季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

こまつ座『紙屋町さくらホテル』井上ひさし作(紀伊國屋サザンシアター)2022/07/14:「新劇」も「宝塚」もともに「様式」だ!「真実」は、「様式」を通してのみ表現され、出現する!

2022-07-15 20:39:25 | Weblog
(1)
昭和20年5月、原爆投下前の広島の「紙屋町さくらホテル」。ホテルの所有者である日系二世の神宮淳子と心やさしき同居人たち、淳子の従妹の正子、言語学者の大島先生、ピアノの得意な玲子など。戦時中に実在した移動演劇隊・さくら隊の物語。新劇の名優・丸山定夫(さくら隊の隊長;1901-1945)、そして宝塚少女歌劇団出身の女優・園井恵子(1943年の映画「無法松の一生」で陸軍大尉・吉岡の未亡人・よし子を演じる;1913-1945)を核とする移動演劇隊のさくら隊は今、広島の「紙屋町さくらホテル」に活動し滞在する。
(2)
さくら隊は広島の第5師団の将兵のために慰問演劇をする。今は、その準備中。出し物は「無法松の一生」のダイジェスト版。陸軍大尉・吉岡の未亡人・よし子への「松」の告白。その後、「松」は吉岡家に行かなくなる。「松」は酒浸りとなり3か月後、は脳溢血で他界する。この後者の場面に男の俳優が足りない。
(3)
ホテルの所有者の神宮淳子はアメリカ国籍。淳子をスパイ容疑で監視する特高刑事・戸倉が「さくらホテル」に来て監視のため同居する。ところが、結局、戸倉が「無法松の一生」の男優として「巡査」役で出演することとなる。
《感想》
特高刑事がスパイ容疑者監視のため、男優として劇に出演するという設定が、当時の状況としては、非現実的で無理な設定だ。井上ひさし氏はあり得ない出来事を「願望的」に描く。「アカ」に対して陰惨かつ残虐な特高刑事が、職務において「人情的」に行動することはない。
(4)
天皇の密使海軍大将(軍事参議官)・長谷川が薬売りとして、また陸軍中佐・針生が傷痍軍人として、身分を隠し、「さくらホテル」にやってくる。長谷川は陸軍の「本土決戦」の準備を偵察し、天皇に報告するための密使だった。陸軍中佐・針生は海軍の長谷川を監視し、陸軍の「本土決戦」方針を阻害する報告を長谷川が天皇に報告しようとした場合、長谷川を暗殺する許可を陸軍から与えられていた。なお実際、その後、長谷川は「本土決戦の準備がまったく整っていない」ことを天皇に報告し、天皇は「本土決戦」から「和平」へと考え方を変える。
(5)
天皇の密使海軍大将・長谷川と陸軍中佐・針生は、「無法松の一生」の男優としてともに「車夫」役で出演する。特高刑事・戸倉は「巡査」役で出演する。劇中、新劇の名優・丸山定夫が「築地小劇場」・「新劇」の演劇理念を繰り返し語る。「演劇者」はあらゆる人間になりうるのであり、普遍的人間世界の体現者である。そして「演劇」は現実世界を超えた理念世界として人間の普遍性を証明する。「いい舞台はひととき我を忘れさせ、そのことで人を素直にさせる、生まれ変わりの儀式なのかもしれません。―――井上ひさし」。Cf. 『紙屋町さくらホテル』のパンフレットは「一人では出来ないこと、一人の人間の力を超えた何か大きな豊かなものがありうる。それは『人間の宝石』と呼ぶべきものだ」と書く。
《感想1》
「理念」が個人を変容させるにあたって最も影響があるのは幼児期から青少年期までだ。もちろん様々な「理念」が、一生に渡って個人に影響を与え続ける。しかし特高刑事・戸倉を数日のうちに態度変容・行動変容させる力が「演劇の理念」にあるとは到底考えられない。そのように考えるのは、井上ひさし氏の「我田引水」・「自画自賛」であるか、あるいは実際にはあり得ない「願望」にすぎない。
《感想2》
天皇の密使海軍大将・長谷川と陸軍中佐・針生が、「無法松の一生」の男優としてともに「車夫」役で出演することについては、「演劇の理念」の影響力によるというより、「世間的な成り行き」と言うべきだ。
《感想3》
宝塚少女歌劇団出身の女優・園井恵子が、「新劇」の立場にたって、「宝塚」的な「様式美」を侮蔑的に批判するが、その批判は当たっていないというべきだ。「様式」では描き切れない「真実」があると、「新劇」は主張し、宝塚的な「様式」は無用であると侮蔑する。だがこれは誤りだ。「真実」は、「様式」を通してのみ表現され、出現する。
《感想3-2》
「新劇」も一つの「様式」にすぎないのだ。「新劇」も「宝塚」も、ともに「様式」だ、つまり両者は異なる「様式」であるだけだ。「真実」は、(「新劇」であれ「宝塚」であれ)「様式」を通してのみ、表現され、出現する。
(6)
最後に、残酷な事実が提示される。移動演劇さくら隊は、1945年8月、原爆により壊滅した。
《感想1》
「原爆」はジェノサイド(民間人の無差別大量殺戮)であり戦争犯罪だ。(広島・長崎で数十万人が殺戮された。)「ゲルニカ」の無差別爆撃の数千倍の規模だ。
《感想2》
だが日本陸軍が計画した「本土決戦」は2000万人の日本国民の死・殺戮計画だった。日本陸軍による日本国民(臣民)のジェノサイドだ。天皇制(国体)維持のためのジェノサイド。当時の「天皇制」は「日本国民」を殺戮して存続をはかった。


