(前の記事からの続きです)
まず一点目の誤謬。昭和33年洪水は3日雨量168mmであり、34年の洪水は3日雨量216mmです。国交省は、この150~200㎜程度の雨量の際に観測された洪水流量を元に、計算モデルを構築しています。
しかるに国交省が200年に1度の確率で発生すると想定している豪雨は、3日雨量で319㎜です。国交省は、200㎜程度の雨量で発生した中規模洪水を元に構築した計算モデルが、300㎜以上の大規模洪水にも適用できるということを、無前提で仮定してしまっているのです。
実際には、200㎜台の降雨による洪水と300㎜台のそれは別のものです。貯留関数法という計算モデルは、実際の自然現象からはかけ離れたアバウトなモデルです。よって、200㎜程度の降雨に基づいてパラメータを決定し計算モデルを構築しても、そのモデルは1.5倍の規模の300㎜台の降雨にはすでに当てはまらないのです。一般に、中規模の洪水から計算モデルを構築し、それを大規模洪水に適用すると流出量はとんでもなく過大な値に算出されます。それは貯留関数法の欠陥なのですが、計算流量を過大な値に算出したい国交省にとっては、まことに都合のよい「欠陥」なわけです。かくして、貯留関数法は国交省にとってまことにありがたい、ダムを造る根拠を捏造するための「打ち出の小槌」となってきたのです。この論点についても詳細に論じたいところなのですが、今回は割愛します。
つぎに二点目の誤謬について解説します。国交省が貯留関数法による計算モデルを定めた基準の洪水は昭和33年(1958年)と34年(1959年)に発生したものなのです。その当時の利根川流域は戦争による森林荒廃から回復しておらず、流域には裸地も多かったのです。同じ規模の雨が、森林が回復した今日に降ったとして、同じ洪水が発生すると思いますか? 一般常識では発生しないのです。緑が回復し、森林蓄積が増大していけば洪水流量は大幅に低減していくのです。
ところが、ところが、河川工学の偉い学者先生方は、「緑のダムなんてないんだ。そんなものは幻なんだ」と口泡飛ばして叫ぶわけです。いやいや、誰が名付けたか知りませんが「御用学者」とはよく言ったもんです。彼らの非論理的な絶叫のさまは、ガリレオ・ガリレイを宗教裁判にかけたカトリック教会の御用学者であるところのスコラ哲学者たちを髣髴とさせるに十分なのです。
しかしながら、御用学者がなんと言おうと科学的事実を捻じ曲げることなどできません。スコラ哲学者たちが、地球の周りに太陽を回らせることができなかったのと同様です。
それにも関わらず「白」を「黒」と言いくるめようとすると、「捏造」の必要性が発生するのです。そして、国交省はついに禁断の果実である「捏造」に手を染めてしまったのです。ああ、恐ろしい・・・・・。
図を見てください。両図とも、昭和33年洪水の実測流量と貯留関数法モデルによる計算流量を並べたものです。左は国交省作成、右は私たちの作成です。
左の図は国交省が「利根川の基本高水=22,000」を定めた2005年の「河川整備基本方針検討小委員会」の資料です。昭和33年洪水の観測値と国交省モデルの計算値を並べて比較した図です。
ちょっと見えにくいですが、点線が実測値で、黒の実線が貯留関数法モデルによる計算値です。治水基準点における洪水ピーク流量の実測値は9,734m3、国交省の計算モデルでの計算ピーク流量は9,766m3となり、「これでもか」というくらいに美しく流出波形が一致しているのです。貯留関数法、すばらしいですね!
