季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

『もういちど、バタフライ』市川実季=作、都立上野高校演劇部2月公演、2013.2.18

2013-02-19 13:32:47 | Weblog
           

 「一番大切なのは、家族である」というメッセージ。
 
 「人間」の最後の決断は、理解できる。彼女は、家庭内暴力の加害者となった兄に、「家族として、寄り添う」と決断。
 
 「神」の決定も、理解できる。「自動車事故で死んだ妹ちょうちょと、後追い自殺した姉ちょうちょを、生まれ変わらせて、ひとつの家族とする」と決定。
 
 「ちょうちょ」(姉)は、妹ちょうちょの死後、「自分が自殺して神に会う。そして、神に頼んで、妹ちょうちょを生き返らせてもらう」と決断し、実行した。
 しかし今、姉ちょうちょは、自分の決断が間違いだと思う。なぜなら「妹ちょうちょを生き返らせたとしても、自分が死んでいるから、家族が復興できない」と思うから。

 しかし、ここで観客の私の見解では、姉ちょうちょの決断は、間違いでない。
 なぜなら、家族は、本来、「思いor理念」の中に、存在するから。姉ちょうちょと妹ちょうちょとの間に、現実の家族、事実としての家族が出来なくても、永遠の理念としての家族が、存在するor存在可能である。
 一方で、この世に生きる妹ちょうちょ、他方で、あの世に生きる姉ちょうちょ、両者にとって、事実的家族は成立しないが、各々の思いのうちに。理念的家族が存在し、存在し続ける。
 
 姉ちょうちょが、「自分が自殺して神に会う。そして、神に頼んで、妹ちょうちょを生き返らせてもらう」と決断し実行したことは、間違いでない。
 彼女は、「永遠の理念としての家族」に、殉じた。

 「神」は偉大である。非事実的な理念的家族を、再び、事実的家族として復興するのだから。

 初めに、姉ちょうちょと妹ちょうちょの事実的家族。
 次いで、(観客のわたしの見解では、)永遠の理念的家族の出現。
 最後に、偉大な神が、理念的家族に、再び、事実的家族の形態を付与する。

 かくて、「もういちど、バタフライ」の題の通り、事実的家族の復興の物語が、完成する。

“エル・グレコ El Greco”展(東京都美術館)2013.2.14

2013-02-15 21:44:14 | Weblog
 エル・グレコ(1541-1614)は“あのギリシア人”といった意味。“エル”はスペイン語の男性定冠詞、“グレコ”はイタリア語でギリシア人の意味。クレタ島生まれ。彼は、生地でキリスト教の図像を描くイコン画家としてスタートする。1567年(26歳)、イタリアのヴェネツィアへ渡り、ルネサンス的な絵画様式を習得。ローマへ短期間移動した後、1576年(35歳)、スペインに渡る。翌年、トレドに定住。没するまで、そこで過ごし、画家として成功する。

「受胎告知」(1576頃)ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード
 ヴェネツィア、ローマなどで習得したルネサンス的絵画様式の集大成的作品。左に、青い服を着て、驚く聖母マリア。右に、黄色い服の大天使ガブリエル。中央上に、精霊の鳩、そして天使たち。古典的調和。(エル・グレコ、35歳頃)
            

「悔悛するマグダラのマリア」(1576頃)ブダペスト国立西洋美術館
 マグダラのマリアは、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けた。そして復活したイエスに最初に立ち会う。画中のガラスの壺が、マグダラのマリアを象徴する。彼女は、イエスの遺体に香油を塗るため香油壺を持参した。マグダラのマリアは「罪の女」であり、イエスの死後、隠遁し悔悛する。(エル・グレコ、35歳頃)
                       

「フェリペ2世の栄光」(1579-82頃)エル・エスコリアル修道院
 エル・グレコがスペインに渡り、彼の工房が初めて、国王に売り込んだ作品。最後の審判の情景に似る。上方に、光に包まれたキリストのイニシアル、HIS、そしてそれを取り巻く天使たち。中央下に、ひざまずき祈るフェリペ2世、またそれを取り巻く聖職者と貴族たち。左中は、審判を恐れる地上の人々。右下は、怪獣の口の中の地獄。大スペクタクル!(エル・グレコ、38-41歳頃)
          