『湯山昭の音楽』(東京オペラシティ・コンサートホール)2022/03/27:作曲家・湯山昭のトリビュート・コンサート!7組のプレイヤーが参加!プロデュースは娘の湯山玲子!

2022-06-24 12:49:30 | Weblog
※『爆クラpresents 「湯山昭の音楽」 what the world needs akira yuyama 』
(1)
★『ヴァイオリンとピアノのための小奏鳴曲』(1953):福田廉之介(ヴァイオリン)、ロー磨秀(ピアノ)
ヴァイオリンとピアノの楽しいやりとり。福田廉之介さんが「弾くのがむずかしい曲です」と言っていた。
★歌曲集『子供のために』(1960)より「鳴子を弾いても」他&歌曲集『カレンダー』(1968)より「七月/夏のレセプション」他:林正子(ソプラノ)、石野真穂(ピアノ)
湯山昭の曲について、林正子氏が、「ドビュッシーを思わせます」と言った。また「日本語で歌うのは映画『崖の上のポニョ』(2008)以来です」、「いつもは外国語でばかり歌っています」とのこと。
(2)
★ピアノ曲集『お菓子の世界』(1973)より「序曲・お菓子のベルトコンベアー」他:新垣隆(ピアノ)
新垣隆氏が、ピアノ曲集『お菓子の世界』について「実験的かつモダンでアヴァンギャルド」、「印象主義音楽を思わせる」、「ジャズを感じさせるリズム」、「無調の曲もある」と語った。
★『マリンバとアルトサクソフォーンのためのディヴェルティメント』(1968年):上野耕平(アルトサクソフォーン)、池上英樹(マリンバ)
湯山玲子氏(ナビゲーター・プロデューサー)が「クラシックで、サクソフォーンだけの曲ってまずないですよね」と言うと、上野耕平氏がうなずいた。マリンバの池上英樹氏が「バチを6本持つときがあって大変です」と言った。
(3)
★男声合唱とピアノのための『ゆうやけの歌』(1976):「ゆうやけ男性合唱団」、田中裕大(指揮)、和田太郎(ピアノ)
これについては、湯山玲子氏から丁寧な説明があった。実は最初のプログラムでは「THE LEGEND」(オペラユニット)が男声8声編曲版で「ゆうやけの歌」を歌う予定だった。「ところが火曜日にメンバーの多数がコロナにかかり出演できないとわかったんです!大変!演奏会は日曜日!そこで急遽、慶応と早稲田の男性合唱団の方々にお願いしたんです。みなさん『ゆうやけの歌』はこれまで歌ったことがあり、そして2日間、練習していただいて、今日になりました」と言った。かくて本演奏会のために「ゆうやけ男性合唱団」が誕生した・・・・。こうして大変迫力ある男子合唱が披露された。
(4)
本日のコンサートは「多分、世界中で一番、湯山昭の音楽を聴いている」という娘・湯山玲子氏が選曲し、プロデュースした。最後にサプライズがあった。「今日、ここの客席に、父・湯山昭が来ております。90歳です!」と湯山玲子氏が紹介した。客席中程の右側に、湯山昭氏が立ち上がり、四方に礼をされた。皆さんが拍手した。

《感想》充実した盛りだくさんのコンサートだった。多彩な一流のプレーヤー、曲目も湯山昭氏のトリビュートにふさわしく、豊かで多様だった。しかも湯山昭氏自身もいらっしゃって、嬉しかった。また湯山玲子氏のナビゲーションは、歯切れよく楽しかった。コロナにも負けず、大成功!



