つれづれなるままに  1190  旅で見つけたアラカルト

2010-11-29 15:41:29 | 旅行

クロアチア地方の最南端スプリット、古代ローマ時代の城壁、人が住み、城壁は花で飾られていました。ブーゲンビリアだと思います。どんぐりもまだ未成熟、日本と変わりはありませんでした。

 

 

さすが海岸、海洋都市猫はそこかしこで、野良猫でしょうか。観光客の食べ残し・・いつもおなかは満腹・・私たちが差し出すお菓子など見向きもせず。

 

 

 

要塞の中は椅子があり憩いの場所、のんびりとコーヒー、ケーキを食べながらおしゃべり、日光浴でしょか、

  

一番驚いたことは、ごみが落ちていません。所々にこのようなゴミ箱があり、公園も路上もすべて清掃されていました。公園に老人たちが日向ぼっこ・・ここで暇な1日を過ごすのでしょうか。

 

クロアチアやモンテネグロ、果物が多く、 りんご、柿、みかん、ザクロ、ワイン用のぶどう、クロアチアの内陸部は最高のワイン、ブラッシュヴィィナは独特の香りが特徴だとか、家々にはみかんの木が家庭用に植えられていました。

 

スプリットのホテル、大きく開いた窓から眺める景色はアドリア海、窓に映った景色をパチリ

  

 いつもの旅行仲間全員集合 。コトル、モンテネグロで食べたケーキ日本のクリスマスケーキの小さめと思ってください。4人で2個でよかった、あまりの大きさに度肝を抜かれました。コーヒー4人分これで日本円にして全部で1千円トット、これまた物価の安さにも驚きました。

  

 

 

 


つれづれなるままに   1189 旅も終わりです。最終地リュブリヤーナからミューヘン、成田へ

2010-11-27 15:04:10 | 旅行

ブリトヴィッツエ、クロオチアの観光を終えてまたバスに揺られること4時間、国境を越え、スロベニアに戻ってきました。今回は全員バスから降りての出、入国手続き、バスが何台も並び、長い時間待たされました。バスの中の荷物検査をすることもあるとか、私たちは小部屋に入りパスポートに判を押してもらうだけで済みました。

最終地リュブリヤーナは隣国オーストリア、夕方暗くなっての到着泊まるだけ、朝、出発前に散歩に出ました。スロベニアの首都とは思えないほどこじんまりとした町です。ここは20世紀初頭まで長い期間ハプスブルク家の支配地となっていました。

 

朝、8時クラーク空港へ、今までとは一変しオーストリアの田園風景、羊が草をかみ、遠くにはアルプスの山々が顔をだして城壁に囲まれた今までの古代都市とは違った温かみのある景観でした。

  

 

 

クラーク空港を後にドイツ、ミューヘン、ミューヘンを15時出発、一路成田まで夜の世界が延々と続きました。時差8時間長い旅もやっと終わりました。

 

   

いろいろな国を旅してきました。いろいろな発見がその都度あります。今回もこの国の歴史に触れ、古代ローマ、ヴエネチア、オスマントルコと言う強国に囲まれながら、要塞を造り独立を守りながら交易を続ける強さ、アドリブ海の美しい風景・・今までとは違った景観に触れてきました。

 

11日に戻り12日からほとんど毎日観光地1箇所ずつ書き続け2週間かかりました。

この間近辺はあわただしく動いていました。昨晩は泊まりで、役目を終える8人の送別会11月30日で交代、12月1日付けで新たに新人を迎え再出発、今度は新人の為の歓迎会と・・あわただしく今年も終わることでしょうか。元気であればこそ皆様のお役に立てることができるのだと健康に感謝しながら・・日々を送っています。


つれづれなるままに 1187  究極の自然美  プリトヴィツェ国立公園

2010-11-26 10:20:55 | 旅行

モスタルの観光を終え、バスでの長距離移動、5時間30分、また国境を越えてクロアチア最後の観光です。プリトヴィツェ国立公園、旅も7日目です。質素な食事にも慣れ、ビールもワインも食事の一部となりました。旅も終盤です。朝の荷物点検、バスに詰め込む作業です。もう皆さんの荷物は20キロオバー、お互いの荷物を持ち上げながら・・これはやばいことになりそうだと・・・。

