季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

歌舞伎座百二十年吉例顔見世大歌舞伎(東銀座:2008.11.15)

2008-11-16 10:14:47 | Weblog

 小雨の歌舞伎座前。夕方4時に開場。間もなく建替え予定の歌舞伎座に入る。 

  最初の演目が『菅原伝授手習鑑、寺子屋』。ストーリーに無理なところがない。ハリウッド映画などと違う。伝統の中で磨かれたとわかる。管秀才の身代わりに自分の子を差し出す松王丸とその妻の悲しみに共感する。「すまじきものは宮仕え」と嘆く武部源蔵の振る舞いも納得がいく。

道具帳・寺子屋

  『新歌舞伎十八番の内 船弁慶(フナベンケイ)』は舞踊がすばらしい。静御前がかわいくきれい。平知盛の亡霊は恐ろしさが周囲に漂う。

  『八重桐廓噺(ヤエギリクルワバナシ)』は坂田金時の誕生譚。荒唐無稽で怪異な世界が現実世界と混交し不思議なリアリティがある。切腹して果てた父坂田蔵人(サカタクロウド)の魂魄が母が飲んだ血液を通して母八重桐の体に宿る。彼女は超能力を獲得し山姥となりやがて金時を産む。 

   演目がすべて終われり外に出れば夜9時。銀座はまだ賑わっていた。

   中村座絵本番付・寺子屋

       


江戸東京博物館を見るまた館長の講演を聞く(両国:2008.11.15)

2008-11-16 09:07:29 | Weblog

 曇り空の日、3階の江戸東京広場から江戸東京博物館を訪れる。ボランティアの方から見所の説明を受ける。

 まず6階へ。日本橋を渡る。その先にある武家屋敷(越前藩)と寛永の町人地(日本橋北詰)の模型の対比が興味深い。両者は同じ縮尺で同じ広さである。武家屋敷の巨大さに驚く。 

                            常設展示室の様子

  5階へ移る。江戸時代の棟割長屋の一家族分の広さを確認する。それは8畳分であり6畳の畳み部屋と2畳分の土間からなる。意外と広いor狭い?また東海道四谷怪談の歌舞伎のからくりの実演模型がわかりやすい。 

                               常設展示室画像

   戦後のコーナーではスバル360の展示が懐かしい。              

   竹内誠館長の講演“江戸庶民の暮らし”が楽しかった。モースは日本人の温厚さと礼儀ただしさに驚く。人力車がぶつかっても車夫同士が詫び合う。また彼らが猫・犬・鶏を避けて走る優しさ(『日本その日その日』)。園芸学者フォーチュンは花を愛する国民は文化程度が高いと述べる(『幕末日本探訪記』)。日本の住宅が清潔であることまた畳み利用の合理性に感嘆するのが『シュリーマン旅行記』。日本の子供がふっくらしており健康で幸せに育っていると指摘するのはスエンソンである。江戸時代は豊かで文化的な時代だった。  

                      

   博物館を出れば相変わらずの曇り空。そして11月半ばなのに暖かい。


“アンドリュー・ワイエス:創造への道程”(Bunkamura ザ・ミュージアム)

2008-11-16 00:18:50 | Weblog

 秋の午後、渋谷はいつものようににぎやかな人並み(2008.11.13)。 

  アンドリュー・ワイエス展の最初のコーナーが“Ⅰ自画像”。ワイエスは1917年生まれ、現在91歳で健在である。アメリカの写実絵画の画家。「自画像」(5:1944-45)では自分と背後の風景に境目を設けない視点を示す。自分もまた風景であり自分と周囲がいずれも克明に描かれる。

  “Ⅱメイン州”ここで昔からワイエスが5ヵ月夏を過ごす。彼はクリスティーナとアルヴァロのオルソン姉弟と出会いオルソン家に住まわせてもらう。 「オイル・ランプ」(12:1945)はアルヴァロの唯一の絵画であり彼の頑固さが見て取れる。ランプの精緻な描写がよい。「幻影」(26:1949)ではオルソン・ハウスの長い歴史、そこにある昔の人々の幻影に囲まれた自分が描かれる。センチメンタルである。 

