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わらび座『ミュージカル アトム』於:北トピア(都立上野高校芸術鑑賞教室)2012.6.21

2012-06-22 23:13:14 | Weblog
          
  《あらすじ》 
    1
 20XX年が舞台。十万馬力のロボット、アトムの存在が否定され、ロボットのパワーが制限されている時代。
 人間のマリアがロボットのアズリと恋仲になる。
 マリアに横恋慕するタケ(人間)が、ロボットのアズリを棒でたたき殺す。
    2
 「ロボットは人間に反抗してはならない」とのロボット法が、ロボットに適用される。アズリは、人間タケに反抗できない。
 ロボット法に違反すれば、ロボット取締機関がロボットを捕獲し、破壊する。
    3 
 アズリが殺されたことを知ったロボットたちが、復讐を決意。彼らは、人間のタケを襲い暴行し、まさに殺そうとする。
 アズリの親友のロボット、トキオが、「殺されたアズリは復讐を望んでいない」と訴える。「暴力と復讐は何の解決も生み出さない。アズリは愛の力を信じようとした!」とトキオ。
    4
 反乱したロボットたちのリーダー、ダッタンは、十万馬力のロボット、アトムをよみがえらせ殺人兵器として、人間たちを攻撃、打倒することを計画。
 アトムは、秘かに神楽坂博士の屋敷に隠されていたので、ロボットたちが攻撃し強奪。
 ところが、そのアトムは心にあたる電子頭脳を持たない抜け殻。
    5 
 ダッタンは、非合法に強力なパワーを持つ改造ロボット。改造者は元科学者スーラ。
 アトムを殺人兵器として蘇らせるとの計画は、元科学者スーラの入れ知恵。
 スーラは神楽坂博士に私怨があるので、その復讐のため。
    6 
 アトムの電子頭脳=心臓は、神楽坂博士によって、実は、ロボット、トキオに埋め込まれていた。
 元科学者スーラが、ロボットのトキオを破壊・分解し、そのアトムの電子頭脳=心臓を取り出そうとする。
 アトムの抜け殻に、それを、埋め込み、殺人兵器アトムを作り出すため。
    7
 ダッタンは、元科学者スーラが、トキオを破壊・分解しようとすることを許せない。
 またダッタンは、「暴力と復讐は何の解決も生み出さない」とのトキオの訴えにも同意する。
 ロボットのダッタンは、元科学者スーラを攻撃。トキオの破壊・分解を阻止。
 さらにダッタンは、殺すつもりだった人間タケを、殺さず釈放する。
 仲間のロボットたちも、ダッタンに同調する。
    8
 人間のスーラに対するロボット、ダッタンの攻撃は、ロボット法の侵害。
 ここで、ダッタンが告白する。「強力なパワーを持つ改造ロッボット、ダッタンは、元科学者スーラによる改造の際、リモコンによる自爆装置が内蔵されている!」と。
 人間に反抗したダッタンは、リモコンで自爆させられる。

  《観劇者の感想》 
    (a)
 ダッタン以外の、反抗したロボットたちは、どうなるのだろうか?ロボット取締機関が、彼らを捕獲、破壊するだろう。反乱の失敗である。反乱者全員の処刑である。
    (b)
 「ロボットは人間に反抗してはならない」とのロボット法の廃止はありうるのか?
 アメリカの公民権運動の非暴力の立場がモデルとなりうる。
    (c)
 さて、この『ミュージカル アトム』ではロッボットは心を持つ。定義的には、ロボットは心を持たないはずである。心を持つのは人間である。
 だから、ここでは、ロボットと言いながら、実は、人間の二つのグループの間の問題を扱っている。
 つまり差別の問題である。
    (d)
 差別的な法であるロボット法の廃止は、公民権運動のように非暴力的立場から追求されることによって、可能となるだろう。
    (e)
 さらにロボットが、心を持つ限りでは、ロボットは人間として定義される。人間であれば、ロボットにも生命・自由・幸福追求の権利が認められる。
 ロボットの人権宣言のみが、ロボットが任意に破壊・分解されることを防ぐ。
    (f) 
 しかしロボットを使って、人間同士の差別の問題を扱うのは、定義的に誤りである。。
 ロボットは人間でなく、心を持つことがない。
 ロボットは、永遠に人間ではない。それは機械である。それは感情や意思を持たない。
 心を持つロボットは、白い黒色と同様、不可能である。
    (g)
 「ロボットは人間に反抗してはならない」とのロボット法は、条文そのものが、すでに、定義的に誤りである。
 ロボットは定義的に、感情も意思もない。したがって、ロボットが「反抗」という意思を持つことは、そもそも想定できない。
    (h)
 ロボットが「愛」を訴えることは、定義上、ありえない。
 つまりアトムが「愛」を訴えることは、定義上、ありえない。
 しかし、人間は、定義上、心を持つから、「愛」を訴えることができる。
 だから、「愛」を訴えるアトムは、実は、ロボットでなく、人間である。
    (i)
 かくて結論。『ミュージカル アトム』は、ロボットの物語でなく、人間の物語である。

