季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“対決、巨匠たちの日本美術”展(東京国立博物館)

2008-07-26 18:12:41 | Weblog

  梅雨が明け暑い日が続く。東京国立博物館“対決、巨匠たちの日本美術”展へ行く。ぎらぎらする日差しの中、平成館の前の広場を歩く。日本美術史の概観が得られる催しである。 

 (1)運慶対快慶(鎌倉時代):運慶の地蔵菩薩坐像は力強く筋肉隆々で野生的である。これに対し快慶、地蔵菩薩立像は実に端正で優雅。運慶とは正反対の雰囲気である。目元が涼しく衣の襞が装飾的・規則的で美しい。 

                                                 

 (2)雪舟対雪村(室町時代):雪舟は山口で大内氏の庇護の下にあった。国宝、慧可断臂図(エカダンピズ)(1496年)はすまじい迫力がある。達磨の前の慧可の決意がその表情に読み取れる。雪村はおよそ100年後、関東の茨城で活動。蝦蟇鉄拐図(ガマテッカイズ)で描かれる蝦蟇仙人と鉄拐仙人の妖術の対決は少しユーモラスで楽しい。

                                                

 (3)狩野永徳対長谷川等伯(安土桃山時代):永徳はエリートの出身。国宝の檜図屏風(ヒノキズビョウブ)は注文が多いせいか筆致が荒い。しかし構図は圧倒する力がある。等伯の松林図屏風(ショウリンズビョウブ)はモダンな作品。利休の幽玄の理念の絵画化である。同じく等伯の萩芒図屏風(ハギススキズビョウブ)は洒落た大和絵ふうである。金箔の背景に萩が鮮やかであり芒が茫洋と風にそよぐ。 

                                          

 

                                            

 (4)長次郎対本阿弥光悦:長次郎の赤楽茶碗、銘無一物(アカラクチャワン、メイムイチモツ)(安土桃山時代)は轆轤でなく手で作られたもので利休の侘び茶の精神の体現である。侘びと言いながら華やかである。光悦、黒楽茶碗、銘時雨(クロラクチャワン、メイシグレ)(江戸時代)には静かな凄みがある。国宝の光悦、船橋蒔絵硯箱には人をひきつける存在感があった。 

                                           

                                               

  (5)俵屋宗達対尾形光琳:宗達、蔦の細道図屏風(江戸時代17世紀)は大和絵の手法で描かれほとんど緑一色でモダンな構図である。伊勢物語の1シーン。光琳、白楽天図屏風(江戸時代18世紀)は波がユニークに装飾的である。宗達の扇面散屏風(センメンチラシビョウブ)が華麗でありながら荒々しさを示すのに対し、宗達を師と思い学んだ光琳の菊図屏風は技巧的で豪華である。 

                                              

 (6)円山応挙対長沢芦雪(江戸時代18世紀):応挙の猛虎図屏風の虎は金地を背景にリアリティがありすさまじい。感覚的絵画で従来まで要求されていたような文学的素養は不要である。なお豹がメスの虎として描かれているのが愉快。保津川図屏風は川の描写がまるでホイップクリームのように見える。芦雪は応挙の弟子で20歳若い。虎図襖(トラズフスマ)の虎は大きいが巨大な猫に似ている。

                                         

                                         

 (7)野々村仁清対尾形乾山:仁清(ニンセイ)の色絵吉野山図茶壷(イロエヨシノヤマズチャツボ)(江戸時代17世紀)はとても素敵な京焼である。桜の花の連なり、山々の重なりが白地の背景から印象的に浮かび上がっている。乾山(ケンザン)は仁清から多くを学ぶ。光琳の弟であるが、兄と異なり物静かな人物だった。色絵紅葉図透彫反鉢(イロエモミジズスカシボリソリバチ)(江戸時代18世紀)は竜田川の紅葉の風景を焼き物で華やかに再現する。 

                                    

 (8)円空対木喰(モクジキ):円空(江戸時代17世紀)はなたで刻んだような数千体の仏像を残している。十一面観音菩薩立像は大きく比較的丁寧に彫られていた。木喰は円空の死の23年後に生まれ全国に500体以上の仏像を残す。十王坐像(江戸時代、文化元ー2年(1804-5))は木喰88歳の作品である。閻魔大王などが笑っているように見え親しみやすい。(Cf. 東光寺の葬頭河婆)

 (9)池大雅(イケタイガ)対与謝蕪村:ともに南画を描く。中国の文人画の流れを汲む。大雅、十便帖(ジュウベンジョウ)(明和8年(1771))は隠棲生活の便利な点、10場面を描いてほほえましい。蕪村は大雅の7歳年少。十宜帖(ジュウギジョウ)(明和8年(1771))はこれまた隠棲したときの10の楽しみを描く。蕪村の鳶鴉図(トビカラスズ)は南画と言うより写実的な絵で彼の筆力の確かさがわかる。 (参考:図は【切手】国際文通週間 1976年10月6日発行)

                                    

 (10)伊藤若冲(イトウジャクチュウ)対曽我蕭白(ソガショウハク):若冲の仙人掌群鶏図(サボテングンケイズ)(江戸時代、寛政2年(1790))は75歳の作品だが若冲らしい鮮やかさと装飾性がある。また石灯籠図屏風(江戸時代18世紀)は穏やかであって黒い灯籠がシュールである。蕭白35歳の作品である群仙人図(グンセンニンズ)(江戸時代、明和元年(1764))は前衛的で怪異、グロテスクな雰囲気を漂わせる。モダンである。 

                                          

