季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“ワシントン・ナショナル・ギャラリー展” 三菱一号館美術館(2014.3.01)

2015-03-01 18:45:18 | Weblog
 ワシントン・ナショナル・ギャラリー創設者アンドリュー・W・メロンの娘エイルサ・メロンが収集した印象派、ポスト印象派の作品68点が展示される。
 上質で上品な作品群!

 アルフレッド・シスレー「牧草地」1875年:1874年第1回印象派展翌年の作品。明るくのんびりし爽やかな牧草地が描かれる。画面の半分の空に雲がたくさん浮かぶ。


 ウジェーヌ・ブーダン「トゥルーヴィル=ドーヴィルのヨットハーバー」1895年頃:ヨットを飾る多数の万国旗が美しいが、それ以上に海面に写るそれらの多数・多色の像がゆらゆら揺れて輝く様子が見事に、半ば幻想的に美しく描かれる。大変、魅力的である。


 エドゥアール・マネ「競馬のレース」1875年頃:小品だが5頭の走る馬の描写が、勢いがあり素晴らしい。生きて走る馬がそこに現前するよう。


 アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック「カルメン・ゴーダン」1885年頃:ロートレックが最も美しく魅力あると称賛した女性の肖像。


 ピエール・ボナール「辻馬車」1895年:ボナールは“日本かぶれのナビ”と呼ばれた。浮世絵的な構図が見て取れる。ナビ派は印象派と異なり、「ある一定の秩序のもとに集められた色彩」(モーリス・ドニ)と絵画を定義する。


 エドゥアール・ヴュイヤール「黄色いカーテン」1893年:化粧のためカーテンを開けて化粧室に入ろうとする母親の後ろ姿。ナビ派が描く親密な小空間の典型。どこかほほえましい。


オディロン・ルドン「ブルターニュの海沿いの村」1880年頃:孤独な心を感じさせる静謐な作品。

“三人姉妹” 作:チェーホフ、出演:余貴美子/宮沢りえ/蒼井優(シアター・コクーン)2015/2/14

2015-02-15 12:25:19 | Weblog

1901年、モスクワ芸術座で初演。
この時、ロシアは革命前夜。

オリガ、マーシャ、イリーナの三人姉妹の父は、ロシア軍大佐だが、1年前に亡くなった。
彼女らは、モスクワから離れ、小さな地方都市に移る。

良家の没落した三人姉妹。
彼女らは、再びモスクワに帰りたい。

この地方都市に、ロシア軍旅団が駐留し、将校たちが、三人姉妹の住む家を訪れる。
ロシア軍将校は、みな下級貴族の出身で、労働とは無縁の環境に育つ。

将校たち下級貴族の会話が、時代を反映する。
彼らは、時代の進歩について語る。
進歩が信じられた時代。

あるいは、逆に今の時代を懐かしむ時代の到来を、語る。
革命が予感される。

いずれにせよ、時代の変化が不可避と、覚悟されている。

人生あるいはこの世は、存在するとも、存在しないともいえると、60歳の老軍医が語る。
実際、死が永遠で、生=この世は一時だから、この懐疑は当然。

しかし生きる者には、生=この世が圧倒的重みをもち、決して存在の懐疑が生まれる余地はない。

やがて5年が経ち、ロシア軍旅団はこの地方都市を去る。
三人姉妹の家を訪れていた将校たちも、全員いなくなる。

かつて理想を語った末娘イリーナ(蒼井優)は、やがて現実に従い、将校から工場主となった男爵と結婚する。
男爵はイリーナを愛したが、彼女は、妻の義務を果たす約束はするが、夫を愛さない。

旅団が出発する日、彼女は、夫を決闘で失う。
悲嘆の後、彼女はこの世界で、女性教師として独立して生きる決意をする。

理知的な次女マーシャ(宮沢りえ)は、かつて18歳で、自分よりずっと年長の中学校教師と結婚したが、幻滅。
彼女は、ロシア軍旅団の将校と恋仲になるが、結局捨てられる。