都立上野高校演劇部試演会 『ベスト・ウルフ』 作=いちかわあつし(2012.6.19)於:4F視聴覚室

2012-06-19 20:50:49 | Weblog
            
  《ストーリー》
    1
 狼が赤頭巾を襲う。ところが赤頭巾の方が強い。狼は負けて泣き出す。
 「昔、狼に襲われたので、その後、護身術をならった」と赤頭巾。
 今回、赤頭巾を襲ったのは、草食系の弱虫狼。
    1-2
 「仲間を見返しなさい!」、「強くなりなさい!」と赤頭巾。
 草食系狼は、赤頭巾を先生にして修行に励む。「強くなって、弱い者いじめをするのでなく、強い者と戦いなさい!」と赤頭巾。
 持久走、重量挙げ、格闘術、滑舌(議論に勝つため)の訓練。
    2
 修行中、赤頭巾のおばあちゃんがやってくる。赤頭巾のそばに狼がいるので、狼をおばあちゃんが襲う。おばあちゃんも護身術を身につけ強い。赤頭巾が事情を説明。
    3
 数ヶ月後、赤頭巾先生のもとで、草食系狼の修行も終了。「仲間の狼もびっくりするくらい強くなったわ!」と赤頭巾。
 「本当に強くなったんでしょうか?」と草食系狼が言う。
    4
 ここに、兄狼が登場。「人間と仲良くするなど、そして人間になろうとするなど、狼のカザカミにおけない!」と兄狼。
 兄狼が、赤頭巾を殺そうとする。また赤頭巾を助ける弟狼(=草食系狼)をも殺そうとする。
 しかし戦いの末、弟狼が、兄狼を倒す。兄狼は負傷し倒れる。
    4-2
 赤頭巾は兄狼を殺そうとする。
 「兄を殺さないでくれ」と弟狼。
 兄狼は負傷した体で去って行くが、「人間と仲良くする弟狼など、許さない。お前は狼の仲間でない!」と言う。
     5
 弟狼は「敵に情けをかけてしまった!」、「自分は弱い狼だ!」と言う。
     5-2
 「兄狼のことを大切に思うなら、負傷した兄狼のところに、すぐ行ってあげなさい!」と赤頭巾。
 弟狼は、兄狼の後を追う。
 赤頭巾が「弟狼さん、あなたは弱くない!」と叫ぶ。(幕)

  《観劇者の感想》
     (a)
 演技は迫真性があった。とくに格闘場面がよかった。
     (b)
 テーマは倫理の特殊性と普遍性。弟狼と赤頭巾には、倫理の共通性がある。弟狼と赤頭巾は、倫理の普遍性を信じる。 狼と人間に共通の倫理がある、つまり共通の普遍的倫理があると信じる。
 兄狼は、狼と人間に共通の普遍的倫理を信じない。兄狼は、内集団と外集団を区別し、倫理には境界があると信じる。「人間と仲良くする弟狼など、許さない。お前は狼の仲間でない!」と兄狼。内集団が終わるところで倫理も終了する。倫理の特殊性。
     (b)-2
 しかし倫理の特殊性が存在する限り、つまり狼の倫理と人間の倫理が共通であり得ないと、狼の側が考える限り、普遍的倫理も、ただ普遍的だと信じられたにすぎない特殊的な倫理になる。
     (c)
 弟狼と赤頭巾の普遍的倫理の領域においても、倫理的に異なる立場がある。
 ① 草食系と肉食系(武闘系)のどちらが正しいかの問題。赤頭巾は肉食系、弟狼は草食系。弟狼は、肉食系(武闘系)の道を、赤頭巾先生のもとで突き進むが、「本当に強くなったんでしょうか?」と免許皆伝の日に、赤頭巾に問う。
 ② 「強い」とはどういうことかの問題が、ここで提示されている。「強い」とは、ここでは「倫理的な正しさ」のことである。
     (d)
 また、定義の適用の問題がある。つまり兄狼を「敵」と定義するのか、「兄弟」と定義するのかの問題。
 傷ついた兄狼を赤頭巾は、敵だから殺そうとした。おばあちゃんも、弟狼を敵と思い殺そうとした。つまり敵とは、殺すべきものと定義され、その定義を兄狼に対し、赤頭巾もおばあちゃんも適用した。
     (d)-2
 しかし弟狼は、「兄を殺さないでくれ」と言う。兄狼を「敵」と定義すれば、兄狼を殺さない弟狼が、「敵に情けをかけてしまった!」、「自分は弱い狼だ!」と言うのは当然である。
    (d)-3
 しかし赤頭巾が別の視点を提示する。つまり「敵が同時に兄弟である場合、敵の定義と兄弟の定義のどちらを優先させるべきか?」という視点である。
 弟狼は、兄狼に、「敵」の定義を適用しないで、「兄弟」の定義を適用した。
 赤頭巾は、弟狼のこの選択を支持する。兄狼を「敵」でなく「兄弟」と定義すれば、赤頭巾の言うとおり、「兄狼のことを大切に思うなら、負傷した兄狼のところに、すぐ行ってあげなさい!」、「弟狼さん、あなたは弱くない!」との発言になる。
     (e)
 しかし決定的な問題が残る。兄狼は、弟狼に対し「お前は狼の仲間でない!」と言った。弟狼は「外集団」の成員と定義された。
 そもそも、狼にとって人間という「外集団」は、同時に「敵」でもあるから、今のままでは、弟狼が兄狼に受け入れられる可能性は小さい。
 ただし弟狼が、「外集団」の成員でも「敵」でもなく、「内集団」の成員でしかも「兄弟」と、兄狼によって定義し直されれば、弟狼は兄狼に受け入れられるだろう。
 なお、この場合、「敵」の定義および「兄弟」の定義は、人間でも、狼でも、共通と仮定する。