『あなたの初恋探します』石井雅登・山口乃々華・平野良(マルチマン)、浅草九劇2022/04/15:ヒロインは最後に自分自身を見出し、「初恋」へのこだわりが「自分を欺く」ことだったと気づく!

2022-06-24 12:45:19 | Weblog
(1)
韓国で生まれた小劇場向けの「3人ミュージカル」。ロマンチックコメディ。父親から「早く結婚せよ」と迫られ人生の岐路に立ったヒロイン(山口乃々華)。インドで出会った名前しかわからない「初恋」相手を探す。「気弱な青年」(石井雅登)が会社を首になり、起業した会社が「あなたの初恋探します」社。顧客の相談にのって、初恋相手を探す。「最初の顧客」であるヒロインと「気弱な青年」の二人が、ヒロインの初恋相手をさがす。
(2)
「マルチマン」と呼ばれる俳優が、ヒロインと「あなたの初恋探します」社の気弱な青年以外の登場人物、20役以上を一人で演じ分ける。ヒロインの父親である大佐、蛇使い、ウェートレス、飛行機の女性アテンダント等々。(※女装がコミック的であまりどぎつくなく、見ていて楽しく、笑ってしまう。)
(3)
ドタバタコメディだが、同時にヒロインの「自分探しの物語」だ。ヒロインは自分自身を結局見出し、「初恋」へのこだわりが「自分を欺く」ことだったと気づく。ヒロインと「気弱な青年」が、道中でのやり取りを通じて、新たな恋を育て、ハッピーエンドとなる。

《感想1》たった3人の俳優が、歌にダンスに大活躍。飽きないストーリー展開。丸椅子3つのタクシー、「マルチマン」のインドの蛇使い、左右半分ずつ両面で男と女を演じる場面、飛行機の女性アテンダントなど、面白い。
《感想3》観客50人程度の小さな空間で、俳優さん3人が、手が届くくらい近いところで、一生懸命演じてくれて、現場で親しく応援でき嬉しい。
《感想4》韓国は徴兵制で兵役が義務だ。軍隊式の敬礼が、半ば揶揄されて劇に取り入れられ、お国柄を示す。


『美川憲一コンサート2022~こころに花を~』中野サンプラザホール(2022.06.20):「お金をちょうだい」は、健気な歌!柳瀬商店街(岐阜)はシャッター商店街になっていて残念だった!

2022-06-24 12:37:17 | Weblog
『美川憲一コンサート2022~こころに花を~』で、美川憲一は昭和の「さそり座の女」「柳瀬ブルース」、平成の「火の鳥」「おだまり」、令和の「こころに花を」など全21曲を披露した。トークが楽しかった。
(1)「お金をちょうだい」は、健気な歌。男と別れる女が、別れた後、アパートを借りるお金がないから「お金をちょうだい」と言っている。「カネの亡者」の歌ではない。
(2)美川憲一がトークで言った。「柳瀬ブルース」を歌いに柳瀬商店街(岐阜)に行ったけれど、今はシャッター商店街になっていて、残念だった。だけど人がどんどん湧いてくるように集まって、びっくりした。
(3)この年齢になると歌詞を覚えるのが大変。新曲(「別れてあげる」)を歌うのに「間違えたらどうしよう」と思いながら歌ったとのこと。コンサートの最後に、「一曲も間違えなかったわ」とほっとしていた。
(4)美川憲一は1946年生まれ、73歳なのに、よく声が出ていた。しっかり歌のトレーニングをしているように思えた。
(5)「おだまり」は男の口説きに対する女の反論。「お金じゃないと彼は言う。おだまり、おだまり。あんたその手で 何人くどいた。」「夢みる女はかわいくて、悪魔のえじきに なりやすい。何が悪魔ヨ。あんたがよっぽど悪魔!」
(6)「さそり座の女」が言う。「あなたはあそびのつもりでも、地獄のはてまでついて行く。思いこんだら、いのち、いのち、いのちがけよ。」これは実は、男性が望む女性観だ。女性はもっと賢く合理的に計算するのが普通。
(7)「火の鳥」は男への女の未練を歌う。「あたしから切り出して御破算にしたのに、あの女(ヒト)と別れたと噂を聞いてまた燃える。火の鳥みたいなあなた、炎の翼を広げ思い出から今甦る。」ただし逆に、女への男の未練もある。(Cf. ストーカー!)
(8)「柳瀬ブルース」は次のように歌う。①雨の降る夜は心もぬれる。まして一人じゃなお淋し。憎い仕打とうらんでみても、戻っちゃこないあの人は。ああ、柳ヶ瀬の夜に泣いている。(※降る雨で心もぬれる。「心に雨が降る」という想像上の比喩。)②二度と逢えない人なのに、なぜか心が又いたむ。忘れたいのにあの夢を想い出させる、この酒が。ああ、柳ヶ瀬の夜に泣いている。(※酒は「理性」を弱める。非合理な感情が優勢となる。)③青い灯影につぐ酒は、ほろり落したエメラルド。もだえ身を焼く火の鳥が、雨に打たれて夜に泣く。ああ、柳ヶ瀬の夜に泣いている。(※美川憲一さんが涙を「エメラルド」に例えるのはお洒落だと言っていた。)
(9)「こころに花を」はとてもまじめな歌。「あなたと咲かせた花ひとつ。優しさぬくもりこの身に受けて、見慣れた町並み景色にさえも、生きる喜び感じています。」(※人は、人ともにのみ生きる。これが人の世の法則=真理だ。)



