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“英国ヴィクトリア朝絵画の夢、ラファエル前派展”森アーツセンターギャラリー(2014.2.11)

2014-02-14 09:59:02 | Weblog
 ラファエル前派 Pre-Raphaelitism は、1848年、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)の3人の画家によって結成された:ラファエル前派兄弟団(PRB)。その後、4人が加わる。
 ロセッティを慕って集まったエドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)やウィリアム・モリス(1834-96)らは美術史上、次世代のラファエル前派とされる。
 ヴィクトリア朝の批評家ジョン・ラスキンが、彼らを擁護した。ラスキンは、「ラファエロ以前の芸術家が誠実で純粋であり、ルネサンス以降、芸術は衰退の道を歩んでいる」という点で兄弟団と見解が一致した。(なおラスキンの妻は離婚し、ミレイと結婚。)ラスキンや初期のラファエル前派は、科学的に厳密な自然観察を主張。ラスキンは中世を理想化し、芸術と職人、創造と労働が同じ水準にあった時代とした。
 余談:ラスキンは、オックスフォード大学で教えていた時、ルイス・キャロルと親しくなる。ラスキンはキャロル著『不思議の国のアリス』のモデルであるアリス・リデルの美術の家庭教師をした。


ジョン・エヴァレット・ミレイ「マリアナ」1850-51年:テニスンの詩がマリアナの気持ちを語る。「わたしはほとほと疲れました いっそ死んでしまいたい」。持参金が海の藻屑と消え、許嫁に見捨てられたマリアナ。刺繍につかれたマリアナが背をそらせた情景。服の青色が輝き、緻密に描かれた刺繍、ステンドグラスの色彩が鮮やか。


ジョン・エヴァレット・ミレイ「オフィーリア」1851-52年:ハムレットに捨てられ、また彼によって父を殺害され狂気になったオフィーリアの悲劇。「その花かずらを垂れ下がった枝にかけようと、柳の木によじのぼれば、枝はつれなくも折れて、花輪もろとも川の中にどーっと落ち、」オフィーリアは水死する。(モデルはのちにロセッティの妻となるエリザベス・シダル。)


ヘンリー・ウォリス「チャタートン」1855-56年:17歳で死んだイギリスの青年詩人チャタートン(1752-1770)。彼は文学に殉死した。アヘン剤の過剰摂取による死。将来を嘱望されながら夭折した者への哀感が漂う。ラスキンが「無欠にして素晴らしい。・・・・厳粛な真実を細大もらさず示そうと試み、それを成し遂げた絵画」と述べた。


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」1849-50年:天使ガブリエルが処女懐胎をマリアに告げる。伝統的な図像にとらわれず、自由な解釈。「世事に疎い若い女性がこのように不可解で驚くべき出来事に出会って起こす反応」として描かれる。処女マリアの呆然とした表情。白は処女の純潔、青はマリアが後に担う天の女王の役割、赤はキリストの受難、金は神格を象徴する。天使が手にする咲いた二つの百合の花は神と精霊、つぼみはキリスト。赤い刺繍の咲いた三つの百合の花は、マリアがその務めを果たすというしるし。


ウィリアム・モリス「麗しのイズー」1856-58年:「トリスタンとイゾルデ」伝説の1シーン。イゾルデが失った恋人を嘆く場面を描く。モデルは後にモリスの妻となるジェイン・バーデン。なおモリスは、工業化を批判し、手仕事による中世風の価値観を称賛してモリス商会を設立。社会を工業化ではない方法で近代化すべきと主張。(アーツアンドクラフツ運動)


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「ベアタ・ベアトリクス」(1864-70年頃):ロセッティは生涯を通じて自らを、フィレンツェの詩人ダンテに重ね合わせた。ダンテが愛したベアタ・ベアトリーチェ(「祝福されしベアトリーチェ」の意)と、ロセッティ自身の早逝した妻エリザベス・シダルが描き重ねられた。ロセッティが、自らの詩神であり妻だった人に送る最後の別れの挨拶。(シダルは1862年、32歳、アヘン剤の過剰服用で死ぬ。ロセッティは2歳年長。)


