季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

「フランダースの光」展(Bunkamura ザ・ミュージアム )2010.9.24

2010-09-26 20:50:12 | Weblog

 ベルギー、フランダース地方ゲント市近くにシント・マルテンス・ラーテム村がある。ここに19世紀末から20世紀初頭にかけて芸術家たちが移り住んだ。「フランダースの光、ベルギーの美しき村を描いて」展は彼らの作品を時代を追い3つの世代に分けて紹介する。象徴主義、印象主義、表現主義と様式がことなる3つの時代からなる。
 Ⅰ 象徴主義
 ラーテム村の第1世代。深い精神性を表現した象徴主義絵画を発展させる。
 アルベイン・ヴァン・デン・アベール「春の緑」(1900年):樹々1本ずつ丁寧に描く写実主義。だが精神的な静寂を感じさせる。美しい。

         
 ギュスターヴ・ヴァン・ド・ウーステイヌ「悪しき種をまく人」(1908年):背景が金色のベタ地である。古い宗教画の技法。日常が宗教性と出会う緊張感。良い土壌がなければ神の言葉も実を結ばない。聖書の教えである。

               
 ギュスターヴ・ヴァン・ド・ウーステイヌ「春」(1910年):明るく浮き浮きする。しかし写実ではない。思い出された想像のラーテム村の春である。明るい精神。

            
 ヴァレリウス・ド・サードレール「フランダースの農家」(1914年):静寂が支配する。農家は非現実性を帯びる。神が臨在する。

            
 Ⅱ 印象主義
 エミール・クラウスが師となり、若い画家たちが第2世代を形成する。光を描く。“光輝主義”(リュミニスム)と呼ばれる。
 エミール・クラウス「刈草干し」(1896年):光がまぶしい。逆光である。影がグリーンに描かれる。

                
 アンナ・ド・ウェールト「6月の私のアトリエ」(1910年):女性。エミール・クラウスに私的に師事し絵を学ぶ。‘光は偉大な魔法使い’と彼女が言う。薄紫の花が明るく晴れやか。

            
 ギュスターヴ・ド・スメット「レイエ川のアヒル」(1911年):印象主義的に明るいがアヒルがどこか不安そう。感情を描く表現主義への移行を示す。

              
 Ⅲ 表現主義
 かつて印象主義の手法で製作していた画家たちが第1次世界大戦で疎開。そこで表現主義・キュビズムに惹かれる。戦後、ラーテム村に戻ると以前と異なる様式で製作を始めた。表現主義は感情を作品中に反映させ現実を変形して表現する。
 フリッツ・ヴァン・デン・ベルグ「日曜日の午後」(1924年):3人の神父が川岸に並ぶ。どこか愉快。ヴィヴィッドな色遣いはフォビズム的。そして単純なフォルムはキュビズム的。

             
 ギュスターヴ・ド・スメット「青いソファー」(1928年)は娼婦と娼館のマネージャーを描く。それなのにどこかのんびりしている。彼は後に再び‘田園’に戻る。

              


“誕生!中国文明”展  東京国立博物館(2010.8.12)

2010-09-25 11:49:43 | Weblog

 「動物紋飾板(ドウブツモンカザリイタ)」(夏時代、前17-16世紀)は美しい。長辺16.5cm。狐を上から見た形である。トルコ石の青が鮮やか。権威を象徴する装身具だった。

                            

 「方斝(ホウカ)」(商時代、前13-12世紀)は祭祀に用いる酒を温める容器。青銅器、高67.7cm。商=殷の王妃婦好(フコウ)の銘がある。もとは黄金に輝いていた。威厳がある。

                

 「九鼎(キュウテイ)」(春秋時代、前7-6世紀):祭祀に用いる酒を温める青銅器。全部で9個ある。高47.1~54.7㎝。他の祭器とともにずらっと並べられて展示され、圧倒された。かつてはすべて黄金に輝き見る者を畏怖させたはずである。

                

 「神獣(シンジュウ)」(春秋時代、前6-5世紀)は新興国・楚の国の奇怪な神像。青銅製。虎の身体に龍の首と亀の脚を持つ怪獣が舌を出す。頭上には6匹の小さな龍。背中の別の動物が龍をくわえる。楚の人々は鬼神(キシン)を好んだという。不思議・奇抜な像。

                

 「金餅(キンペイ)」・「馬蹄金(バテイキン)」(前漢時代、前2-1世紀)は恩賞用の金の塊。時代の実利的な生々しさを感じさせる。
 
 「金縷玉衣(キンルギョクイ)」(前漢時代、前1世紀)は美しい石(玉)を札状に加工して綴った服。長180cm。漢時代の王侯貴族は亡くなると全身を玉衣で覆い不老不死になることを望んだ。玉が死体を腐敗から守ると信じられた。この玉衣は合計約二千枚の玉札(ギョクサツ)とそれらを綴る金製の糸からなる。この中に死体があったとは不思議な雰囲気。