 

ホテルは公園内にありました。荷物をバスに詰め込み、ここからが電気自動車での移動、、遊歩道のウオーキングとなります。昨晩は雨、この日もこぬ雨が降っていました。水量は申し分なしとのこと

ブリトヴィツェ国立公園はブナやモミの自然林に囲まれ渓谷に大小16の湖、92の滝が点在するすばらしい景観の湖畔です。

  

緑の樹海の中の渓谷に横たわっている湖から流れ出た水は下の湖へ流れ、それがまた湖にと、湖にできた段々畑のように次から次えと流れていきます。

 

高台からは下に木の遊歩道が見えます。渓に降りたり、階段を上がったりと2キロのウオーキングコース、水辺のハイキングが楽しめます。景色に見とれると足元が不安定・・水が透き通っているため湖底の樹木や岩も、あちらこれらでは水しぶきを上げてエメラルドの水が湖水に落ちていく、この美しさは数十万年の歳月をかけで造れれたそうです。

湖一帯はカルスト地層で、ここで降った雨水は長い歳月をかけて地下の石灰岩の間をくぐって、カルスト湖に蓄えられる、それが地表に、そのため水は恐ろしいほど透明でした。

 

 

 

 

 

湖は大まかに上の湖群と下の湖群に分けられます。上の湖畔と下の湖畔の間は公園になっていて、、電動ボートで行き来しました。

ボートの中からも滝が湖に注いで、秋の深まりを感じました。

 

国立公園は一年を通してオープンしているそうですが、冬は雪と氷におおわれて滝も凍りつき、所々に氷柱ができ、この幻想的な白の世界も捨てがたいと・・・。

石灰華の造形と豊かな水の営みが造り出す自然美・・世界は広いなーと感じました。


つれづれなるままに 1186  オスマントルコ時代の石橋 モスタルへ

2010-11-25 16:39:20 | 旅行

モンテネグロからまた国境を越えてボスニア・ヘルツェゴヴィナに入国、山間の美しい峡谷にある1本の石橋を渡りに行きます。 

  

この橋は崖の上の建てられた二つの古い町をつなぐ石橋です。昔は木のつり橋だったそうですが、オスマントルコ時代に美しいアーチの橋に造りかえられたと言うことです

この橋の両岸にモスタルの町は発展し、誰もがこの橋を行き来、100年もの間、宗教を超えて生活していました。

この平和を打ち破ったのがボスニア内戦、このあおりで1993年橋は砲撃を受け破壊されてしまいました。内戦当初はイスラム教徒とクロアチア人もこの橋の両岸に分かれて戦いました。1995年ようやくNATOの介入で内戦は終わりました。

橋の修復はユネスコ、世界銀行の援助で、2004年復元されたばかりです。

 

現在、両岸に住む人々の往来が再び盛んになり、観光客が訪れるようになりました。古橋から眺める街の美しさ、渓谷の両岸に並ぶ家々の美しさ、内戦で痛手を負ったイスラム寺院のモスクも立ち並び今は平和な静かなたたずまいでした。

 

  

内戦の後です。弾丸の後がいたる所に、そのままのところもあれば、その場に住んでいる人々もいました。戦争がまだ過去の遠いものでないことを実感しました。

 


つれづれなるままに  1185 モンテネグロの国 コトル

2010-11-24 11:41:22 | 旅行

昨日は年1回の学校開放テニス親睦会、9時集合15人参加、8試合、お弁当を食べながらの悪戦苦闘16時までの7時間よく体がもちました。と言う事で夕べはブログも書かず20時には消灯。今日は体の痛みのなし・・まだまだ行けそうです。

いろいろな国、古代都市を見学、今回は同じような要塞が多く、写真を見ながらのブログです。早く書かねば忘れそうな名前の都市ばかり、このコトルはクロアチアの南、隣の国モンテネグロです。

スロヴェニアを南下・・クロアチアへ・・・ボスニア・ヘルツェゴヴィナ先端を通り・・またクロアチアの国、南下してモンテネグロです。そのために要塞がここかしこに国を守るため、このような要塞が必要だったことがよく分かりました。

入国です。パスポートを提出し、バスの運転手さんが持参、程なく入国の判を押されてパスポートは手元に戻り出発です。

 

