代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

八ツ場ダム建設: 国交省による審議会資料捏造事件 その4

2010年09月19日 | 治水と緑のダム
(前の記事の続きです)

 さて、いよいよ捏造問題の核心に迫ります。図はともに昭和33年から24年を隔てた昭和57年洪水の実測値と計算値を併記したものです。左の図は国交省の計算値から作成したもので、黒マルは観測値、白マルは計算値です。右の図(意見書2の図16)は私たちの計算です。右の図は右端の方がちょっと切れていて申し訳ございませんが、黒マルの実測値は左の図と全く同じグラフです。そして注目の計算値が白マルになります。

 さて、「森林の生長が洪水ピーク流量を低減させる」という、ごく常識的な「緑のダム論」を葬り去るためには、昭和30年代に当てはまった飽和雨量48㎜の計算モデルが、平成の世の中の現在においても当てはまっていることを示さねばなりません。でなければ「カスリーン台風が再来すれば22,000」という国交省の主張は崩壊します。カスリーンの時よりも、森林の生長分だけピーク流量は低下するはずだからです。

 さて、読者の皆様はどう思いますか? 1947年のカスリーン洪水に比べて、森林の生長は洪水ピーク流量を何%くらい低減させているでしょうか? また、その低減量は、ダム建設に比べて多いでしょうか、それとも少ないのでしょうか?

 国交省は、昭和33年の48㎜モデルによって、それから24年後に発生した昭和57年(1982年)洪水も再現計算できたと主張しています。それが正しいのであれば、森林が生長しても、それは洪水の流出に全く影響を及ぼさないことになります。
 そして国交省が、再現計算できた証拠として審議会に提出したのが左の図なのです。黒マルが実際の観測値、白マルが国交省による計算値です。

 なんと、24年間の時を超え、この間、ハゲ山は森林へと変化し、土壌は発達し、山の保水力は大幅に増加しているにも関わらず、昭和33年基準の48㎜モデルは、昭和57年洪水においても、寸分の狂いもなくピタリと一致しているではありませんか! キモチ悪いくらい実測値と計算値はピタリと一致しているのです。こんなことってあるのでしょうか?? これが正しいのであれば、この間に発達した森林土壌は「無」に等しいということになります。すごい。世紀の大発見です! 森林や土壌は一体どこへ消えたのでしょう? 空間転移して異次元にでも消えていったというのでしょうか???  


・・・・・しかしながら、ああ、国交省の「世紀の大発見」はヌカ喜びでした・・・。
 だって国交省による計算値のグラフは捏造なのですから・・・・・・・。
 そりゃ、キモイはずですわ・・・・・。
  
 右の図(図16)が、昭和57年洪水について、国交省の昭和33年基準の48㎜モデルを再現して、私たちが計算した図です。実測値は左の図と同じでピーク流量は8,192m3です。私たちの計算では、計算ピーク流量は12,214m3になります。つまり、森林が昭和33年のままでしたら、12,214も流れていた可能性が高いのです。
 観測値とは、じつに4002m3の誤差です。昭和33年の森林状態で構築した48㎜モデルによる計算値は、実測値を大幅に上回ったのでした。

 もちろん大幅な誤差のある私たちの計算が正しいのです。そして、国交省の計算は捏造なのです。そして、この誤差こそ、森林の生長によるピーク流量の低減を何よりも雄弁に物語っているのです。昭和33年の荒れた状態の想定では12,214流れてもおかしくない雨量でも、森林が回復していた昭和57年では8,192しか観測されなかったということなのです。

 逆にいえば、昭和33年の荒れた森林状態を基準に計算されている「200年に1度確率の豪雨がくれば22,000流れる」という「基本高水」の数値も、これと同じように過大なものであり、実際にその豪雨が来たとしても、森林保水力の増加によって観測流量はもっと低くなるということなのです。

 森林土壌の厚みが増せば、当然、貯留できる雨水も増えるのです。この間に流域の飽和雨量の値は、流域平均で48㎜から100㎜程度へと増加しているのです。
 なのに国交省は、土壌が発達しても計算モデルは変わらない、洪水ピーク流量に変化はない、と主張するのです。じゃあ、増えた土壌は何なのですか?? 樹冠遮断量は? あるはずの土壌や樹冠を「ない」という。貯めるはずの水を「貯めない」と主張する。
 
