つれづれなるままに  1424  祈・東日本大震災被災地復興

2011-12-21 09:02:19 | Weblog

コンサート後、皆さんをSENDAI光のページェントにお誘いしました。私も仙台を離れ50年も経ってしまいました。昨年も仙台を訪れましたが、夏・・冬は初めてそしてこの光のページェントも見るのは初めてです。定禅寺通りのケヤキの木800メートルにわたってLEDの電球が光り輝いていました。このLEDの電球の保管倉庫が津波で被害に遭い全損して開催もあやぶまれたそうですが、被災地として、復興への希望の灯をとの思いから開催されたそうです。素晴らしいイルミネーシュン、復興への意欲を感じました。

 

SENDAI 光のページェント2007.jpg

3日目フライトが17時、朝、仙台に住んでいる妹の車で実家の墓参り、その足で、松島まで送ってもらいました。国道、松島に近づくにつれて、屋根にシートを被せた家々が、仙台は瓦の屋根が多く、その瓦が崩れ落ち被害を大きくしたようです。今は瓦が品不足、職人も不足、寒さをしのぐにも大変、復興までには時間がかかる様です。

穏やかな松島湾、松島は260もの島が点在しています。そのお蔭で津波は弱まり被害が少なかったとはいえ、この船着場も170㎝まで水に浸かり1階は全滅だったそうです。

   

海水はここまで来ましたとの印の所に立ってみました。すっぽりと水の中、どうもがいても溺れてしまったことでしょう。

  

仙台はカキの名産、これから美味しい生ガキが食べられます。これは震災当時の商店街すべてのお店の商品は水に浸かってしまったそうで、かつて焼きかまぼこ屋さんも3件、アツアツ焼きたてを食べられる店がありましたが、どの店も修復不可能とのこと、まだシャッターを下したお店も多く・辛うじて、かきや福来・・この真ん中の店に入り「生ガキ」3個で900円を食しました。ふりふりして海のミルクと言われるだけにとてもおいしい、これも多くの観光客に食べほしいと思いながら、しかし店の中は私たちのみ、もっと多くの観光客が来ない限り町の復興も大変だなーと、シャッターを閉めたままの商店街、かつての賑やかな松島の街に早く戻ってほしいと思いながら戻ってきました。幸いなことに湾の中はかき養殖、のりと少しずつ復興が始まっていました。

  

松島町を救った島々も相当痛手をこうむりあらわな姿に、島の景色もだいぶ変わったそうです。

   

  

住民が住んでいた海岸沿いの漁村、もう住むことができず、全員仮説住宅に移り住み空きやだそうです。

 

家が軒を連ね、田んぼがあり、畑がありと、のどかな田園風景が一瞬にして、ほうきで掃き清めたようにすべてが海の中に消えて行ったそうです。海水が引いた後には200も300人もの遺体が浮いていたと言いながらが地元の合唱団員は涙ながらに話してくれました。

今回、私たちはボランティアコンサートのみの参加、同じコンサートの仲間でもすでに災害ボランティアとして6月、7月参加、その中で今回の岩沼のコンサートを知って参加を決めたと言う方たちも大勢いました。日増しにボランティアの人数が減少しているようですが、私たちにもまだ何かができるはずです。今後また何らかのボランティアがあった時は進んで参加をと思いながら戻ってきました。