ここも断崖とj城壁に守られた中世の海洋都市、海岸沿いに移動すると時間がかかるため、ポカ・コトルスカ湾を船で渡りました。バスごと移動10分瞬く間にコトルへ到着

 

海岸沿いにはローマ時代以前からこの町は点在している城壁都市、ここは断崖のように背後に迫る山並みとその上に険しい山上に延々と張りめぐらされている城壁です。

  

山頂から町を囲むように城壁が延びています。中腹にはペストの蔓延を防ぐことを願っ建てられた救世聖母教会がありました。頂上まで登ることができるようですが、時間がなく、それでもこの教会まで登った方が、上から見下ろすコトル湾の風景はすばらしいパノラマが眺められたと言っていました。

この城壁は全長4・5キロ、高さは最大20メートル、近隣の国をことごとく占領したオスマントルコから町を防衛するためだそうです。

   

城壁内部は中世の雰囲気、大小二つの東方正教会、旧市街はコトル貴族の邸宅が残って古い教会も多くみかけました。

   

 

人々で賑わいを見せていたカフェテラスのある武器の広場、ベストシーズンは終わりを告げ、もう店じまい、かえってその方が静かな雰囲気でゆっくりと楽しむことができました。

  

 

 


つれづれなるままに  1184 クロアチアの海洋都市 ドブロヴニク

2010-11-22 17:24:47 | 旅行

この地もアドレア海に面した町です。中世の時代、ヴェネチアと並ぶ海洋都市として栄えました。

  

紺碧の海と空をバックに、海に食い込むように張り出した旧市街地、茜色をし屋根瓦を載せた象牙色の家々がびっしりと軒を連ね、その周辺を頑固な城壁がぐるりと取り囲んでいます。

 

まず城壁の規模に驚かされます。高さ最高25メートル厚さ3~6メートルの城壁が延々と2キロにわたって旧市街を囲むように続いています。

 

門をくぐると、目の前は石畳の大通り薄いベージュ色の町並みが広がっています。

 

ここはメーンストリートのプラツア通り、両脇はショップやカフェテラス、大勢の人が楽しんでいました。

 

 聖サヴィオール教会が立っています。ヴェネチア風のルネッサンス様式、ファサードとバラ窓がチャームポイント、いまはコンサートホールとして使われているそうです。14世紀に建設され、入り口の上にはピエタ像のレリーフが設置さてています。クロアチア最古の薬局、今も営業しているようですが、この日は日曜日のため、お店は開いていませんでした。

 

 

通りには小さな路地が網の目のように延び、華やかな目抜き通りからちょっと離れると洗濯物が揺れ、人々の日常生活が垣間見ることができます。

   

 

絶え間なく補強された城壁は、ドブロヴニクの町をぐるりと取り巻き、城壁の上は遊歩道になっています。城壁から眺めるオレンジ色の瓦、その向こう側に広がるアドレア海の眺めは本当にすばらしいものでした。

  

   

 

 


つれづれなるままに  1183  ボスニア・ヘルツェゴヴィナ領 ネウム

2010-11-21 16:34:55 | 旅行

アドリア海を右に見ながらスプリットをでてバスで揺られること4時間、河岸沿いの道で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境に出会いました。ここはクロアチアからドライヴしている最中に別の国を9キロだけ通過します。ここは運転手が身分証明書を見せるだけで簡単に国境検査がすみました。旧ユーゴスラビア時代にはこの道はありませんでしたが、クロアチアがユーゴスラビアから独立をした時点で国境線が再びひかれたそうです。

      

海岸と平行してベィナル・アルプス山脈、山の向こうがボスニア・ヘルツェゴヴィナ、山脈の尾根が国境線となります。

                

この海岸線の中ほどにネウムと言う町があります。ボスニア・ヘルツェゴヴィナきってのリゾート地、社会主義時代のホテルがそのまま使用されています。

      

この国境は運転手のみで通過しましたが、これからは国境の出入りは入国手続き、出国手続きと、時間をとられ、バスでのパスポート検査、バスを降りて入国、出国との手続き、成田をでオーストリア、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、またクロアチアにもどり、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入り、北にも戻り、クロアチア、帰りはミューヘンから成田へと何回手続きを繰り返したことか。


