季節を描く

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『湯山昭の音楽』(東京オペラシティ・コンサートホール)2022/03/27:作曲家・湯山昭のトリビュート・コンサート!7組のプレイヤーが参加!プロデュースは娘の湯山玲子!

2022-06-24 12:49:30 | Weblog
※『爆クラpresents 「湯山昭の音楽」 what the world needs akira yuyama 』
(1)
★『ヴァイオリンとピアノのための小奏鳴曲』(1953):福田廉之介(ヴァイオリン)、ロー磨秀(ピアノ)
ヴァイオリンとピアノの楽しいやりとり。福田廉之介さんが「弾くのがむずかしい曲です」と言っていた。
★歌曲集『子供のために』(1960)より「鳴子を弾いても」他&歌曲集『カレンダー』(1968)より「七月/夏のレセプション」他:林正子(ソプラノ)、石野真穂(ピアノ)
湯山昭の曲について、林正子氏が、「ドビュッシーを思わせます」と言った。また「日本語で歌うのは映画『崖の上のポニョ』(2008)以来です」、「いつもは外国語でばかり歌っています」とのこと。
(2)
★ピアノ曲集『お菓子の世界』(1973)より「序曲・お菓子のベルトコンベアー」他:新垣隆(ピアノ)
新垣隆氏が、ピアノ曲集『お菓子の世界』について「実験的かつモダンでアヴァンギャルド」、「印象主義音楽を思わせる」、「ジャズを感じさせるリズム」、「無調の曲もある」と語った。
★『マリンバとアルトサクソフォーンのためのディヴェルティメント』(1968年):上野耕平(アルトサクソフォーン)、池上英樹(マリンバ)
湯山玲子氏(ナビゲーター・プロデューサー)が「クラシックで、サクソフォーンだけの曲ってまずないですよね」と言うと、上野耕平氏がうなずいた。マリンバの池上英樹氏が「バチを6本持つときがあって大変です」と言った。
(3)
★男声合唱とピアノのための『ゆうやけの歌』(1976):「ゆうやけ男性合唱団」、田中裕大(指揮)、和田太郎(ピアノ)
これについては、湯山玲子氏から丁寧な説明があった。実は最初のプログラムでは「THE LEGEND」(オペラユニット)が男声8声編曲版で「ゆうやけの歌」を歌う予定だった。「ところが火曜日にメンバーの多数がコロナにかかり出演できないとわかったんです!大変!演奏会は日曜日!そこで急遽、慶応と早稲田の男性合唱団の方々にお願いしたんです。みなさん『ゆうやけの歌』はこれまで歌ったことがあり、そして2日間、練習していただいて、今日になりました」と言った。かくて本演奏会のために「ゆうやけ男性合唱団」が誕生した・・・・。こうして大変迫力ある男子合唱が披露された。
(4)
本日のコンサートは「多分、世界中で一番、湯山昭の音楽を聴いている」という娘・湯山玲子氏が選曲し、プロデュースした。最後にサプライズがあった。「今日、ここの客席に、父・湯山昭が来ております。90歳です!」と湯山玲子氏が紹介した。客席中程の右側に、湯山昭氏が立ち上がり、四方に礼をされた。皆さんが拍手した。

《感想》充実した盛りだくさんのコンサートだった。多彩な一流のプレーヤー、曲目も湯山昭氏のトリビュートにふさわしく、豊かで多様だった。しかも湯山昭氏自身もいらっしゃって、嬉しかった。また湯山玲子氏のナビゲーションは、歯切れよく楽しかった。コロナにも負けず、大成功!



『あなたの初恋探します』石井雅登・山口乃々華・平野良(マルチマン)、浅草九劇2022/04/15:ヒロインは最後に自分自身を見出し、「初恋」へのこだわりが「自分を欺く」ことだったと気づく!

2022-06-24 12:45:19 | Weblog
(1)
韓国で生まれた小劇場向けの「3人ミュージカル」。ロマンチックコメディ。父親から「早く結婚せよ」と迫られ人生の岐路に立ったヒロイン(山口乃々華)。インドで出会った名前しかわからない「初恋」相手を探す。「気弱な青年」(石井雅登)が会社を首になり、起業した会社が「あなたの初恋探します」社。顧客の相談にのって、初恋相手を探す。「最初の顧客」であるヒロインと「気弱な青年」の二人が、ヒロインの初恋相手をさがす。
(2)
「マルチマン」と呼ばれる俳優が、ヒロインと「あなたの初恋探します」社の気弱な青年以外の登場人物、20役以上を一人で演じ分ける。ヒロインの父親である大佐、蛇使い、ウェートレス、飛行機の女性アテンダント等々。(※女装がコミック的であまりどぎつくなく、見ていて楽しく、笑ってしまう。)
(3)
ドタバタコメディだが、同時にヒロインの「自分探しの物語」だ。ヒロインは自分自身を結局見出し、「初恋」へのこだわりが「自分を欺く」ことだったと気づく。ヒロインと「気弱な青年」が、道中でのやり取りを通じて、新たな恋を育て、ハッピーエンドとなる。