「聖アンナのいる聖家族」(1590-95頃)メディナセリ公爵家財団タベラ施療院、トレド
 対抗宗教改革のカトリックの熱情の時代。聖家族がしばしば描かれる。この絵では、聖母マリアがキリストに乳を与える。彼女は美しい。祖母の聖アンナが、キリストの頭をなでる。父の聖ヨセフが、キリストの足に触れる。幸せな聖家族!(エル・グレコ、49-54歳頃)
          
  
「無原罪のお宿り」(1607-13頃)サン・ニコラス教区聖堂(サンタ・クルス美術館寄託)、トレド
 高さ3メートルを超える大作。今回の展示の最後に、登場。色鮮やか。感動し敬虔な気持ちになる。キリストの母マリアは、汚れなき存在であり、「情欲の交わりなしに」母アンナの体に宿る。マリアが、手を胸に当て、足を三日月に載せ、天空を降りてくる。鳩が精霊。マリアは12の星の冠をかぶる。エル・グレコの死の前年に、完成。細長くデフォルメされた人体や、超自然的な光の効果を特徴とする。(エル・グレコ、66-72歳頃)
   

“奇跡のクラーク・コレクション:ルノワールとフランス絵画の傑作”展、三菱一号館美術館、2013.2.11

2013-02-11 18:45:20 | Weblog
A カミーユ・コロー「ボッロメーオ諸島の浴女たち」(1865-70)
 コローは神秘的。木々が風にそよぐ。あたかも、この世界ではない場所。女性はニンフたち。
     

B クロード・モネ「エトルタの断崖」(1885)
 水色・青色が、鮮やかで綺麗。印象派らしく光を分析的に描く。現実の光でなく、理念化された抽象的な光。
   

C クロード・モネ「レイデン付近、サッセンハイムのチューリップ畑」(1886)
 赤や黄色のチューリップ畑が美しい。春が輝いている。明るく楽しげ。
     

D アンリ・ファンタン=ラトゥール「鉢と皿に生けたバラ」(1885)
 きりりと鋭く描かれたバラ。華麗で、生きている。小さな画面に、バラが溢れる。
       

E カミーユ・ピサロ「ポントワーズ付近のオワーズ川」(1873)
 木と草の緑の中を流れるオワーズ川。蒸留工場がほとんど自然の一部。穏やかな田舎の風景。気持ちが和む。
        

F ベルト・モリゾ「ダリア」(1876)
 絵の主題はダリアというより、中央左に位置する花瓶。均衡でなく、動きがある静物画。画家の挑戦的姿勢を思わせる。
           

G ピエール=オーギュスト・ルノワール「シャクヤク」(c. 1880)
 華麗な多くのシャクヤクの花が、画面の中でほとばしる。赤色、白色の鋭く量感ある重なりが、自己を主張し、輝く。とても贅沢な絵。

“特別展、書聖 王羲之”東京国立博物館(2013.2.7)

2013-02-10 09:33:20 | Weblog
 王 羲之(オウギシ、303-361)は、中国東晋の政治家・書家。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族。書の芸術性を確立した。書聖と呼ばれる。末子の王献之と併せて二王(大王、小王)。日本では奈良時代から書の手本とされた。
 唐の太宗(李世民)が王羲之の書を愛し、崩じた時に「蘭亭序」(真筆)を一緒に昭陵に埋めさせた。王羲之の書で今、残るのは摸本と拓本のみである。
 唐摸宋拓と称されるように、唐時代には摸本、宋時代には拓本が、多数作成された。なお双鉤填墨(ソウコウテンボク)は摸本の技法でまず文字の全体の輪郭を取り、次いで内側に髪の毛ほどの線を重ねる。

A 「行穣帖」(コウジョウジョウ)(原跡:王羲之筆、1巻、唐時代・7~8世紀摸、プリンストン大学付属美術館)
 2行15字の断簡であるが、古くから知られた王羲之の名品である。王羲之が若い頃に書いたもの。唐時代の双鉤填墨(ソウコウテンボク)による摸本。宋時代の徽宗のコレクションでもあった。
     