 「《クリスティーナの世界》習作」(18-20:1948)は1948年にNY近代美術館が購入しワイエスが世に認められた《クリスティーナの世界》の一連の習作である。手足に障害のあるクリスティーナが這って進む後姿が周囲の風景の広がり、彼女の家とともに感銘を与える。(参考:下図は「クリスティーナの世界」)

    

  「煮炊き用薪ストーブ」(44:1962)はオルソン家の台所を通してクリスティーナが生きる世界を描く。生活を支える煮炊き用薪ストーブ、椅子に座るクリスティーナ、外に広がる景色、彼女が愛する眠る黒猫、そして窓辺の赤いゼラニウムが美しい。「《アンア・クリスティーナ》習作」(62-63:1967)はクリスティーナの命が長くないと予感した画家が彼女の死の前年に描いた。中年の女性の内的世界が感じられる。 「ガニング・ロックス」(61:1966)はオルソン家の近くの海の岩場。そこで漁をする友人ウォルター・アンダーソンの絵。彼はフィンランド人とネイティヴ・アメリカンとの混血である。 「火打ち石」(85:1975)は近くにある海辺の巨大な石の綽名である。カモメが運んだ海の生き物、ムール貝などの死骸がカモメの存在を暗示する。 アルヴァロとクリスティーナの死後、ワイエスがモデルとしたのはフィンランド人の少女ミリ・エリクソンだった。「そよ風」(91:1978)のなかでエリクソンの髪が揺れる。

 “Ⅲペンシルヴェニア州”この田舎がワイエスの生まれ故郷である。「雪まじりの風」(96:1953)には冬の荒涼とした丘だけがただ描かれる。ワイエスは何もない冬・秋が好きである。単純なものには物語が隠され、単純なものほど複雑さを増すと彼は言う。 「ジャックライト」(131:1980)は光に立ち止まる習性を利用した違法な鹿狩りの一瞬の光景を描く。落ちたりんごを食べようとした鹿が強烈な光に立ち止まり撃たれる直前が主題である。「鋭利な斧」(148:1988)では朝の光がまぶしい。 

 2008年8月のインタヴューでワイエスが言う。「絵を通して対象への愛情を感じてほしい」、「芸術にルールなんてない」、そして「何か感じたらそれを描く。このことは年齢と関係ない」と。 

  展示を見終わりBunkamuraを出れば外はまだ明るく晩秋というのに暖かい。宮益坂を上り表参道まで歩く。


“スリランカ:輝く島の美に出会う”(東京国立博物館 表敬館)

2008-11-09 09:49:46 | Weblog

  夕方3時半の上野公園(2008/11/3)。秋の夕暮れが近い。東京国立博物館の表敬館を訪れる。

  スリランカとはシンハラ語で光輝く島の意味である。アショーカ王の時代の前3世紀、マヒンダ王子によってスリランカに上座部仏教が伝えられた。

  ①“アヌラーダプラ時代(前3~後11世紀)”  「ヤクシニー」(16:前4世紀)は細い腰をくねらせた女神の石像で妖艶である。南インドからの輸入。

                                           ヤクシニー

  「如来坐像」(22-25:9-10世紀)はいずれも小ぶりで全体にさらっとした感じである。

                                           如来坐像

   「パドマニディ・ガードストーン」(45:9世紀)の蓮の精霊ヤクシャは太っているがかわいい。ガードストーンは寺院などの入り口に左右対に置かれる。「如来立像」(27:10世紀頃)は黒目が失われているが白目に銀が嵌め込まれ高貴である。「アプサラス像」(48・49:6世紀)は大きい乳房のテラコッタ像。シーギリヤ出土。カンボジアのボロブドール壁画で天女アプサラとして登場する。「打刻印銀貨」(1:2-3世紀)は打刻された模様or文字が美しい。「カワハヌ金貨」(6:10世紀)がキラキラときれいでかわいい。 

