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特別展「禅—心をかたちに—」東京国立博物館(2016/11/17)

2016-11-19 08:56:48 | Weblog
国宝「慧可断臂図」(エカダンピズ)、1496年、雪舟等楊筆、愛知・齊年寺蔵
坐禅をする達磨に向かい、神光(のちの慧可)が弟子となるべく己の左腕を切り落とす場面。


国宝「無準師範(ブジュンシパン)像」、自賛、南宋1238年、京都・東福寺蔵
東福寺の開山、聖一国師円爾(ショウイチコクシ・エンニ、1202-80)の中国での師・無準師範(1178-1249)の肖像。


重文「宝冠釈迦如来坐像」 院吉・院広・院遵作、南北朝時代1352年、静岡・方広寺蔵
宝冠をいただく釈迦如来像は、本来は華厳教主の毘盧舎那仏だが、南北朝時代に宝冠の釈迦と呼ばれるようになる。


十八羅漢像のうち「羅怙羅(ラゴラ)尊者」范道生作、1664年、京都・萬福寺蔵
羅怙羅尊者は、釈尊の実子。顔が醜かったが、心には仏が宿ること胸を開いてみせている。


国宝「瓢鮎図」(ヒョウネンズ)、大岳周崇等三十一僧賛、大巧如拙筆、15世紀、京都・退蔵院蔵
室町幕府第四代将軍、足利義持が「丸くすべすべした瓢簞(ひょうたん)で、ぬるぬるした鮎(ナマズ)をおさえ捕ることができるか」というテーマを出して、絵を如拙に描かせ、詩を五山の禅僧たちに詠ませた。


国宝「油滴天目」(ユテキテンモク)、建窯、南宋12-13世紀、大阪市立東洋陶磁美術館蔵

“「拝啓ルノワール先生―梅原龍三郎に息づく師の教え」展”三菱一号館美術館(2016/11/10) 

2016-11-11 21:09:12 | Weblog
 梅原龍三郎(1888-1986)は、日本を代表する西洋画家。京都府京都市生まれ。生家は染物問屋。1909年、ルノワール(1841-1919)の南仏のアトリエを訪問。ルノワールの弟子となる。ルノワールをベースに、ルオー、セザンヌ、ピカソの影響を受ける。色彩の魔術師と言われた。ヨーロッパの油彩画に、桃山美術・琳派・南画など日本の伝統的な美術も取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチの装飾的世界を展開。昭和の日本洋画界の重鎮として君臨した。

 ピエール=オーギュスト・ルノワール《パリスの審判》1913-14年


 梅原龍三郎《紫禁城》1940年


 《梅原龍三郎:年譜》
1908年(20歳)フランスに留学。1909年に、ルノワールの指導を受ける。
1910年、ルノワールやパリの芸術について雑誌『白樺』に寄稿。
1913年に帰国し、白樺社の主催で個展を開催。白樺社同人の武者小路実篤・志賀直哉・柳宗悦の知遇を得る。
1920年(32歳)、前年に死去したルノワール弔問のため再渡仏。
1935年、帝国美術院(現・日本芸術院)会員。
1944年(56歳)、東京美術学校(現・東京芸術大学)教授になる。
1952年(64歳)、東京美術学校教授を辞任し渡欧、ヴェネツィア・ビエンナーレの国際審査員を務める。文化勲章受章。
1957年(69歳)、日本芸術院会員はじめ諸役職を辞す。以後は渡欧を繰り返し、制作に励む。安井曽太郎とともに「日本洋画壇の双璧」と謳われた。
1986年、満97歳で死去。