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“妙心寺:京が伝える禅の名宝”特別展(東京国立博物館平成館:2009.1.31)

2009-02-03 21:57:18 | Weblog

 1月末、寒い土曜日の午後、上野公園は賑わっている。東京国立博物館で“妙心寺展”(臨済宗)を見る。

  妙心寺は1331年(建武四年)花園法皇が自らの離宮を禅寺としたことに始まる。開山(初代住持)が関山慧玄(無相大師)である。 「関山慧玄(カンザンエゲン)坐像」(108)は没後300年を記念して1656年に作られた。84歳、旅姿で立ったまま息を引き取った僧、そして何ものにもとらわれない(無相)僧の精神の峻厳さが感じられた。

  「瑠璃天蓋」(111)は美しい。中国明時代15~16世紀に作られた。ガラス製品が宝飾品だった時代である。

 「宗峰妙超(シュウホウミョウチョウ)墨蹟 関山道号」(107)は国宝で大燈国師・宗峰妙超が弟子の関山に与えた印可状(1330年)である。関山の字が大きく強烈。

     宗峰妙超墨蹟

 「花唐草文様七条袈裟 花唐草文様横被(オウヒ)伝花園法皇料」(37)は14-15世紀のもの。500年以上たっているのにきらびやかで豪華。 

  応仁の乱で妙心寺は多くの伽藍が燃えてしまった。その再建につくしたのが雪江宗深(セッコウソウシン)。彼は妙心寺復興のシンボルとして開山の肖像画を描かせる。それが「関山慧玄像 雪江宗深賛」(10)(1470年)である。衣の色がいまだあざやかで華麗。雪江宗深の4人の高弟の一人が景川宗隆(ケイセンソウリュウ)。「景川宗隆墨蹟 遺偈(ユイゲ)」(59)は死ぬ日の朝(1500年)書かれたものである。あっさりした字だが緊張がただよう。

   妙心寺の繁栄の基礎は美濃の守護代の妻、利貞尼(リテイニ)からの仁和寺真条院の土地の寄進である。「利貞尼寄進状」(64)(1509年)がそのときの書状。 

    妙心寺には多くの貴重な文物がある。「達磨・豊干(ブカン)・布袋図」李確筆(99)(中国・南宋時代13世紀)は重文。豊干禅師は唐代の人で虎に乗り人を驚かしたという。豊干は阿弥陀の化身、布袋は弥勒の化身といわれる。「菊唐草文螺鈿(ラデン)玳瑁(タイマイ)合子(ゴウス)」(20)(朝鮮・高麗時代12-13世紀)は小さいがきらびやかで美しい。

 「梵鐘」飛鳥時代・文武天皇2年(698年)(148)は日本最古の鐘で国宝。黄鐘調(オウジキチョウ)の鐘とよばれ、『徒然草』で良い音で無常の調子をもつ鐘と紹介されている。梵鐘 

    豊臣棄丸(1589-1591)の葬儀は妙心寺で行われた。重文「豊臣棄丸坐像」(121)はあどけない表情をしている。重文「玩具船」豊臣棄丸所用(123)は棄丸が台座の上に乗り引っ張ってもらって遊んだという。ともに安土桃山時代16世紀のもの。

     妙心寺麟祥院には「春日局坐像」(161)がある。春日局は徳川家光の乳母である。 

  江戸時代初期、妙心寺において真の禅の悟りを求める正法(ショウボウ)復興運動が起こる。その一人で各地を修行のため遍歴した大愚宗築(タイグソウチク)。彼が死の3日前に書いたのが「大愚宗築墨蹟 遺偈」(177)(1669年)である。その日、「入滅三日前」と書き彼はその通り死んだ。 

   臨済宗中興の祖と呼ばれるのは白隠慧鶴(ハクインエカク)である。「達磨像」白隠慧鶴筆(187)(1751年)は高さ約2メートルの大作。達磨の迫力が強烈である。白隠は妙心寺での出世を望まず駿河に住んだ。白隠67歳の作品。駿河の国には過ぎたるものが二つありひとつは富士のお山、もう一つが白隠と歌われたという。      

                            

  彼の強烈な書が「白隠慧鶴墨蹟 関山慧玄偈」(201)(江戸時代18世紀)。“柏樹子話有賊機”という関山の言葉が書かれている。 “宇宙の大生命は眼前の柏の樹の存在においてすでに示されているとの話は、人の気持ちすべてを奪い去る力(賊機)がある”との意である。

   障屏画では狩野派繁栄の礎を築いた狩野元信筆「四季花鳥図 霊雲院方丈障壁画のうち」(93)(1543年)が重文。白黒の墨絵である。 重文「枯木猿猴図」長谷川等伯筆(202)(安土桃山~江戸時代 16-17世紀)はお猿さんたちがかわいい。 重文「龍虎図屏風」狩野山楽筆(214)(安土桃山~江戸時代 17世紀)はすごい迫力である。龍と虎がにらみ合う。豹が牝の虎として間違って描かれている。山楽は秀吉に才能を見出され永徳に学び、その大胆さを受け継いだという。

 山楽を継いだのが山雪である。「老梅図襖 旧天祥院障壁画」狩野山雪筆(215)(江戸時代 17世紀)は力強く装飾的である。 

                       

   最後に珍しい文物。それは重文「銅鐘IHS紋入」(149)(1577年)。信長の許可を受け京都に建立されたイエズス会の南蛮寺にあった鐘である。イエズス会を示すIHSの紋が歴史の生々しさを感じさせる。

  見終わって昂揚し充実した気分だった。戸外は晩冬の夕暮れ。上野駅に歩いて向かう。風が冷たかった。