しかし夫は優しい。
夫は、マーシャを愛しており、彼女を許す。
だがおそらく、マーシャは、一生、夫を軽蔑し続けるだろう。

長女オリガ(余貴美子)は、しっかり者で堅実。
彼女は、28歳ですでに学校の教頭代理。
そして、5年後には校長を務める。

かつてモスクワへの帰還にあこがれた三人姉妹。
いまは地方都市で堅実に、あるいは不満だが生活手段は確保し、生きる。

主題は、「理想は、現実の中でのみ語られる」という“世界の構造的必然性”である。

舞台「真田十勇士」上川隆也主演(赤坂ACTシアター)2015/1/20 

2015-01-20 22:23:45 | Weblog
戦乱の世を終わらすために、豊臣家を根絶やしにする必要があるとの徳川家康の考えは、必然的。
武士は武功をあげ、それによって自分を高く売りこみ、仕官先を得るのが、戦国の習いとの主張も、正しい。

淀殿は敗者だから、悪く描かれるのは仕方ないことだろう。
豊臣秀頼は、ここで賢明な人物として描かれるが、これは史実に近い。

霧隠才蔵は、真田幸村の副将格。
猿飛佐助が浪人的存在であるのとは、対照的である。

三好清海入道は、昔ながらに直情的で愛すべきイメージ。

服部半蔵は、典型的に沈着かつ有能な伊賀忍者の頭目として、家康に服属。
伊賀女忍者ハナ・花風は、猿飛と相思相愛の恋に落ちる。

大坂冬の陣で敗れ、堀を埋められ二の丸・三の丸を取り壊された大坂城。
もはや真田幸村に勝利の可能性はない。

大坂夏の陣で猿飛佐助を残し、幸村と他の十勇士たちは家康の本陣に突撃し、全滅する。
彼らの死の意味が、劇では新たに空想された。

猿飛佐助は、豊臣秀吉の隠し子で、秀頼の異母兄。
夏の陣で、真田幸村らが奮戦する間に、佐助は、ハナ・花風とともに海外逃亡。

かくて豊臣の血脈は保たれ、約250年後、ペリーのサスケハナ号が徳川幕府をほろぼす。
猿飛佐助と伊賀忍者ハナ・花風の名にちなむ船名。

傾斜舞台上での戦闘シーンは迫真力があり、殺陣がすばらしい。
衣装が豪華で、舞台が絢爛。

ところどころコミカルな所作や台詞が、敗者の真田側の悲壮感を中和させる。
一瞬ポーズをつくって静止する歌舞伎の見得に似た所作が、幸村と十勇士全員で決まると、感動する。

スタンディング・オベーションがあり、壮観で充実した舞台だった。
真田席で見た甲斐があった。楽しかった。


“フェルディナント・ホドラー展” 国立西洋美術館(2014.12.07)

2014-12-07 20:48:12 | Weblog
 フェルディナント・ホドラー(1853-1918)は「死に憑りつかれた画家」である。
 しかし、彼はそれを乗り越える。死への行進である生の中に、彼は「良きリズム」=躍動感・生命感を見出す。
 リズムこそが、生きる喜び。死が、生に意味=喜びを与える。彼は、リズムを描く。パラレリズム。
 風景のうちにも、リズムを見出す。大自然の本質としてのリズムを描く。象徴主義。眼に映る世界の向こうに、それを作り上げる構造・原理を見る。

 「オイリュトミー」(1895年):老人たちの死への行進。死が、生に意味=喜びを与える。オイリュトミーは「良きリズム」の意。

 「感情Ⅲ」(1905年):「オイリュトミー」と対をなす。彼女たちは生の真っただ中を歩む。しかしこちらを向かない。感情は身振りを持つ。身振りが彼女らの心を指示する。身体化された感情。


