季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“画鬼・暁斎―幕末明治のスター絵師と弟子コンドル展” 三菱一号館美術館 (2015.7.21)

2015-07-23 15:35:35 | Weblog
 暁斎は(1831(天保2)-1889(明治22))は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。1881年、お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが弟子となる。

「風流蛙大合戦之図」元治元年(1864年):幕末の長州戦争を描いている。長州藩の蛙と幕府方の蛙が戦う。


「暁斎楽画第9号 地獄太夫がいこつの遊戯ヲ夢に見る図」(明治7年):地獄太夫は室町時代の遊女。「我死なば焼くな埋むな野に捨てて飢えたる犬の腹をこやせよ」という辞世の句を残し亡くなった。一休禅師が最後を看取る。


「鳥獣戯画 猫又と狸」明治:猫又は猫の化物。『徒然草』によれば、猫又は山に棲み人を食べる。または飼い猫が年を取り化け猫となったもの。


「蛙の人力車と郵便夫」明治前半:明治の新しい風物を戯画風に描いた。


「大和美人図屏風」(右曲)明治17-18年頃:弟子のコンドルのために1年かけて描いたもの。コンドルは、何十頁にもなるノートに暁斎の教えを記録した。


「鯉魚遊泳図」明治18-19年:狩野派絵師としての修業を積んだ暁斎にとって、鯉の描き方には職人的マニュアルがあった。例えば、まず鯉の背骨の線を描いた後、その線に沿って鱗の数だけ分割して印をつけ、その後一つ一つの鱗を描いた。

“浜口陽三・丹阿弥丹波子二人展” ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(2015.6.7)

2015-06-08 18:03:53 | Weblog
 浜口陽三(1902-2002)は1950年代半ば、パリで新しい銅版画の技法「カラーメゾチント」を編み出す。

 「赤い皿」浜口陽三、1969年、カラーメゾチント:一見、幾何学的だがブドウが具象的。皿の外の一粒離れたブドウが動きを感じさせる。赤い皿の中の房から離れたブドウ一粒の小変化。黒、赤、緑の柔らかな対照。赤い皿の尖った両端が静謐な緊張を生み出す。


「2匹のてんとう虫」浜口陽三、1975年、カラーメゾチント:シンメトリーの緑の葉の上に非対称の2匹の赤いてんとう虫。かわいく、また美しい!


 丹阿弥丹波子(1927-):1956年に銅版画と出会う。メゾチントの柔らかな表現。会場で上映のヴィデオを見て、彼女の表現への情熱を知ることができた。

 「こでまり」丹阿弥丹波子、2003年、メゾチント:白く描かれるこでまりの花の質感が繊細。

“広重と清親―清親没後100年記念”展  太田記念美術館(2015.5.20)

2015-05-21 20:38:06 | Weblog
 《東海道五十三次》の歌川(安藤)広重(1797-1858)と小林清親(1847-1915)の特別展。清親は明治前期に活躍。文明開化の都市を西洋技法も取り入れ浮世絵で表現した。今年は、清親没後100年。

「名所江戸百景 亀戸梅屋舗(ウメヤシキ)」歌川広重:ゴッホによって模写され有名。亀戸梅屋敷は亀戸天神の裏手にあった。将軍吉宗が褒めて有名となった。


「名所江戸百景 隅田川水神の森真崎」歌川広重:現在、鐘ヶ淵駅から徒歩10分の所に、かつての水神の森=水神社がある。(昔より約100m南に移転。)今は高速道路の下。


「両国花火乃図」小林清親:明治初期、光と影のうつろいを描いた「光線画」と呼ばれる風景画で、清親は有名になった。


「廓中格子先図(カクチュウ コウシサキノズ)」葛飾応為:応為は、葛飾北斎の娘お栄。西洋画法への関心が強く、明暗法と細密描写に優れる。アニメ映画『百日紅』のヒロイン。

“鳥獣戯画 京都高山寺の至宝”展  東京国立博物館(2015.5.10)

2015-05-11 15:02:31 | Weblog
国宝「明恵上人像(樹上座禅像)」(鎌倉時代、13世紀):高山寺中興の祖、また華厳宗中興の祖と呼ばれる明恵上人(1173-1232)が松の木の枝が二股に分かれた所に座る。松の左側上方にリスがいる。なお華厳宗の本尊は毘盧舎那仏(ビルシャナブツ)。

