと言いましたが、そそくさと、300円それも領収書忘れたといって、脇に避けた荷物もそのまま行ってしまいました。私も、もうこんな事止めなさいよと。電話で断る事が出来なかったからと、高齢者世帯の彼女は言いました。
展示会のお誘いもありました。食事付き、ショウー付きで着物、宝石、指輪と買わされているようです。高いのか安いのか良く分かりませんが、買わされたとは言いますが、優越感に浸って満足しているようでもあります。ここが難しいところです。これが心理作戦だと思います。
悪質商法に巻き込まれたときは、クーリング・オフと言う制度があります。8日間以内であれば、消費者が一方的に申し込み撤回、解約の解除が制度です。おかしいと思ったら、消費者センターに電話だそうです。そしてクーリング・オフをハガキだす。理由は要らないそうです。いらなかったと。
18年4月から9月の半年間で相談件数が2863件とか、私の周りを見ても、相談出来ずに、うやむやのケースが多い事を考えると被害は数多くあることでしょう。心の隙間に差込魔の手をみんなで協力して守りたいですね。

つれづれなるままに 216 クレオパトラの生涯

2007-03-07 17:25:11 | 雑記
後7日、友が「エジプト旅行に行ってきての反省」エジプトについてもっと勉強して行けばよかったと、今いろいろな資料、本を読んでいます。有名なクレオパトラの生涯について調べました。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界は変わっていただろう」これはクレオパトラの美しさを表現したパスカルの有名な言葉です。
男性を魅了した絶世の美女、野心家でもあり古代エジプトにおいて3000年続いたファラオ時代の最後の女王でもあります。
クレオパトラは前69年プトレマイオス12世の子として生まれました。父親の死後、当時王家では血族結婚が繰り返され、8歳年下の弟プトレマイオス13世と結婚し政治的手腕を発揮しますが、プトレマイオス13世の側近にエジプトを追われます。しかし彼女はアレキサンドリアに入城したローマの執政官カエサルの前に絨毬に身を隠し姿を現し、印象付け、プトレマイオ13世を追放、実権を取り返すよう取り計らってもらいました。しかしカエサルもローマ共和主義者達に暗殺されてしまいます。カエサルの死後、クレオパトラはアントニウスを味方に王朝を繁栄させますが、アントニウスの妻の怒りをかいアントニウスは牢獄へ、アントニウスはクレオパトラが亡くなったと思い自殺、クレオパトラもエジプト王朝が失われた事実を悼み、コブラに身体をかませ、最後をとげます。クレオパトラは最後までエジプト王朝の復活を望みエジプトを愛した女王だったと言われています。

つれづれなるままに  215 ものうり バクシーン

2007-03-05 20:58:27 | 雑記
いろいろな国を旅行すると、いろいろな事を体験します。
観光地に着くやいなや、待ってましたとばかり、観光土産品をぶら下げて人々が走ってきます、目的地の道程、何人もの売り子が前に、後ろに、シェイエン(1,000円)シェイエンと、スカーフも、絹のパンツもお土産も2~3枚重ねて、これがいやなら、これはと、無視していると、帰りには10枚にもなっています。インドでは母親が裸の子供を抱え、「お恵み」を食べるものもありません。とまた、子供が病気で薬を買うお金をと子供を抱きかかえ、しかしバスが走るや否や、次のバスめがけて、その親子、走っていくではありませんか。1ルピー3円とはいえ、一人にあげると次から次えと手が出て大変なことになります。道端にはコブラが笛で踊り、バスの窓にはインドなのに、なぜか、熊が窓越しにチョウダイ、チョウダイと立ち上がって手を、それを写真に撮るものなら、はいチップ、観光地はいろいろな商売であふれています。
ペルー4000m山の中、トイレタイム、アルパカをつれ民族衣装に身を包み親子が1ドル、記念写真を撮れと、ペルーは外国生活13年の友と一緒、バスが着くだび子供達が籠を片手に売りに来ます、1ドル2~3個のお土産品、観光客は5,6と、土産品の数をおまけさせますが、彼女はこれで生活しているのだからと子供からは値切る事はしませんでした。ユニセフに寄付する事を考えたらこのお金は間違いなくこの子供らの手にと、子供らが売るに来るものを買っていました。お土産は勿論、良いものではありません、一度しか履けないパンツだったり、色あせたスカーフが入っていたりと、あくまでも買い手と売り手の駆け引きが楽しみなのです。エジプトは、これまた写真を撮ればチップ、子供らがチョウダイ、チョウダイとぞろぞろ付いて来るとか、トイレの入り口、ヘーイマダム、バクシーンをと、立ちはだかっているとか、これらをいかに無視する事が出来るか、楽しんでこようと思います。

つれづれなるままに 214 トイレ

2007-03-04 09:21:27 | 雑記
先日6人グループ東京へ、飛行機の中、男性、忙しいビジネスマン時代は飛行機は、本を読むか寝る時間とか、チョット、チョット男子トイレはないのか、女子しかないのかと質問 えー。男子と女子とトイレが違うかと思って探したサーと。皆笑いこけ、私なぞ、馬鹿じゃないのと。それはまだいい、帰りの飛行機の中、トイレの汚物は垂れ流しかと、隣の女性、そうでしょ、汽車だってそうだもんと、私の顔を覗き込んで、すまし顔、私も噴出した。じゃ汚物がいつも降ってくる飛行ルートの畑はいつも良き肥料で肥えてるよねーと、その前にあなたが汚物まみれになるわよ。また、今は、汽車だとてタンク、タンクと、みんなで笑いこけました。
好きで海外に良く行きます。その国によってはトイレ事情はよくありません。ホテルは兎も角、観光地のトイレは最悪、トイレの蓋などあるわけもなく、トイレの鍵が閉まらないのが普通、トイレットペーパーもなし、使用済みの紙は、備え付けの箱の中、バケツに水が、それを使用後自分で流します。中国では長いコンクリートの板にまたぐだけ、それでも入る時は、チップを、トイレ番がいないからと、急いで、しかし何処からともなく現れドアの前に手を出し立ちはだかります。ドアなど閉めません、開かなくなるほうが恐怖。
今回もエジプト、トイレ事情は最悪とか、水洗トイレは流れず、うんちはトイレにてんこ盛り、便器の周りは気をつけないと、汚れ放題、これが当たり前とか、インド、ロシアもそうでした。しかしこんな生活も2~3日すると慣れてきて、みように納得、旅が出来るのです。今回もトイレットペーパー持参、観光地トイレに着くたびに、トイレットペーパー抱え、小銭を持ち、「すてきに汚いトイレ」使わせていただこうと思います。