 「シェーブルから見たレマン湖」(1905年):ホドラーは自然を抽象化する。象徴主義的にとらえられた自然。平衡する世界。


 「悦ばしき女」(1910年頃):踊る人の身体化された感情。それらの連鎖が生み出すリズム。しかもこの女性は、ホドラーが愛したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル。ミューズへの讃美が絵を永遠化する。


 「全員一致」(1912年):緊張した身体が生み出す「リズム」としての躍動感・生命感。


 「バラの中の死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル」(1915年):愛する者の死を、画家は受け入れている。愛が死を包んでいる。バラは、彼の愛の象徴である。

“チューリヒ美術館展 ―印象派からシュルレアリスムまで” 国立新美術館(2014.11.03)

2014-11-04 16:40:08 | Weblog
セガンティーニ(1858-99)「淫蕩な女たちへの懲罰」(1896/97):セガンティーニに特徴的な樹。吹雪。苦しむ淫蕩な女たち。晩年の象徴主義的作品。


クロード・モネ(1840-1926)「睡蓮の池、夕暮れ」(1916/22):晩年の大作。幅6m。モネが敷地内に造った「睡蓮の池」。夕方の日差しを受けた水面の赤、黄、紫などが抽象画ふうに幻想的。


フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)「サント=マリーの白い小屋」(1888):青い空と対比的な小屋の白さがまぶしい。光の鮮やかさが印象的。地中海に憧れを抱いたゴッホの感動そのもの!2年後に彼は死ぬ。


ポール・セザンヌ(1839-1906)「サント=ヴィクトワール山」(1902/06):セザンヌ最晩年の作品。ものの形の本質を彼は探究した。


アンリ・ルソー(1844-1910)「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」(1906):この作品の数年後、税官吏ルソーは死ぬ。詩人アポリネールが心のこもった追悼文を書く。


フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)「訪問」(1899):どこか謎めく。密会だが、エロティックでない。象徴的にドアが開いている。


エドヴァルド・ムンク(1863-1944)「冬の夜」(1900):心が暗いのかもしれない。「叫び」(1893)、「マドンナ」 (1893/94) 、「思春期」 (1894)、「別離」(1896)など代表作はすでに描かれている。彼は数多くの浮名を流した。


エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(1880-1938)「小川の流れる森の風景」(1925/26):ナチスにより「退廃芸術」とされたことにショックを受けピストル自殺。デフォルメと原色の魅力的な対置。


アウグスト・ジャコメッティ(1877-1947)「色彩のファンタジー」(1914):抽象画。素晴らしい。様々の色が輝く。アウグスト・ジャコメッティは、彫刻家アルベルト・ジャコメッティの父のいとこ。


マルク・シャガール(1887-1985)「パリの上で」(1968):生涯、妻ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作。これは81歳の作品。妻ベラと故郷のベラルーシがテーマ。


アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)「森」(1950):無駄がそぎ落とされた鋭さ。森のたたずまい。

“ヴァロットン展 ―冷たい炎の画家” 三菱一号館美術館(2014.9.18)

2014-09-19 20:41:29 | Weblog
フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)はスイス生まれの画家。パリに移り活躍。

「肘掛椅子に座る裸婦」(1897年、32歳):ナビ派の影響下にある。浮世絵に似た平面的構成。赤と緑の対照の中、裸婦が厳然と存在する。静けさ。


「ボール」(1899年、34歳):母親たちが遠くにいる。女の子が無心に、転がるボールを追う。不安が漂う。明るい土の地面と、樹の暗い影。異なる位置から撮られた二枚の写真から合成。


「赤い絨毯に横たわる裸婦」(1909年、44歳):冷たいエロティシズム。女性が美人でない。


「竜を退治するペルセウス」(1910年、45歳):アンドロメダが若い女性でなく、可憐でない。ペルセウスが英雄らしくなく、野卑である。


「赤ピーマン」(1915年、50歳):第1次大戦中。ナイフにつく赤い色が、血のように不吉である。


「海からあがって」(1924年、59歳):疑似肖像画。描かれるのは匿名の女性。内面はどうでもよい。花瓶も人も、同じように外面だけ描く。

“橋本コレクション、指輪展” 国立西洋美術館(2014.8.1)