 
国宝「仏眼仏母像」(平安~鎌倉時代、12~13世紀):明恵上人は、9歳で両親を失う。そのため釈迦を父、仏眼仏母(ブツゲンブツモ)を母として慕った。修行に行き詰った明恵上人がこの絵の前で右耳を切落とした。


重文「子犬」(鎌倉時代、13世紀):明恵上人は、19歳より亡くなる60歳まで、40年間、夢を「夢記」に書き記す。夢の中で両親の生まれ変わりの子犬に会う。その「子犬」の像を明恵上人はいつもそばに置き愛した。とてもかわいい。


 国宝「華厳宗祖師絵伝、義湘絵」4巻(鎌倉時代、13世紀):義湘(625-702)は新羅における華厳宗の祖。義湘が唐に留学して帰る時の船を竜が守る。義湘を思慕した女性、善妙が海に身を投げ、竜に変わった。善妙は華厳宗の守護神となる。


 国宝「鳥獣戯画」丁巻(鎌倉時代、13世紀):鳥獣戯画は甲乙丙丁の4巻からなる絵巻。制作年代は甲・乙は平安末期、丙・丁は鎌倉時代。鳥羽僧上の作ではなく複数の作者の別個の作品が集成されたもの。高山寺が所有。丁巻は人物戯画で、ここでは坊さんが拝む本尊がカエルかイモリのよう。

『四代目中村鴈治郎襲名披露、四月大歌舞伎 』(歌舞伎座)2015/4/8

2015-04-09 10:48:15 | Weblog


一、梶原平三誉石切(カジワラヘイゾウホマレノイシキリ)、星合寺の場
 石橋山の戦いで、頼朝軍が平氏方と戦って敗北。その直後の話。梶原景時や、大庭景親、俣野景久兄弟ら平家方武将が鎌倉の星合寺(ホシアイデラ)に参詣。源氏方に縁ある六郎太夫と娘の梢が刀を300両で売りに来る。(実は頼朝再挙の軍資金のため。)梶原が刀を鑑定し名刀と判明。しかし俣野の意見で、二人の罪人を重ね斬る「二つ胴」で斬れ味を試すことなる。ところが死罪の囚人が一人しかいない。金が必要なので六郎太夫が自分の体を使うよう志願。試し斬りを請け負った梶原の機転で、六郎太夫は救われる。
 だがこれでは刀は売れず失望落胆する六郎太夫。この時、梶原景時が「自分は源氏に味方する心だ」と本心を明かす。
 最後に、石の手水鉢(チョウズバチ)が名刀で見事に切断される。“誉石切(ホマレノイシキリ)”!「鎌倉殿を守護なすには、これ屈強の希代の名剣」と梶原は刀を300両で買う。

二、成駒家歌舞伎賑(ナリコマヤカブキノニギワイ)、木挽町芝居前の場、四代目中村鴈治郎襲名披露 口上
 木挽町座元(劇場所有者で歌舞伎の興行権を持つ)、太夫元(役者や裏方をやとい一座を組織し座元に売り込み興行)、芝居茶屋亭主とその内儀などが出迎え、男伊達(男の侠客)、女伊達(男の侠客)、さらには江戸奉行も駆けつけ、大きな賑わい。

三、心中天網島、玩辞楼十二曲の内 河庄(カワショウ)
 大坂天満の紙屋治兵衛は、妻子のある身でありながら、遊女小春と深い仲となり、心中の約束。茶屋河庄で小春は、治兵衛の女房からの「夫と別れてほしい」との手紙を受け取る。河庄を訪れた見慣れぬ侍に、小春が、「心中したくない」と頼む。小春の心変わりに治兵衛は激昂。ところが侍は実は、治兵衛の兄の粉屋孫右衛門・・・・。
 上方歌舞伎の代表作。治兵衛は、頬かむりをしての花道の出が見どころ。

四 石橋(シャッキョウ)
 文殊菩薩の霊地の清涼山にかかる石橋に、霊獣の獅子の精が現れ牡丹と戯れる。「石橋物(獅子物)」の一つ。獅子の精の激しい毛振りが見どころ。

“インドの仏―仏教美術の源流”展  東京国立博物館(2015.4.7)

