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“マネとモダン・パリ”展(三菱一号館美術館) 2010.7.22

2010-08-09 23:49:15 | Weblog

 東京駅から昼の暑い日射しの中、三菱一号館美術館まで歩く。 

 エドゥアール・マネ(1832-1883)とナポレオン3世のパリ大改造は同時代。今のパリの街並みが出現した。     

 ナポレオン3世の美しい皇后ウジェニーがスペインからやってきてパリはスペインブーム。マネはスペイン、プラド美術館に旅行し尊敬するベラスケスを見る。 

 マネ「街の歌い手」(1862年頃)は流しの歌手を描く。ゾラが一番好きだと言った絵。

                         

 マネは「見たまま」を描く。またリアリズムの黒の魅力を知る。マネ「死せる闘牛士(死せる男)」(1865年)の主題は黒である。 

          

 ボードレール亡きあとエミール・ゾラがマネを支持する。マネは肖像画「エミール・ゾラ」(1868年)を描く。 

                

 普仏戦争後、1871年、パリ・コミューンにマネは友人ドガと参加する。コミューンが崩壊する血の一週間のすさまじい虐殺。 エドガー・ドガ「ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場」(1872年)がすばらしい。動きが絵画化される。 

         

 マネの同志だったベルト・モリゾ。二人の信頼感と自信が「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」(1872年)に表現される。マネ40歳、モリゾ31歳。 第1回印象派展へのベルト・モリゾの誘いを、サロンにこだわるマネが断り二人は疎遠となる。 

                  

 マネ「ラトゥイユ親父の店」(1879年)は女を口説く男の滑稽さをリアルに描く。 

            

 マネの「ミューズ」がメリー・ローラン。非難されるばかりの個展で「すばらしい!」とマネの作品をほめた女性。マネの生涯の友マラルメが彼女にあこがれた。 

 マネ展を見終わり三菱一号館美術館周りの木陰から外に出れば、日射しは来たとき同様、焼けるようだった。