前回3月8日の利根川・江戸川有識者会議の場で、ダムという「点の治水」から流域全体で雨水の浸透性と貯留性を高めるという「面の治水」を訴えてきました。その顛末を紹介します。
流域治水の有効性を否定し、あくまで「点の治水」を訴える委員の方々の理屈に、こちらは「目が点」になりそうでした。詳しくは、追って議事録が公開されます。流域全体で雨水の浸透性を高めることこそ八ッ場ダムなどよりもはるかに効果のある治水対策という訴えに対して、虫明功臣委員は「利根川で浸透が利くところはありません」「必要なのはダムと遊水地と河道整備の三点です」とのこと。
「利根川流域全体で田んぼからの排水を時間的に遅らせるという「田んぼダム」を実施すれば八ッ場ダムなどよりもはるかに効果は高い」という提案に対しては、小池俊雄委員が「雨は山地に降るので、田んぼは利かない」と言下に否定されました。
いずれも、何の裏付けもなく、科学的根拠もない言説です。もちろん間違っています。私は、国交省・関東地整に対して「ならば、新潟県が実施している田んぼダムを利根川流域全体で実施した場合、ダムと比較した数値を提示して下さい」と要請しました。さて、どのような解答が出てくることやら・・・・。
河川ムラの平和を守るためには、どうしても「ダム」と「遊水池」と「河道整備」の三点セットの利権を死守せねばならず、そのためには何が何でも他の代替案は退けるしかないようです。必要とあらば、ウソも捏造も辞しません。
私は、必ずしも利権は悪いと思っていません。国民生活の役に立つのなら利権追及はどんどんすべきだと思います。残念ながら、八ッ場のような多目的ダム建設に関しては、河川ムラの平和にとっては有用でも、国民生活にとって害悪になってしまっています。
ですから、流域全体の浸透性・保水性を高めるという、「新たな利権の創出」の提案をしました。しかし言下に却下されてしまったわけです。
政治学専攻のある研究者は次のように言っていました。「結局、彼らは新しいことを考えるのがめんどくさいだけなのではないか」と。「公共事業の利権に長年ドップリ浸かってしまうと、そのぬるま湯の中の居心地がよすぎて、新しい事業を展開していこうという気力も失せるのだ」と。
もしかしたら、本当にその辺りが真相なのではないか?と思えてきました。
流域治水の有効性を否定し、あくまで「点の治水」を訴える委員の方々の理屈に、こちらは「目が点」になりそうでした。詳しくは、追って議事録が公開されます。流域全体で雨水の浸透性を高めることこそ八ッ場ダムなどよりもはるかに効果のある治水対策という訴えに対して、虫明功臣委員は「利根川で浸透が利くところはありません」「必要なのはダムと遊水地と河道整備の三点です」とのこと。
「利根川流域全体で田んぼからの排水を時間的に遅らせるという「田んぼダム」を実施すれば八ッ場ダムなどよりもはるかに効果は高い」という提案に対しては、小池俊雄委員が「雨は山地に降るので、田んぼは利かない」と言下に否定されました。
いずれも、何の裏付けもなく、科学的根拠もない言説です。もちろん間違っています。私は、国交省・関東地整に対して「ならば、新潟県が実施している田んぼダムを利根川流域全体で実施した場合、ダムと比較した数値を提示して下さい」と要請しました。さて、どのような解答が出てくることやら・・・・。
河川ムラの平和を守るためには、どうしても「ダム」と「遊水池」と「河道整備」の三点セットの利権を死守せねばならず、そのためには何が何でも他の代替案は退けるしかないようです。必要とあらば、ウソも捏造も辞しません。
私は、必ずしも利権は悪いと思っていません。国民生活の役に立つのなら利権追及はどんどんすべきだと思います。残念ながら、八ッ場のような多目的ダム建設に関しては、河川ムラの平和にとっては有用でも、国民生活にとって害悪になってしまっています。
ですから、流域全体の浸透性・保水性を高めるという、「新たな利権の創出」の提案をしました。しかし言下に却下されてしまったわけです。
政治学専攻のある研究者は次のように言っていました。「結局、彼らは新しいことを考えるのがめんどくさいだけなのではないか」と。「公共事業の利権に長年ドップリ浸かってしまうと、そのぬるま湯の中の居心地がよすぎて、新しい事業を展開していこうという気力も失せるのだ」と。
もしかしたら、本当にその辺りが真相なのではないか?と思えてきました。