季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

『四代目中村鴈治郎襲名披露、四月大歌舞伎 』(歌舞伎座)2015/4/8

2015-04-09 10:48:15 | Weblog


一、梶原平三誉石切(カジワラヘイゾウホマレノイシキリ)、星合寺の場
 石橋山の戦いで、頼朝軍が平氏方と戦って敗北。その直後の話。梶原景時や、大庭景親、俣野景久兄弟ら平家方武将が鎌倉の星合寺(ホシアイデラ)に参詣。源氏方に縁ある六郎太夫と娘の梢が刀を300両で売りに来る。(実は頼朝再挙の軍資金のため。)梶原が刀を鑑定し名刀と判明。しかし俣野の意見で、二人の罪人を重ね斬る「二つ胴」で斬れ味を試すことなる。ところが死罪の囚人が一人しかいない。金が必要なので六郎太夫が自分の体を使うよう志願。試し斬りを請け負った梶原の機転で、六郎太夫は救われる。
 だがこれでは刀は売れず失望落胆する六郎太夫。この時、梶原景時が「自分は源氏に味方する心だ」と本心を明かす。
 最後に、石の手水鉢(チョウズバチ)が名刀で見事に切断される。“誉石切(ホマレノイシキリ)”!「鎌倉殿を守護なすには、これ屈強の希代の名剣」と梶原は刀を300両で買う。

二、成駒家歌舞伎賑(ナリコマヤカブキノニギワイ)、木挽町芝居前の場、四代目中村鴈治郎襲名披露 口上
 木挽町座元(劇場所有者で歌舞伎の興行権を持つ)、太夫元(役者や裏方をやとい一座を組織し座元に売り込み興行)、芝居茶屋亭主とその内儀などが出迎え、男伊達(男の侠客)、女伊達(男の侠客)、さらには江戸奉行も駆けつけ、大きな賑わい。

三、心中天網島、玩辞楼十二曲の内 河庄(カワショウ)
 大坂天満の紙屋治兵衛は、妻子のある身でありながら、遊女小春と深い仲となり、心中の約束。茶屋河庄で小春は、治兵衛の女房からの「夫と別れてほしい」との手紙を受け取る。河庄を訪れた見慣れぬ侍に、小春が、「心中したくない」と頼む。小春の心変わりに治兵衛は激昂。ところが侍は実は、治兵衛の兄の粉屋孫右衛門・・・・。
 上方歌舞伎の代表作。治兵衛は、頬かむりをしての花道の出が見どころ。

四 石橋(シャッキョウ)
 文殊菩薩の霊地の清涼山にかかる石橋に、霊獣の獅子の精が現れ牡丹と戯れる。「石橋物(獅子物)」の一つ。獅子の精の激しい毛振りが見どころ。

“インドの仏―仏教美術の源流”展  東京国立博物館(2015.4.7)

2015-04-07 18:29:00 | Weblog
「法輪の礼拝」バールフット出土、ジュンガ朝(紀元前2世紀):釈迦は紀元前7-4世紀頃の人。仏教の初期は、仏像は作られなかった。法輪(古代の武器チャクラム)は、破邪の法力を持った仏陀の教えを示す。


「仏座像」アヒチャトラー出土、クシャーン朝(1世紀頃):最初の仏像はインドのマトゥーラと、パキスタンのガンダーラでほぼ同時に作られる。この仏像はマトゥーラのもの。赤い砂岩である。


「弥勒菩薩座像」ロリアン・タンガイ出土、クシャーン朝(2世紀頃):菩薩は、仏陀となる以前、修行中の釈迦に当たる。多くの装飾品を身につけた王子の服装。この像は、ガンダーラのもので、石は白い片岩。ギリシア・ローマ風。


「四相図」サールナート出土、グプタ朝(5世紀頃):赤色砂岩。お釈迦様の生涯の重要な場面4つを示す(4大聖地)。下から①誕生(ルンビニー)、②降魔成道(ゴウマジョウドウ)(ボードガヤーorブッダガヤ):魔王マーラーに試される釈迦が、ついに悟りを得て仏陀となる。菩提樹の下。③初転法輪(サールナートor鹿野苑(ロクヤオン))、④涅槃(クシナガラ):沙羅双樹の下で釈迦入滅。


「カサルパナ観音立像」バングラデシュ、チョウラパーラ出土、パーラ朝(11-12世紀頃):カサルパナとは空中を遊行するものの意。密教の仏像。頭上の小仏像のうち、真ん中が大日如来。玄武岩を精緻に彫った典雅な仏像。素晴らしい!「パーラ式」仏像と呼ばれる。

“マグリット展” 国立新美術館(2015.3.30)

2015-04-01 12:16:35 | Weblog
「恋人たち」1928年:布に顔が覆われた恋人同士が、キスをする。不吉な愛。もちろん日常生活で多くの者にとって死は、ほとんど意識されない、あるいは現実的でない。この絵は、多くの者に、死を思い起こさせる


「人間の条件」1933年:窓の外の「現実」の風景。キャンバスに描かれた風景の「絵」。二つの風景が全く同一に見える。この場面では、一見、現実と絵が区別できない。しかしよく見れば、絵は現実と異なる。「現実」のカーテンが、一部「絵」に描かれていない。絵をカーテンまたは壁の前に運べば、絵が現実でないことが一目瞭然となる。人間の条件は何か?絵と現実との差異によって、絵は絵となり、現実は現実となる。事物の差異が、事物を他の事物から区別し、その事物とする。差異の出現が、人間の思考・行為等、生存の一切を可能にする規定された世界を存在させる。差異の出現が、秩序の出現である。差異のない世界は、ひたすら混沌である。無規定なカオスはそもそも草も木も雲も何物も存在させない。現実の風景自身さえ、溶解しカオスとなり存在不能である。


「凌辱」1934年:女性の顔に、女性の裸の乳房・腰・陰毛・太腿だけを見る。確かに女性は、目によって「凌辱」される。


「光の帝国Ⅱ」1950年:光が、この世の最高支配者で、光の帝国が建設されれば、光にかかわる一切の規定が、自由に設定される。今、光の新たな秩序が、命令された。空は昼であること。木々と木々の下の風景は夜であること。この絵は、光の帝国の新たな秩序を描く。


「大家族」1965年:“題名、描かれた諸形象、これらは相互に「ファミリアー」(家族的)である”と画家は主張する。鳥、昼の空、地上の夜、「大家族」の語、これらが相互の連想連関によって、非日常的、時に神秘的関係を出現させる。


「白紙委任状」1965年:人間の視覚認識は極めて柔軟。風景(現実)の規定が、人間に白紙委任される。現実が人間によって、自由に視覚認識される。背景が前景となり、あるいは背景の物体が同時に前景となる等々。