2014-08-01 19:23:22 | Weblog
 「スカラベ」古代エジプト中王国時代、紀元前20-17世紀、アメシスト、金:スカラベつまりフンコロガシは太陽神を示す。護符とされる。アメシストは当時、広く使われた。スカラベの下面は平らで、そこにヒエログリフが刻まれていて印章としても使われた。指輪は、起源的には、護符かつ印章である。


 「女神ニケ」紀元前4世紀頃、古典期ギリシア、ガラス、金:ガラスは当時、貴重。勝利の女神ニケは人気があった。


 「ダイヤとエメラルドの花」18世紀後期、ダイヤモンド、エメラルド、金、銀:均整と幾何学的な輪郭という新古典主義の嗜好にあてはめられた花のモチーフ。


 ジョルジュ・フーケ(1862-1957)「真珠とエナメルの花」1900年頃、フランス、ダイヤモンド、真珠、金、銀:アール・ヌーヴォー様式。アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)が装飾した店舗でこの指輪は売られた。


 「ミルグレイン・リング」1920年頃、ダイヤモンド、プラチナ:光を反射する細かいビーズ状に加工するミルグレインの技法。これによりブリリアンカットされた石だけでなく、土台もきらめく。アール・デコ期の作品。


 「ランバート・ブロスのカクテル・リング」1950年頃、アメリカ、ダイヤモンド、ルビー、プラチナ:カクテル・リングはいくつかの宝石を組み合わせた大ぶりで豪華な指輪。曲線が中心的なテーマで躍動的。アメリカで1940~50年代に誕生した。気軽なカクテルパーティーで身につける女性が多かった。

『傾城反魂香(ケイセイハンゴンコウ)』「土佐将監閑居の場」近松門左衛門作(国立劇場)2014/7/18 

2014-07-19 18:20:46 | Weblog



江戸初期の絵師岩佐又兵衛(イワサマタベエ)の伝説などに取材した作品。

絵師、浮世又平は喋りが不自由。
又平は、妻のお徳とともに、「土佐」の苗字を名乗ることを許してもらうため、師匠土佐将監の閑居を訪れる。

しかし将監は、絵師としての手柄を立てない限り、苗字は授けられないと拒絶。
絶望した又平は死を決意し、この世の名残に手水鉢(チョウズバチ)へ自画像を描く。

ところが又平の一念が奇跡を起こす。
描かれた自画像が、手水鉢を突き抜けて裏側に浮き出る。

土佐将監が、この奇跡の一部始終を見て、又平の絵師としての手柄を認める。
又平は、めでたく「土佐」の苗字を授けられ、土佐光起(トサミツオキ)を名乗る。

全体として、ハッピーエンドの喜劇!

①村にトラが現れるが、それは絵から抜け出たものだという。この設定が、人を喰っている。
②このトラを消すため、絵を描き消す。「描き消す」の意味が不思議。一種のマジカルなおまじない!そして実際トラが消える。
③「土佐」の苗字を授けられず、又平が割腹自殺を決意するあたりは、悲壮感に満ちる。
④又平が描いた自画像が、手水鉢を突き抜けて裏側に浮き出る。その奇跡を目にした妻お徳の驚きの仕草が、コミカル。さらに、又平の驚きもコミカル。
⑤この奇跡を知って土佐将監が又平に、めでたく「土佐」の苗字を授けた時、場面は一転、喜びの頂点にいたる。
⑥苗字を許された後、お徳の鼓に合わせ又平が踊る「大頭の舞(ダイガシラノマイ)」が愉快。

