昨日もまた病院へ女性達とお見舞いに行きました。病院生活も2年半、家に帰りたくとも家での生活は無理との家族の意向、引き取り手が拒めば、戻ることもできず、かわいそうと思っても私達には何もできません。同じ病院へもう一人入院したとの情報、嘗ては町内会を仕切って活躍した方です。
声をかけました。誰だか分かる・・私たちは彼の下で一緒に活動した仲間でしたが・・・目はうつろで、分からなかったようです。でも何か言いたげで・・一生懸命思い出そうとしているようです。
こんな詩を思い出しました。
認知症とみなされていた老婦人の遺品の中から見つかった入院中に綴った手紙です。
そのまま引用させていただきました。読んでください。
何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて
食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」といっても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ているものではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか
わたしは十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁、守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は躍っていました
二十五歳で私は子供を生みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました
夫が死んだのです
先のことを考え――不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました
いま私はおばあさんになりました
自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、
かって心があったところには今では石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心は膨らむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに遠く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん――目を開けてみてください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよくみて!
彼のテーブルの周りは同じような患者が、じっと私たちを見つめていました。
看護婦さん達は忙しそうに・・昼食事前・・一堂に集められて
「何も言えない」「諦めている」このような人たちも、私たちが言葉をかけることによって少しでも感情が芽生えることができるのではと思いながら別れてきました。
一人一人話しかける、応答がなくとも心に響くものがあるはず、訴えられないからこそ、彼らの気持ちになって接しなければと想いながら、難しいことですが。