つれづれなるままに 1182 ローマ帝国時代の宮殿跡 スプリット

2010-11-20 13:21:54 | 旅行

         

トロギールを観光して南下スプリットへ、同じようなローマの遺跡がこのアドリブ海、海岸沿いにたくさんあります。

このスプリットもアドリブ海沿えの最大の町です。海岸通りには風変わりな建造物があります。これはローマ時代の宮殿の外壁、この中に民家がならんでいます。

ローマ皇帝ディオレティアムスが建てた宮殿の跡だそうで、皇帝はこのスプリットの近郊で生まれ、引退後この宮殿で余生を送ったとされています。宮殿は数百年放置さて、人々が住み着くようになったと言われています。細長い壁の建物群で1階は店舗やカフェ、どの家も2階部分が古い遺跡の壁とつながっているなんとも不思議な光景でした。

  

当時宮殿は200メートル四方に城壁で囲まれ、宮殿は海に面して船が直接横づけになるように、アドリブ海の海辺に建てられた宮殿でした。これは地下室、古くは宮殿の1階部分で調理や食糧倉庫のようでした。

  

当時の居間のタイルがそのまま残され・・ローマのパルテオンを思い起こす玄関広場、かつては玄関を抜けて海に向かって歩いていたそうです。

                 

広場では観光客がのんびりと、せかせかと歩いているのは日本人のみ皆ティータイムを楽しんでいました。

   

スプリット大聖堂、宮殿の地下通路から玄関広場の天井を・・微かに大聖堂がその下で男声合唱団ミサ曲を聞かせていただきました。CDの販売も・・。

  

クロアチアはネクタイの発祥地、フランスやイタリア語など英語をのぞくヨーロッパの言葉でネクタイは「クラヴァッタ」と呼ばれこれはクロアチア人と言う意味、クロアトからきた言葉だそうです。このお店に名前は「CROATA」{クロアト}ネクタイのお店で高級な品、私どもは「見るだけ」でした。

左手に聖書を持ち右手を高く上げている勇ましい人物、グレゴリウス司教、スプリットの宗教会議でスラブ語を禁止、その撤回を求めて活躍した人物だそうです。

                     

市場では毎朝アドリブ海の海産物が売りに出されています。アジ、イワシ、ヒラメ、スズキ、アンコウ、タチウオ、ブリ、タコ、イカ、エビと日本と同じ、おじさんの威勢のいい呼び込みの声が響いていました。

    

 

 

 


つれづれなるままに 1181  世界遺産の古都  トロギール

2010-11-19 14:02:06 | Weblog

かつては島全体が城壁でぐるりと囲まれていたそうです。橋を渡ると城壁の北門、門の上に12世紀の司教で町の守護聖人、イヴァン・ウルスィニが町を守って立っています。この町は紀元前2~3世紀に古代ギリシャ人によって建設された植民地都市でもあるようです。

狭い路地を入ると広場に広場の前には聖ロブロ大聖堂や市庁舎、聖セバスチャンの時計塔がありました。

          

       

このオープンスペースはロッジアと呼ばれ、使い方は裁判所だったり税関の集会所として使われていたそうです。世界遺産とは言え、城壁の壁を使い住居に洗濯物がたなびき、お土産や、カフェなどあり生活の臭いがしました。

  

メンストリートを真っ直ぐに進むと南門でます。この門の脇にもロッジアが置かれています。これはかって税関として使われたそうです。

城壁を抜け出て南門をくぐると南国ムードが漂う海岸に、やしの木がはえ広々としたプロムナードが続いています。突き当りの要塞はカメルレンコ要塞、見張り台です。

   

一回りして北門の橋のたもとに集合・・そこは青空市場・・・市民の台所・・色々なものが売っていました。日本の野菜と変わりはありません。キャベツ、キュウリ、芋、なす、何でもありました。家々にはミカンが実り、柿、レモン、ザクロ、イチジク、ここは蜂蜜が特産とか重いのでお土産にはできませんでした

        


つれづれなるままに  1180  ユーニークな世界遺産の聖ヤコブ大聖堂があるシベニック

2010-11-18 17:20:41 | 旅行

この町もダルマチア地方独特の美しい旧市街地が残る港町です。

                

 

 

 

 

 

 