2015-04-07 18:29:00 | Weblog
「法輪の礼拝」バールフット出土、ジュンガ朝(紀元前2世紀):釈迦は紀元前7-4世紀頃の人。仏教の初期は、仏像は作られなかった。法輪(古代の武器チャクラム)は、破邪の法力を持った仏陀の教えを示す。


「仏座像」アヒチャトラー出土、クシャーン朝(1世紀頃):最初の仏像はインドのマトゥーラと、パキスタンのガンダーラでほぼ同時に作られる。この仏像はマトゥーラのもの。赤い砂岩である。


「弥勒菩薩座像」ロリアン・タンガイ出土、クシャーン朝(2世紀頃):菩薩は、仏陀となる以前、修行中の釈迦に当たる。多くの装飾品を身につけた王子の服装。この像は、ガンダーラのもので、石は白い片岩。ギリシア・ローマ風。


「四相図」サールナート出土、グプタ朝(5世紀頃):赤色砂岩。お釈迦様の生涯の重要な場面4つを示す(4大聖地)。下から①誕生(ルンビニー)、②降魔成道(ゴウマジョウドウ)(ボードガヤーorブッダガヤ):魔王マーラーに試される釈迦が、ついに悟りを得て仏陀となる。菩提樹の下。③初転法輪(サールナートor鹿野苑(ロクヤオン))、④涅槃(クシナガラ):沙羅双樹の下で釈迦入滅。


「カサルパナ観音立像」バングラデシュ、チョウラパーラ出土、パーラ朝(11-12世紀頃):カサルパナとは空中を遊行するものの意。密教の仏像。頭上の小仏像のうち、真ん中が大日如来。玄武岩を精緻に彫った典雅な仏像。素晴らしい!「パーラ式」仏像と呼ばれる。

“マグリット展” 国立新美術館(2015.3.30)

2015-04-01 12:16:35 | Weblog
「恋人たち」1928年:布に顔が覆われた恋人同士が、キスをする。不吉な愛。もちろん日常生活で多くの者にとって死は、ほとんど意識されない、あるいは現実的でない。この絵は、多くの者に、死を思い起こさせる


「人間の条件」1933年:窓の外の「現実」の風景。キャンバスに描かれた風景の「絵」。二つの風景が全く同一に見える。この場面では、一見、現実と絵が区別できない。しかしよく見れば、絵は現実と異なる。「現実」のカーテンが、一部「絵」に描かれていない。絵をカーテンまたは壁の前に運べば、絵が現実でないことが一目瞭然となる。人間の条件は何か?絵と現実との差異によって、絵は絵となり、現実は現実となる。事物の差異が、事物を他の事物から区別し、その事物とする。差異の出現が、人間の思考・行為等、生存の一切を可能にする規定された世界を存在させる。差異の出現が、秩序の出現である。差異のない世界は、ひたすら混沌である。無規定なカオスはそもそも草も木も雲も何物も存在させない。現実の風景自身さえ、溶解しカオスとなり存在不能である。


「凌辱」1934年:女性の顔に、女性の裸の乳房・腰・陰毛・太腿だけを見る。確かに女性は、目によって「凌辱」される。


「光の帝国Ⅱ」1950年:光が、この世の最高支配者で、光の帝国が建設されれば、光にかかわる一切の規定が、自由に設定される。今、光の新たな秩序が、命令された。空は昼であること。木々と木々の下の風景は夜であること。この絵は、光の帝国の新たな秩序を描く。


「大家族」1965年:“題名、描かれた諸形象、これらは相互に「ファミリアー」(家族的)である”と画家は主張する。鳥、昼の空、地上の夜、「大家族」の語、これらが相互の連想連関によって、非日常的、時に神秘的関係を出現させる。


「白紙委任状」1965年:人間の視覚認識は極めて柔軟。風景(現実)の規定が、人間に白紙委任される。現実が人間によって、自由に視覚認識される。背景が前景となり、あるいは背景の物体が同時に前景となる等々。

“花と鳥の万華鏡―春草・御舟の花、栖鳳・松篁の鳥―” 山種美術館(2015.3.17)