企画展『線の画家 ベルナール・ビュフェ』ベルナール・ビュフェ美術館:われわれ青年を掩(おお)っていた敗戦による虚無感と無気力さのなかに、一筋の光芒を与えてくれたのが彼の絵であった!

2022-06-19 15:52:56 | Weblog
ベルナール・ビュフェ美術館は、フランスの画家ベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet)(1928-1999)の作品を収蔵・展示するため1973年に創設された。創設者・岡野喜一郎(1917-1995)がビュフェの作品と出会ったのは、1950年代の前半だった。「数年にわたる戦争から復員したばかりの私は、感動して彼の絵の前に呆然と立ちつくしたことを思い出す。研ぎすまされた独特のフォルムと描線。白と黒と灰色を基調とした沈潜した色。その仮借なさ。匕首(あいくち)の鋭さ。悲哀の深さ。乾いた虚無。錆びた沈黙と詩情。そこに私は荒廃したフランスの戦後社会に対する告発と挑戦を感じた。当時のわれわれ青年を掩(おお)っていた敗戦による虚無感と無気力さのなかに、一筋の光芒を与えてくれたのが彼の絵であった。国土を何回も戦場にし、占領され、同胞相殺戮しあったフランス。その第2次世界大戦の激しい惨禍のなかから、このような感受性と表現力をもった年若き鬼才が生まれでたことに畏怖の念をいだいた。その表現力はまさしく、私の心の鬱々としたものに曙光を与えたのである。以来、私はビュフェの虜となった。無宗教の私に、一つの光明と進路を与えてくれたのが、ほかならぬ彼のタブロオそのものだった。これが私のビュフェへの傾倒のはじまりである。」(岡野喜一郎著「ビュフェと私」1978年4月より)


★ベルナール・ビュフェ「カルメン」1962

『堀内誠一 絵の世界展』ベルナール・ビュフェ美術館:堀内誠一氏は、生涯で60冊を超える絵本を手がけた!Ex. 「ぐるんぱのようちえん」(1966年)!