B 「喪乱帖」(ソウランジョウ)(原跡:王羲之筆、1幅、唐時代・7~8世紀摸、宮内庁三の丸尚三館)
 王羲之の手紙三通の断片を集めたもの、計17行。最初の8行が「喪乱帖」。縦に簾目(スダレメ)のある白麻(ハクマ)紙に、双鉤填墨(ソウコウテンボク)で模したもの。奈良の聖武天皇の遺愛品。王羲之の晩年54歳、永和12年(356)の手紙。
     

C 「定武蘭亭序-韓珠船本-(テイブランテイジョ‐カンジュセンボン‐)」(王羲之筆、1帖、原跡:東晋時代・永和9年(353)、台東区立書道博物館)
 王羲之が、353年(永和9年)3月3日に、名士41人を別荘に招いて、蘭亭に会し曲水の宴を開く。その時に作られた詩集の序文が蘭亭序。王羲之はこれを書いたとき酔っていたと言われる。28行324字。
 「蘭亭序」を愛した唐の太宗は、その在世中、能書の臣下(初唐の三大家:虞世南・欧陽詢・褚遂良)に蘭亭序の臨本を、宮中の専門職人に摸本を作らせた。拓本のなかで、古来最も貴ばれたものが、五代~北宋時代初期に碑石が定武郡で発見された定武本である。下の写真は「定武蘭亭序-韓珠船本-」。
          

D 「蘭亭図巻-万暦本-」(王羲之等筆、1巻、明時代・1592年編、東京国立博物館)
 「蘭亭図巻」は蘭亭序と、北宋の李公麟(リコウリン)の描いた蘭亭図を刻したもの。353年(永和9年)の曲水の宴の図、及び参加した42人の詩と蘭亭序からなる。王献之は当時まだ10歳で、姿が描かれているが詩はない。
   

E 国宝「真草千字文」(智永筆、1帖、隋時代・7世紀、個人蔵)
 智永は王羲之七世の子孫で、隋代一の書家。王羲之の書を後世に伝えようと、異なる1000字を選び、4字1句として250句の千字文を作った。「真草千字文」は真書(楷書)と草書を併記。永欣寺の閣上に30年閉じこもり、800余本を臨書し、諸寺にそれぞれ1本を奉納した。智永の「真草千字文」は、刻本が中国に2つの残るが、唯一の真蹟本が日本に残る。国宝!
         

『山崎バニラの活弁大絵巻、お茶目な国策映画特集! 』全労済ホール/スペース・ゼロ主催、2013.2.03

2013-02-04 20:26:22 | Weblog
         

山崎バニラさんの活弁を初めて聞いた。

ユーモアが温厚。
声がユニークで楽しい。

はじめの活弁の歴史が、親しみやすく分かりやすい。(プレ上映『活動写真いまむかし』約15分、山崎バニラ)

山崎バニラさんの踊りが、可愛いい。(『白石よござりす』踊り(4分))

朝顔と少女のアニメは、懐かしさを感じる。(『アサガオ少女』(5分)、2012年、山崎バニラ)

『三公と蛸』(20分)、1933年、逓信省簡易保険局
「保険は大事です」との宣伝映画。
大正琴弾き語り活弁。
6本足で歩く蛸が愉快。

『帽子箱を持った少女』(68分)、1927年、旧ソ連映画
宝くじ付国債の宣伝映画。

ピアノ弾き語り活弁。
無声映画であることを忘れさせる名演。

ネップ(新経済政策)当時、モスクワの小金持ち(帽子店)の様子がよくわかる。
片思いの駅員の純情。帽子を縫製して売る少女のたくましさ。彼女が惚れた苦学生志望の青年は、希望に生きる。

月給90ルーブルの時代に、2万5000ルーブルの宝くじが当たるとはすごい。
90ルーブルを30万円とすれば、2万5000ルーブルは8125万円に相当する。

これからも、山崎バニラさんに、がんばって欲しい。