もっとも、これは一致して当たり前。だって計算モデルは、昭和33年洪水を再現するようにパラメータ設定されているからです。しかしながら、およそ捏造の発生する余地のないはずである昭和33年洪水から、すでにして国交省は捏造をしていました。
右の図(意見書2の図14)は、情報開示請求により、国交省から得た計算モデルのパラメータによって、昭和33年洪水を私たちが再現計算を行って作図したものです。飽和雨量48mmという国交省の設定したパラメータにより忠実に再現してみました。黒マルが実際の実測値、白マルが私たちが国交省のモデルによって再現計算した計算値です。当たり前なのですが、確かにだいたい合致することがわかりました。ところが、国交省の作成した図ほど美しくは合致しません。
これは後でわかったことなのですが、何と、国交省はこの「美しいグラフ」を作成するにあたって、勝手に飽和雨量の値を31.77にしていたのです。他の開示資料では、計算モデルの「飽和雨量は48mm」としているにも関わらずです。私たちの作成したグラフは、あくまで国交省の資料に忠実に48㎜で計算しています。
国交省は、勝手に31.77に変えた結果、このような美しいグラフに仕上がっていたというわけです。この時点で、国交省は「世間をごまかすための美しいグラフを作図するためには何でもアリ」の状態になっていたわけです。
しかしながら、この程度の捏造はまだまだ序の口。かわいいものなのです。
この後にくる恐るべき捏造に比べれば・・・・・・。
次の記事でいよいよ捏造問題の核心に迫ります。
その前に一つ問題を出します。
たしかに、国交省のモデル(飽和雨量48㎜)は、昭和33年洪水にはだいたい当てはまっていました。
では、ハゲ山の多かった昭和33年基準の48㎜モデルによって、森林が生長した平成の洪水を再現計算してみることにしましょう。
昭和33年基準の48㎜モデルによって平成洪水を計算すると、実際の観測流量は、計算流量に比べてどう変化すると思いますか? その際、降雨規模は、200㎜弱の同規模降雨を選定するものとします。
次の選択肢の中から選んでみて下さい。
ア 平成洪水の観測流量は、昭和33年の48㎜モデルを用いた計算流量を下回るだろう。
イ いや、逆に上回るだろう。
ウ まったく変わらないだろう。
さて皆さん考えてみて下さい。
ちなみに、東大卒のエリート学生がキラ星のごとく集結する専門家集団である国交省・河川局の官僚たちは皆、「ウ」と考えているのです。
私は、いくつかの大学の講義で、この問題を実際に出してみました。東大に比べてはるっかに偏差値が低くても(すいません!)、文系の学生でも、ほとんど全ての学生が正しい答えを出します。
しかし東大出の専門家である河川局官僚たちはみな一様に「ウ」と回答し、間違えるのです。まるで何かに憑りつかれてしまったかのようです。
いったい、「専門家になる」ということは、一般常識に反するカルト的信仰をするようになるというのと同義なのでしょうか??
(つづく)
まず一点目の誤謬。昭和33年洪水は3日雨量168mmであり、34年の洪水は3日雨量216mmです。国交省は、この150~200㎜程度の雨量の際に観測された洪水流量を元に、計算モデルを構築しています。
しかるに国交省が200年に1度の確率で発生すると想定している豪雨は、3日雨量で319㎜です。国交省は、200㎜程度の雨量で発生した中規模洪水を元に構築した計算モデルが、300㎜以上の大規模洪水にも適用できるということを、無前提で仮定してしまっているのです。
実際には、200㎜台の降雨による洪水と300㎜台のそれは別のものです。貯留関数法という計算モデルは、実際の自然現象からはかけ離れたアバウトなモデルです。よって、200㎜程度の降雨に基づいてパラメータを決定し計算モデルを構築しても、そのモデルは1.5倍の規模の300㎜台の降雨にはすでに当てはまらないのです。一般に、中規模の洪水から計算モデルを構築し、それを大規模洪水に適用すると流出量はとんでもなく過大な値に算出されます。それは貯留関数法の欠陥なのですが、計算流量を過大な値に算出したい国交省にとっては、まことに都合のよい「欠陥」なわけです。かくして、貯留関数法は国交省にとってまことにありがたい、ダムを造る根拠を捏造するための「打ち出の小槌」となってきたのです。この論点についても詳細に論じたいところなのですが、今回は割愛します。
つぎに二点目の誤謬について解説します。国交省が貯留関数法による計算モデルを定めた基準の洪水は昭和33年(1958年)と34年(1959年)に発生したものなのです。その当時の利根川流域は戦争による森林荒廃から回復しておらず、流域には裸地も多かったのです。同じ規模の雨が、森林が回復した今日に降ったとして、同じ洪水が発生すると思いますか? 一般常識では発生しないのです。緑が回復し、森林蓄積が増大していけば洪水流量は大幅に低減していくのです。