《感想1》たった3人の俳優が、歌にダンスに大活躍。飽きないストーリー展開。丸椅子3つのタクシー、「マルチマン」のインドの蛇使い、左右半分ずつ両面で男と女を演じる場面、飛行機の女性アテンダントなど、面白い。
《感想3》観客50人程度の小さな空間で、俳優さん3人が、手が届くくらい近いところで、一生懸命演じてくれて、現場で親しく応援でき嬉しい。
《感想4》韓国は徴兵制で兵役が義務だ。軍隊式の敬礼が、半ば揶揄されて劇に取り入れられ、お国柄を示す。


『美川憲一コンサート2022~こころに花を~』中野サンプラザホール(2022.06.20):「お金をちょうだい」は、健気な歌!柳瀬商店街(岐阜)はシャッター商店街になっていて残念だった!

2022-06-24 12:37:17 | Weblog
『美川憲一コンサート2022~こころに花を~』で、美川憲一は昭和の「さそり座の女」「柳瀬ブルース」、平成の「火の鳥」「おだまり」、令和の「こころに花を」など全21曲を披露した。トークが楽しかった。
(1)「お金をちょうだい」は、健気な歌。男と別れる女が、別れた後、アパートを借りるお金がないから「お金をちょうだい」と言っている。「カネの亡者」の歌ではない。
(2)美川憲一がトークで言った。「柳瀬ブルース」を歌いに柳瀬商店街(岐阜)に行ったけれど、今はシャッター商店街になっていて、残念だった。だけど人がどんどん湧いてくるように集まって、びっくりした。
(3)この年齢になると歌詞を覚えるのが大変。新曲(「別れてあげる」)を歌うのに「間違えたらどうしよう」と思いながら歌ったとのこと。コンサートの最後に、「一曲も間違えなかったわ」とほっとしていた。
(4)美川憲一は1946年生まれ、73歳なのに、よく声が出ていた。しっかり歌のトレーニングをしているように思えた。
(5)「おだまり」は男の口説きに対する女の反論。「お金じゃないと彼は言う。おだまり、おだまり。あんたその手で 何人くどいた。」「夢みる女はかわいくて、悪魔のえじきに なりやすい。何が悪魔ヨ。あんたがよっぽど悪魔!」
(6)「さそり座の女」が言う。「あなたはあそびのつもりでも、地獄のはてまでついて行く。思いこんだら、いのち、いのち、いのちがけよ。」これは実は、男性が望む女性観だ。女性はもっと賢く合理的に計算するのが普通。
(7)「火の鳥」は男への女の未練を歌う。「あたしから切り出して御破算にしたのに、あの女(ヒト)と別れたと噂を聞いてまた燃える。火の鳥みたいなあなた、炎の翼を広げ思い出から今甦る。」ただし逆に、女への男の未練もある。(Cf. ストーカー!)
(8)「柳瀬ブルース」は次のように歌う。①雨の降る夜は心もぬれる。まして一人じゃなお淋し。憎い仕打とうらんでみても、戻っちゃこないあの人は。ああ、柳ヶ瀬の夜に泣いている。(※降る雨で心もぬれる。「心に雨が降る」という想像上の比喩。)②二度と逢えない人なのに、なぜか心が又いたむ。忘れたいのにあの夢を想い出させる、この酒が。ああ、柳ヶ瀬の夜に泣いている。(※酒は「理性」を弱める。非合理な感情が優勢となる。)③青い灯影につぐ酒は、ほろり落したエメラルド。もだえ身を焼く火の鳥が、雨に打たれて夜に泣く。ああ、柳ヶ瀬の夜に泣いている。(※美川憲一さんが涙を「エメラルド」に例えるのはお洒落だと言っていた。)
(9)「こころに花を」はとてもまじめな歌。「あなたと咲かせた花ひとつ。優しさぬくもりこの身に受けて、見慣れた町並み景色にさえも、生きる喜び感じています。」(※人は、人ともにのみ生きる。これが人の世の法則=真理だ。)



企画展『線の画家 ベルナール・ビュフェ』ベルナール・ビュフェ美術館:われわれ青年を掩(おお)っていた敗戦による虚無感と無気力さのなかに、一筋の光芒を与えてくれたのが彼の絵であった!

