季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“ヴィルヘルム・ハンマースホイ:静かなる詩情”展(国立西洋美術館)

2008-10-26 21:55:26 | Weblog

   土曜日の上野公園はにぎやか。秋の雨上がり。風が少し冷たい。ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)展を見る。

  “Ⅰ.ある芸術家の誕生(1890年、26歳まで)”では、まず画家16歳頃の「古代ギリシャ彫刻アフロディテ素描習作」(1880年頃)が質感を柔らかに表現しすばらしい。「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」(1890年)ではあるはずのない妻の二重の影が奇妙。詩人リルケがこれに注目した。「木立のある風景」(1883年)の樹のこんもりした重さはどこか不思議。「白い扉」(1883年)には誰もいない室内への憧れが示される。

   “Ⅱ.建築と風景”では絵画化された画家の理念が読み取れる。「クレスチャンスボー宮殿、晩秋」(1890-92年)は本来コペンハーゲンの人がたくさんいて賑わう中心街であるはずなのに全く人のいない別世界を描く。

             

  「旧アジア商会」(1902年)も人がいないありえない幻想世界を示す。

  「ローマ、サント・ステファノ・ロトンド聖堂の内部」(1902年)はリズム感ある風景を人為的に構成し魅力的。

          

  「ルーヴル美術館の古代ギリシャのレリーフ」(1891-92年)の3美神たちには今にもよみがえりそうななまなましさがある。「室内、ロンドン、ブランズウィックスクウェアの眺め」(1912年)の主題は窓の桟の影、暗い柱の向こうにある明るい戸外である。暗い世界と明るい世界の緊張が先鋭である。「フォトゥーネン近く、イェーヤスボー、デューアへーウェン自然公園」(1901年)の木は強烈な逆光の下にあり不思議。「風景、ファーロム湖近くのリューエト」(1896年)の木はボーッと奇妙に立っている。ハンマースホイが描く樹々は神秘的である。

  「ライアの風景」(1905年)は高緯度の明るい夏の軽やかさを端正に描き印象深い。洗練された絵である。ハンマースホイは現実を描くのでなく現実を手がかりに抽象的な理念を視覚化する。

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  “Ⅲ.肖像”:「3人の若い女性」(1895年)では物語性が排除され、同一の空間にいる3人の女性に何の関係も示されない。孤独が描かれる。

  「休息」(1905年)は妻イーダの後姿を描くが画家の繊細な美意識が現れている。精神性が美しく示される。

                    http://ueno.keizai.biz/headline/photo/192/

   “Ⅳ.人のいる室内”:「背を向けた若い女性のいる室内」(1904年頃)では人は唯一その精神の至高性としてのみ存在する。彼女が何を考えているかわからない。回りのものが奇妙に大きく描かれるなど物のデフォルメが画面の意味に揺らぎを与える。シャープな絵。

                     http://dekolinko2.269g.net/archives/200811.html

  「室内、ストランゲーゼ30番地」(1901年)は日常的空間が持つ神秘を示唆する。椅子にもたれる妻には足がない。テーブルの脚の影の向きが同一の光源なのに異なる。ピアノの4本あるはずの脚が2本しか描かれない。

             

   “Ⅴ.誰もいない室内”:「白い扉、あるいは開いた扉」(1905年)では日常生活の一切の品物が消去され扉が開け放たれた空虚な複数の部屋のみが提示される。このことが逆に日常の意味を問わせる。

                  http://jigen.aruko.net/2008/11/19/vilhelm-hammershoi/

  「居間に射す陽光Ⅲ」(1903年)も壁・床・ソファーなどからのみなるシンプルな部屋で陽の影が鋭くその存在を自己主張する。強烈である。

   “同時代のデンマーク美術”ではハンマースホイの絵画の位置が同時代の画家との対比で示される。ピーダ・イルステズ「お客を待ちながら」(1911年)は幸福感ある女性が主題である。不安や孤独は注目されない。カール・ホルスーウ「窓辺にたたずむ女性」(1910年)に描かれる室内は家具・壁・篭・花瓶など日常の生活用品に満ちその具象性がハンマースホイの絵画の抽象性・理念性を際立たせる。

  静謐でいて緊張あるハンマースホイの理念的絵画世界から離れて再び上野公園にもどれば行楽の人の波。足早に通り過ぎ動物園の裏の道にいたるとそこは閑散としていた。天気は曇りである。


北條秀司十三回忌追善『大老』(国立劇場)

2008-10-19 22:47:40 | Weblog

 快適な秋の午前中、JR四谷駅から国立劇場まで約10分ほど歩く。

 『大老』は井伊直弼の一代記である。埋木舎(ウモレギノヤ)での部屋住みの時代から大老として暗殺されるまでが描かれる。

             