2022-06-19 15:47:26 | Weblog
(1)堀内誠一(1932-1987)氏略歴!
堀内誠一(1932-1987)氏の「絵の世界」に注目した展覧会。堀内氏は雑誌のアートディレクターを務め、雑誌のロゴデザインや本の装丁、ポスターのデザインなど多彩な仕事を展開した。1958年には絵本「くろうまブランキー」の絵を担当、生涯で60冊を超える絵本を手がけた。1968-1969年、澁澤龍彦とともに季刊誌『血と薔薇』を編集。1974年、フランス・パリ郊外アントニーに移住。パリ在住日本人向けミニコミ誌『イリフネ・デフネ』(現『OVNI』)創刊に参画。1981年まで定住。1987年、死去。堀内氏がデザインした雑誌『an an』『POPEYE』『BRUTUS』『Olive』は現在もそのロゴを使用する。
(2)本展の内容!
本展は、堀内さんが10代の頃に描いた油絵作品(初公開)をはじめ、数々の絵本の原画、デザインにおける作画、雑誌のためのカットなど、堀内さんの創作の原点ともいえる「描くこと」に着目。54年の短い生涯で残した多彩な作品から、堀内さんの絵の世界をひもとく。
(3)堀内誠一氏が絵を担当した本(例)!
「くろうまブランキー」(1958)、「ぐるんぱのようちえん」(1966)、「たろうのおでかけ」(1966)、「おやゆびちーちゃん」(1967)、「ふらいぱんじいさん」(1969)、「ちのはなし」(1972)、「銀のほのおの国」(1972)、「ぴよ ぴよ」「かっきくけっこ」「あっはっは」(1972、谷川俊太郎と共作「ことばのえほん」シリーズ)、「マザー・グースのうた」(1975)、「めのはなし」(1977)、「お父さんのラッパばなし」(1977)、「こすずめのぼうけん」(1977)、「秘密の花園」(1979)、「てんのくぎをうちにいった はりっこ」(1985)



「東京の猫たち」展(目黒区美術館):小野木学《「ねこの王様」挿絵原画》(1974)、山下菊二《そこあさり》(1955)、柴田是真《猫鼠を覗う図》(1884)等々!

2022-06-06 11:43:37 | Weblog
★小野木学(オノギガク)(1924-1976)《「ねこの王様」挿絵原画》(1974)練馬区立美術館
怖い民話の挿絵だ。おばあさんは木こりのおじいさんのかえりを暖炉の前で待っていた。おばあさんの膝には黒猫のトムがいる。トムはまるで人間の言葉がわかるかのような賢い猫だった。やがておじいさんが帰って来て言った。「森の奥で黒猫が現れた。すると突然その猫が二本足ですっくと立ち上がると、森の奥から11匹の黒猫が柩を担いで現れた。『黒猫のチムが死んだ。チムが死んだら次はトムが猫の王様になる』と猫が言った」。すると今までおとなしく話を聞いていた黒猫のトムが立ちあがると「なんだって?チム爺さんが死んだ?だったら今度は僕が猫の王様だ!」と一声叫ぶと煙突を駆け上がり、そのまま戻ってこなかった。黒猫トムはチム爺さんの死を待っていた。  

★山下菊二(ヤマシタキクジ)(1919-1986)《そこあさり》(1955)豊島区
この画家は山村工作隊、小河内ダム反対闘争、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに関与した。また新潮文庫の大江健三郎作品の表紙を描く。 1975年に筋萎縮症と判断され、1986年死去。とらえがたい現実を超現実主義の方法で戯画化した。

★柴田是真(シバタゼシン)(1807-1891)《猫鼠を覗う図》(1884)板橋区立美術館
この画家・漆工は1873年ウィーン万国博覧会に《冨士田子浦蒔絵額面》を出品、進歩賞牌(ショウハイ)を受賞して以来、内外の展覧会で多くの賞牌を受けた。絵画では小粋(コイキ)な題材やユーモラスな内容の俳味ある作品を残す。



“島津亜矢 歌怪獣襲来ツアー2022”府中の森芸術劇場(2022/1/13):“歌怪獣”さんは、本当に歌がうまいです!

2022-01-15 00:59:18 | Weblog
「幼少の頃より数々のグランプリを手にした演歌の申し子。ステージでは演歌のみならず洋楽・Jポップと抜群の歌唱センスを披露!」島津亜矢さんは、パンフレットにはこのように紹介されている。「すべての“うた”が好き、色々なジャンルに挑戦したい」と彼女は言う。このコンサートでは、個人的には井上陽水の「傘がない」を彼女が歌ったのが良かった。“歌怪獣”さんは、本当に歌がうまいです。


★島津亜矢

歌舞伎座『壽 初春大歌舞伎』第二部「一、春の寿(ハルノコトブキ)〈三番叟〉〈萬歳〉」、「二、邯鄲(カンタン)枕物語、新玉の笑いで寿ぐ艪清の夢(ロセイノユメ)」(2022/1/10)