                

 「七層楼閣(シチソウロウカク)」(後漢時代、2世紀)は墓に納められた土製の模型。高182.2㎝。極彩色されていた。高級官僚の豪奢な暮らしがうかがえる。 7階建てというのが驚き。

                  

 「楊国忠進鋌(ヨウコクチュウシンテイ)」(唐時代、8世紀)は銀の延べ板。楊国忠は楊貴妃のいとこで玄宗皇帝の時代に権勢をふるった。彼の銀の延べ板が時代を現前させ感慨深い。

 「三彩双龍耳瓶(サンサイソウリュウジヘイ)」(唐時代、8世紀)は唐三彩で二つの取っ手がある。高41.2cm。ギリシャで酒などの貯蔵器として使用されたアンフォラの形。東西交流のなかで中国に伝わった。唐の国際性を示す。

                 

 「御者と馬」(唐時代、8世紀)は墓に納めるためにつくられた俑(ヨウ)である。馬:高40cm、 人:高35cm。生きているような躍動感。鞍や御者の衣服には朱、金、黒の絵具が残り制作当時は鮮やかな彩色が加えられていたとわかる。

                 

 「三彩舎利容器(サンサイシャリヨウキ)」(北宋時代、10世紀)は彩色が美しい。派手。陶製の舎利容器。水晶などを舎利(釈迦の遺骨)に見立て、塔に納めて崇拝する。建物をかたどるこの舎利容器は四面に獅子と仁王が配され装飾がにぎやか。

                

 「王尚恭墓誌(オウショウキョウボシ)」(北宋時代、10世紀)は北宋時代の王尚恭という人物の事跡を石に刻み込んだ墓誌。文字は著名な政治家・歴史家である司馬光(1019~1086)の手になるもの。端正で力強い隷書体の文字から司馬光の硬骨な人柄がしのばれる。司馬光は、王安石(オウアンセキ)の改革政策に反対した。

                

 中国の文化について夏時代から北宋時代までポイントが分かる。楽しかった。

                


「ブリューゲル版画の世界」展(Bunkamuraザ・ミュージアム )2010.8.29

2010-09-24 19:45:04 | Weblog

 ピーテル・ブリューゲル「7つの罪源シリーズ」(1558年、エングレーヴィング、ベルギー王立図書館所蔵)について述べよう。
 「7つの罪源」シリーズは1「貪欲」、2「傲慢」、3「憤怒」、4「怠惰」、5「嫉妬」、6「大食」、7「邪淫」の7つからなる。

 1 「貪欲」。
 銘文は「貪欲むさぼる者には恐れも羞らいもない」「名誉も礼節も恥も神の警告も、金を掻き集める貪欲の目には入らない」とある。金勘定をする女性が中央にいる。後ろの小屋は両替商。金を返さない人間は巨大な鋏で切断され見せしめのためさらされる。その左手には、怪物に背中を押される裸の人間。これから両替商に金を借りにいくのか、それとも鋏で処刑されるのか。いたるところで、金銭に群がる人間や怪物。戦争における略奪も連想される。

                 

 2 「傲慢」
 銘文は「傲慢な者は神を愛さず、神からも愛されない。」「傲慢は神から嫌われ、神は傲慢から無視される。」とある。下部中央には、鏡に映る自分の姿を見つめる女性。画中で着飾っているのはこの女性だけ。その横には、「傲慢」を象徴する動物として孔雀。周囲では建物内で焚刑、また、野外で釜茹。しかもあちこちに異形の怪物たち。周りの異常な光景には目もくれず一心に鏡をのぞく女性の「傲慢」。鏡に映る彼女の顔は怪物の様。美しく着飾っても、鏡は真実を捉える。 

               

 3  「憤怒」
 銘文は「憤怒は顔を膨れあがらせ、気分を苦々しくする。」「憤怒は精神をかき乱し、血を黒く陰鬱にする」とある。中央下部に武装した兵士。その脇に従う熊は、「憤怒」を象徴する。武器を手に争う人間と怪物たち。巨大なナイフで人間が切断される。また棍棒で打たれ、釜茹でにされ、串焼きにされる。憤怒が引き起こす暴力と狂気。暴力にまみれた世界。

               

 4 「怠惰」。
 銘文は「怠惰は活力を打ち砕き、長き無為は意志の力を挫く。」「怠惰は人を無力にさせ神経を干からびさせ、結局は人を役立たずにする。」とある。下部中央では、「怠惰」を象徴するロバの背に寄りかかり居眠りをする女性。怪物が枕を薦める。周囲にはカタツムリが這い、遠景には巨大なナメクジ。寝たまま食事をする人間や舟の上で排泄する怪物など、だらしない姿の数々。画面左上の時計の腕の形をした針が11時を指し示す。あと1時間で終末(12時)が訪れる。