 (11)喜多川歌麿対東洲斎写楽:歌麿(-1806)の婦人相学十躰・浮気之相(フジンソウガクジュッタイ・ウワキノソウ)(江戸時代18世紀)はなかなか艶かしい。写楽、市川蝦蔵の竹村定之進(江戸時代、寛政6年(1794))はいかにも写楽らしい作品。彼は画風を非難され僅か10ヵ月で消える。 

                                                     

 (12)富岡鉄斎対横山大観:鉄斎の妙義山・瀞八丁図屏風(明治39年(1906))は大胆な構図である。鉄斎は職業画家でなく文人画の伝統を守った。大観は日本にこだわり、雲中富士図屏風(大正時代、20世紀)もその精神を示している。

                                            

 すべて見終わってうーん日本にもたくさんの巨匠といわれる芸術家がいたのだなと実感する。平成館を出れば外は少し陽が傾いたとはいえまだまだとても暑かった。


劇団鳥獣戯画 『カリフォルニアドリーミン』

2008-07-07 22:07:41 | Weblog

  梅雨の中休み、曇りの午後、王子の北トピアで劇団鳥獣戯画『カリフォルニアドリーミン』を観劇。 55歳の旧クラスメートたちが故英語科教師“たぬき”の散骨のため海へ向かう。“たぬき”は POPS CLUB を作ろうと思っていた。彼らの高校時代はおそらく昭和30年代である。数々の懐かしい曲が次々と歌われる。それとともに高校時代の印象的出来事、卒業後約40年間の各人の様々な人生模様が回顧される。恩師の散骨の後、歌われるのが“カリフォルニアドリーミン”である。彼らは長く生きた後、あらためて自分たちの青春時代の輝きを賞賛する。それは亡くなった恩師と自分たちの青春のための鎮魂の想いでもある。 中年が描いた従って少しばかり重苦しい青春賛歌だった。

                                 


青春のロシア・アヴァンギャルド展(Bunkamura ザ・ミュージアム)

2008-07-06 22:53:35 | Weblog

 渋谷の夕方は曇り、暑かった。Bunkamura ザ・ミュージアムの『ロシア・アヴァンギャルド展:シャガールからマレーヴィッチまで』へ行く。

 最初にカンディンスキーが抽象画を描く前の「海景」(1902)に出会う。これは印象派風に色鮮やかで海岸が具象的。 

 ネオ・プリミティヴィズムはゴーギャンの影響を受けるとともにイコンの様式性・装飾性を受け継ぐ。ゴンチャローヴァの「水浴する少年たち」(1911頃)がその典型である。シャガールもこの流れの下にあった時期があり「ヴァイオリン弾き」(1917)は故郷ロシアの村とユダヤ人の象徴であるヴァイオリン弾きを描く。(図はマルク・シャガール「家族」1911-12年)

                                

 マシコーフ「扇のある静物」(1915頃)は①セザンヌ的であり、②扇がゴーギャンを思い出させ、③フォービズムの色彩を持つ。 

 フランスのアンリ・ルソーと同様の素朴派が看板画家ピロスマニである。「小熊を連れた母白熊」(1910年代)は野性が持つ神性と悪魔性を高貴に描く。彼は100万本のバラを愛する女優に捧げたという逸話を持つ。  

                                   

 純粋抽象へ向かったのはマレーヴィチのスプレマティズムである。感覚の至高の力・絶対性(スプレマート)を対象なしにつまり知識・認識から離れて表現する。こうして「無対象の絵画」が生まれる。マレーヴィチ「スプレマティズム(白い十字架のあるスプレマティズムのコンポジション)」(1917-18)が代表的作品である。

                                  

 この時代の後、同じくマレーヴィチの「農婦、スーパーナチュラリズム」(1920年代初頭)が強烈である。

 アルキペンコ「小立像」(1914)はキュビズム的な異なる視点の再構成をブロンズで表現した。

 スターリンによる1914年の権力掌握後、前衛芸術は迫害される。1933年には一切の芸術団体が解散させられ社会主義リアリズムのみが正統な芸術とされる。

 アメリカに在住していたアルキペンコはこの迫害から自由でアール・デコの影響もあるブロンズ「美の賞賛、凹面の立像」(1925)がすばらしい。

 分析・再構成の絵画理論を唱え「11の顔のあるコンポジション」(1934-35)を描いたフィローノフはこの6年後、餓死している。


フランスが夢見た日本:陶器に写した北斎、広重(東京国立博物館)

2008-07-03 00:11:43 | Weblog

 梅雨の晴れ間。東京国立博物館の前庭は風が爽やか。表慶館はいつ訪ねてもレトロ。

 北斎、広重の作品が写された陶器は仏、ジャポニズムの強烈な現れである。「セルヴィス・ルソー(ルソー・セット)」(1866-1938)では陶器の白い背景にくっきりと黒い線で描かれた絵柄がショッキングに鮮やかだった。(上図・下図とも歌川広重(1797-1858)の作品から着想を得ている。)

                                          

                             

 『北斎漫画』がフランスで刺激的だったとわかる。

                                        

 「セルヴィス・ランベール(ランベール・セット)」(1873頃ー1875、1884から約10年)は陶器の面を全体として絵にする。陶器をキャンバスにして描いた絵がそこにある。「楕円形皿 鶏図」は豪華。ランベールは『暁斎楽画』(1881)を好んだという。(上図は河鍋暁斎1881から、中図は歌川広重1855から、下図は葛飾北斎1836から着想を得る。)

                                        

                              

                                   

 展示の全体を通して絵画的感性の普遍性を感じ取ることができた。