港を通り抜け一歩旧市街に、石灰岩で造られた町並みを防徨、その中の広場に聖ヤコブ大聖堂があります。聖ヤコブ大聖堂のフォーサードは三つの丸い山型で真ん中上部はバラ窓がしつらわれています。

 

正面入り口はキリストと十二使徒の繊細なレリーフで飾られて、両端の2頭のライオンがアダムとイブの彫像を支えています

     

内部は見学できませんでしたが天井は美しいレリーフで飾られているそうで、さらにユニークなのは後陣外側を飾る市民の顔、様々な72人の一般市民の顔が教会の外壁に掘り込まれています。髭を生やした人、帽子やターバンをかぶった人、もじゃもじゃ顔の人・・・そんな市民の顔が列をなして教会の外側を飾っています。ライオンの扉には人の顔でライオンが押しつぶされそうに・・。

  

内部は旧市街のメンストリート、迷路のように入り組んだ路地が何本も伸び中世の雰囲気を漂わせています。町の曲がり角は、三角のコンクリートで埋められ、人が隠れる事ができない状態になっていました

  

 高台からは対岸のジベニック町並みが・・。

   


つれづれなるままに  1179 クロアチアのリゾート地  オパティアからシベニクへ

2010-11-17 18:32:52 | 旅行

冬は日の暮れるのが早く、ポストイナを出発、美しい夕焼けをみながらオパティアに向かいました。今晩のお宿はオパティア、相変わらずシャワーは短めにと、朝はバイキング果物は豊富、りんご、ミカン、バナナ、キユーイとパンは黒パン、ヨーグルト、キュウリ、トマトとレタスのサラダ、ソーセイジ、ハム、ウインナー、チーズとこれにコーヒー、紅茶、ミルクと朝の食事は満足。

昼は、スープとサラダ、パンはバターなし、オリーブオイルをつけて食べます。最後に甘いケーキのみ、飲み物はありません、仕方がないのでビールを飲みながら甘いケーキ、ミネラルウオーターなどはビールと値段はさほど変わりませんからね。

夜は淋しいものです。サラダがありチキンかホークにジャガイモが添えられて、暖かいスープがあるときもありますが、これにパンとオリーブオイル、最後のデザートは甘いケーキ・・これではやはり夜はワインが欲しくなります。幸いにクロアチアは美味しいワインの産地、赤、白と毎晩・・。

ビールは17クーナ、クロアチアの通貨で日本円にして小瓶280円位でしょうか。水は15クーナ、これまた250円ぐらいでしょうか。ワインは25クーナ400円前後、ユーロの国に行けばまた違いますが、クロアチアは物価が安い国でした

 

この地はクロアチアの高級リゾート地、標高1396メートルのウチュカ山を越えで途中トルサット要塞が・・山は石灰石木はハグチョビレ。

少ない木も紅葉、青いのは松ノ木、日本の松と異なりますが松だそうです。石灰石の山に生えている短い松ノ木・・・101匹ワンちゃんの黒ブチのダルメシアン犬はここダルマチアが故郷だそうです

  

 

冬も温暖で別荘も多い所だそうです。現在も海岸沿いに19世紀に建てられた洒落た建物が建ち並び、今はその多くはホテルとして使われています。

  

クロアチアはヌーディスト・ビーチのメッカ、70年以上の歴史があるそうです。いまは「ナチュラリストビーチ」といわれこの一帯に30ヶ所もあり、現在も多くの方が訪れる、太陽の下裸でスポーツ、買い物、食事と行える場所だそうです。海岸通りの公園から、聖アン要塞と教会が望めます。

    


つれづれなるままに  1178  スロベニア ポストイナ鍾乳洞

2010-11-15 11:06:54 | 旅行

スロベニア全土には5千から6千の地下空洞があり、全世界で3番目の規模を誇る鍾乳洞、長さは21キロ、その内5分の1ほどが公開さています。見学者は所要時間1時間30分の鍾乳洞ツアー最初の2キロは洞内を走るトロッコ列車に乗って進みます。

             ボストイナ鍾乳洞入り口                 トロッコ列車 

 

トロッコ列車を降りて、約2キロのコースをガイドが案内してくれます。内部は自然が生み出した神秘の空間が広がりそうめんのような細長い鍾乳石が天井からたくさんぶら下がっています。スパゲティーホル、白のホール、赤のホール、風がもたらしたカーテンや仏塔