大変楽しい作品で、見終わって嬉しい気分になる。

“ジャック・カロ :リアリズムと奇想の劇場 ”国立西洋美術館(2014.5.17)

2014-05-18 13:06:16 | Weblog
ジャック・カロ(1592-1635)は、17世紀初頭のフランスの腐食銅版画(エッチング)作家。
若い頃にイタリアで、メディチ家の宮廷附き版画家となる。
1621年、帰郷後、ロレーヌの宮廷や貴族たち、聖職者たちのため版画制作を行う。

「二人のザンニ」(1616年頃):フィレンツェの民衆喜劇(コメディア・デラルテ)の役者を描く。おどけた仕草!


「アルノ川の祝祭」(1619年):扇の絵柄。絵の枠組みが左右対称である。花火が打ち上げられ、遠眼鏡で眺める者がいる。フィレンツェの賑やかな祝祭のひと時。


ジャック・カロは、当時、人々が興味・関心を持ったアウトサイダーも描く。
連作『小さな道化たち』:小人の道化師の連作版画。


「奴隷市場」(第1ステート):オスマン帝国軍に囚われた捕虜が売られる。その身請けが、当時の貴族の慈善になったという。


「ド・ヴロンクール殿、ティヨン殿、マリモン殿の入場」:連作『槍試合』のうちの1枚。ロレーヌ宮廷の槍試合を描く。イルカの山車(ダシ)。背景は想像された海。


ジャック・カロは、対抗宗教改革の時代に生きた。フランスのロレーヌ地方では聖母信仰、神秘主義が盛んになる。(宗教改革の幕開けは1517年、ルター『95ヶ条の論題』の提示。)

「日本二十三聖人の殉教」:豊臣秀吉の命令により6名の外国人カトリック宣教師と20名の日本人信徒が耳と鼻を削ぎ落とされ、京都・大阪から裸足で歩かされて長崎に到着、1597年、処刑された。ジャック・カロが版画に描くほど、この事件はヨーロッパでも有名だった。


「聖アントニウスの誘惑(第2作)」(1635年):悪魔的な怪奇性と幻想性を描いたヒエロニムス・ボス(1450頃-1516)の影響がみられるという。


当時、戦争の悲惨は日常の一部だった。ジャック・カロは、傭兵たちを描く。彼は、反戦を訴えているわけでない。ただし傭兵たちの狼藉に対し、軍規維持への関心が高まっていた。

連作『戦争の悲惨(大)』より「絞首刑」:凄まじい絞首刑の情景。しかしこれが戦争の日常だった。

“バルテュス展 :称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠 ”東京都美術館(2014.5.1)

2014-05-06 19:07:36 | Weblog
ピカソによって「20世紀最後の巨匠」と言われた画家バルテュス(1908-2001)。パリで生まれたポーランド人。
主題は少女と猫。どこか神秘的だが、シュルレアリスムとは一線を画す。日本ファン。彼が死去したとき、妻は日本人の節子夫人。34歳年下。彼は仏語訳の『源氏物語』、『今昔物語』、『雨月物語』を愛読。キャロルの『不思議の国のアリス』も座右の書。

「キャシーの化粧」1933年(25歳):キャシーと化粧を手助けする女性は、現在でなく、男が想起する過去の世界に属す。男は現在に属す。キャシーが男を見ず、あらぬ方向を見る。


「夢見るテレーズ」1938年(30歳):画家バルテュスにとって「この上なく完璧な美の象徴」である少女。この少女に挑発の意思はない。見る者は挑発される。危うい均衡。彼女は不機嫌なのかもしれない。猫がいる。


「おやつの時間」1940年(32歳):おやつの時間なのに、彼女はなぜ楽しそうでないのか?第2次世界大戦がすでに始まった不安!


「美しい日々」1944-46年(36-38歳):少女が手鏡に映る自分を見る。自己陶酔!何ものも彼女は怖れない。美しい日々。洗面器は純潔の象徴。暖炉の炎と傍らの男は情欲の象徴。