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「モネとジヴェルニーの画家たち」展(Bunkamura ザ・ミュージアム )2010.12.14

2010-12-14 17:29:17 | Weblog

 クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)は印象派を代表する「光の画家」。彼は1883年、42歳の頃よりパリから約80キロ北西の小村ジヴェルニーに住む。この村はモネが描いた睡蓮、積みわら、ポプラ並木などの作品で有名になる。多くの芸術家がジヴェルニーに集まり特にアメリカ人画家を中心に芸術家村(コロニー)が作られた。


 Ⅰ 周辺の風景
 セオドア・ウェンデル「花咲く野原、ジヴェルニー」(1889年):画面を上下に隔てる濃い緑の垂直の木々が自己主張する。印象派的に明るいが、同時に構成的な作品である。

                    
 クロード・モネ「ジヴェルニーの冬」(1885年)をモネは戸外で描いた。いかにも寒そう。冬のどんよりと曇った空、また一面の雪景色が光の中にひろがる。

                 
 クロード・モネ「積みわら(日没)」(1891年):夕暮れが不思議なくらい明るく赤い。非現実的な臨場感がある。

               
 Ⅱ 村の暮らし
 ジョン・レスリー・ブレック「積みわらの習作:秋の日1-12」(1891年)は12枚の連作。一挙に全作品が並べられていて壮観。異なる光・影・色が、同じ構図・風景において示される。(挿画は「積みわらの習作:秋の日7」)

                 
 セオドア・ロビンソン「婚礼の行列」(1892年)では斜めの筆遣いが動きを表現する。

                  
 Ⅲ 家族と友人
 リーラ・キャボット・ペリー「自画像」(1889-1896年):リーラはボストン生まれの女性でペリー提督の甥と結婚した。夫が学者で慶応大学で英文学を教授した。1898-1901年、日本に滞在。1905-1909年、ジヴェルニーで絵を描きモネと交流。
 

 Ⅳ ジヴェルニー・グループ
 フレデリック・カール・フリージキー「百合の咲く庭」(1911年以前):印象主義的で明るい。多数の白い百合の花が緑を背景に装飾的。

                 

 フレデリック・カール・フリージキー「水のある庭」(1910年頃)は庭の緑が美しく鮮やかである。光が描かれている。

                 
 ピエール・ボナール「にぎやかな風景」(1913年頃):確かに、にぎやかである。異なる形の木々。様々なポーズをとる人々。犬もいる。ポスト印象派の絵画。

             
 ブランシュ・オシュデ=モネ「ジヴェルニーの庭、バラの小道」(1926年以降):ブランシュはモネの義理の娘。花が美しい。特に小道に広がる花々の赤い色が鮮烈である。

                   
 クロード・モネ「睡蓮」(1897-1898年):モネは57歳のとき庭に大きな池を造る。そこに睡蓮が浮かぶ。幻想的で魅力的。

                
 クロード・モネ「睡蓮、水の光景」(1907年):題名の通り主題は水である。睡蓮が水に溶け込む。水が中心で前面に出る。

                

  クロード・モネ「睡蓮、柳の反映」(1916-19年)は眼が悪くなったモネが描いた世界。水面に映った柳が睡蓮を圧倒する。抽象的表現主義の誕生である。モネの情念が縦に描かれた柳の激しい線の動きに示される。柳は現実でなく情念を表現する。

                       


“アルブレヒト・デューラー版画・素描展”(国立西洋美術館)2010.12.7

2010-12-07 21:57:03 | Weblog

 冬の初めの午後。上野公園。国立西洋美術館へ。デューラーの版画を見る。
 
 第1章 宗教
 「受胎告知」(c.1503)は宗教画的でない。日常生活の一場面のように描かれている。ペン画、水彩である。
                           
 木版画連作『聖母列伝』(1511)はキリスト教的人文主義のもとでの聖母崇拝の反映。
 「聖母の誕生」(c.1503)は一瞬戸惑う。描かれるのがキリストの誕生でない。その母、聖母の誕生である。まさに聖母崇拝。

 「聖母の婚約」(c.1504-05)は若いマリアに対し花婿ヨセフがいかにも老人である。

 「受胎告知」(c.1503)には精霊を示す鳩がいる。

 「キリストの割礼」(c.1504)を見るとイエスがユダヤ教徒であったと確かに分かる。

 「エジプトへの逃避」(c.1504)はかつてエジプト・カイロのコプト教会で見た壁画の主題を思い出させた。

 「エジプトの聖家族」(c.1502)はくつろぐ家族の様子を示す。ヨセフが大工の仕事をする。

 「聖母に別れを告げるキリスト」(c.1504)では威厳あるイエスと悲しむマリアが対照的である。

 「聖母の被昇天と戴冠」(1510)は聖母崇拝そのもの。
 
 