   

  

    

ボストイナの鍾乳洞は数十万年の歳月をかけて形成されていますカルスイト台地に降った雨が地面から空洞の多い石灰質の地下に沁みこみ、洞窟の天井に達する、炭酸カルシウムを含んだ水滴が天井から床面におち、天井からは氷柱のような鍾乳石、床からはたけのこのような石筍が成長して二つがつながって柱になったものもありました。

鍾乳洞のに生息する魚が公開されていました。名前はプロテウス・アングイヌス、イモリの仲間だそうです。寿命は100年、餌は1年近く食べなくとも生きていけるそうです。

天井からは絶えず水滴が落ち、迷路のようになって、地下水が音を立てて流れています。この洞窟も大戦中はナチスに対するバルチザン活動に利用されたそうで、鉄格子で封鎖されていました。

トロッコ列車に乗ること10分、猛烈な勢いで洞窟を通り抜け奥へと進みます。鍾乳洞に頭がぶつかりそうになりながら、気の遠くなるような時の流れを生んだ自然の造形美、余りの美しさに感動しました。


つれづれなるままに  1177 冬囲い

2010-11-14 22:56:56 | 季節感

旅行の写真もパソコンへ取り込んまま、帰って直ぐ冬囲いに取り掛かりました。周りの家々はもうトウに終わったようで我が家だけが、玄関先、庭には落ち葉が山と溜まったまま・・昨日はお天気が良かったので、近所のボランテイアの方にお手伝いを願って冬囲い、1本1本竹を挿して、網をかぶせて大切に・・ボランティアさんはもう80歳、よほど木の伸び具合が気になったのか剪定を・・そい言えば毎年7月頃剪定をお願いしていたのですが、つい忙しさにかまけて伸び放題・・・冬囲いどころか、剪定に夢中・・お隣さんの木まで頼まれて剪定、従って私はその木を受け取ったり、はしごを抑えたりと冬囲いはいっこうに進みませでした。こちらもボランティア、どちらがお手伝いかと思いながら・・今日までかかってやっと終わりました。

高齢になってくると、大きな木は要らないなと思いながら毎年冬囲い・・何時までできるのでしょうか。

ゴミ袋10袋、50cmの小枝5束、今週の水曜日が今年最後の収集日です。もう何時雪が来ても OK・・・ひと安心です。


つれづれなるままに  1176 スロバニア・ブレッド湖

2010-11-13 23:13:25 | 旅行

    

私達がスロベニアに着く前日、寒波が押し寄せ雪がチラついたようで、札幌の11月の気温との情報、前の晩荷物を薄物から厚手のコートに入れ替えました。あれこれと荷物に詰め込み出発・・もはや千歳空港荷物預かり所・・私の荷物は23キロ、3キロオーバー、3人に重いジーンズを分けて持ってもらいました。二人合わせて40キロならと・・どうにか荷物は成田からフランクフルト経由してグラーツに出発まずはひと安心。

飛行機はルフトハンザ、LHー714便、1階、2階500名~600名近い乗客が搭乗しているとの事、ジャンボジェット機、これがどうして空を飛ぶのだろうか、落ちても不思議ではないと思いながら成田を12時頃発ちました。行けども行けども行きは昼・・・スロベニアのグラーツに着いた時は長かった昼も終わり夕方・・日本は昼間でしょうか。ホテルに直行、早めにベットに入りました。

注意:シャワーは短めに・・一人が使いすぎると次の方は水に・・一晩待たねばお湯にはなりませんでした。これからは全てが同じような注意事項。

次の日、目覚め外に、周りは落ち葉が紅葉は2週間前が見ごろだったようです。ホテルの木々僅かに紅葉が・・この国は紅葉の赤は少なく黄色が殆ど「ぶなの木」だそうです。

 

ホテルの前は、ブレッド湖、山に囲まれた湖、湖の小島とかわいらしい教会、崖の上の城、その背景にアルプスの山・・もう山の向こうは国境、オーストリア、古くはハプスブルク家のリゾート地だったそうです。冬は凍結しますが、夏は水を求めて泳ぎに多くの観光客が訪れるとか・・・島には小さな教会が・この教会はスロベニアの人があこがれる結婚式場、天井からぶら下がっている紐、屋上の鐘とつながっています、願いを込めて紐を引く・・・皆でぶら下がりました。・・・ご利益は・・。    

