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“美しき挑発、レンピッカ展”(Bunkamura ザ・ミュージアム:2010.4.01)

2010-04-11 10:23:07 | Weblog
 渋谷のBunkamuraで“レンピッカ展”を見る。
      
 入り口に掲げられた“ロングドレスを着たタマラ”の写真(R-12、1929年頃)が魅力的。
 タマラ・ド・レンピッカ(1896-1980)はワルシャワの裕福な家庭に生まれ、1916年、サンクトペテルブルグでタデウシュ・ド・レンピッキ伯爵と結婚。
 ロシア革命がこの幸せを破壊し夫は投獄される。タマラは亡命。夫も出獄に成功するがすっかり無気力となる。夫妻はパリに在住。タマラが得意な絵で生計を立てることとなる。
 1925年、タマラが最初の個展を開く。肖像画家として才能を認められる。
 「ピンクの服を着たキゼット」(14、1926年頃)をナント美術館が購入。公立美術館入りをした初めての作品となる。娘キゼットの思春期のあやしさを感じさせる。
              
 タマラの絵は売れる。美人で伯爵夫人の画家として彼女は社交界でもちきり。とは言え時代は保守的で彼女は最初、男性名でレンピッキと署名した。
 「タデウシュ・ド・レンピッキの肖像」(18、1928年)は彼女の夫を描く。結婚指輪をはめているはずの左手が未完である。芸術家とはまともな家庭生活が営めないと彼はこの年タマラと離婚。彼女は多くの男性と浮名を流すが、自分が最も愛したのは夫であると述べる。
            
 「自画像」(23、制作年不詳)は車を運転するタマラである。彼女は1920年代の女性解放のシンボルであった。
 「サン・モリッツ」(22、1929年)は白い雪を背景にした赤いセーターが鮮やかである。ドイツのファッション誌『ディー・ダーメ』の表紙となる。
            
 「イーラ・Pの肖像」(30、1930年)にはコルセットから解放された自由な女の自信が描かれる。
        
       
 「緑の服の女」(29、1930年)のモデルは成人した娘キゼット。アール・デコの女性像を代表する絵画。タマラ絶頂期の作品である。
         
 「カラーの花束」(32、1931年頃)の白い花は幾何学的機能美を追求するアール・デコ的な絵。しかしタマラらしくセクシュアルである。
         
 「シュジー・ソリドールの肖像」(34、1933年)はタマラの女性の恋人を描く。女性の解放・自由を象徴的に示す。
            
 1920年代の繁栄は、世界恐慌と30年代の不況によって崩壊する。タマラは1934年、ワグナー男爵と再婚しアメリカに移住。しかし時代は変わり、タマラの肖像画は売れない。ファシズム、第2次大戦、戦後と経過しタマラの画家としての名声は過去のものとなる。
 1961年、パリの画廊で回顧展を開催。アール・デコは時代後れとみなされ失敗に終わる。
 1972年、今回のパリの個展は大成功をおさめる。タマラ・ド・レンピッカ再評価のきっかけとなる。