2015-03-19 19:07:58 | Weblog
速水御舟「牡丹花(墨牡丹)」1934年:黒い牡丹が不思議。作者の死の前年の作品。


鈴木其一(キイツ)「四季花鳥図」19世紀(江戸時代):鈴木其一は江戸琳派、酒井抱一の一番弟子。金地の背景に花々が鮮やか。


上村松篁(ショウコウ)「白孔雀」1973年:作者は、孔雀の向こう側の超越の優雅さのようなものを描く。


速水御舟「翠苔緑芝(スイタイリョクシ)」1928年:色彩の緑の塊が、モダンに金地に配置されている。花の青色、赤色、猫の黒色、ウサギの白色がアクセント。


荒木十畝(ジュッポ)「四季花鳥」1917年:春夏秋冬の四幅が並び、色彩が壮観。春の赤色・白色、夏の青色・白色・橙色、秋の朱色・紫色、冬の白色・蒼色・赤色。




菱田春草、月四題のうち「春」1909-10年頃:月の光に透ける花が幻想的。


田能村直入「百花」1869年:百の花を描き図鑑に当たるが、花々の見事なアレンジメント。


竹内栖鳳「みゝづく」1933年:みゝづくが、かわいらしい。


速水御舟「百舌巣」1925年:二羽の百舌鳥の雛が精悍。


作者不詳「竹垣紅白梅椿図」17世紀(江戸時代):力強い。左隻は紅梅・白椿、
右隻は白梅・赤椿の対比。

“みちのくの仏像展” 東京国立博物館(2015.3.12)

2015-03-12 21:38:22 | Weblog
「聖観音菩薩立像(ショウカンノンボサツリュウゾウ)」(重文)平安時代11世紀、岩手・天台寺:一木造。1本の桂の木を彫ったもの。鉈彫り。ノミ跡が美しい。樹木に霊性を見る。


「薬師如来坐像」(重文)平安時代9世紀、宮城・双林寺:1本の欅から彫り出された像。孝謙天皇が病気となった時、原因が杉の大木の精霊が原因とわかり、この木を切り倒すと病気が治った。かくて、ここに寺を建てた。その寺の本尊。


「薬師如来坐像および両脇侍像」(国宝)平安時代9世紀、福島・勝常寺:両脇侍は日光菩薩・月光菩薩。3躯とも一木造。荘厳。徳一(トクイツ)上人(最澄・空海と交流)が都から仏師を招いて作らせたとも言われる。都の仏像と比較し遜色ない。


「十一面観音菩薩立像」(重文)鎌倉時代14世紀、宮城・給分浜観音堂:牡鹿(オジカ)半島・給分浜の高台に祀られる。高さ2.9mと大きい。下から見上げるためか、顔・上半身が大きく作られている。巨大なカヤの一木造。


「釈迦如来立像」円空作、江戸時代17世紀、青森・常楽寺:円空の初期の作品。2万点ある後期円空仏のような荒々しいノミ跡はない。表面が滑らか。ただ顔は微笑して、円空仏に共通。

“グエルチーノ展:よみがえるバロックの画家” 国立西洋美術館(2015.3.11)

2015-03-11 18:36:58 | Weblog
グエルチーノ(1591-1666年)はイタリア・バロック美術を代表する画家。ボローニャに近いチェントの出身。彼は師を持たず、絵を描く。最初の彼にとっての模範は、ルドヴィコ・カラッチだった。

 「聖母子と雀」(1615-16年頃):グエルチーノの初期の作品。柔和な聖母の指先にとまる雀は、将来のキリストの受難を示す。明暗の対比は、カラバッジョ派からの影響。


 「キリストから鍵を受け取る聖ペテロ」(1618年):金の鍵は天上の権威つまり教皇位を示す。銀の鍵は地上の権威を示す。ティツィアーノ、ヴェロネーゼなどのヴェネツィア派の影響をうけ、色彩が鮮やかになる。


 「聖イレネに介抱される聖セバスティニアヌス」(1619年):聖セバスティニアヌスは何本もの矢で射られる刑を受ける。矢の傷がペストの跡に似るので、聖イレネはペスト流行期に崇拝される。グエルチーノのグラン・マッキア(光の偉大な斑点)の典型例。


 「聖母被昇天」(1622年頃):本来は教会の天井画。聖母マリアは死後、神によって天に引き上げられる。


 「聖母のもとに現れる復活したキリスト」(1628-30年):バロックから、落ち着いた古典主義様式への過渡期の作品。衣(紫色、黄色、青色)が素晴らしい。