ところが、ところが、河川工学の偉い学者先生方は、「緑のダムなんてないんだ。そんなものは幻なんだ」と口泡飛ばして叫ぶわけです。いやいや、誰が名付けたか知りませんが「御用学者」とはよく言ったもんです。彼らの非論理的な絶叫のさまは、ガリレオ・ガリレイを宗教裁判にかけたカトリック教会の御用学者であるところのスコラ哲学者たちを髣髴とさせるに十分なのです。
しかしながら、御用学者がなんと言おうと科学的事実を捻じ曲げることなどできません。スコラ哲学者たちが、地球の周りに太陽を回らせることができなかったのと同様です。
それにも関わらず「白」を「黒」と言いくるめようとすると、「捏造」の必要性が発生するのです。そして、国交省はついに禁断の果実である「捏造」に手を染めてしまったのです。ああ、恐ろしい・・・・・。
図を見てください。両図とも、昭和33年洪水の実測流量と貯留関数法モデルによる計算流量を並べたものです。左は国交省作成、右は私たちの作成です。
左の図は国交省が「利根川の基本高水=22,000」を定めた2005年の「河川整備基本方針検討小委員会」の資料です。昭和33年洪水の観測値と国交省モデルの計算値を並べて比較した図です。
ちょっと見えにくいですが、点線が実測値で、黒の実線が貯留関数法モデルによる計算値です。治水基準点における洪水ピーク流量の実測値は9,734m3、国交省の計算モデルでの計算ピーク流量は9,766m3となり、「これでもか」というくらいに美しく流出波形が一致しているのです。貯留関数法、すばらしいですね!
もっとも、これは一致して当たり前。だって計算モデルは、昭和33年洪水を再現するようにパラメータ設定されているからです。しかしながら、およそ捏造の発生する余地のないはずである昭和33年洪水から、すでにして国交省は捏造をしていました。
右の図(意見書2の図14)は、情報開示請求により、国交省から得た計算モデルのパラメータによって、昭和33年洪水を私たちが再現計算を行って作図したものです。飽和雨量48mmという国交省の設定したパラメータにより忠実に再現してみました。黒マルが実際の実測値、白マルが私たちが国交省のモデルによって再現計算した計算値です。当たり前なのですが、確かにだいたい合致することがわかりました。ところが、国交省の作成した図ほど美しくは合致しません。
これは後でわかったことなのですが、何と、国交省はこの「美しいグラフ」を作成するにあたって、勝手に飽和雨量の値を31.77にしていたのです。他の開示資料では、計算モデルの「飽和雨量は48mm」としているにも関わらずです。私たちの作成したグラフは、あくまで国交省の資料に忠実に48㎜で計算しています。
国交省は、勝手に31.77に変えた結果、このような美しいグラフに仕上がっていたというわけです。この時点で、国交省は「世間をごまかすための美しいグラフを作図するためには何でもアリ」の状態になっていたわけです。
しかしながら、この程度の捏造はまだまだ序の口。かわいいものなのです。
この後にくる恐るべき捏造に比べれば・・・・・・。
次の記事でいよいよ捏造問題の核心に迫ります。
その前に一つ問題を出します。
たしかに、国交省のモデル(飽和雨量48㎜)は、昭和33年洪水にはだいたい当てはまっていました。
では、ハゲ山の多かった昭和33年基準の48㎜モデルによって、森林が生長した平成の洪水を再現計算してみることにしましょう。
昭和33年基準の48㎜モデルによって平成洪水を計算すると、実際の観測流量は、計算流量に比べてどう変化すると思いますか? その際、降雨規模は、200㎜弱の同規模降雨を選定するものとします。
次の選択肢の中から選んでみて下さい。
ア 平成洪水の観測流量は、昭和33年の48㎜モデルを用いた計算流量を下回るだろう。
イ いや、逆に上回るだろう。
ウ まったく変わらないだろう。
さて皆さん考えてみて下さい。
ちなみに、東大卒のエリート学生がキラ星のごとく集結する専門家集団である国交省・河川局の官僚たちは皆、「ウ」と考えているのです。
私は、いくつかの大学の講義で、この問題を実際に出してみました。東大に比べてはるっかに偏差値が低くても(すいません!)、文系の学生でも、ほとんど全ての学生が正しい答えを出します。
しかし東大出の専門家である河川局官僚たちはみな一様に「ウ」と回答し、間違えるのです。まるで何かに憑りつかれてしまったかのようです。
いったい、「専門家になる」ということは、一般常識に反するカルト的信仰をするようになるというのと同義なのでしょうか??
(つづく)