  

   


つれづれなるままに  1175  百聞は一見に如かず

2010-11-12 15:41:44 | 旅行

長い10日間の旅を終え昨晩無事戻りました。

朝8時、クロアチアのリュブリャナのホテル発ち、バスで国境を越えドイツグラーツ空路ミュヘンへ、ミュヘンから乗り継ぎ成田へ約12時間の空の旅、時差は8時間、ミュヘン発15時35分・・・もう薄暗く、乗って程なく夕食・・・相変わらず・・・ビーフかチキンと聞かれ・・それにビール、ワインとパンも加わって全て平らげ、時間が過ぎ21時・・・22時・・・夜も深け深夜に、しかし時差の為ドイツシ出発の地は夜が明け目はパッチリと、外は暗闇の世界が続きます。外は満天の星空・・下界は見えませんがシベリアの氷の世界が広がっています。

暗闇、しかし頭のサイクルはもう夜明け、眠る事もできず、体を動かす為お手洗い・・ついでに機内に常備している・・おにぎり、チョコなどいただいて、パクパクと口の中、外の星空を眺めながら・・・冬の星座の名前を思い出、満天に広がる星達名前はと・・3つの星が横並び次は下の方に大きな星が幾つも、フィンランド、オーロラを見たときの星の大きさにも驚きましたが、飛行機から見る星も格別でした。

ツアーは36名、参加者はもう殆どの国々を訪れてこのクロアチアの国へ、行った先々でのエピソードなど皆さん話され楽しいツアーでした。

ご夫婦が何組か殆どお二人での旅だとか勿論英語は達者・・・仲良くバスに乗っても話が尽きないようでおしゃべり・・共通の趣味があるからこそなのでしょうか、見ていてもうらやましいほどの仲良しお互いに信頼し合って・・ご主人は奥様をいたわっり、久しぶりで良き夫婦に合ったように思います。

もう一人の夫婦も個性の持った方・・奥様は50歳にして英語に見ざめアメリカに、語学をマスター、アメリカで博士号まで取り、エッセイを5冊も出しているとか・・ご主人も旅好き、今はメキシコに滞在しながら旅行中・・今回は日本に戻っての参加、また今月28日には戻り、12月クリスマスには日本に戻って来るとか・・世界中の旅の話など、ガイドさんのマイク通じて、今、ご主人は78歳・・奥様は72歳驚きました。好奇心とバイタリテイーがあるのには。

娘さんを交えての家族3人組み・・少し足が不自由な奥様を気遣いながらの旅・・奥様が旅行中にお誕生日、夜ご家族でレスランへ誕生会をしたそうです。バスの中全員でハッピバスデーと歌いました。添乗員さんからもプレゼントをいただき・・皆、今度は誕生日の日に旅に出ることにしようと。

絵が趣味のご夫婦・・ご主人は行く先々でスケッチ、奥様はカメラを片手にスケッチの場所を撮影・・

東京丸の内の銀行にお勤めの若いお嬢様二人・・福島から参加の元気のよい3人組み、おば様達の通訳を喜んで引き受け、福島弁丸出しで通訳・・・市の職員の一人旅、英語は達者だからこそ一人旅ができるのでしょう。

埼玉からとか言っていました。娘さんが嫁ぐので思い出旅にお母様と今回は参加したとか、上品なもの静かな奥様でした。

福岡からの参加者も・・私達4人組み・・組み合わせはと聞かれ、歳は離れていそうだし、何のグループですかと不思議に、一人はインテリ風、一人はお金持ち風、一人は若そう・・私だとて話をしなければ、落ち着いた奥様風・・ボランレイア団体などと笑いながら・・・。

兎角、旅は友次第・・ツアーも参加者次第・・ベテランの添乗員さん頼もしく・・・昼、その場所の美味しいビール、夜はクロアチア地方のワインも紹介され、10日間毎日昼から飲んで楽しんできました。

写真は700枚位でしょうか・・整理に時間が取られそうです。今年はまず2011年のカレンダーを4人に配る事を約束、そのあとでアルバムをと思います。ブログにも順繰りと。