2022-06-19 15:52:56 | Weblog
ベルナール・ビュフェ美術館は、フランスの画家ベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet)(1928-1999)の作品を収蔵・展示するため1973年に創設された。創設者・岡野喜一郎(1917-1995)がビュフェの作品と出会ったのは、1950年代の前半だった。「数年にわたる戦争から復員したばかりの私は、感動して彼の絵の前に呆然と立ちつくしたことを思い出す。研ぎすまされた独特のフォルムと描線。白と黒と灰色を基調とした沈潜した色。その仮借なさ。匕首(あいくち)の鋭さ。悲哀の深さ。乾いた虚無。錆びた沈黙と詩情。そこに私は荒廃したフランスの戦後社会に対する告発と挑戦を感じた。当時のわれわれ青年を掩(おお)っていた敗戦による虚無感と無気力さのなかに、一筋の光芒を与えてくれたのが彼の絵であった。国土を何回も戦場にし、占領され、同胞相殺戮しあったフランス。その第2次世界大戦の激しい惨禍のなかから、このような感受性と表現力をもった年若き鬼才が生まれでたことに畏怖の念をいだいた。その表現力はまさしく、私の心の鬱々としたものに曙光を与えたのである。以来、私はビュフェの虜となった。無宗教の私に、一つの光明と進路を与えてくれたのが、ほかならぬ彼のタブロオそのものだった。これが私のビュフェへの傾倒のはじまりである。」(岡野喜一郎著「ビュフェと私」1978年4月より)


★ベルナール・ビュフェ「カルメン」1962

『堀内誠一 絵の世界展』ベルナール・ビュフェ美術館:堀内誠一氏は、生涯で60冊を超える絵本を手がけた!Ex. 「ぐるんぱのようちえん」(1966年)!

2022-06-19 15:47:26 | Weblog
(1)堀内誠一(1932-1987)氏略歴!
堀内誠一(1932-1987)氏の「絵の世界」に注目した展覧会。堀内氏は雑誌のアートディレクターを務め、雑誌のロゴデザインや本の装丁、ポスターのデザインなど多彩な仕事を展開した。1958年には絵本「くろうまブランキー」の絵を担当、生涯で60冊を超える絵本を手がけた。1968-1969年、澁澤龍彦とともに季刊誌『血と薔薇』を編集。1974年、フランス・パリ郊外アントニーに移住。パリ在住日本人向けミニコミ誌『イリフネ・デフネ』(現『OVNI』)創刊に参画。1981年まで定住。1987年、死去。堀内氏がデザインした雑誌『an an』『POPEYE』『BRUTUS』『Olive』は現在もそのロゴを使用する。
(2)本展の内容!
本展は、堀内さんが10代の頃に描いた油絵作品(初公開)をはじめ、数々の絵本の原画、デザインにおける作画、雑誌のためのカットなど、堀内さんの創作の原点ともいえる「描くこと」に着目。54年の短い生涯で残した多彩な作品から、堀内さんの絵の世界をひもとく。
(3)堀内誠一氏が絵を担当した本(例)!
「くろうまブランキー」(1958)、「ぐるんぱのようちえん」(1966)、「たろうのおでかけ」(1966)、「おやゆびちーちゃん」(1967)、「ふらいぱんじいさん」(1969)、「ちのはなし」(1972)、「銀のほのおの国」(1972)、「ぴよ ぴよ」「かっきくけっこ」「あっはっは」(1972、谷川俊太郎と共作「ことばのえほん」シリーズ)、「マザー・グースのうた」(1975)、「めのはなし」(1977)、「お父さんのラッパばなし」(1977)、「こすずめのぼうけん」(1977)、「秘密の花園」(1979)、「てんのくぎをうちにいった はりっこ」(1985)



「東京の猫たち」展(目黒区美術館):小野木学《「ねこの王様」挿絵原画》(1974)、山下菊二《そこあさり》(1955)、柴田是真《猫鼠を覗う図》(1884)等々!

2022-06-06 11:43:37 | Weblog
★小野木学(オノギガク)(1924-1976)《「ねこの王様」挿絵原画》(1974)練馬区立美術館
怖い民話の挿絵だ。おばあさんは木こりのおじいさんのかえりを暖炉の前で待っていた。おばあさんの膝には黒猫のトムがいる。トムはまるで人間の言葉がわかるかのような賢い猫だった。やがておじいさんが帰って来て言った。「森の奥で黒猫が現れた。すると突然その猫が二本足ですっくと立ち上がると、森の奥から11匹の黒猫が柩を担いで現れた。『黒猫のチムが死んだ。チムが死んだら次はトムが猫の王様になる』と猫が言った」。すると今までおとなしく話を聞いていた黒猫のトムが立ちあがると「なんだって?チム爺さんが死んだ?だったら今度は僕が猫の王様だ!」と一声叫ぶと煙突を駆け上がり、そのまま戻ってこなかった。黒猫トムはチム爺さんの死を待っていた。  

★山下菊二(ヤマシタキクジ)(1919-1986)《そこあさり》(1955)豊島区
この画家は山村工作隊、小河内ダム反対闘争、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに関与した。また新潮文庫の大江健三郎作品の表紙を描く。 1975年に筋萎縮症と判断され、1986年死去。とらえがたい現実を超現実主義の方法で戯画化した。

★柴田是真(シバタゼシン)(1807-1891)《猫鼠を覗う図》(1884)板橋区立美術館
この画家・漆工は1873年ウィーン万国博覧会に《冨士田子浦蒔絵額面》を出品、進歩賞牌(ショウハイ)を受賞して以来、内外の展覧会で多くの賞牌を受けた。絵画では小粋(コイキ)な題材やユーモラスな内容の俳味ある作品を残す。