 冒頭は部屋住みのときの直弼の鬱屈した気持ちが主題。お静の方とは平穏な生活が続く。

 突然、直弼は彦根藩主となる資格を得、やがてついに幕府の大老となる。 その後の攘夷派水戸斉昭と開国派井伊直弼の対立はわかりやすい。通商条約の勅許問題を中心に幕末の政治地図が上手に要約されている。

 安政の大獄についての井伊直弼の迷いと苦悩の描写はやや直弼びいきな傾きがある。しかし日本のナショナリズムの分裂を誘わないためにはこのように扱うしかないと思った。 

 仙英禅師が象徴的位置を占め印象的。お静の方と直弼の愛は涙を誘う。安政の大獄をめぐり直弼と対照的に悪役扱いされる長野主膳の存在は大きい。

 最後に直弼が後世の評価を気にせず信念のために生きるしかないのだと決意する場面は力強かった。 

 全体にわかりやすい展開で、舞台が終わったとき開演から4時間半が経っているのに時間の長さを感じさせない。戸外は暗くなり始めていた。


尾形光琳生誕350周年記念 大琳派展(東京国立博物館)

2008-10-17 00:08:23 | Weblog

 秋の上野公園の午後は快適。東京国立博物館の大琳派展を見に行く。

 伝俵屋宗達筆「槇楓図屏風」(1-64)は力強く大胆である。その約100年後、尾形光琳がこれを描きかえる:「槇楓図屏風」(2-13)。こちらは明るく軽快だった。

 宗達「風神雷神図屏風」も光琳が模写する(2-01)。光琳のものは明るい画面で見て愉快である。 

           尾形光琳筆 風神雷神図屏風

 本阿弥光悦「黒楽茶碗 銘 雨雲」(1-31)は緊張感がある。

                黒楽茶碗 銘雨雲

 俵屋宗達「唐獅子図・波に犀図杉戸」「白象図・唐獅子図杉戸」(1-45・46)は強烈。宗達は迫力がある。

                   白象図杉戸

 本阿弥光悦の蒔絵では「子日蒔絵棚」(ネノヒマキエダナ)(1-41)がモダンな感じでしゃれていた。 

 「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆1-03)の鶴はその配置が美しくまた動きがあり感動。

              鶴下絵三十六歌仙和歌巻

 また宗達のエネルギーが凝縮しているのが「伊勢物語図色紙・芥川」(伝俵屋宗達1-53)である。色彩が鋭く注意をひきつけられる。 

 尾形光琳筆「小袖 白綾地秋草模様」(2-33)はすばらしく見飽きることがない。

                小袖 白綾地秋草模様

 国宝「燕子花(カキツバタ)図屏風」(尾形光琳筆2-10)の燕子花の繰り返しが着物の柄の手法にもとづくとの指摘には納得がいく。

   

 「三十六歌仙図屏風」(尾形光琳筆2-04)は画面に多くの人物が配置されとても派手で光琳の性格がよく出ている。 尾形乾山筆「立葵図屏風」(2-57)はコンポジションを考え意匠化された表現が印象的である。乾山の焼き物はどれも好きである。「色絵吉野山図透彫反鉢」(2-48)、「色絵龍田川向付(ムコウヅケ)」(5客 2-49)などが展示されていた。

  “光琳意匠と光琳顕彰”のコーナーでは光琳死後10年位に流行し始める光琳模様の説明が面白かった。「小袖 染分紗綾地沢瀉水辺雲取り松模様」(3-02)の光琳松は見て楽しかった。永田友治(ナガタユウジ)の蒔絵はいずれも素晴らしい。「波千鳥蒔絵提重」(3-21)のデフォルメ化された千鳥が今も日本の伝統模様のひとつになっていることには驚きを感じた。

  光琳から約100年後、姫路藩主の弟であった酒井抱一が光琳の後継者と自負し活躍する。「夏秋草図屏風」(酒井抱一筆4-15)は素晴らしい作品で感銘。これはもとは風神雷神図の裏側に描かれたもので夏秋草が激しい雨と強風に揺れている。

           夏秋草図屏風

 「紅白梅図屏風」(酒井抱一筆4-16)は銀色の地が紅白梅を引き立たせ渋くてよい。「青面金剛(ショウメンコンゴウ)像」(酒井抱一筆4-03)は鋭く際立つ色彩が印象的。これは道教に由来する庚申待ちの本尊である。 

 抱一の35歳下の弟子、鈴木基一の作品では「東下(トウゲ)図」(4-50)が伊勢物語の在原業平をいわば神話化して描き琳派の伝統を強く感じさせる。「雨中桜花楓葉(オウカフウヨウ)図」(鈴木基一筆4-57)2幅は雨が季節を思い起こすように描かれ趣深い。

  “本阿弥光悦・俵屋宗達”“尾形光琳・乾山”“酒井抱一・鈴木基一”とたっぷり堪能して体力的にも相当に疲れた。館内から戸外に出れば夕刻に近づき少し寒いほど。上野の森の木々の影の濃さを遠景に見て上野駅まで歩く。