2022-01-11 11:50:47 | Weblog
(一)春の寿(ハルノコトブキ):新年に相応しい祝祭的な舞踊2題!古来より災いを鎮め、平安を祈念する儀式舞踊の〈三番叟〉と人々に幸せをもたらす〈萬歳〉!
〈三番叟〉
 翁(梅玉)と千歳(チトセ)(魁春)が天下泰平、国土安穏を祈念して舞う。続いて三番叟(サンバンソウ)(芝翫)が五穀豊穣を願う“揉(モミ)の段”、稲穂に見立てた鈴を手に舞う“鈴の段”など躍動感あふれる踊りを見せる。
〈萬歳〉
 春を迎えた往来へ、連れ立って来たのは萬歳(又五郎)と才造(鴈治郎)。商売繁盛を祈念し、町の様子や風俗を軽妙かつ賑やかに踊り、人々に福を招く。

(二)「邯鄲(カンタン)枕物語」、新玉の笑いで寿ぐ「艪清の夢」(ロセイノユメ)!
〈第一場 池之端待合の場〉
・艪屋清吉(幸四郎)と女房おちょう(孝太郎)夫婦は、借金を抱えて上野池の端の待合茶屋へ引っ越してくる。米屋・八百屋・貸物屋が借金の取り立てに来る。事情を聞いた家主の六右衛門(歌六)が追い払う。
・艪屋清吉は恩ある旧主のために「聖徳太子の画賛が記された宝船の一軸」を探していた。それを発見したが質屋から請け出すには100両がいる。その金子を工面するため苦労していた。
・一計を案じ、艪屋清吉が女房を使って侍から金を巻き上げることを企む。さっそく、そこへやって来た横島伴蔵(錦之助)を騙す。伴蔵が慌てて荷物を取り残し逃げる。その荷物は実は伴蔵が質屋から引き出した「宝船の一軸」だった。(清吉はそのことを知らない。)女房おちょうが飯を炊き準備する間、艪屋清吉は「宝船の一軸」が入った荷物を枕に、ひと眠りする。
〈第二場 鶴の池座敷の場〉
・主人公の清吉は、夢の中で大坂の豪商、鶴の池善右衛門の別邸にいる。番頭作左衛門(友右衛門)が現れ、主人善右衛門(歌六)が三年前、ある絵姿を見て両魂病(昼は男、夜は女になる病気)になったと清吉に言う。
・ところが清吉がその絵姿にそっくりなので、主人善右衛門は、清吉に鶴の池の主人になって欲しいと言う。そして清吉に1年の小遣いとして12万両を与える。
・そこへ内裏からの上使として安芸の内侍(高麗蔵)が現れる。そして清吉を内裏に伴った上、大臣に任ずる旨を告げる。清吉が大臣になるのは無理だと答える。
・《現実とあべこべになった夢の世界①》すると安芸の内侍が清吉に「町人の身分のままでいたいなら、月に1万両の金子を遣うように」と命じる。清吉は遣い道を考える。
〈第三場 街道の場〉
・《あべこべの夢の世界②》街道で清吉を、盗賊の唯九郎(錦之助)が襲う。清吉が丸裸になり金もすべて渡そうとすると、唯九郎がどてらを脱いで清吉に着せ、さらに400両を渡した。唯九郎は追剥ではなく、金品を押し付ける盗賊だった。
・《あべこべの夢の世界③》金が増えてしまった清吉は、400両を路上において立ち去ろうとする。すると金を捨てようとする者を取り締まる「捨金番」の福六(吉之丞)が「捨てるな」と言う。清吉の金は減らない。
・《あべこべの夢の世界④》そこへ小金餅を売る杵造(廣太郎)とお臼(壱太郎)の夫婦がやって来る。餅を食べて清吉が金を払おうとすると「払い逃げ」だと咎められる。金を使おうとしても清吉は使えない。
〈第四場 新町吉田屋の場〉
・《あべこべの夢の世界⑤》金を使おうと新町の廓の吉田屋にきた清吉。花魁の梅が枝(孝太郎)も金に責められ苦しんでおり、清吉も自分も金に苦労している(金を誰も受け取ってくれないので使えない、減らない)身の上なので、「ふたりで心中しよう」と脇差を手に取る。
〈第五場 池之端待合の場〉
さて女房おちょうが飯を炊き終わり、食事の用意が出来たと清吉を起こす。今までの出来事は「現実とあべこべになった夢の世界」だった。そこへ横島伴蔵が置き忘れた荷物を取り戻そうと戻って来る。清吉と争ううちに、箱の封印が解け、中から「宝船の一軸」が出てくる。伴蔵は旧主に対し仇なす者であることも露見する。清吉はめでたく恩ある旧主のために「聖徳太子の画賛が記された宝船の一軸」を取り戻すことができた。