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「モンナ・ヴァンナ」1866年:タイトルは「虚栄の女」の意。当初のタイトルは「ウェヌス・ウェネタ(ヴェネツィアのヴィーナス)」だった。この作品は、ロセッティがラファエル前派初期の禁欲主義から、冷ややかで感覚的な物質主義に乗り換えたことを示す。イギリスでは、1860年代から唯美主義の時代が始まる。


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「プロセルピナ」1874年:プロセルピナは古代の女神。地下世界の果実であるザクロを食べたプロセルピナは、地下世界と地上世界の両方で交互に生きなければならない。絵のモデルは、ジェイン・モリス。彼女はウィリアム・モリスの妻でありながら、同時にロセッティと親密な関係にあった。(ロセッティの妻シダルの死の7年後、1869年以前から。)


エドワード・バーン=ジョーンズ「『愛』に導かれる巡礼」1896-97年:作者はヴィクトリア朝の物質主義に反抗する。絵は中世の詩人ジェフリー・チョーサーの『薔薇物語』の一場面。写実を排除する象徴主義の作品。「愛はすべてのものの始まりにして終わりであり、人生は移ろうその光に従う影にすぎぬ」という詩とともに展示された。

“『百段雛まつり』~九州ひな紀行~展” 目黒雅叙園(2014.2.4)

2014-02-08 19:28:19 | Weblog
筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の旧邸(福岡県飯塚市)で例年飾られている約500体の「座敷雛」。賑やかで楽しい。


日田市のおきあげ雛。筑後川上流域で親しまれていた庶民のひな人形。羽子板の押絵のようなお雛さま。不思議な感じ。


「天領日田の享保雛」と「うすき雛」(大分)。天保の改革のころ、質素倹約のため臼杵の町の者たちは、「紙製のお雛様」(「うすき雛」)しか飾ることが許されなかった。


柳原白蓮が愛した人形「みどり丸」は不気味な存在感がある。柳原白蓮は伯爵の娘。最初の結婚の破綻後、27歳で、伊藤伝右衛門と再婚(一種の政略結婚)。しかし伝右衛門との結婚は幸福でなかった。白蓮は、新聞記者・社会活動家の宮崎龍介(宮崎滔天の長男)と出会い彼のもとへ走る。そして伝右衛門への公開絶縁状を新聞紙上に発表。伝右衛門は侠気があり白蓮を姦通罪で訴えなかった。白蓮は、その後龍介と結婚、81歳まで生きる。

こまつ座「太鼓たたいて笛ふいて」井上ひさし作(紀伊國屋サザンシアター)2014/1/31

2014-02-01 13:01:47 | Weblog


劇は、林芙美子(1903-1951)の後半生を描く。
彼女は1930年(昭和5年)に『放浪記』で人気流行作家となった。

しかしやがて彼女の小説は、戦争の時代にそぐわなくなる。
それでも彼女は小説を売らなければならない。

かくて彼女は覚醒する。
国民を聖戦に動員する「物語」を書こうと、決意をする。

彼女は、まず1937年の南京攻略戦に従軍。
さらに1938年の武漢作戦には、内閣情報部『ペン部隊』として参加。

しかし彼女は徐々に、戦争の聖戦の「物語」がウソだと気づく。
聖戦は人々を幸せになどしない。

林芙美子は、率直である。
「日本が負ける」と公言した彼女は、特高警察の監視下に置かれる。

人々は生きるため、戦争の時代に合わせる。
例えば、ある者は、就職先として満州で憲兵隊にはいり、さらに東京の特高警察へ栄転する。

NHKの局員は、戦前は聖戦を鼓舞し、戦後は民主主義を宣伝する。
食べるため、昇進のために、致し方ない。

もちろん国家の偉大な「物語」を信じることもある。

林芙美子は、自分が信じ、太鼓たたいて笛ふいて広めた「物語」のウソを知った。
彼女は戦後、その贖罪をする。

彼女は、つらい責任の気持ちを、小説に書く。
もう、国家の「物語」に頼らない。
最も大切で根本的な日常的出来事と、それに伴う情感のみを描くと、彼女は宣言する。

大竹しのぶが、林芙美子を見事に演じる。

一方で、林芙美子の姐御的な気風の良さ、虚飾を拒否する率直さ。
他方で、事実を受け入れるときの彼女の純情さ。

今、この時代、2014年、日本の国民が、新たな国家の「物語」を欲しているように見える。
林芙美子を描いたこの演劇は、最も大切なものが何かを考える手がかりになる。