   「観音菩薩坐像」(35:9世紀)が美しく目を奪う。筋肉が写実的でなまなましい。くつろいだ姿勢が妖艶。金色がまぶしい。

                                観音菩薩坐像

  この頃大乗仏教が広まり菩薩像が作られた。「金剛手菩薩立像」(32:9世紀)は小さいが精巧で厳しい印象を与える。三鈷杵(サンコショ)を手に持ち密教の仏像である。「金板二万五千頌般若経断簡」(44:9世紀)が金製でキラキラ輝く。大乗仏教の遺品である。 

  ②“ポロンナルワ時代から諸王国時代(11~16世紀)”  インドのチョーラ朝(タミル人)が11世紀にスリランカ北部を征服。シンハラ人はポロンナルワに都をうつす。ただし彼らは12世紀にチョーラ朝を駆逐。12-13世紀にシンハラ人の王朝が繁栄する。チョーラ朝の進出とともにヒンドゥー教がスリランカに入る。 「シヴァ・ナタラージャ像(踊るシバ神像)」(59:12世紀)が大きくかっこよく迫力がある。

  「ガネーシャ座像とヴァーハナ」(63:12世紀)は不思議にインパクトがある。ガネーシャはシヴァ神とパールヴァティ妃神との息子。ガネーシャが父に首を切られた後、最初に通ったのが象でその首をつけることで彼は生き返った。ガネーシャの乗り物がねずみ=ヴァーハナである。

                                          ガネーシャ

   「カーライッカール・アッマイヤール坐像」(66:12世紀)は強烈。シヴァに捧げるため女性の美しさをなくすようシヴァに祈った女性がその願いの通り醜い老婆となる。彼女はヒンドゥーの聖者である。

                                         カーライッカール・アンマイヤール 

   ③“キャンディ時代とそれ以降(16~20世紀)”  16世紀、沿岸をポルトガルが支配、続いて1658年以降オランダが支配。中央部にはキャンティ王国が興る。このシンハラの王朝の王統が途絶えるとインドのナーヤカ朝の王が呼ばれる:後期キャンティ時代。この時代に仏教の復興がなされタイのアユタヤなどから僧が招かれる。しかし1815年にイギリスに敗れ植民地化された。 「仏涅槃像」(79:18-19世紀)は後期キャンディ王朝による仏教復興の中で製作される。穏やかで心和む。

   「如来立像」(80:18-19世紀)がしゃれている。怪魚マカラと獅子が仏を囲む。

                                          如来立像  

   「櫛」(88-97:18-19世紀)は一連の象牙の精巧な透かし彫り製品である。洗練されている。

                                     櫛

   「耳かき」(98・99:18世紀)が愉快。象牙製。「浣腸器」(108・109:18世紀)は医療器具だが大きいほうが象用であると驚く。獣医のものだろう。「キンマ用盆」(139:19世紀)、「唾壺(ダコ)」(140:18世紀)、「檳榔子(ビンロウジ)すり器」(141:1906年)が台湾と同じ嗜好品の存在を思わせた。檳榔子の木の実と、石灰の粉とを、キンマ( コショウ科の蔓性の半低木)の葉で包み、口に入れて噛む。唾液と混ざると口の中が真っ赤になる。その唾を捨てる。そして酩酊感を楽しむ。

   「蝶型ブローチ」(123:18世紀)が豪華ですごい。 

   「ナーガ・ラークシャ・マスク」(145:1968年)はコーラムと呼ばれる仮面劇のマスクで強烈。目が飛び出しベロを出し絡んだ多数の蛇が頭を前に出す。 

   ④“レプリカ”の展示では「ダラダーマルワのラトナギリ・ワタダーゲー模型」(オリジナル:12世紀)がかつて仏塔には屋根があったことを示す。 

   表敬館を出れば午後6時前。外は暗くなっていた。上野駅まで歩く。