★邯鄲枕物語

新日本フィルハーモニー交響楽団「アドバンスクリエイトクリスマスコンサート『第九』特別演奏会2021」(東京オペラシティ・コンサートホール)(2021/12/20)

2021-12-22 00:27:27 | Weblog
指揮・鈴木秀美、ソプラノ:森谷真理、アルト:中島郁子、テノール:福井敬、バリトン:萩原潤、合唱:二期会合唱団
★ベートーヴェン「交響曲第9番」(1824)第4楽章の「歓喜」の主題は、欧州評議会において「欧州の歌」として採択されている。

★“An die Freude”(歓喜に寄せて)

O Freunde, nicht diese Töne!(おお友よ、このような旋律ではない!)
Sondern laßt uns angenehmere(そうでなく、より心地よい旋律を)
anstimmen und freudenvollere.(歌おう、そしてより歓喜に満ちた[旋律を歌おう]。)(ベートーベン作詞)

Freude, schöner Götterfunken,(歓喜よ、麗しい神々の閃光よ、)
Tochter aus Elysium,(天上の楽園の乙女よ。)
Wir betreten feuertrunken,(我々は火のように酔いしれて、)
Himmlische, dein Heiligtum!(崇高な、《汝=歓喜》の聖所に入る!)

Deine Zauber binden wieder,(《汝=歓喜》の魔術が再び結び合わせる、)
Was die Mode streng geteilt;(時流が厳しく切り離したものを。)
Alle Menschen werden Brüder,(すべての人々が兄弟となる、)
Wo dein sanfter Flügel weilt.(《汝=歓喜》の柔らかな翼が留まる所で。)

Wem der große Wurf gelungen, (ある友の友となるという)
Eines Freundes Freund zu sein, (大成功を勝ち得た者に、)
Wer ein holdes Weib errungen,(心優しき妻を得た者が)
Mische seinen Jubel ein!(歓声を合わせよ!)

Ja, wer auch nur eine Seele(そうだ、一つでも心を分かち合う魂が)
Sein nennt auf dem Erdenrund!(地上にあると言える者も[歓声を合わせよ]!)
Und wer's nie gekonnt, der stehle(そしてそれが不可能だった者、彼は)
Weinend sich aus diesem Bund!(この輪から泣きつつ立ち去る!)

Freude trinken alle Wesen(歓喜を全存在者は飲む)
An den Brüsten der Natur;(《自然=創造主》の乳房において;)
Alle Guten, alle Bösen(すべての善人とすべての悪人が)
Folgen ihrer Rosenspur.(《自然=創造主》の薔薇の踏み跡をたどる。)

Küsse gab sie uns und Reben,(口づけを《自然=創造主》は我々に与え、そして葡萄酒を与え、)
Einen Freund, geprüft im Tod;(また友を与える、ただし死すべき存在たる友;)
Wollust ward dem Wurm gegeben,(快楽が《虫=人間》に与えられる、)
und der Cherub steht vor Gott.(そして智天使ケルビムが神の御前に立つ。)

Froh, wie seine Sonnen fliegen(朗らかにあれ、天空の華麗な書割を通り抜けて)
Durch des Himmels prächt'gen Plan,(星々が飛び行くように、)
Laufet, Brüder, eure Bahn,(進め、兄弟たちよ、自らの道を、)
Freudig, wie ein Held zum Siegen.(喜ばしくあれ、勝利に至る英雄のように。)

Seid umschlungen, Millionen!(抱擁を受けよ、諸人よ!)
Diesen Kuss der ganzen Welt!(この口づけを全世界に!)
Brüder, über'm Sternenzelt(兄弟よ、この星空の上に)
Muß ein lieber Vater wohnen.(唯一の父なる神が必ず住まわれる。)

Ihr stürzt nieder, Millionen?(ひざまずいたか、諸人よ?)
Ahnest du den Schöpfer, Welt?(創造主を恐れ予感するか、世界よ?)
Such' ihn über'm Sternenzelt!(星空の上に創造主を求めよ!)
Über Sternen muß er wohnen.(星々の上に、創造主は必ず住みたもう。)


★ヨハン・シュテファン・デッカー Johann Stefen Decker によるベートーヴェン素描(1824)