               

 5  「嫉妬」
 銘文は「嫉妬は恐るべき怪物であり、この上もなく獰猛な悪疫である。」「嫉妬は永遠の死にして恐るべき病い、不当な悩みを抱いて己を貪り食らう怪物。」とある。画面中央下部の人物は、右手で心臓を食べており、これが嫉妬を表す行為。右側の七面鳥は嫉妬を象徴する。手前で骨を奪い合う2匹の犬。これは嫉妬を表す。フランドルの諺「1本の骨に犬2匹」に基づく。画面のあちこちにに靴が描かれている。これも嫉妬を暗示する。「ブーツを履く人、短靴の人知らず」という諺があり、ブーツを履けるような身分の高いものは、短い靴しか履けない人々のことを知ろうとしないという意味。これが転じて、短靴からブーツへの嫉妬を示す。

                

 6  「大食」
 銘文は「暴飲と暴食は慎むべし。」「酩酊と暴食をつつしめ。度を超すのは神と自分自身を忘れさせる。」とある。中央下部では酒をあおる女。彼女の足元には「大食」を象徴する豚。右下には、食べ過ぎてお腹の皮がもたず切開してもなお、食べるのをやめられない怪物がいる。「大食」とはいっても、食べることより飲むことが先に来る。当時は人々は常に空腹を感じそれが飲酒につながった。貧しくひもじいのでそれを忘れるため酒を飲み、食べられるときは意地汚いくらい大食した。

               

 7  「邪淫」
 銘文は「邪淫は活力を消耗させ、四肢を弱める。」「邪淫は悪臭を放ち不潔である。それは活力を砕き身体を軟弱にする。」とある。画面中央では、ヒキガエルの愛撫を受ける女性。股間を広げた怪物や交尾の真っ最中の犬も描かれる。そして至る所でで抱き合う人間たち。

               

 ピーテル・ブリューゲル「聖アントニウスの誘惑」(1566年頃)
 聖アントニウス(251年頃 - 356年)はキリスト教の聖人。修道士生活の創始者。諸々の誘惑を象徴する怪物に囲まれ、苦闘する聖アントニウスの姿は美術の題材として好まれた。

                       


“ナポリ・宮廷と美、カポディモンテ美術館展”(国立西洋美術館)2010.8.13

2010-09-24 08:04:09 | Weblog

 ナポリのカポディモンテ美術館は1738年にブルボン家によって建造開始された宮殿がそのまま美術館になったもの。カポディモンテは「山の上」の意味である。

 パルミジャニーノ「貴婦人の肖像(アンテア)」(1535-37年)は凛々しく美しい。“ローマの高級娼婦”とも“美の象徴”とも言われる。右肩が不自然に大きく前に出る。マニエリスムである。均整のルネサンスへの反逆。

                

 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア」(1567年)は聖化されることなく普通の人間として描かれる。キリストの磔刑と復活に立ち会った女性の嘆きと驚きが見て取れる。

             

 エル・グレコ「燃え木でロウソクを灯す少年」(1570-72年)は“ギリシャ人”であるエル・グレコらしい絵。光の明暗が印象的である。

              

 グイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」(1622年)は話が面白い。アタランテは大変な美女。言い寄る男がたくさんいる。彼女は走るのが得意でとても速い。「自分が負けたら結婚する。しかし相手が負けたら殺す。」これが言い寄った男に彼女が出す条件。多くの男が殺された。だがヒッポメネスは賢かった。黄金のリンゴ3つを持って走る。アタランテが追いつきそうになると彼は黄金のリンゴを投げる。彼女がリンゴを拾う。これを繰り返し彼は勝利する。絵は黄金のリンゴが投げられアタランテが拾う一瞬を描く。  

                 

 ナポリの女性画家アルテミジア・ジェンテレスキ「ユディトとホロフェルネス」(1612-13年)は生々しい。カラヴァッジョ派らしい明暗の強調、劇的表現である。それとともに女性の視点がもつある種の官能性を感じさせる。ユダヤの英雄的女性ユディトがアッシリアの将軍ホロフェルネスの首を切り落とす。

           

 フランチェスコ・グアリーノ「聖アガタ」(1641-45年)は生々しい。永遠の純潔=神の花嫁を誓った聖アガタはローマ総督の求婚を拒否し拷問を受け乳房を切り取られる。着衣の胸の血の跡が、聖アガタの苦痛と聖性を示す。

         

 バロック絵画の強烈な情感が少し重苦しい。そんなカポディモンテ美術館展だった。