 木版画連作『大受難伝』(1498):デューラーが版画を製作したのは印刷という当時、最先端のメディアの利用のためだった。

 「最後の晩餐」(1510)はレオナルド・ダ・ヴィンチのものよりテーブルが小さく生々しい。

                  

 「ゲッセマネの祈り」(c.1496/97):イエスが苦しんでいる。

                  

 「キリストの捕縛」(1510)はすさまじい。

 「磔刑」(c.1498)では天使が杯でキリストの血を受ける。

 「キリストの復活」(1510)でキリストは確信に満ちた統治者である。

                  

 銅版画連作『銅版画受難伝』(1507):一枚づつの版画は小さいが鮮明である。いずれもキリストが威厳をもって描かれる。

 

 「最後の晩餐」(1523)はプロテスタント的で簡素な食卓。犠牲の子羊肉などがない。
 「聖グレゴリウスのミサ」(1511)は聖グレゴリウスの幻視が描かれる。キリストが見えているのが彼だけだと絵のなかの人々の様子・動きから分かる。
 「両手を縛られた悲しみの人」(1512)はイエスを描く。“悲しみの人”は聖書に由来する場面ではなく想像されたものだが、しばしば描かれた。

 第2章 肖像
 「ある女性の肖像」(1503)は木炭による。心をこめて描いている。
 「枢機卿アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク(大)」(1523)はデューラーの注文主がモデル。古典古代の墓碑やメダルにならい完全な横顔である。
 「フィリップ・メランヒトン」(1526)は秀でた額が特徴。ルターの盟友。21歳でヴィッテンベルク大学のギリシア語教授となる。

                   
 「ロッテルダムのエラスムス」(1526):肖像画はエラスムスにとって書籍と並ぶ重要性を持つ。彼はデューラーによる肖像画の製作を望んだが自分に似ていないとこの絵は嫌いだった。
 「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世」(c.1519):皇帝は個人崇拝の手段に肖像画を多く描かせた。
 「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の凱旋門」(1515-17)は木版画49枚からなる巨大な作品。皇帝(位1493-1519)は印刷術の発展を背景に木版画による皇帝崇拝・帝国イメージの宣伝の計画をたて人文主義者・芸術家を集めた。

                 
 
 「不釣合いなカップル」(c.1495)は金で買春する男とそれに応じる若い女の強欲が主題。二人の表情が生々しい。性欲の象徴の馬がいる。
 「馬に乗る女性と傭兵」(c.1497)の二人は性関係を暗示する。女性は傭兵の帽子をかぶる。
 「頭蓋骨のある紋章」(1503)の毛むくじゃらの男は死である。女に死がささやく。“死を忘れるな”の教訓。
 「料理人とその妻」(c.1496)は妻がうなぎを食べてしまったことを亭主にカササギが告げ口する絵。
 「田舎のカップル」(c.1497):いつの時代も男が女を口説くのは大変。
 「会話する3人の農民」(c.1497):3人はいずれも武器を持つ。武器は禁止のはずだが実際は黙認されていた。
 
 第3章 自然
 デューラーは自然を研究する態度を持つ。またイタイリア旅行によって彼は古代の理想的人体表現からの影響を受けた。
 「3匹のウサギいる聖家族」(c.1495)は植物がデューラーの自然研究を証明する。なお閉じられた庭は処女性を示す。
 「猿のいる聖母子」(c.1498):当時、猿は愛玩動物として流行。猿は悪徳の象徴だが鎖につながれている。
 「聖エウスタキウス」(c.1501)では動物・樹木が写実的に描かれる。聖エウスタキウスは角にキリストの磔刑像をつけた牡鹿と出会いキリスト教に改宗する。
 「聖アントニウス」(1519):エジプト生まれの聖人で修道院創始者。
 「犀」(1515)はいかにも写実的。しかしデューラーが犀そのものを見ていない。他人のスケッチをもとに描いた。この絵は迫真性ゆえに18世紀まで最も信用ある犀の絵と信じられた。
 「4人の魔女」(1497)は人体表現がリアル。
 『人体均衡論』(1528)は人体の平均的類型の研究である。
 「ネメシス(フォルトゥーナ<大>)」(1502)は古代的人体表現がポイント。ネメシスは夜の女神の娘たちの一人。

                   
 「岐路に立つヘラクレス」(1498):ヘラクレスは美徳と快楽の間で迷う。

                   
 「アダムとイヴ」(1503)は男女の理想的プロポーションを示す。

                  

 展示の最後がデューラーの“三大銅版画”
 「騎士と死と悪魔」(1513):もとの表題は「騎士」だった。

                  
 「書斎の聖ヒエロニムス」(1514):ギリシャ語聖書をラテン語訳したのが聖ヒエロニムスである。

                  
 「メレンコリアⅠ」(1514):憂鬱な天使を取り巻く様々の事物が描かれている。絵の意味の解明が難しい。