季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“北京故宮博物院200選”展、東京国立博物館(2012.1.31)

2012-01-31 17:59:32 | Weblog
 「魯大司徒鋪(ロダイシトホ)」(戦国時代、前7~6世紀):祭器。供物を載せる台。龍の模様で埋め尽くされている。上辺に付いた花弁のような装飾が目を引く。

 「方盤」(戦国時代、前5世紀):四角い祭器で水を入れるもの。小さな龍の模様が一面にある。

 「双龍型玉璜(ソウリュウガタギョクコウ)」(戦国時代、前3世紀):彫刻が精緻で重厚。

 「草書諸上座帖巻(ソウショショジョウザジョウカン)」(北宋時代、1099-1100年頃):黄庭堅(コウテイケン)筆。文字の勢いがすごい。元気が出る字。ダイナミックで愉快。

        

 「清明上河図巻(セイメイジョウカズカン)」(北宋時代、12世紀):清明節の頃(4月)の北宋の都開封の河のほとりの賑わいを描く。人が細かく沢山いる。(4時間待つ気合いがなく、レプリカを見た。)

  

 「行書城南唱和詩巻(ギョウショジョウナンショウワシカン)」(南宋時代、12世紀):朱熹の自筆である。

 「出水芙蓉図冊(シュッスイフヨウズサツ)」(南宋時代、13世紀):芙蓉は蓮の花。泥の中から咲く蓮は高潔な君子を示す。

 「水村図巻(スイソンズカン)」(南宋時代、1302年):趙孟頫(チョウモウフ)筆。文人画の傑作。



 「青花龍濤文八角瓶(セイカリュウジュモンハッカクヘイ)」(元時代、14世紀):景徳鎮窯の磁器。西域渡来の青色(ペルシャのコバルト)。波の模様が美しい。

                

 「琺瑯蓮唐草文龍耳瓶(ホウロウハスカラクサモンリュウジヘイ)」(元~明時代、14~15世紀):青色が冴えている。小ぶりな水差し。

 「双龍彫彩漆盆(ソウリュウチョウサイシツボン)」(明時代、1592年):赤と黒の組み合わせがユニーク。

 「乾隆帝像」(清時代、1736年):宣教師のジュゼッペ・カスティリオーネが描いた。乾隆帝は黄色い礼服を着る。若い。

 「乾隆帝是一是二図軸(ケンリュウテイコレイチコレニズジク)」(清時代、18世紀):乾隆帝(在位1735-96)は清の絶頂期の皇帝。付かず離れず変幻自在の多面性を目指すと彼は言う。多民族国家の統治の要諦。絵では彼は漢族の文人の姿である。皇帝は中華文明の保護者・体現者とされる。2%の満州族が中国を統治する。

            

 「乾隆帝大閲像軸」(清時代、18世紀):儀礼用甲冑をつける。鎧は金属製でなく綿を圧縮して詰めてある。
  
                 
 
 「明黄色彩雲金龍文緙絲朝袍(メイオウショクサイウンキンリュウモンコクシチョウホウ)」(清時代、1796~1820年):皇帝の礼服。5本の爪の龍が描かれる。

劇団ポプラ:ミュージカル『火垂るの墓』野坂昭如原作(銀座ブロッサム、定時制高校合同鑑賞会)2012.1.20

2012-01-22 12:09:42 | Weblog
 1945年6月5日の神戸大空襲で14歳の清太(中学生)と4歳の妹の節子は母と家を失い西宮市の親戚の家に引きとられる。清太たちにはある程度、財産・貯金がある。父は海軍大尉で出征、連合艦隊に参加。

 当初は西宮市の親戚の家でうまく生活するが、やがて邪魔扱いされ近所の防空壕の横穴で暮らし始める。そこはホタルが美しい池のほとり。やがて配給は途切れがちとなり、情報や近所付き合いもなく食料が得られない。節子が栄養失調になり衰弱死する。清太は節子の遺体を重油をかけて焼く。

 清太は妹を栄養失調死させ助けられなかったことを悔いる。

 父は戦死。清太は省線三ノ宮駅で寝起きする浮浪児となる。9月21日、清太は、節子の骨片をドロップ缶に入れ肩から掛け、栄養失調で衰弱死。

 《観劇の感想》
 ①節子が好きなドロップをテーマにした歌が楽しい。
 ②当時、戦争に勝利すると国民は信じていたと分かる。
 ③14歳の清太(中学生)が西宮市の親戚の家で、もっと協力的になれなかったのかと思う。親戚の家にいれば彼らは死ななかったかもしれない。
 清太の家はある程度、裕福で彼は自尊心が強く、結局、親戚の家を出るしかなかった。
 ④実際に多数あった戦災孤児の栄養失調死の現実を思い起こすと、やりきれない。