 これらの国交省のウソは、「エネルギー保存の法則に反する第一種永久機関を発明した」と主張するのに匹敵するくらいトンデモで、悪質なのです。あるはずの物質(土壌層)を「ない」と主張するからです。あるいは、「麻原尊師は空中を飛んだ!」と主張するのに匹敵する悪質さと言ってもよいかもしれません。

 そして国交省は、遂に捏造に手を染めて、第一種永久機関を「発明」してしまったわけです! あるいは「麻原を空中に浮遊させて」しまったわけです。
 ちなみにわが国の特許局では、「第一種永久機関を発明した」と主張する特許申請を受理しないことになっています。
 にも関わらず、わが国の政府機関は第一種永久機関を発明し、わが国が誇る、キラ星のごとく優秀な学者先生方を配置した河川整備の審議会は、第一種永久機関の特許申請を受理し、「ダム建設」という特許状を与えてしまっていたのでした。

 ちなみに、ここで国交省は恐るべき稚拙なミスを行っています。以下は、笑い話として聞いてください。

 昭和57年(1982年)の時点で、すでに上流にダムは5つ建設されていました。昭和33年にはダムは2つしかありませんでした。昭和33年から昭和57年のあいだにダムによる洪水調整容量は3倍以上に拡大しています。ということは、モデルの計算値が昭和57年洪水の観測値に当てはまるのはおかしいのです。当てはまるのは、実際の観測値ではなく、ダムがなかった場合に流れるはずの「ダム戻し流量」でなければなりません。それなのに、国交省は計算流量を実測流量に近づけようとして捏造をし、結果として本来適合すべき「ダム戻し流量(ダムがなかった場合の流量)」から大きく乖離してしまったのでした。ズッコケも良いところです。

 もしかしたら「22000の正しさを裏付ける資料を作成せよ(=捏造せよ)!」と上司に命令されてシブシブ捏造に手を染めたが、審議会の委員の先生方の最後の良心に期待して、「お願いだから気づいてくれ」との思いで、わざと発覚しやすいようなミスを意図的に犯したのかもしれません。この図を作成した技官さんの最後の良心だったのでしょうか。それならば悪は、「22000は絶対に動かすな!」と命令した上司にあります。技官さんは命令に服さざるを得なかっただけなので、罪は軽いと思います。

 あるいは、この審議会がこの捏造を全く見逃したということは、そもそもこの捏造は、社会資本整備審議会の河川分科会会長であった東大教授(当時)・某の肝入りで実行に移されたのかもしれません。だとすれば、この某も犯罪者です。

 私たちが作成した右の図に、ダム戻し加算流量のグラフも付しておきました。実測値と計算値のあいだにある黒い三角(▲)で表記した点線が「ダム戻し流量(ダムなしの場合の流量)」です。ダムがなかった場合のピーク流量は、9,102となっています。実測値は8192ですので、ダムは、本来のピーク流量を910だけカットしたことになります。ダム5つでたったこれだけなのです。
 しかしながら、貯留関数法が正しいとするならば、森林が昭和33年状態であれば、昭和57年のピークは12,214のはずなのです。しかし、実際のピーク流量はダムの存在を考慮して9,102なのでした。この差し引き3,112が、森林の生長がカットしているピーク流量ことになります。比率にして実に25.5%です。利根川の基本高水22,000から25.5%カットされれば、16,368ということになります。

 実際には、3日雨量168㎜でしかない昭和33年洪水の計算モデルを、3日雨量318㎜のカスリーン洪水に適用して「22,000が得られた」という計算そのものが、「規模の誤謬」を引き起こすが故に全く誤った操作なのです。しかし、仮に一万歩譲って、「昭和33年洪水基準の計算モデルで22,000」を認めたとしても、昭和33年以降の森林保水力の増加を加味すれば、この程度にまで下がっていると考えてよいのです。
 
 さて、ダム5つで910のカットに対し、自然の力に任せて森林が生長するだけで3,112のピークカットです。前者の効果は10%に対し、後者の効果は25.5%です。さて、費用対効果はどちらが高いのでしょうか?? 答えは火を見るより明らかでしょう。

(つづく)

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